一宿一飯の恩
*
「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
隊服を着替えようと屋敷に戻ると、玄関ホールでの出迎えはいつものように侍従長のオスカーだった。レオンが小さい頃から爺さんだったが、今も変わらず爺さんである。正確な歳は知らないが、ウィスタリア家の長老のように使用人たちをまとめあげている人物だ。
「あー、ただいま」
「昨夜はお戻りになられませんでしたので心配いたしました」
「ああ。雨ひどかったからな。友達のとこ泊まったわ」
「左様でしたか。いやいやおそらくそうだろうとは思っておりましたが……」
オスカーは頷くと、他の使用人たちの目を盗みサッとレオンの傍らに身を寄せた。
「……もしやどこぞのご令嬢のところでは? このジイめにだけは打ち明けてくださっても構いませんが」
オスカーの目は老いた皺だらけの顔の中でいきいきと輝いている。帰って来なかったから心配していたというのは完全なる嘘だろう。
オスカーは以前からこうなのであった。年甲斐もなく色恋の方面に好奇心満載で、どこそこの誰が誰々とデキているだとか、誰と誰は結婚秒読みだとか、そういうゴシップに目がない。レオンの母親なんかは嬉々としてその噂話を聞いては盛り上がっているので、主君了解のもと、趣味と実益を兼ねた彼のライフワークになっている。
が、しかし。レオンは恋愛話なんぞに一切の興味がないのだ。以前からオスカーの悪癖に辟易してきたが、今朝はさらに一段と冷ややかな目を向けた。
「騎士隊の同僚のとこだ」
「ああ〜〜左様でしたかそれはそれは残念な……騎士隊のあのムサ苦しい連中とはなんとおいたわしい……」
実際はムサ苦しい連中ではなくアスランという女性隊員の家なわけだが、気取られるわけにはいかない。知ればオスカーは大興奮して昨夜の出来事を根掘り葉掘り聞いてくるだろう。といってもアスランなら男と対して変わらないだろ、とも思う。思うがやはり、オスカーに教えてやる気はなかった。
「坊ちゃま、いいんですよ、たまには女性とこう……ね、艶やかな夜と言いますか」
「暴風雨に雷まで鳴ってんのに艶も何もねぇだろ」
昨夜はあの無愛想なアスランですらレオンを頼ってきたくらいの荒天だ。女との色事などが頭に浮かぶはずもない。
「坊ちゃま……ジイは寂しゅうございます……」
突然オスカーがしょんぼりと俯いた。
「もうイイ歳をしてらっしゃいますのに、坊ちゃまときたらどこまでも品行方正で面白味がなく……」
「悪かったな」
「坊ちゃまくらいの男でしたら結婚前にも浮いた噂の一つや二つや三つや四つ……」
ペラペラと持論を披露する途中、オスカーはフムと考える素振りを見せた。
「もしや女性が苦手とでも……?」
「まあ、面倒ごとは苦手だな」
自分でだってモテてきたと実感のあるレオンだ。キャーキャー言われることに優越感でも感じられる性質ならまだよかったのだろうが、軽薄な女の声にはイラつくし、甘やかして育てられてきた令嬢たちの機嫌取りなど御免被りたい質だ。自分から女性との関係を構築したいなどとは思わない。
「これほどまでに全てが揃った坊ちゃまに女性の影が見当たらないとはこれいかに」
ウムム、とオスカーはさらに首を傾げた。節くれ立った指先を顎にあて、落ち窪んだ目を閉じて数秒。
途端、ハッとしたように目を見開いた。
「まさか男色……!?」
「おい爺さんその沸いた脳ミソごと全身冷水に漬けてやろうか?」
レオンは思わずオスカーの頭に手を伸ばし、こめかみを掴んでガクガクと頭を揺らしてやった。おやめください坊ちゃま〜〜、とオスカーが声を震わせる。もちろん本気ではないわけで、気がすめばポイと放ってやった。
「ああ……かように平坦な毎日でしたらこのジイめ、つまらなすぎて心の臓の拍動も穏やかに規則正しく刻むばかり」
「健康でいいじゃねぇか」
「刺激が……刺激が欲しいのです」
「針灸にでも行ってこい」
「違うんですよ坊ちゃま! 爺はドキドキしたいと! そう申しておるのです!」
「運動でもしてろ」
くだらないことをホールで喚いていると、厨房の方からメイドが一人小走りで近寄ってきた。使用人の一人、名をメリルという。
「お話中失礼いたします」
メリルは恭しく頭を下げた。まだ若いが仕事はしっかり仕込まれていて、給仕や掃除など細かいところにも気がきく有能なメイドだ。
「レオン様、ご朝食はいかがいたしますか? 黄金南瓜のポタージュと魚介のエスカベッシュ、オリーブの実と赤小麦のパンでしたらすぐにご用意できると料理長が」
並べ立てられたメニューには首を振った。アスランの家で出された食事とはあまりの違いに笑えたが、すでに腹は満たされている。
「あー、いや、いいわ。朝食は食べてきた。着替えたらすぐ出る」
「かしこまりました。お部屋にお着替えをお持ちいたします」
メリルは再び頭を下げ、着替えを取りに去っていった。
レオンもオスカーを従えたまま自室へと向かう。廊下を歩く間でもオスカーのお喋りは止まらない。
「朝食までご用意してくださったとは有難いことですね。ヒューイ殿のお屋敷でしょうか? そういえばそろそろ王国祭ですからね、ヒューイ殿のご実家には日頃の御礼をいたしませんと……」
いやはや忙しくなりますね、などと語りながら、オスカーはヒューイの家への贈り物の算段を立て始めた。
王国では建国記念日の辺りで世話になった者同士ちょっとした贈り物をするのが通例だ。季節の挨拶のようなものだろう。貴族社会では交流のある家々で挨拶回りをし、その絆を確かめ合う。要は政治的な根回しでもあるのだが、レオンのウィスタリア家は十分に有力なので大した催しではなかった。通り一遍やっておけばいいというようなものだ。
ただ弱小貴族などはこの時期にしっかり頭を下げて回らねばいけないのだろう。名門と名高いウィスタリア家に訪問する客も増える時期だ。
レオンは自室の扉を開きつつ、ふと考えた。
(礼か……)
昨夜一晩世話になったアスランのことを思い出していた。風呂を借り、飯をもらい、アスランのベッドで横になった。泊まれと乞うてきたのはアスランの方だが、一宿一飯の恩義があると言えなくもない。
考えつつ隊服を脱いでオスカーに手渡す。失礼します、と着替えを持ったメリルも部屋へと入ってきた。
「おい、メリル」
「はい、レオン様。何でしょう?」
「例えば男に何か貰うとしたら何が嬉しい?」
「え? 男性に、ですか?」
メリルは目を丸くした。何か用事を言いつけられると思ったのであろうが、予想外の質問に戸惑っている様子だ。
しかしさすがウィスタリア家のメイドといったところだろう。数秒考えて、すぐに答えを返した。
「ええと、そうですね……簡単なものであればハンカチーフや小さなお菓子などでしょうか……あとはお花とか……」
レオンが黙って聞いていると、横からオスカーがズイと進み出た。
「装身具でしょう」
自信満々といった顔をしてオスカーは言う。
「装身具。男性から女性への贈り物と言えばこれに決まりです」
オスカーの言葉にメリルも慌てて頷いた。上司の意見に反論せず、すぐに迎合する。まさにメイドの基本である。
「あ、そうですね……! 特別なものであればアクセサリーなども良いかと……」
さすがオスカー様と言わんばかりのメリルの様子にレオンは怪訝な目を向けた。ちょっとした礼の品にアクセサリーでは重すぎる。かといって花やら菓子やらもアスランには似合わなすぎる気がするが、どうだろう。
「坊ちゃま、装身具は効きますぞ」
オスカーがほくほくとした顔でレオンに話しかけてきた。
「メリルはこの間、庭番のサムからネックレスを頂戴しましてな。これが肌見離さずつけているという執心ようでして」
「オスカー様どうしてそれを……!?」
突然の暴露にメリルは顔を耳まで真っ赤にした。縮こまった姿を見れば本当のことらしい。そういえば庭番に若い男がいたなと思い出す。なるほど職場恋愛というやつか。
「つかなんでお前が知ってんだよ、オスカー」
「この屋敷にて起こることでこのジイめが知らないことは何一つありません」
「怖いっつーの」
どうやらこの爺、使用人同士の色恋沙汰にまで精通しているらしい。
こんな風におもちゃにされるのは目に見えているので、まだまだ恋愛はしないに限るとレオンは再確認した。
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