シャーロック家の見回り
*
件の屋敷を確認と門の前に立てば、いくらもしない内にバタバタと駆け出てくる姿があった。今日も今日とてゴテゴテと着飾った姿を見た瞬間に思わず引き返しそうになったが、仕事となればそうもいかないものである。
「レオン様っ〜!」
うんざりした表情など一切顔に出さぬよう細心の注意を払い、微笑み顔の仮面を被る。お久しぶりです、と感じのいい声を出した後は、体調など崩されてらっしゃいませんか、と窮屈な日々を過ごしているであろうことに気を配った。
本日のシャーロック家周辺の見回り当番はレオンだ。警備強化してまだほんの数日。特に成果は出ていない。
「ええ、あまりウロウロするなと父に言われていまして実はちょっと気が塞いでいましたの。ですが今日はレオン様にお会いできましたから、そんな暗い気持ちも吹き飛びましたわ」
駆けてきたせいか少し息を上げて、桃色の頬をしたマリーナは言った。
「それはよかった。私などがマリーナ様のお心を少しでも晴らすことができるのなら大変光栄です」
今回もまたレオンは完璧な紳士を演じてみせる。言いながら反吐が出そうだと内心思いつつも、にこやかな笑顔は崩さなかった。
「騎士隊のみなさんにはご迷惑をおかけしてごめんなさい。でもこうしてレオン様にお会いできるのだからマリーナは幸せです。先日の私服姿も素敵でしたが、今日の騎士の姿も素晴らしいですわ。さぞ市中にはファンが多いことでしょうね……」
「いえいえ私など、とんでもない」
「今日はレオン様が見回りだと聞いて朝からずっと窓に貼りついていましたのよ。ずっとお会いしたくて」
一体どこの誰が見回り当番を漏らしたのだろうと些か腹立たしくもあったが、大方マルクやヒューイあたりだろう。
騎士隊の内部情報を漏洩させるなど言語道断なのだが、可愛らしい令嬢から『レオン様はいついらっしゃいますの?』なんて聞かれたらつい答えてしまうのがマルク。
レオンの好みでは全くない令嬢にレオンの情報を流し、レオンがうんざりしたり溜め息を吐いたりしているのを影で大笑いするのがヒューイ。
よくつるんでいる悪友たちには後で問いたださねばならないとして。
「付きまといはその後も続いているのですか?」
「それが……わかりませんの。最近はあまり外出もしていませんし。でも結婚について色々言ってくる手紙は二度ほど来ましたわ。私に結婚の予定なんてありませんのに……」
マリーナはそこまで言うと、ちらりとレオンの様子を窺ってきた。何か言われたそうにしているが、言ってはやらない。そうですか、と相槌を打つにもちろん留まる。
「実はお父様が、これを機にいっそ結婚してしまえと言うんですの。世間が文句を言えないような殿方のところへ嫁入りできれば、こんな脅迫めいたこともなくなるだろうって」
レオンが何も言わないからか、マリーナはさらにそう続けた。『世間が文句を言えないような殿方』と言う表現に何が言いたいかは無論承知だが、やはりここは黙っておくに限るだろう。
家の格が違うので、レオンの側から求めなければ何も事は起こらない。
いくら物欲しげな目で見上げられようが、もじもじくねくねといじらしく擦り寄られようが、レオンの心は揺るぎなかった。求婚などされてたまるか。いつかは誰かと結婚という話になるのだろうが、この令嬢は論外としか言いようがない。
「私が早く身を落ち着けないからだって言うんですのよ。ですが私なんてもらってくれる殿方がいらっしゃるかしら……」
「マリーナ様であればきっと引く手数多でしょうけどね」
一応にっこり笑って、しかし素っ気なく言い捨てると、レオンはここでおしまいとばかりに小さく会釈した。
「ではマリーナ様、私はそろそろ仕事に戻りますので……」
言い終わる瞬間、するりとマリーナの傍へシャーロック家の従者と思しき男が寄った。
白いシャツに茶のベストとズボン。猫背気味だが顔立ちのすっきりした美丈夫だ。さすが成金の家らしく従者の装いもみすぼらしくはなく小綺麗で、随分と若く見える。マリーナと同じくらいの年の頃だろうか。
男はマリーナの横にピタリとつくと、レオンの方を一瞥し、その後すぐにマリーナへと視線を移して囁いた。
「マリーナ様……もうお戻りになられませんと。そろそろ王国祭のために仕立てたドレスが届くはずですが……」
「あ、そうね! 一度着てみなくちゃ」
マリーナの素直な返事を聞いて、男は満足そうに小さく笑った。
しかしマリーナはすぐにその場を離れることはしなかった。名残惜しそうにぶつぶつ言うと、次の瞬間にはグイッとレオンに身を寄せてくる。
抱きつかんばかりの至近距離に、思わずレオンもぎょっとしてしまった。マリーナはというとそんなレオンの様子を気にとめることもなく、いつもの調子で可愛らしく言い募った。
「レオン様、王国祭はきっと見に参りますわね! レオン様が騎士隊の剣舞に出られると聞いて、私ずっとずっと楽しみにしていましたの! 絶対に素晴らしいわ……きっとレオン様が一番素晴らしいはず……」
「は、はぁ……まあ、ぜひ楽しんでいただけたら……」
露骨な媚に若干引いたが、レオンは頬がひくつきそうになるのを抑えて笑ってみせた。
と、ここで、先程の従者の男がゴホンと咳払いをする。マリーナをたしなめるかのごとく顔をしかめると、まるでレオンはその場にいないかのように、男はマリーナに向かってだけ口を開いた。
「マリーナ様。お早くお戻りを。あまり外部の者と口を聞くのは良くありません」
「もう! クードったらうるさいわね。レオン様を外部の者呼ばわりなんて失礼よ。私の警備に来てくださっているのに……」
クード。どうやらそれがこの従者らしき男の名前らしい。
クードはマリーナの声に聞く耳を持たず、お早く、とだけ繰り返した。
「ごめんなさいね、レオン様。それではまた王国祭でお会いしましょう」
名残惜しそうに言うと、マリーナはクードの指示に従って屋敷の方へと戻っていった。
そうしてマリーナがきちんと屋敷の方へと進んでいくのを見届けて、その場に残ったクードはレオンに向き直り、恭しく頭を下げた。
「では失礼いたします。レオン・ウィスタリア様……」
ただその表情は、頭を下げる者のそれではなかった。
鋭い目つきでレオンを睨んだまま、文句でも言いたげな不機嫌そうな顔で頭だけを低くする。身体中から不本意が溢れ出ていた。
フン、と効果音でもつきそうな勢いでレオンに背を向けて、クードはマリーナを追いかけていく。主人であるマリーナへのそこそこ強い物言いから考えるに、従者の中ではある程度力のある存在なのだろう。
(……つまりあの令嬢が狙ってる男は嫌いなわけだな)
失礼な野郎だなとは思うものの、怒りはさほど感じない。あの令嬢に心酔するなら所詮自分とは価値観が天と地ほどに違うのだ。好きなだけ令嬢と仲良くやってくれればいい。
(いっそああいう献身的な男と結婚すんのがあのタイプの令嬢にとっては幸せなんじゃないのかねぇ。新興貴族なんて身分がどうのと言ってる場合じゃねぇだろ)
ジャンプアップを狙ってか、高位貴族との姻戚関係を結ぼうという下心がみっともない。野心を持つのは結構だが、巻き込んでくれるなとレオンは思う。
ふぅ、とひとつ大きく呼吸して、レオンは屋敷周辺の見回りを再開した。例えば身を隠せそうな植込みや、塀の陰や裏にも人の気配や痕跡がないか確認する。遠巻きに屋敷を眺めるものがいないかなど、通行人の視線にも注意を払った。
(しかし王国祭での外出も特に気をつけるようマリーナの父親に言うべきだな。警戒心丸出しの従者は防犯上まあいいとして)
王族たちも出席するため警備はかなり厳重だが、注意しずきることはないだろう。
王国祭まで、もうあと数日。
街はこれまで以上にどこか浮ついていて、建国300年の大祭を今か今かと待っていた。
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