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第三十一話 番外編 『ドーンの子育て奮闘記』


天暦 三八八年


 当時二十五歳の大男――ドーン・ダリウスは王国軍の一兵士だった。

 

 全盛期には二百キロ超の人間離れした巨体を持ち、それに似合わない俊敏さで彼は王国軍の中で特に優秀な戦績を収め『英傑』として名を馳せていた。

 精悍で生真面目そうな見た目をしていてなお、陽気な性格だったためとてもモテるのだが、仲間内で激しい遊びをすることも多く、女性関係のトラブルは絶えなかった。


 そんな普段の素行の悪さが積もり積もって降りかかったのか、ドーンは現在、他国との戦争中に仲間とはぐれて一人になってしまった。

 

「クソッ……」

 

 敵に見つからないようにと草木生い茂る森林に隠れたはいいものの、敵地のど真ん中のため味方が来るはずもない。

 だからと言ってコソコソしていれば、ドーンの巨体なら一発で見つかり兼ねない。

 今まで盾となり矛となった自慢の肉体が、こんな形でアダとなるとは思いもよらなかったドーンは何もすることができず只じっとしていた。


 時刻は夜。

 夜が明ければ暗い場所という不利な状況で戦う必要も無い。

 真正面から戦えばいつもドーンに分があったため、とにかく夜明けを待つしかなかった。


 しかし、途中で降ってきた雨も相まって夜の森はかなり冷え込み、体の芯まで凍えてきた。

 向こうの方からは何やら草をかき分ける音が聞こえてくる。

 ここは敵地、この音は十中八九敵のものだろう。

 しかし、この時のドーンはあまりの寒さに精神状態が限界を迎え、チラッと見えた微かな希望に縋りつくのも無理はなかった。

 味方が助けに来てくれたのだと錯乱し、その巨躯を隠していた草むらからバッと身を乗り出した瞬間――


「――見つけたぞ!!」


 その敵意丸出しの大声が鼓膜を強く打った時点で、ドーンは自らの愚かさを呪った。

 逃げる選択肢が頭をよぎったが、ここは敵地なので地理的な利は向こうにある。

 もう既に後には引けない状況に陥っていた。


 憔悴しきった身体にエンジンがかかり、一瞬にして頭を冴えわたらせ、生き残るためのルートを模索する。

 敵は十数人、一人ずつなら何とかなるが一斉にかかってこられるとマズイ。

 闇に紛れつつ一網打尽にするか、退きながら一人ずつ相手していくか。

 前者はリスクが大きいが短期で勝負が決まる。

 後者はリスクは低いが体力が心配だ。


 考えている暇もなく、敵は勢いよくドーンの方に向かってくる。

 どうせ散らす命なら、爆発力を信じて短期決戦で決めよう。

 悴んだ手で剣を握り、地を踏みしめて覚悟を決めた。


「うおおおおおおお!!!」


 凍えた身体を燃やすような大音声とともに、地を蹴った。




 ――数十分後。


 鬱蒼とした夜の森は不気味なほどに静かで、木の葉が風に揺れて擦れる音だけがしていた。


「はあっ……はあっ……」


 空気が冷たく、呼吸をするたびに冷気が肺をチクチクと刺す。

 全身を纏う分厚い筋肉についた幾つもの刀傷が、戦闘の激しさを物語っている。

 真っ黒の返り血を全身に浴び、よろめきながらも剣を杖代わりに歩くドーン。

 彼がうまく歩けないのは、その背中に真っ直ぐに突き立てられた剣が原因だろう。


 ドーンの戦いは、想像を絶するものだった。

 最初に見つかった十数人は得意の俊敏性と怪力で何とかなったのだが、途中で増援を呼ばれ、次々と敵が押し寄せてきた。

 いくら『英傑』の名を冠したドーンでも、束になってかかられてはどうしようもない。

 防御を完全に捨て、死に物狂いで剣を振るった。

 おそらく三十人くらいは殺しただろう。


 結果はドーンの勝利に終わったが、満身創痍の彼が森を抜けられるとは到底考えられない。

 傷口から染み出た血も凍りつき、身体が思うように動かなくなってくる。

 『ああ、ここで終わりか』と何度も死を悟っては、なけなしの根性で歩みを進める。

 

 しかし、やせ我慢もいつかは限界が来る。

 浅くなる呼吸の中、強烈な眠気がドーンを襲った。

 目を瞑ればそのままお陀仏だと分かっていながら、やはりどうしてもその誘惑には打ち勝てない。

 瞼を降ろして地面に倒れればどれほど楽か、そんなことを考えている時だった。


「あれは……子供か……?」


 今にも倒れてしまいそうなドーンの視界の隅に、小さな影が見えた。

 彼の瞳に映ったのは七、八歳くらいの小さな子供だった。

 凍える中で布たった一枚だけを羽織って、地面にうつ伏せになっている。

 子供がなぜここに、とそんなことよりもドーンの驚きはもっと別の所にあった。


 この子供も、ドーンと同じでボロボロだったのだ。

 痩せこけた身体は擦り傷と痣だらけで、触れれば折れてしまいそうな足と腕で地面を這いつくばる少年。

 何故そこまでして生に縋りつくのか、自分が言えたことではないがドーンは甚だ疑問だった。


 そして同時にこの少年に対して愛着が湧いた。

 こんな状況で人と出会ってしまうと、たとえそれが死にかけの似た者同士であっても不思議と元気がもらえるものだ。

 否、似た者同士だからこそ、一緒に生きてやろうとドーンは思えたのかもしれない。


 顔を絶望一色に染め上げ少年に、ドーンはやせ我慢しながら何食わぬ顔で語りかけた――





「――ボウズ、大丈夫か?」





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「――子供を拾ってきただあ!? どういうことだよ!!」


 数日後、病院の寝台にて傷を癒している中、同僚の一人が驚いた声で言いたてる。

 傷に響く、と渋い顔をするドーンだが執拗に問い詰めてくる同僚にウンザリし、仕方なしに事情を説明した。


「――ってことだ。瀕死だったから見過ごせなかった」

「ったく……やっとの思いで命拾ったってのに、一つ余計なんだよ。まあ大体はわかったけど、これからどうすんだ?」

「命に無駄も余計も無いさ。子供の世話は俺が見るよ。金も特に困ってねえし、遊びを止めればなんとかなるだろ」


 いつになく真面目口調なドーンに、同僚は懐疑的な目を向ける。


「なんとかなるって、お前がガキのお守りなんかできんのか?」

「もともと結婚するつもりは無かったが、子供は欲しいと思ってたんだ。そんなに手のかかる歳でもないし大丈夫だろ。いざとなったら頼らせてもらうかもしれねえが」

「たまになら全然構わねえけどよ……途中で投げ出すとかは無しだかんな!」


 厄介ごとが回ってこないように釘を刺されるも、ドーンははなからそんな気はなく「ああ、心配すんな」と一言だけ言い残し、同僚を帰らせた。


「さて……どうしたもんか」


 とは言ったものの、先行きが明るい訳ではない。

 今はやる気でも、それが一時の気の迷いである可能性は拭えない。

 もしドーンに全く懐かず、反抗ばかりする不良少年だったら。

 想像以上に手のかかる性格だったら。

 一度決めたことは曲げない信念を持つドーンだったが、こればかりは不安を感じざるを得なかった。


「考えても仕方ねえか」


 悪い可能性に振り回されるよりはいい未来を想定した方がマシだと判断したドーンは、一刻も早く回復するために瞼を下ろして眠りについた。



――結論から言うと、子育ては想定以上に楽なものだった。


 少年は異常なほどに聞きわけがよかった。


 初めは怯えた様子で、何かミスをすればすぐに謝り、常にドーンの顔色を窺っていた。

 このままではいけないと思ったドーンはすぐにその態度を止めるように言いつけると、いつものようにすんなりと従った。

 決して器用な方ではなかったが、ドーンが教えたことは文句の一つも言わず何でもこなす少年。

 特に剣術と体術の指導においてはドーンも熱を入れ、毎日二人で一緒に鍛練を行っていた。



 少年は自分の名を覚えていなかったので、ドーンは数年前に亡くなった戦友にちなんで、『エドワード』と名付けた。



 それから少し経った頃、ドーンはあることに気が付いた。


 エドワードには感情が無いのだ。

 どうやらずっと非道い虐待を受けていたようで、そのショックによるものだろう、感情に加えて痛覚や味覚も鈍かった。

 同年代の子供に虐められても怒ることも泣くこともせず、されるがままにじっと耐え、孤立していたことがあった。

 ドーンは当初、達観した子供だとばかり思っていたが、ある日唯一の友達が亡くなったことに対して涙一つ流さず普段の生活を続けるエドワードを見て確信した。


 初めはどうしようかと頭を抱えた。

 イチから感情を教えようとも考えた。

 しかし、怒りや悲しみと言った感情は他人から教わるモノではない。

 こういう時に泣き、こういう時に喜び、こういう時に怒るべきだとマニュアルを叩き込んだところで感情は補完されない。

 自然に、自発的に心の底から湧き上がってくるものが感情なのだ。


 そんな、傀儡師のいない傀儡のような少年を、ドーンはただ傍でじっと見守ってやるしかできなかった。



 それから数年後。

 エドワードは十五歳を迎え、肉体的にもかなり成長し、ドーンと同じ王国軍に兵士として入団した。

 ドーンが王宮での警備の仕事を斡旋したお陰で、すんなりと職が決まった。

 緊急事態が無い限りは基本的に安全な仕事なので、ドーンも一段落ついてホッとした。


 エドワードは相変わらず感情の起伏に乏しいが、拾った当初に比べれば人間味が増した。

 笑うことを覚え、口数も増え、仲間と共に楽しくやっているようだった。

 たとえ作り物だとしても、それを見られることがドーンにとって幸せだった。


 ある日。

 いつものようにエドワードと剣の鍛錬をしている最中――。


「おっさん。俺、ここ辞めて部隊に入りてえ」


 突然だった。

 部隊とはかつてドーンも組していた、諸外国との戦争の際に前線で戦う組織のことだろう。

 ドーンはそこから昇進して内地の仕事を手に入れたが、わざわざ手放して危険な部隊に戻ることなど考えたことも無かった。

 エドワードの告白に疑念を抱くも、それ以上に、ドーンに自らの希望を述べたことへの驚きが勝った。


 今まで自我(エゴ)なんてなく、ドーンの言う事だけを聞いてきたエドワード。

 不安に思うことは少なくなかったが、道を踏み外すよりは幾分マシだと、楽なレールを敷いてやった。

 そんな彼が『自分はこうしたい』と初めて告げた。

 正直なところ、ドーンにとっては途轍もなく喜ばしいことだった。


「いきなりだな、どういうことだ?」


 しかし、他の誰かに唆されたという可能性もある。

 ここは慎重に行こうとドーンは、その思考に至ったいきさつを尋ねた。


「分かんねえけど、楽しくねえんだよ」


 エドワードは握った剣を見つめ、拗ねた子供の様に不満げに呟く。

 

「鍛錬が大事だってのは分かる。おっさんが俺のこと心配してくれて、今の仕事をやってんのも分かる。けど最近、全部やっててつまんねえんだよ」

「それは本心か?」

「……俺がおっさんに嘘つく必要はねえだろ」


 エドワードは自我が薄い分、嘘がつけないのだ。

 わざわざ本心かどうか聞くまでも無かった。

 とにかく、その選択はエドワードが自分で決めたようだった。


「ずっと突っ立って、同じこと繰り返すような毎日にはもうウンザリだ。いろんなとこ行って、いろんな奴と出会って、いろんな話がしてえ。一人で旅することも考えたけど、俺じゃたぶん無理だから、王国軍の部隊に入って…………っておい、なに目え逸らしてんだよ」

「なんでもない、気にするな」


 エドワードの成長を実感し、つい涙ぐんでしまいそうになるのをグッと堪えるドーン。

 まさかエドワードが自発的に意思決定するとは思いもよらなかった。

 心を無くしたまま大人になるのではないかといった不安も、少しずつゆっくりと晴れてゆく。

 エドワードは確実に『普通』に近づいている、今日がその第一歩だと、喜びを禁じ得ない。


「俺がやりたいのはこんなことじゃねえんだ。だから、俺に自由にやらせてくれ」


 ドーンの目をじっと見つめ、わかりやすく決意を表明するエドワード。

 敷かれたレールから外れることを恐れているのだろうか、握った拳は少し震えていた。


「そうか……」


 もしかすれば、ドーンは知らぬ間にエドワードを束縛していたのかもしれない。

 ドーンにそのつもりが無くとも、かつてのエドワードにとって命令は絶対に守るべきもので、逆らえば生命を脅かされる、死の楔だったのだ。

 その過去が拭えないまま今まで過ごしていたのなら、かけてやる言葉は別にあったはずだ。

 ましてや、どうして今更ドーンがエドワードの生き方を決定できようか。


「別に許可なんぞ要らん。男なら自分の行きたい方に真っ直ぐ進んでったらええ」


 ――男なら豪快に。

 好きなこと、やりたいことがあるなら、何人たりとも邪魔をさせず、邪魔するものは全て蹴散らす。

 ドーンが掲げる信念であり、エドワードに唯一叩き込んだ教訓だ。


「――お前の好きなように生き、エドワード」


 お前は自由だよと。

 縛るものは何もないんだよと。

 そう言い聞かせる様に告げると、エドワードは顔をぱあっと明るくした。


「……ありがとうな、おっさん!! さっそく上のヤツに取り合ってみる!」


 無邪気に喜びながら走ってゆくエドワードを、ドーンは笑みを湛えて見つめる。

 そのうちにエドワードはドーンの元を離れて、戦争が繰り広げられている僻地へと向かうことになる。

 もちろん、それを妨げるつもりは無いし、男の門出だから喜んで祝福する。

 寂しいと言えば寂しいが、悲しむなんてあってはならない。

 親離れなど、いつかは訪れると分かっていたことだ。


 ドーンはエドワードを、実の息子の様に可愛がってきた。

 同僚にも無茶だと言われた子育ても上手く行き、誰よりもエドワードの事を考え、出来るだけのことはしたつもりだった。

 精神面での心配も杞憂に終わり、二人は良好な関係を築けていた。

 ドーンにとってエドワードは、かけがえのない一人息子だった。


「……」


 ――ならば逆に。


 エドワードはドーンの事を父親だと思ってくれているのだろうか。

 愛を知らない彼は、果たして愛を感じてくれたのだろうか。

 感情のない彼は、その種を受け取ってくれたのだろうか。

 エドワードにとって血の繋がっていないドーンは、一体何だったのだろうか。


「……違うだろうが」


 途端に目頭が熱を帯び、鼻の奥がクッと痛くなる感覚に見舞われた。

 そんなつもりは全く無かったのに何故だか止んでくれず、無性に腹が立つ。


 答えはもう、わかっていた。

 何年も一緒に暮らしていれば、おのずと彼の事も理解できるようになっていたから。

 無邪気な笑顔と純真な心から放たれる言葉が、何度も突き刺さり、もうどうにもできないことを悟らせる。


 ドーンは鼻頭を押さえ、溢れないようにと上を向いた。

 目の前に広がる青い空は、すぐ近くにあるように見えて、どこまでも遠い。


「せめて……」


 せめて、一度だけでいいから――









 ――『父さん』と、そう呼んでほしかった。





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