不本意なペア
*
場所を詰所へと移し、レオンたち下級隊員はそれぞれ席についた。上の隊員たちは各々パトロールやら住民対応やらへと出かけていく。王国の治安はかなりいい方だが、それはこの騎士隊が日々パトロールをし、狼藉者がいないか目を光らせ、市民の困りごとに対処するという地道な働きによるところも大きいのだ。
分隊として国境警備隊や山岳警備隊もおり、野盗の侵入を防ぎ、獰猛な野生の獣を遠ざけるという仕事もあった。
そんな中、中央警備の騎士隊はやはり一番の花形と言える。文武を兼ね備えた有能な者、富と権力を持つ地位の高い者たちの子息などが名を連ね、顔ぶれは華やかだ。国を護る顔として、例えば式典などへの参加も職務の内である。
「ということで、ふた月後、王国祭があるのはみなわかっているな? 今後は剣舞の練習にも励んでくれ」
ウォローはそう言いながら『練習票』と書かれた紙を配って回った。
ユーフォリア王国は今年、建国三百年という節目の年を迎える。ふた月後には街をあげての大祭が行われる予定だ。
建国の祖に感謝し、さらなる発展を神へと祈る――王からの言葉を賜り、音楽、舞踊、馬術など様々なものを神へ奉納する。騎士隊においてはこういった式典での剣舞奉納が習わしだ。
「近衛隊も式典に向けて準備をしていると聞いた。うちもそろそろ本格的に練習を始めようかと思う。本業とは言えないが、これもまた我等騎士隊の大切な役目ってやつだな」
近衛隊、というのは主に王族を護衛する親衛隊だ。王城近辺を警護する近衛隊と街の警察である騎士隊がこの王国の武の双璧である。
隊の番号は少ないほど身分が高い者や剣術に優れた者が集まっており、こういった式典への参列は壱番隊や二番隊の役目なのだった。そして練習へと時間を割いて人前で披露するとなれば、基本的には若手の仕事となる。
「明日までに二人一組のペアを作っておいてくれ。剣舞の講師を連れて来る」
練習票には通常の勤務と訓練の合間にみっちりと練習時間が組んであった。というより訓練も多くがそれだ。
「一週間でとりあえず見れるモノにしろ。優秀なペアだけを式典に出すからな」
ウォローの声は朗らかだが、有無を言わせない圧があった。
「では解散。みんな本日の業務に励むように」
言いおいてウォローが詰所を出ていくと、室内に残された若手たちはすぐにワッと立ち上がった。気の合う者同士、業務開始の前にペアを組もうと約束を取りつけておくのだろう。
しかしアスランは席を立つこともなく、練習票の紙をぼんやりと眺めていた。アスランは隊の中でただ一人の女性であるし、そもそも友人と言えるような存在がいない。貴族の中に混じ入った平民に話しかけてくる人間は稀だ。
つまり毎度毎度アスランに突っかかってくるレオンのような人間は大概変わったヤツなのである。
突然、アスランの手元にある練習票にフッと暗い影が落ちた。顔を上げれば、ニヤついた顔のレオンがアスランを見下ろしている。
「……なんだ?」
眉間に皺を寄せてアスランが問えば、
「どーせペアの相手もいねぇんだろうが」
レオンが馬鹿にしたように言った。
レオンはいつもこうなのだ。アスランに何か文句をつけられるチャンスがくると、嬉々としてやってくる。
図星をさされてムッとはするが、いくらウォローからの指示だろうとアスランはペアを探す気はもともとなかった。ウォローに楯突きたいわけではなく、自分とペアにさせられる相手が可哀想だからだ。平民出身で華もなく、さらに舞踊の類は剣舞も言わずもがなで大の苦手だ。
「悪いか。お前が言ってたように私は剣舞が下手なんだ。祭りに選ばれるわけないから、別にペアなんていなくても構わないだろ」
「オトモダチがいねぇヤツは可哀想にな。ま、選ばれるわけないってのは同意するぜ。よくわかってんじゃん」
笑いつつ、レオンは練習票をヒラヒラ振りながらアスランに背を向けた。その後ろ姿を苦々しく見つめ、アスランは小さく唇を噛んでみる。
(レオンは剣舞も完璧だ……私はあんな風にはできない)
訓練時に垣間見た姿をアスランは思い出していた。動作一つ一つが正確で、見栄えもいい。もちろん言葉に出して伝えたりすることはなかったが。
剣舞というのは剣術の型の組み合わせでもある。剣舞ができないということは、剣技の基本の型すら身についていないということだ。
騎士として、剣術や槍術というのは日々鍛錬していかなければならないものなのに。
(模擬戦で勝ったといっても、それだけが実力じゃないのはわかってる)
アスランの剣技は全てがウォローの見様見真似だ。ウォローが剣術の天才だからこそアスランもここまで強くなれているのかもしれないが、基本から学んできている貴族学校出の隊員たちに実は少し引け目を感じている。強いと言われていたって、基本がなってない自分にはここが限界なんじゃないか、なんて不安になるのだ。
そうしてレオンという男に、アスランは胸の奥で小さな炎を燃やしていた。文武両道を軽く地でいくその才能が羨ましくてたまらない。
模擬戦で勝ったといっても、あるいは練習で上のポイントを取ったといっても、アスランはレオンには絶対に敵わない。なんというか、人間としての能力のレベルが違いすぎる。
レオンはアスランにとって一種の憧れだった。喧嘩ばかりしているが、確かに一目置いていた。それはきっとここ壱番隊の誰もがそうだろう。
知恵と知識を豊富に持ち、さらに運動神経まで抜群とくれば、小難しい剣舞だってレオンならばすぐにやってのけるはずだ。
(アイツはいいな……)
少しだけそんなことを思って、アスランもまた席を立った。本日の業務に取り掛からなければならない。下級のアスランたちは業務の合間に訓練も入っており、そんなにのんびりしてはいられないのだ。
練習票は一応小さく折りたたみ、自分の荷物置き場に置いておく。ペアの相手がいなければ式典用の剣舞の練習に参加することもないだろうと、あまり深くは考えなかった。
*
「全員ペアはできてるんだろうな」
翌日、朝礼がわりの詰所での挨拶ではウォローの第一声がそれだった。
隊員たちはペアになった者同士それぞれ目配せをしている。大丈夫ですとも言いたげな顔をして前に立つウォローを見つめていた。
「あぶれた者は?」
そんなウォローの言葉に、アスランは思わず身を縮こまらせる。多分ペアがいないのはアスランくらいだろう。練習から外れるように、とそう言われるのかもしれない。
隠すわけにもいかず、「……はい」とアスランが手を挙げたときだ。
「は!? ヒューイ、お前っ! 裏切りやがったな!」
「いやいや、ペア決めろって言われたときすぐにどっか行ったのはレオンだろ」
机の端の方でゴタゴタやりだしたのはレオンとヒューイだ。ヒューイの隣ではこれもまた彼等の友人の一人、マルクがやや慌てている。
「お前がいないから俺とマルクでペア組むことにしちまったんだよ。わりぃな」
そう悪いとも思っていない顔でヒューイは苦笑し、手をごめんという風に合わせた。マルクも同じく、
「ごめんごめん。でもレオンなら誰とでもうまくやれるって」
なんて励ましともつかぬ言葉をかけている。
「誰とでもって、余ってるやついんのかよ……」
レオンが困った風に部屋を見回したとき、見つかりたくないと言わんばかりに控えめに手を挙げている者はアスランただ一人だった。
「…………」
何を悟ったのだろう、レオンは絶句した。そしてもちろんアスランもだ。
アスランは自分がペアを作らないことで、一人余りが出てしまうことを失念していた。壱番隊の下級騎士は二十人。きちんとやれば十ペアできるはずなのだ。
けれどたとえそれを考えていたとしても、まさか余るのがレオンだなんて予想できたはずがない。犬猿の仲の二人なのだ。ここでペアを組まされるなどあってはならない。
「ああ、ちょうどいいじゃないか。レオンとアスランでペアになれ」
ウォローは事もなげに言ったが、アスランは弱々しく挙げていた手をピンと伸ばし、
「隊長、そのことなんですが!」
と声を張った。
「私は遠慮します! その、もともと剣舞はできないし……」
「お、俺もそれがいいかと! アスランじゃ足を引っ張るだけですよ。俺は一人でも全然いいんで!」
いつもは反発するばかりのレオンまでが追随した。
が、ウォローの言葉はただ一言。
「全員参加だ」
アスランは焦った。レオンが相手では今後どれだけ文句を言われるか想像に難くないし、何より自分は完璧なレオンの剣舞の邪魔にしかならない。
「で、でも、私が相手じゃレオンの迷惑に……」
食い下がるアスランに、ウォローの顔が少し笑った。日焼けた肌に黒髪のウォローは若手の隊員からすればかなり年嵩にはなるが、そんな風に笑えば若者のようにも見える。
「アスラン」
ウォローの優しげな声が詰所に零れ落ちた。まるで駄々をこねる子供を落ち着かせるような、そんな声。隊員たちはおのずと口を閉ざし、アスランもまた何も言えなくなった。
「お前が舞踊の類が苦手なのは知ってるよ。でもあれだけの剣の腕があれば、剣舞はできるはずなんだ」
それは説得のようにも励ましのようにも聞こえた。こうなればもう、アスランはウォローに頷くしかない。
「式典には出来がいい組を選ぶが、祭りで披露せずとも訓練になる。剣舞の動きは剣術の基本の型だからな。覚えておいて損はない」
ウォローはアスランが聞き入れたのを見て、今度は隊員全体に向けて言った。
さらにレオンに向かっては、
「レオン、お前がアスランに教えてやれ」
と付け加えられる。
「はい!? なんで俺が……?」
「お前が一番上手いからだ。案外いいペアなんじゃないか?」
「ちょ……マジかよ……」
あぶれた者同士、という、実に冴えない理由により、レオンとアスランはパートナーになるしかなくなった。とは言ってもたかだか祭りまでの期間、ペアになって決まった通りに身体を動かすだけだ。と、お互いが自分自身に言い聞かせておく。
祭りまで、たったふた月。されどふた月――レオン、アスランの両名は深い溜め息を零しつつ、がっくりと項垂れてしまった。