第三十話 『灯火』
「……ん」
瞼を開けると、一面が高い天井に覆われていた。
即座に自分が仰向けで寝転んでいることを理解したエドワードは、その身体を起こそうとすると、
「痛っ……!」
全身の至る所に鋭い痛みが走った。
よく見ると、あちらこちらに包帯が巻かれている。寝ている間に誰かが巻いてくれたのだろう。
辛うじて上体だけを起こして前を見ると、大勢の子供たちが真剣な表情で素振りをしていた。
大量の汗を流し、何度も何度も飽きずに振り続けるその様子は、まさに精悍そのものだ。
「……ようやっと起きたか」
ふと、突然横から声がしてエドワードがそちらへ振り向くと、
「うおっ! ……何だおっさんかよ、びっくりさせんな」
巨大な岩かと思う程の老人がドンと構えて座っており、エドワードのほうへ視線を向けていた。
あまりの迫力に、エドワードも驚きを隠せなかったが、それがドーンだと分かった途端顔色を変えて責め立てる。
「勝手に驚いておいてその言い草はなんじゃ。せっかくワシが看病してやったというのに」
「……いらねえよ。看病ならもっと華奢で可愛いらしい女の子にやらせてやれよ。おっさんだと間違って手足とかポキッと折り兼ねねえからな」
「……わしを怪物かなんかかと思っとるんか? 相変わらず口が減らん奴じゃのう」
ドーンは太い眉を顰めて不満を述べる。
事実、これだけ年を食っても人間離れした怪力とそれに見合わない速さを持っているのだ、エドワードの表現もあながち間違ってはいない。
「結局、手も足も出なかったんだな……」
エドワードは渾身の一撃を放ったが、それが記憶の最後だった。
順当に考えれば見事にドーンの返り討ちにあって、気を失ったに違いない。
溜め息まじりのエドワードの独り言に、ドーンは沈黙を以て肯定する。
「あんなに見得切って、やっつけてやるって約束までして。分かってはいたが、ほんと、格好つかねえな……」
自らのカッコ悪さを冗談風に笑いながら自虐するエドワード。
横にいるドーンは傷一つなく、何事も無かったかのように佇んでいる。
子供たちに良い格好を見せるというエドワードの計画も頓挫してしまった。
しかし、ドーンはつられて笑うことはせず、ただ野太い声で「いや」とエドワードの発言を否定する。
「最後の一太刀は目を見張るもんがあった。アンナが振っていた剣にそっくりじゃったな、衰えているとはいえ流石じゃわい」
そう言われて、エドワードはキョトンとしたまま何も返せなかった。
いつものように減らず口を叩こうかとも考えたが、それ以上に褒められたことが意外で、嬉しかった。
そんなエドワードを横目に、ドーンは顎をクイッと前へやって「ほれ見てみい」と視線を前へと向けさせる。
視線の先には、何人かで集まってエドワードの真似事をしている子供たちがいた。
「そうじゃなくてここはこうだった!」「違うよ、もっと腰が下だよ!」と、キャッキャと笑いながら言い合う姿が微笑ましい。
「あんまりにも太刀筋が綺麗だったモンで、ボウズらも楽しそうにお前の真似をしとる」
「……」
「少なくとも、あのボウズらの目にはカッコよく映ったんじゃないかのう」
ドーンが、今度は優しい声でそう言った。
「は、ははっ……」
エドワードは、その光景を見てつい笑ってしまった。
あまりにも滑稽で珍妙な、基本も何もなっていない構え。
だがそれはちゃんと、アンナに教わったあの構えだった。
アンナの剣は後世に着実に受け継がれている。
エドワードの願いは確かに伝わっていた。
そんな実感と同時に目頭がほんのり熱くなり、瞼に涙が溜まる。
十年ぶりの涙は、とても温かかった。
「なあ、おっさん」
「なんじゃ」
エドワードは潤む目をゴシゴシと袖で拭き取り、赤らんだ目を見られないように俯いてドーンに問う。
「……俺は昔の俺に、戻れたと思うか」
最後、ドーンに立ち向かう時に初めて『エドワード』らしさを再現できた。
テッドが憧れ、アンナが愛したエドワードが一瞬降りてきた気がした。
こうあるべきだと追い続けた理想像に少しでも近づけたのではないかと、エドワードは確認を取りたかった。
ドーンは訝しむような表情でエドワードの問いかけに応じる。
「……何をそんなに悩んでるんか知らんが、別に昔と同じであろうとせんでええ」
返答はイエスでもノーでも無く、そもそもの質問の意義を問い質すものだった。
「それにお前みたいな奴が難しいこと考えても袋小路に苦しむだけじゃろ」
「……それって、俺がバカだって言いてえのか」
「当たり前じゃろ、それ以外に何がある」
至極当然だとドーンが言い切り、エドワードは納得がいかず黙りこくる。
ノータリンだと面と向かって言われたことよりも、昔のエドワードを演じる必要が無いというドーンの言い分にエドワードは納得がいかなかった。
元々エドワードは心の弱さが露呈してしまったために、かつてのエドワードを演じる以外救われる道はなかった。
それがテッドが提示し、エドワードが覚悟した方法だった。
それを否定されては、他に何を指標に生きていけばよいのか。
何も無ければ、また弱い自分に逆戻りしてしまうのではないか。
正解が分からず堂々巡りの中、ドーンが大きな口を開き、
「――何も考えんと、笑ってろ。それが一番、お前らしい」
そう、言った。
無理して演じていればそのうち心がやられてしまう、そんな時はどうすべきか。
しかし、それすらも考えず、ただ笑って生きていればいいと。
何があろうと笑ってやり過ごす、それがお似合いだと。
ドーンはそう言いたいのだろう。
「だよな……そう、だよな」
難しく考える必要などなかった。
かつてのエドワードだって何も考えていなかったのだから、なり切ろうと思えばその答えに辿りつくのは当然だ。
考えていることが全く違うのに、そっくりそのまま演じようだなんて無理難題もいい所だ。
結局ここに戻ってくるのかと今までの葛藤に徒労を感じながらも、妙に納得のいく答えにエドワードは、かかっていた靄が一気に晴れる様な感覚がした。
「――ありがとな、おっさん! なんかスッキリしたわ!!」
そして、思いっきり笑って見せた。
ドーンもそのエドワードを見て「それでええ」と満足そうな表情を浮かべていた。
寝ている間に時間がたったのだろう、窓からは明るい橙の光が差し込んでいて、日暮れが近いことを知らせている。
何十人もいた子供も稽古を終えて帰り、数人のグループが元気よく遊んでいるのがポツポツと見える。
無尽蔵の体力を搭載してるのかと思えるほどエネルギッシュな様子に、エドワードも思わず笑みがこぼれる。
「……まだ、アドには会ってないんか?」
エドワードと一緒になって子供たちを眺めながら、ドーンが呟いた。
アンナやテッドが亡くなってしまった今、過去のエドワードと親しかった人物はドーンを含めて数少ない。
アドもその内の一人だった。
アドとは十年間、一度たりとも顔を合わせたことが無い。
会うべきなのだろうか。
最悪の別れ方しかできなかった父親を、許してくれるだろうか。
「……まだ、会えねえかな」
会うには早すぎると、そう判断したエドワードの表情に翳りはなく、どこか晴れ晴れしい。
過去のことを仲直りしたい気持ちは山々だが、エドワードはまだその土俵に立てていない。
アドはこの十年間ずっと、後ろを振り向かずに前へ前へと突き進んでいる。
ずっと停滞したままだったエドワードに下げる面などない。
あのテッドですら興味も湧かないと言わしめた堕落っぷりだ、アドが見向きもしない可能性は十分にあり得る。
「会いたければ素直に会えばいいもんを……」
「十年間怠けてた分、あいつに追いつくんだよ。じゃねえと顔向けなんてできねえよ」
最悪の別れをしたなら、最高の形でもう一度出会えばいい。
ちょうど、エドワードの身体は年を取らないから時間はほぼ無限にある。
ここからリスタートして、もう一度やり直せばいい。
一から鍛錬して実力を磨き、名実ともにアドに追いつけるように。
アドが寿命で死ぬまでには顔向けできるようにと、エドワードは決意した。
「お前もアドも、いろいろと面倒くさいのう……」
「手塩にかけて育てた愛する息子の取り扱いは慎重に、だ。ちょっとのことでも喧嘩になっちまうからな!」
エドワードが言えたことではないが、これは彼の実体験に基づいている。
一見すると能天気だが、昔の諍いをグズグズ考えても仕方ないとエドワードの中で割り切った。
ドーンはそんな彼を見て呆れたのか、一つ大きなため息を吐く。
「そうか、子育てっちゅうんはいつの時代もたいへんじゃのう」
「ま、おっさんは子供がいねえから、わかんねえだろうよ!」
「……カッカッカ!! そうじゃったそうじゃった! こいつは痛い所を突かれたのう! 如何せん、こんな図体じゃ寄ってくる女もおらんからの!」
大口を開けて笑うドーンに釣られて、エドワードもつい笑ってしまう。
何でもないことでこんなに笑えたのはいつぶりだろうか。
いつも腹の底から湧き上がってくる黒い何かはもうなく、代わりに出てくるのは大きな笑い声。
「ははっ、おっさんにも息子がいりゃ、こんな厳つくはならなかったかもな!」
ゴツイ身体をペシペシとひっぱたいて軽口を叩くエドワード。
腹筋が攣りそうになるほど笑っている中、ドーンが苦笑いしながらぽつりと呟く。
「そうかもしれんな。まあ、息子と呼びたかった奴はいたがのう」
「へえ、おっさんにもそんな時があったのか」
「ああ、今となっては懐かしいが……昔のことじゃ、忘れてくれ」
不意な言葉にエドワードが首を傾げるが、ドーンがサラッと流す。
特に深堀りするつもりも無いエドワードは、「そうかよ」と吐いて、そのまま伸びをした。
外では日も暮れかけ夕焼けの赤がだんだん濃くなっており、残っていた子供たちも続々と帰る時刻だった。
「さて、そろそろお暇させてもらうぜ。ボコボコにされた手前あんま言いたくねえけど……ありがとうな。お陰で目ぇ覚めたわ」
「どこにいくつもりじゃ」
「どこって……いつもの激安のオンボロ宿に帰るつもりだが……もしかして、いい宿でも紹介してくれんのか?」
「そうじゃのうて、これからどうするのかを聞いておる」
立ち上がって早々と帰宅の準備を進めるエドワードに、ドーンがゆっくりと尋ねる。
無一文のエドワードにはおあつらえ向きな、壁と屋根さえあったらいいと言わんばかりの寝床のグレードアップを期待したのも束の間、新しい宿を教えてくれる訳ではないらしい。
「なんだよ。どうするって、とりあえずどうにかして力仕事でも探して、生活が安定してきたらまた鍛錬再開して、王国軍に入れたらそっからまた……って感じだな」
「お前がロクな仕事探せるんか? 前までずっとアンナとテッドのスネ齧っとっただけじゃろうにまともな生活ができるとは思えん」
罵られているにも拘わらず、それは同感だ、と心の中でうんうんと頷くエドワード。
十年前とは人が変わったとはいえ生活能力が向上する訳では無い。
それにエドワードの計画性の無さはピカイチだ、初志貫徹などもっての外ですぐに別の道へ逸れていくに違いない。
しかし、それでもどうにかしてやり遂げてみせるのがエドワードの生き様。
なるようになると信じ込んで突き進むしかない。
「ま、なんとかなるさ……あ、たまにガキたちに剣を教えにここに来てもいいか? 鍛錬のついでに三日に一回くらいでいいから――」
「ここにおったらええじゃろ」
「……え?」
「他の仕事なんか探さんくてええから、ここで生活したらええじゃろ。飯も寝床も貸せるもんなら貸す。代わりにお前が剣を教えるのは三日に一回じゃのうて毎日じゃ」
放たれた言葉を理解することができず、エドワードはポカンとしたまま動かない。
「何を呆けた顔をしとるんじゃい。わしがお前をここの剣士指南役に任命する、ってことが理解できんかの」
「……」
「お前に本当にその意思があるのか、どのくらいの覚悟があるのか少し試すつもりじゃったが、思った以上に興が乗ってしもうた。悪かったのう」
驚きのあまり言葉が出てこないエドワードを見て、ドーンが呆れ顔をする。
エドワードにしてみれば、ドーンの言葉は完全に想定外だった。
子供たちの前で見せしめの様にエドワードを完膚なきまでに叩きのめしたのも、中々折れないエドワードを納得させるための演出だと思っていた。
無様な姿を晒すことでここには来れないようにするという作戦で、何とも意地悪な老人だとエドワードは恨めしく思っていた。
しかし、それも単なるエドワードの思い違いだったらしい。
「――お前たちの剣、しかと子供らに伝えてやってやれ」
ドーンが重く低い声色で、はっきりと響かせた。
彼の提案は、まさしくエドワードが思い描いていた理想だった。
初めからドーンはそのつもりで、後はエドワードの思いの強さ次第だったという訳だ。
かなり手荒な所業だったが、結果として腐りきっていたエドワードでも一縷の希望を見出すことができた。
叶わないと思い込んでいた理想が目の前に舞い降りてきて、エドワードの目がきらりと輝く。
「なんだよおっさん、ビビらせやがって!! 話が分かるじゃねえか! やっぱ大好きだぜ!」
「コラ叩くな! さっきからちょっと痛いんじゃ!」
「この分厚い皮で痛え訳ねえだろ! 俺のこと散々いたぶりやがって、こんなもん仕返しにもなんねえよ!!」
ご機嫌な様子でドーンの肩を思いっきり叩くエドワード。
ドーンの狙いがはっきりして、ようやく十年前と同じ自然な絡み方ができると喜んでいる部分が大きい。
昔からの付き合いのせいで移ってしまったのか、「はっはっは」と豪快に笑う様子は、陽気なドーンと瓜二つだった。
「ったくお前は世話のかかるヤツじゃのう! 昔っからなんも変わっとらん!」
そんな嫌がるドーンの表情にも、ほんの少し笑顔が湛えていた。
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