第三十四話 『守るべきもの』
「……!」
乾いた空気が肺の奥をチリチリと突き刺す。
誰かの声がするが、キーンと耳鳴りがしてよく聞こえない。
「……て!」
次第に耳鳴りが治まるが、今度は周囲の雑音に紛れて上手く聞き取れなかった。
身体を揺すられる感覚と共に、エドワードの意識がゆっくりと明瞭になっていく。
「――起きて!」
耳元で叫ぶ大声に体がビクンと跳ね上がり、エドワードの意識が覚醒した。
咄嗟に起き上がったエドワードが周囲を見渡すと、そこはすっかり変わり果てた王城の中だった。
大小不同の瓦礫がそこら中に転がり、一方の壁には大きな風穴が空いている。
辺りには負傷した人が何人も倒れていて、救助を試みる者や、慌てて逃げ惑う者もいる。
「先生……よかった!!」
高く鋭い声の主――エリンが、胸を撫で下ろすように言う。
状況をいまいち理解できず困惑するエドワードは、意識を失う直前の記憶を探った。
「エーヴァルトが不可解な挙動をしだして……それからどうなったんだ?」
「……爆発したの。近くにいた私たちはお父さんが守ってくれたけれど……他は間に合わなかったみたい」
エリンが顔を顰めながらエドワードの疑問に答える。
そうなるまでのエーヴァルトの様子には、何ら不思議な部分は無かった。
それなのに突然壊れたような動きをして、爆発まですれば理解が及ばないのも当然だ。
エドワードは、この現実味が無い現実を受け入れるしかなかった。
「それで……アドは?」
「お父さんなら犯人を捜しに行ったわ。どうやら王都の他の場所でも、同じようなことが起こってるみたいなの」
「他の皆は大丈夫なのか?」
「みんなはもう先に外に避難した。先生が気を失ってたから、私だけ残ったの」
アドや他の生徒たちがすでに動いているということは、爆発が起こってからある程度時間が経っている。
目覚めるまで近くにいてくれたエリンに「ありがとうな」と感謝を述べ、颯爽と立ち上がる。
「なら、俺たちも早くここから離れないとな」
「先生、待って」
エドワードの言葉に浮かない表情をするエリン。
彼女は腰を下ろしたまま、静かに自分の足元を眺めていて、
「歩けないのか……?」
エリンの右足の脛の部分があらぬ方向に曲がり、真っ青に腫れあがっていた。
どうやら足を骨折していて、立つことができないようだった。
「――だ、大丈夫ですか?」
その時、二人の間を一人の女性が割って入った。
彼女は丈の長い黒いスカートに白のエプロンを携えた、いかにもメイドのような恰好をしている。
「わ、私は治癒魔術が使えます! 足を見せてください!」
彼女はここに残った怪我人の治癒をしていたようで、慣れた手つきで処置を始めた。
小さな声で詠唱を刻み、怪我をした部位が淡い光に包まれてゆく。
痛みで顔を顰めていたエリンも、痛みが和らいだようで次第に緊張が解けていった。
王宮の使用人はこんなこともできるのか、と一人で感心するエドワードを他所に治療を終えた彼女は「ふう」と額の汗を拭う。
「エリン、動けるか」
エリンが足を屈伸し、動作に異常がないことを確認して頷く。
メイド服の女性も、満足そうにエリンの様態を観察している。
「お姉さんありがとうな。お互い気を付けてここから離れよう」
エドワードはエリンの手を引き、ゆっくりと立ち上がらせ、目の前の女性に礼を言った。
「はあぁい」
――突如、女性の首がありえない角度で捻じ曲がり、不気味な声を発した。
「――クソッ!!」
既視感のある状況に咄嗟に判断したのはエドワードだった。
エリンと女性の間に自らの身体を挟み、衝撃を防ごうとエリンを抱きかかえ床に飛び込む。
いつ爆風が襲ってくるか分からない緊張感に、二人の心臓が大きく拍動し、共鳴する。
「――」
しかし、想定していた爆発は起きなかった。
凄惨な破壊跡に似合わない静寂が、辺り一帯を包む。
明らかにエーヴァルトと同じ異変だったにもかかわらず、何も起きないことを不思議に思い、恐る恐る後ろを振り返ると、
「見つけたあ。エリンちゃんだよね、人違いじゃないよね」
一人の男が立っていた。
高い身長から細長い手足が伸びていて、典型的な魔術師のような体型をしている。
簡素だが綺麗な服を纏っていて、上級身分なのだろうか、いずれにせよそこらのゴロツキとは思えない。
愉悦に浸るような声色が、一層不気味さを増している。
「怪我した人質はめんどくさいってあれ、本当なのかなあ。結局敵に塩を送ってる気がしてならないんだけど、お前もそう思うよね? ……って、もう死んでるか」
男は独り言を連ね、傍にいるメイド服の女性に尋ねるが、女性は小さな呻き声だけを上げてその場に崩れ落ちた。
首を捻じ切られて命を落とした女性の亡骸にエドワードは軽い吐き気を覚えつつも、目の前の男に警戒を向ける。
「お前、何者だ」
「お前なんて言っちゃって、頭が高いなあ。王家の人間にそんな口聞いちゃ極刑だよ、極刑」
男は親指で首を斬るジェスチャーを繰り返す。
「王家? どういうことだ」
「ヴィルム=イオニス。本物の王族さ。本来、お前なんかがこうして相対して良い存在じゃないんだよ」
「……王族が、こんなところに何しに来た」
「聞こえてなかった? 後ろのその女の子を渡せって言ったの。今、結構ギリギリなんだからさ、さっさとしてほしいんだよね」
後ろに手を組み、気だるげにエドワードに語りかける男、ヴィルム。
ヴィルムの放つ異質なオーラと、目の前で人が無惨に殺された事実に、エリンが後ろで怯えている。
彼の狙いが判明し、エドワードは「下がってろ」とエリンに告げる。
「いくら王様だって、無理に決まってんだろうが! こちとら大事な生徒の命預かってんだ、易々とお前みたいなバケモンに渡すかってんだ! バカかお前!!」
抜いた剣の先を、あからさまな敵意を放つヴィルムの方に向け、いつもの調子で軽口を叩くエドワード。
バカにするような笑い顔はほんの少し引きつっていて、額には冷や汗が流れている。
その言葉を聞いた途端、ヴィルムの表情から愉悦が消え「ふーん」と小さく呟く。
その瞬間。
「――口を慎めよ、塵芥」
「――!!」
少し離れていたヴィルムが、突如エドワードの目の前に現れた。
ヴィルムは額同士をくっつけ、怒りを纏った顔をこれ見よがしに見せつける。
高速移動などという単純なものではなく、一瞬にして位置が入れ替わった。
原理不明の現象に思考が一瞬止まりかけるも、敵意を振り払うべく剣を薙ぐ。
「……っ!」
身を少し引いて最小限の間合いを確保し、最速の剣をヴィルムの首元に振りぬいた。
同時、岩とぶつかり合った様な硬い音が鳴り響き、反動でエドワードは後ろに仰け反る。
見ると、ヴィルムは片腕で顔をガードしていて、エドワードの剣とかち合ったのはただの生身の腕だった。
「びっくりした? 次バカにしたら見逃してあげないよ」
「……はっ! それはこっちのセリフだぜ! 今なら見逃してやるからお家へ帰れ……って、お家はここか。じゃあ、王族なんてやめて下民様の暮らしでも味わってろ!」
「ほんと口が減らないね、お前」
エリンをこのまま先に逃がしたとしても、瞬間移動されれば追いかけられない。
エドワードは目の前の敵を打破するか、もしくは他の助けが来るまで耐え抜かなければならなかった。
そのために挑発して時間を稼ぐだけ稼ごうという寸法だ。
徐々に苛立ちを蓄えていくヴィルムは、今度はエドワードに一歩ずつ近づく。
エドワードは未知の相手に対し、いつ攻撃が来てもいい様に、油断せずに構える。
「神速之剣――『閃』」
迫りくるヴィルムのエドワードの身体を掴もうとする手を、真っ二つに切り裂いた。
先程とは違い、しっかりと構えて十分に溜めを作って放った斬撃。
岩石をも切り裂く威力は桁違いで、今度は手ごたえを感じたエドワードだったが、
「つかまーえた」
「なっ……!」
斬ったはずの右腕が、何事も無かったかのようにエドワードの左腕を掴んでいた。
次いで左手が自由の奪われたエドワードの身体を掴み、ヴィルムは狂気に満ちた顔を、再びエドワードに接近させた。
「もう二度は無いって言ったよね」
「クソッ……!」
ニタニタと嗤いながら詰め寄るヴィルム。
エドワードは焦燥の中、右手に持った剣をヴィルムの腹に突き刺す。
しかし痛くも痒くもないのか、またもや何事もないように言葉を続ける。
「もうじき死ぬよ、あの女みたいに、首がギュルギュルって、声も出せないまま、死んでいくよ。怖い? 助けて欲しい?」
実体は確かにある。
さっきもエドワードは確実に腕を切り落としたはずだった。
だが、ヴィルムの身体には傷一つなく、怯む様子も無い。
「うおらあああああああ!!」
考えが纏まらないまま、とにかく距離を離さなければまずい、とエドワードは渾身の力で蹴り飛ばした。
細身に宿した力はやはりそこまで強くなく、思った以上に簡単に振り解け、ヴィルムは床に尻もちをついた。
エドワードは咄嗟に自分の身体を確認する。
首や触れられた腕をくまなく確認するが、これと言って異変は見当たらない。
「なんで……おかしいなあ。なんでそんな形してんだ。お前、普通の人間じゃないね」
エドワードと同様に、何も起きなかったことに疑問を抱くヴィルム。
破れた衣服の間から、エドワードが剣を突き刺した傷跡がみるみるうちに塞がっていくのが見えた。
「お前には一番言われたかねーよ。不死のバケモンってとこか? それともそれも魔術かよ」
「ちっ……王族の魔術をそこらのと一緒にされるとほんと、ムカつくんだよなあ」
ヴィルムはわかりやすく不機嫌そうに舌打ちをする。
「さっきから王族とか王家とか言ってるが、何だってこんなことしてんだよ。ここはお前んちだろうが」
「……その言い方をするなら、俺は単なる親子喧嘩をしているだけさ」
ヴィルムはゆっくりと立ち上がり、服に着いた埃をサッと払う。
「親子喧嘩……? ならそんなもん、お前らで勝手にやってろ! 関係ねえ人間を巻き込むんじゃねえよ!」
「――ああ、だから国王ならさっき兄上が殺したよ。結構大変そうだったけれど、所詮ただの老骨だ、大した力は無かったね」
ヴィルムは至極当然のようにそう語った。
まるで今日の天気が晴れだと告げる様に、淡々と述べた。
全く共感できない発言に、エドワードは言い知れぬ憤りを感じた。
「……親まで殺して、お前は一体何をしたいんだ」
「歪で退屈なこの国を去る前に、一度壊しておこうと思ってね。こんな腐った国はさっさと捨てて、新天地でイチから始める方がよっぽど賢いんだよ。お前もいつか――」
「お前らのせいで何人の人間が傷ついたと思ってんだ!!」
「……何言ってんの? 全員この国の国民でしょ? 僕ら王族がどうしようと、文句なんて言わないでしょ」
許されないことをしたのに、理由までも身勝手でふざけたものだった。
何よりも、ヴィルムという男から悪意が感じられないのが、エドワードにとって信じ難い事実だった。
ただ思うままに家族を、人を殺し、それを悪とも思わない。
何かが壊れていると、そう思わざるを得なかった。
「……お前、本気で言ってんのか?」
「本気も何も、普通でしょ……ったく、こうして喋ってる時間ももったいないよ。手っ取り早く、その子を貰うよ」
ヴィルムがそう言うと、治療に回っていた女性や、その場にいた兵士が次々と立ち上がり、エドワードの方へ視線を向けた。
彼らの様子は明らかにおかしく、まるで操り人形のようにユラユラと動いている。
「お前……!! 何をした!?」
「ほら、言ったとおりでしょ。こいつらは俺の傀儡、何でも言う事を聞いてくれるし、俺が何しても何にも文句を言わないんだから」
「お前が操ってるだけだろうが!! さっさと――」
「うるさいなあ。もう問答の時間は終わったんだよ。ほら、行け。あいつを殺せ」
エドワードの言葉を遮り、ヴィルムが合図をしたと同時、彼らは一斉に動き出しエドワードの方へと一直線に向かい、攻撃を仕掛けた。
「……クソッ!! ふざけんなテメエ!!」
エドワードは向かってくる大勢の人間を、一人一人着実に斬り捌いていく――訳にはいかなかった。
いくら操られているとはいえ、相手は一般市民、もしくはイオニスの兵士だ。
中には今日入隊したばかりの子供まで見られ、そんな彼らの命を奪うことはエドワードにはできなかった。
だからと言ってすべて避けきれるはずもなく、一人ずつ致命傷を避けて剣を振るう必要があった。
そしてそれは、命を奪う剣よりも何倍も神経をすり減らした。
「はー……善人ってのは大変だね。人一人でも殺してしまったら、もう正義の味方を語れないんだから、なんて愚かなんだろう」
少しでも油断すれば串刺しにされかねない状況に、エドワードは苦戦を強いられ、ヴィルムにまで手が回らない。
そんな中ヴィルムは語りながら、悠々とエリンへと歩いてゆく。
「エリン!!」
エリンは目の前に広がる凄惨な光景に足が竦み、動けないでいる。
ヴィルムを妨害しようとするが、操られている人間の数が想像以上に多く、エドワードの前に立ち塞がって進めない。
無理矢理にでも突き進もうと、人の間を押し退けていると、武器を持たない女性がエドワードにしがみつき――そのまま腕の肉を食いちぎった。
「ぐあああぁぁぁぁぁ!!」
「先生っ!!」
迸る鈍痛に脳が焼き切れそうになるも、歯を食いしばって女性を振り払う。
肉が抉れた跡が痛々しく残り、表面の筋肉まで見えかかっている。
「致命的なハンデを背負ってるのに、それでも勝とうなんて、ほんとおこがましいよね」
ヴィルムはゆっくりと、ゆっくりと、エリンに近づいてゆく。
すると追い打ちをかける様に、素早い動きの少年がエドワードの懐に入り、まっさらな剣が脇腹に突き刺さる。
「ぐうおっ……!!」
痛みに悶えるのも束の間、人々が次々とエドワードに襲い掛かる。
剣を持つ者はエドワードにその刃を突き立て、武器を持たないものはエドワードの身体を食いちぎる。
エドワードの身体から血が流れることはないが、夥しい数の傷跡と共に、噛み千切られた肉片がそこらじゅうに散らばっている。
少し身体を動かせば、断裂した筋肉が悲鳴を上げる。
鋭利な痛みが全身を何千、何万か所も突き刺し、絶叫を上げてしまいそうになる。
それでも、エドワードは倒れなかった。
不屈の心さえあれば立っていられる不倒の身体。
普通ならばとうに死んでいるであろう状態でも、立ち向かうことができた。
一人ずつ、一人ずつ。
躱して、避けて、いなして、受け流して。
一気に大勢を相手しないように必死に立ち回った。
肉食獣の様にしがみつく人を、全力で振り払った。
殴って、頭突いて、投げ飛ばして。
気絶させて動けないように、渾身の力を込めた。
何度死ぬような思いをしても、反撃だけは絶対にしなかった。
誰ひとり殺してしまわないように、誰ひとり傷つけないように。
痛みと苦しみで倒れそうになりながら、無我夢中に剣を振った。
「――」
驚くほど静まり返った空間に、パチパチと掌を叩く音がする。
「すごいね、お前。誰も殺さないなんて、まるで英雄じゃないか」
感心した風を装っているが、誰が聞いても棒読みなセリフを語るヴィルム。
片耳を無くしたエドワードにヴィルムの声は、はっきりとは聞こえないが揶揄っていることだけは確かに分かった。
「みんな守って、その上勝っちゃうんなら、そりゃさぞかしカッコいいよね。みんなが憧れるのも分かるよ」
言葉を返す余裕などなく、エドワードは静かに、ゆっくりとヴィルムとの距離を詰める。
絶対に、目の前にいる悪魔からエリンを守ってやらねばならない。
彼の心を支配するのはたったそれだけだった。
「――でも、そんなものはただのお伽話に過ぎないのさ」
ヴィルムが愉悦まじりの表情で、指をパチンと鳴らした。
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