第五話 『男の五箇条』
あれから数十分が過ぎた。
アンナとエドワードは二手に分かれてアドを捜索していた。
そしてアンナは今、彼女のその俊足を最大限に駆使して街を駆けまわっていた。
しかし、この広い街でアドのような小さな子供が本気で隠れたなら、直ぐに見つかる訳がない。
子供であるほど、一人になった時はじっとしていられないため、目撃情報の一つや二つあってもおかしくない。
だが、彼女がすれ違う人全員に聞いても目撃情報はつかめなかった。
「まずいわね……」
見つかりにくい場所でじっとしている可能性もあったが、比較的活発なアドのことだ、その線は薄い。
ならば、もう既に誰かに見つかっているかあるいは……。
いや、そんなことを考えていても仕方がない。
一番アドがいる可能性として高いのはやはり広場だろう。
街を回るたびに何度か確認したが、まめに確認しておいた方がいい。
そう考えて、アンナは元の広場へと全速力で向かった。
既に日は暮れ、月の光と家から漏れ出す光のみが街を照らしている。
不安と焦燥に駆られて人通りの少なくなった街を駆けていた途中、
三人組の男たちがアンナの傍を通り過ぎた。
暗くて顔もはっきりと見えないが、ガタイの良い三人組。
悠々と歩く彼らの内の、一人の男。
その男の手に持つ袋は、不自然な形をしていて――、
「ちょっと待ちなさい、アンタたち」
アンナは不吉な予感に足を止め、肩越しに通り過ぎた三人組を睨む。
「なんだ? ねーちゃん、俺らと遊びたいのか?」
「興味ないわ。とりあえず、その袋の中身、見せてもらえる?」
アンナはゆっくりと振り返り、落ち着き払った様子で尋ねる。
「……」
言葉をかけられた男たちも、首を回して彼女を睨み返す。
ただならぬ空気を察したアンナは腰に携えた剣の柄に手を添え、その鋭い目を男たちに向けた。
「無理だ、と言ったら?」
「無理やりにでも見るわ。最悪アンタたちを、斬る」
ニヤリと嗤う三人の男たちに対して、一切の表情を崩さないアンナ。
その目には怒りも、悲しみも、焦りも、不安もなく、ただ冷たい殺意だけが籠っていた。
三人はアンナの脅しを聞いても怯むことなく、ただニタニタとにやけたままで、
「――ならお前が死ねぇ!」
その言葉を皮切りに、袋を持っている男以外の二人がアンナに襲いかかった。
手には長めのナイフを持ち、アンナの矮躯に覆いかぶさるように飛び掛かる二人の男。
「おらあああああ!!」
あと数センチでアンナの首にナイフが突き刺さる、そんな至近距離でも彼女は動じず一拍呼吸を置いて、
「――『閃』」
刹那。
アンナと二人の男たちの位置が入れ替わったと思うと、男たちの首だけが上空に飛んでいった。
斬った過程など全く見えず、まるで因果をコマ送りにしたような一太刀だった。
胴体だけとなった身体は膝から崩れ落ち、その真っ直ぐな切り口には見事な血の噴水が出来上がっていた。
「……」
「ひいいいいいい!!」
アンナが血の滴る剣を無言で残った男の首元に突きつけると、瞬く間に表情が一変し恐怖から悲鳴を上げる男。
「あいつらは私に刃を向けたから殺した。アンタが何もしないってんなら殺さない。袋の中見せるか、尻尾巻いて逃げるか、それとも抵抗してあたしに殺されるか。どれか選びなさい」
「分かった!俺たちが悪かったから!許してくれ!!」
「許す許さないじゃなくて、私はどれか選べって言ってんの!」
「はひいいいいいい!!」
男はそう叫ぶと、腰が抜けてもたつかない足で一目散に逃げていった。
そんな男には目もくれず、アンナはすぐに大きな袋を開けて中身を確認する。
「よかった……!!」
中にはアンナの気も知らずにスヤスヤと眠るアドがいた。
アンナの予感通り、アドは人攫いに逢ったのだろう。
寝ているところを捕えられたのか、薬を盛られたのかはわからないが、苦しそうな様子はなく目立った外傷もないので無事だったと言える。
アンナがアドを抱きかかえると、その拍子にアドの目が覚めてしまった。
「……ママ?」
「はいはい、ママですよ。ほんと、人騒がせな息子ね」
一旦抱えたアドを降ろし、手を繋いで歩き始める二人。
「パパは……?」
「たぶん今もアドを探してるわ。見つかったって言わなきゃね」
「……パパ、おこってなかった?」
アドは小さな眉をハの字に曲げて、震える声でアンナに質問する。
上目づかいも相まって、あまりの可愛さに卒倒しそうになるアンナだったが何とかこらえる。
「……怒ってなんかなかったわよ? アドはパパを怒らせるようなこと、したの?」
エドワードから聞いた話によると、アドが数人の男の子と喧嘩して一方的にやられてたところを彼が仲裁に入って止めたようだ。
その時に大人げなくキレたのも聞いたが、それはアドを虐めてた男の子に対してであってアドに対しては怒っていないはずだ。
むしろ彼は、子供のことに首を突っ込んだことに負い目を感じていた。
「ぼくが男のごかじょー、まもれなかったから……」
「男の五か条?」
「うん、男はつよくあれ、って」
エドワードがまた適当なことを教えたのだろう。
普段だらしない彼が講釈を垂れているのもどこかおかしくてアンナはフッと吹き出す。
まあ確かに彼は男としての矜持みたいなのはちゃんと持っているが。
「ぼくが弱いせいで、パパ、おばさんにおこられてた」
喧嘩して勝てなかったから、「強くあれ」と言う約束を守れなかったとでもいうのか。
複数の子供相手に勇敢に立ち向かっただけでも、十分強い男だ。
「だから逃げ出したのね?」
「……うん。パパにおこられたくないもん」
そして、自分が喧嘩に負けたせいでエドワードがあの子供の母親に叱責を食らってしまったと、子供ながらに負い目を感じているらしい。
「ねえママ」
「ん?」
「ごめんね、したい。パパにきらわれたくない」
アドは、エドワードと全く同じことを言った。
エドワードは余計な首を突っ込んでしまった、アドに嫌われたくないと言い。
アドは自分のせいでエドワードが惨めな目にあった、嫌われたくないと言う。
なんとまあ臆病で、不器用で、自虐的で、他人本位なことだろう。
そして、どれほどお互いを思いあっているのだろう。
「アド。パパは好き?」
「うん、だいすき」
めんどくさい父子だな、と思いつつも、アンナは彼らのわだかまりを、すれ違いを解いてやることにした。
「そう。じゃあね、とっておきの言葉教えてあげる――」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
アンナがアドを連れて広場に到着すると、これ以上ないほどにそわそわしているエドワードが見えた。
「――アド!!無事だったか!!」
エドワードがアンナたちの方を見るや否や、隠しきれていない不安な表情が安堵のものに変わり、勢いよく駆けつけて、
「……」
抱きかかえようとしたが、寸前でストップした。
その様子を見て「はあ……」とため息を漏らすアンナ。
エドワードもエドワードで、アドに遠慮している節があるのだ。
「……なんで止めたのよ」
素直に抱きしめてやればいいものを、と飽きれた物言いで告げる。
エドワードは気まずそうに視線を逸らして、頭を掻いている。
「ま、まあな……」
「……チッ」
「舌打ち!?」
ここまで人に気を遣うエドワードに不快感を覚えて、つい舌打ちをしてしまった。
しかし今はそれよりも――
「ほら、アド。パパに言うことあるでしょ」
この小さな子供、アドに言わせるべき言葉があった。
エドワードに怒られたくなくて逃げだし、嫌われたくなくて謝りたいと言ったアドが本当に伝えるべき思いを。
「パパ……」
「なんだ、アド?」
アンナがアドに教えた言葉。
仲直りなど必要ない、魔法の言葉。
「その……ごめんなさい」
「……チッ」
「なんで舌打ち!?」
教えた言葉を言えなかったアドに嫌気がさして思わず舌打ちしてしまったアンナ。
彼女は募った苛立ちから頭を掻きむしって「あー!もうめんどくさいわね!!」と叫ぶ。
「いい!? アドが走って逃げ出したのはアンタに怒られたくないからなのよ!」
「は? 俺は怒ってなんか――」
「――自分のせいでアンタがあのおばさんに責められたって、アドが勝手に思ってんの!アンタが自分のせいだって思い込んでたみたいに、アドもそう思ってんの!」
やけくそになったアンナはエドワードを指差して怒鳴った。
勢いに任せ、アンナはアドに向かって言葉を放つ。
「アド! このバカはこれっぽっちも怒ってなんかいないわ。だから『ごめんなさい』なんて言わなくていいの! こういう時は『ありがとう』だってさっき言ったでしょ!!」
「……」
イジメられて、殴られていたところを助けてくれて、でもいい。
自分のために怒ってくれて、でもいいし、迷子になった時心配してくれて、でもいい。
謝罪なんていらない、子供が親に伝えるのは感謝だけで十分なのだとアンナは教えた。
「ほら、アド!」
「……」
それでもアドは黙った。
ありがとうを言わなかった。
まだ腑に落ちないところがあったのだろう。
アドの抱く思いが感謝とは程遠いものだったのだろう、彼は自信を持ってそれを言葉にすることができず、俯いてしまっている。
「もう、ほんっと……」
めんどくさい。
アドはというか、子供はいつもそうだ。
単純で扱いやすいかと思えば、意固地になった時にはテコでも動かない。
アンナは子供好きだったが、全部が全部大好きというわけではない、彼女だって苛立ちを覚えることもあるのだ。
アドは前々からたまにアンナの言うことを全く聞かないことがあった。
それも、ほとんどがパパ――エドワードに関することだった。
パパと一緒がいいとか、パパと遊びたいとか、パパに渡したいとか。
アンナに対しては抱かない感情を抱いていた。
単にアンナの方がアドの世話をたくさんしていて、いつも一緒にいるのが当然だと思われているのかもしれない。
しかし、アドの世話もロクにせず、昼間から酒を飲んだくれている父親といるときの方が断然楽しそうなのはいかがなものか。
アドは男の子だから父親に懐くのはわかる。
母親は子供に嫌われ、父親は逆に好かれるという通説も知っている。
頭では分かっていても、心が追い付かない。
エドワードが勝手に拾ってきた子供なのに、私が育てる必要があるのか、貧乏くじなのではないか。
いや、意味なんて求めてはいけない、考えるだけ無駄だ、と。
追いつかない心を消し去るために、アンナは思考を放棄して子育てに従事していた。
だから嫉妬なんかしない、ズルいとも思わない、愛なんて欲しない。
それがアンナの、母親としての役回りなのだから。
「……」
でも――。
「アド、よく聞け!男の五か条の残り一つを教えてやる!」
「――!?」
エドワードの声がしばらく流れていた静寂を打ち破った。
「男の五か条、其の五ぉ!!」
「そ、そのご……」
黙りこくったアドのことなど完全に無視した、バカでかい大声で叫ぶ。
それを弱弱しく繰り返したアドに、エドワードはしゃがんで頭の上にポンッと手を置き、
「――男は『ごめんなさい』より『ありがとう』だ」
優しい声でそう言った。
頭を撫でられ、キョトンとしているアド。
何を言われたか理解しきれていない様子だったが、エドワードを見て、みるみる内にアドの表情が明るくなっていき、
「――うん!! パパありがとう!!」
今までで一番元気に、嬉しそうに返事をしたのだった。
アンナが言っても聞かないことを、エドワードが言うとすぐに聞く。
アンナには見せない表情もエドワードには見せるし、こんなに嬉しそうな声は聞いたことがない。
おそらく、自分はこの苦い役目を逃れることはできない。
エドワードのように慕われることは無い。
そして本当はエドワードが羨ましかったのだと。
そう気付かざるを得なかった。
「よく言えたなアド! さすが俺の自慢の息子だ!」
「へへー、パパのじまんー」
だがしかし、子育ての苦労も知らないエドワードが、特別アドに慕われているのはやはり気に食わなくて、
「……チッ!」
「だからなんで!?」
アンナはエドワードに聞こえるように嫌味ったらしく舌打ちした。
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