二人きりの食事会②
「理想……? ん〜……優しい人、とか?」
「抽象的だな。しかも疑問形かよ」
眉根を寄せて考えるような表情をしたわりに、アスランの答えははっきりしない。
「正直あんまり考えたことない。自分に男に好かれる要素がないって自覚してる」
「まあその自覚に関してはノーコメントにしといてやる」
100パーセントの賛成を送ってやりたくもあったが、ここは穏やかな食事の雰囲気もあって我慢した。アスランはどれもこれもを幸せそうな顔でよく食べ、ワインの入ったグラスにも口をつける。元来そう強くはないのかすでに頬が桃色だ。
「でもまあ、もし将来を約束するとしたら……」
ワインを流し込んだ喉をこくりと鳴らし、アスランが再び話しだした。どうやら続きがあったらしい。
ほんの少しためらう様子も見られたが、レオンは黙って続きを待った。決して急かさぬように、それでいて無関心とも思われぬように。ちぎったパンを口に放りこみながら、それで? と表情だけで促してみる。
「その……できれば、私を特別と思ってくれる人がいい」
「特別?」
「私は平民だからな。平民の命は軽い。誰も特別とは思ってない」
「いやお前、そんなことはさすがに……」
さすがにねぇだろ、とレオンは言おうとした。言おうとしたけれど、アスランに「いいんだ」と制された。
社会の中で、生活の中で、優先されるのは確かに王侯貴族たちだ。命が軽いとまで言い切る無神経さはレオンにはないが、身分社会とはそういうものである。
「階級のある社会では当然だ。だからそこに何か文句があるわけじゃない。例えば王様とか、お妃様とか、王子殿下や姫君の命は特別だ。絶対守らなくちゃいけない」
「だろ?」とアスランが聞いてくるので、「そうだな」と一応相槌を打った。王家を守るという認識は貴族においても共通のものがある。
しかし正直なところを言ってしまえば、大して面識もない王や王妃周辺のことは普段頭に上らせることもない。近衛隊でもないので守らねばという意識もはっきり言うと希薄だ。ただそれを口外することは避けるべきとの嗜みくらいはあるので言わない。それだけだ。
「だからレオンたち貴族の命も特別だ。私の命よりずっと重い」
本当はこんな風に呼び捨てで馴れ馴れしく付き合ってはいけないこともわかってる、とアスランの言葉は続いた。
けれど騎士隊訓練校時代から、訓練生はクラスや修練においても身分の分け隔てがなくなる。騎士としての職務の上では平等だ。ついでにレオンが始終喧嘩を売りに付きまとうため、アスランはレオンに対してのみここまで雑な物言いをするようになったというのもある。
だからだろうか。レオンの方では貴族と平民という階級差がありつつも、アスランとの関係はそれなりにフラットだと思っていた。命に差があるなどと言われるのは些かショックでもある。
レオンの方はそんなこと、欠片も思ったことはなかったのに。
「もし一生を誓い合うような人ができるなら、こんな私でも特別だって言ってくれる人がいい」
聞いて、ほんの少し、レオンはグラスに口をつけた。間をもたせるようにワインで唇を湿らせて、数秒考えるフリをする。
ただその後の言葉は出なかった。
こんな私でも――その言い草を苦く感じる。
アスランはレオンにとって憎らしい女だが、蔑んでいるわけではない。むしろ『本物』と、そう思ってしまう自分が歯痒くて毎度苛つく。
自らを卑下するようなアスランの言い草は、特別と扱われてこなかった裏返しだろうか。
そんなことないだろ、と。お前だって特別大事な人間だろ、と。言ってやれたらどんなにいいだろう。
ただ高位貴族として誰もに傅かれ、特別扱いの毎日の中ぬくぬく生きてきたレオンにここで何が言えるだろうか。
身分の差というものを嫌でも感じる。けれどレオンとアスランでは、貴族と平民という枠組みなど問題にならないと思いたい。
いつだってフェアでいたいのに。
アスランが自分のことを軽い命だなんて表現するのは、なぜだかひどく悔しいのだ。
「まあそんな奇特な人、いるわけないとは思うけどな」
口数の減ったレオンをよそに、アスランはからからと笑った。ほろ酔い心地になっているのか、いくらか桃色だった頬はすっかり赤くなり、瞳がとろとろと溶けている。
「…………いるんじゃねぇの?」
レオンは小声で呟いた。
ん? とアスランが間の抜けた声を出すので、仕方なくもう一度言ってやる。
「いるんじゃねぇの? 一人くらいは」
元気づけるつもりはなくて、そう思ったから言ったまで。結婚はできないと思うなんて言ったくせに、その矛盾には目をつぶった。アスランは「いるかなあ」などと言いつつへらりと笑っている。
何を話せばいいのかわからなくなって、レオンはとりあえず時間を潰すかのごとく食べ物を口に運んだ。もくもくと食べていれば、アスランがやけにニコニコとした顔を向けてくる。
「レオンは? なんでお前はまだ結婚しないんだ?」
楽しそうな様子に絡んでくる酔っ払いの風情を感じたが、まあいいかとレオンもワインの残りを煽ってグラスをあけた。そうして二杯目をお互いのグラスに注ぐ。アスランには少なめに。気分は良いようだし、あと数口くらいはアスランだって問題ないだろう。
「結婚ねぇ……」
酔っ払い相手になら適当に語ればいいかと、レオンも少し考えた。
成人すれば縁談となる貴族の子供たちは多い。成人前から婚約者なんてものがいる奴等もいる。自由気ままに好き勝手やっているレオンや、妙齢を過ぎても独り身でいるウォローなどはやや例外的だ。
「ウィスタリア家との結婚狙ってる令嬢が嫌いだから」
「へぇ」
「どいつもこいつも権力がほしいだけの奴等だ。言い寄ってくる女はみんな俺のバックにあるウィスタリア家を見てる。俺自身を見てるわけじゃねぇ」
ああそうだ。だからレオンは言い寄ってくる女が嫌いなのだ。
俺のことは何も知らねぇくせに。
縁談を持ちかけようとしてくる奴等にはいつもそう思う。
俺が高位貴族でなければその気持ちはもたなかったくせに。
好きだの憧れだの抜かしてくる女には毎回そう思った。
「そうかなあ」
小首を傾げながら、アスランはレオンをまじまじと見る。なんだよ、と目で訴えながら、レオンは二杯目のワインに口をつけた。
「レオンを見てる女もいると思うぞ。そんなにカッコいいんだから」
その瞬間、レオンはゴハッと勢いよくワインに噎せた。
アスランから顔を背けて、手で押さえつつゴホゴホと咳き込む。口から零れ出してはいないのでセーフだと思いたい。ただ変なところに入ったのか、咳はしばらく出続けた。
「おい、大丈夫か?」
噎せているレオンに向かってアスランは心配そうな顔をしていたが、正直それどころではなかった。ティッシュを手渡されたので一応口の周りを拭ったりもしてみる。
何とか息を落ち着かせて、はあはあ言いながらもアスランの方を凝視した。
「いや、なんて……?」
「おい、大丈夫か??」
「じゃなくて」
「レオンを見てる女もいると思うぞ??」
じゃなくて! と再び言いそうになったが、急遽方向転換してやめておく。過剰反応でしかないと自覚して、急に恥ずかしくなってきたのだ。
何を「カッコいい」などと言われたくらいで動揺しているのか。令嬢たちには散々言われてきているのに。
「レオン自身を見てる女もいるって。元気だせ。な?」
アスランはというと、まだレオンが聞き漏らしたと思っているんだろう、先程と同じことをもう一度言って、励ましの態勢に入ったらしい。
明後日の方向からの激励を聞くフリをして、レオンは若干染まってしまった顔を隠した。
(男をカッコいいとか、コイツも思うんだな……)
強いのは驚きのはずなのに、思わずニヤついてしまいそうになる表情筋を必死でコントロールする。
その後もレオンの頭の中では、アスランの『そんなにカッコいいんだから』が延々リピートしていた。
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