夜の差し入れ
「神舞、やるんだろ? うまくいってるのか?」
部屋に入るなりレオンは尋ねた。アスランの表情は浮かないままで、溜息混じりの残念そうな声が返ってくる。
「……全然うまくいってない」
「食事と睡眠は? ちゃんととってんのか?」
「睡眠はとってると思う。……ただ家帰ってきたら疲れてて、食事作るのが億劫だし、ついそのまま寝てしまって」
夕食は面倒で最近食べてない、ということらしい。
やっぱりか、とレオンも息を吐きつつ部屋を見回した。以前泊めてもらったときより幾分か荒れている。中央にある机の上には色々と書きつけた紙が散乱していて、詳細は見えずとも神舞の勉強をしているようなのは明らかだ。
「復習しようと思って、動きを思い出してちょっとでも書いてる。覚えていかなきゃメイソン先生に怒られるし」
でもまだ覚えられてない、とアスランは肩を落とした。要領の悪いところは健在だ。
「神舞はやっぱり難しいのか?」
「まあ私の出来が悪いのが一番悪いんだけどな」
「俺とのペアはちゃんとできてただろ。落ち着いてメイソンの動きを見ろ。何回でも繰り返してもらえ」
うーん、とアスランは唇を尖らせ、首を傾げる風情を見せた。お前とはできたんだけどな、と残念そうにしている。
「……神舞って思うと緊張して動きが頭に入ってこなくなるんだ。5年に1回しかない踊りなのに、なんで私に任せられたのか……」
芯の強い、努力家のアスランにもプレッシャーはしっかりのしかかっていた。自分でも苦手と自覚のある分野で街中の人々の注目を集めるのだからそれも当然だ。
けれど身体能力に限って言えば、アスランは歴代巫女の中でもかなり上位に違いない。タイミングとか、動きの順番とか、そういうものさえ頭に入ってしまえばきっと問題なく舞えるはずなのに。
「もっと自信を持っていい。流れさえ覚えればお前はしっかり動けるから」
「だったらいいんだけど……」
お茶でも淹れようか? なんてアスランは机の上を片付け出した。けれどもそれには首を振り、馬車を待たせているからと断る。かわりにスペースの空いた机の上に、大きなバスケットを2つ置かせてもらった。
「とりあえずコレ、差し入れだ」
「差し入れ?」
一体何のことやらと不思議そうにしているアスランに、レオンはバスケットを開いて一通り説明した。
サンドイッチ、玉ねぎとキノコと鶏のマリネ、マグロとサーモンをひと口大にカットして揚げたもの、彩りよく詰められたフルーツ。 クッキーにクラッカー、小さな瓶詰めのジャムと金平糖、ぶどうジュース、一つずつ紙に包まれたチョコレートとキャンディー。
まるでお菓子箱のようなその中身に、わぁ、とアスランは声を上げた。
「すごい、お菓子もたくさん……」
「日持ちのするもんも入れてるから、ちょこちょこ食べろ。足りなきゃ言えば持ってきてやる。近衛隊にいても伝令くらいは使えるだろ? 無理なら騎士隊にでも顔を出せ」
「でもレオン、なんで……? こんなにもらえない……」
困っているアスランに、半ば無理やり押しつける。なんでと問われれば、大変そうだと聞いたから。それ以外に理由はない。気にいらないとは思っていても、失敗しろだとか醜態さらせだとか、そういうセコい思考は対アスランには一切持っていない。
「お前のために用意させてんだからありがたく受け取れ。いらねぇってんなら捨てればいい」
「す、捨てるわけない!」
ただこんなにもらっては悪い、とアスランは遠慮する。性格的にも喜んでもらったりはしない奴だとわかってはいた。
「あのなあ、俺は貴族なんだよ。金なら余ってるから問題ない」
俺様然として言ってやれば、アスランは驚いて、直後、ぷっと吹き出した。
「余ってるのか。それは羨ましい」
「だから変な遠慮はいらねぇってことだ」
「……じゃあ、ありがたくいただく」
言うと、アスランはバスケットを覗き込み、幸せそうに顔を綻ばせた。
「嬉しい……すごく腹は減ってるんだ」
助かった、と素直に零したアスランに、食べるもんはしっかり食べろ、と忠告する。うんうんと頷くアスランは、確かに最近食事は適当すぎたと反省した様子だ。
これで少しでも体力が回復してくれればいい。落ち着いて食事をとって、甘い物でも食べてリラックスして――ひとまずレオンにできることなどこの程度でしかなかったが、一部分なりと手を出すことに成功した。
一人きりで乗り越えようとする姿にはイライラするのだ。苦しまれるのはもっと違う。
アスランとは、同条件で張り合いたい。周囲の環境の分でレオンが勝ってしまうのは嫌なのだ。
手助けしたいと思うのは、それが所以だ。
じゃあな、と部屋を出ようとしたところ、レオンは玄関前であることに気づいた。
ここがチャンスなのかもしれない。胸ポケットに相も変わらず忍ばせているものは、常に頭の中に存在を主張している。会えたら渡そうと、そればかり考えていたから。
振り返って、胸ポケットからネックレスを取り出した。グーの手でチェーンの部分を持つと、下にゆらゆらとペンダントトップが揺れる。
「これもやる。この間泊めてもらった礼だ」
「え?」
「露店で見つけた。お前にちょうどいいかって」
アスランは目を大きく開けてレオンを見上げた。そしてブンブンと首を振る。
「礼なんていらない。私が泊まってほしいって言ったんだ」
「飯と寝床借りたことに変わりないだろ」
「でも……さすがに高いだろ……。こんな綺麗なネックレス……」
「そんなに高くない。言ったろ、俺は貴族なんだって」
それはそうだけど……とアスランは言い淀む。受け取らないだろうことはわかっていたが、ここまで来て引き下がるわけにもいかないというものだ。
レオンは「それに」と付け加えた。
「魔除けにもなるらしいから、お守り代わりだ」
「お守り?」
「神舞が成功するように」
小首を傾げたアスランに、このときばかりはレオンも本心から言った。うまくいけばいいと思う気持ちは嘘じゃない。上位の人間の思惑で大役を任されてしまったアスランが、できることならその役を自分の力にできたらいい。うまくいったらこの上ない名誉になる。
「お守り……」
呟いて、アスランはにっこりと笑った。
揺れる小花の下にアスランが手を広げたので、ポトリとそこに落としてやる。
「そうか。じゃあ、受け取っておく。レオン、ありがとう」
「どういたしまして」
アスランはネックレスを大事そうに両手で包み、胸の前で祈るようなポーズをした。お守りと言ったのが効いたらしい。
見送りにと玄関口までついてきたアスランは、
「なんか、レオンと話して楽になった気がする」
と明るい声で言った。
弱音を吐ける人もおらず、自分一人で挑み続けるのはやはりアスランでも堪えたらしい。普段口喧嘩ばかりだったレオンでも、話し相手くらいにはなる。
ドアを開けて、すでに真っ暗になった外へと出ると、レオンは再度振り向いた。
「あー……日曜日の夜、いるか? また飯持ってきてやるから」
「いいのか?」
「ついでに愚痴も聞いてやる。何か食べたいものでもあるならリクエストしとけ」
話して楽になったと言われれば、聞いてやってもいい気がした。アスランに頼られるのは案外いい気分なのだ。
「あ、じゃあ、一緒に食べないか? こんな部屋で悪いけど」
「一緒に?」
「ああ。食べながら話できたら……」
アスランの提案に、それもそうだなとレオンも頷く。渡しに来るだけより、ゆっくり話ができるだろう。
「で、何食べたい?」
「んー、そうだな……。ミートボールとか?」
「オッケー。それじゃ日曜日にな」
じゃあな、と言ってドアを閉める。扉が閉じてしまうその瞬間まで、アスランは礼を言っていた。
待たせていた馬車に乗り込み、とても満足した気分でレオンは自身の屋敷へと帰った。日曜日の夕食について、あれやこれやと考えながら。
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