第二十六話 『命知らずと恩知らず』
天暦四〇七年
――当時のイオニスにおいて魔術師という存在は希少で、軍事運用するほどの余裕はなかった。
王国軍は基本的に白兵戦を強いられ、遠距離の攻撃手段は主に弓であった。
白兵戦では通常数人からなるチームを組み、互いが互いを助け合う形をとっていた。
近接戦闘に長けたテッドとアンナは二人でタッグを組み、その実力を十二分に発揮していた。
幼いころから模擬戦闘を続けてお互いの動きが手に取るようにわかる二人は合図などなくとも最高の連携が取れた。
「後ろは任せたわよ!」
機動力に長けたアンナと、彼女の弱点である防御面を補うテッド。
相性は申し分なく、たった二人の新人ながらも他のチームに劣らない戦績をあげていた。
作戦は基本、アンナがまばらにいる敵を一人一人倒していくという簡単なものだった。
しかし、いくら素早い彼女でも大勢に囲まれれば成す術も無くなる。
そうならないようにテッドが固まった敵を薙ぎ払い、孤立させるのだ。
「ああ、存分に暴れてくれ!」
今日の戦場は、障害物が多く起伏が激しい山中だった。
しかし、アンナとテッドにとってそれは願ってもない好条件だ。
敵は素早いアンナの動きを捉えられず、彼女に気を取られている間にテッドが攻撃を仕掛けるのだ。
時に互いを支援し、困った時にはすぐに駆けつける。
臨機応変に対処する二人の連携は阿吽の呼吸で成り立っていた。
そんな時だった。
「うおらああああああああ!!」
「――!?」
空気が裂けるほどの絶叫が天から聞こえてきた。
声の方を見やると、空中で剣を高く突き上げた男が一人。
隙だらけの、子供の喧嘩のような大振りの先には自分がいて、
「どけえええええ!!」
瞬間、鋼同士が凄まじい衝撃でぶつかり、赤い火花と共に爆音が鳴り響いた。
男の剣が打ったのはテッドの斧――ではなく、目の前にいた敵の鉄兜だった。
文字通り渾身の一撃を頭に食らった敵は地面に伏せてピクリとも動かない。
テッドが抑え込んでいた数人の敵のど真ん中に盛大に降り立ち、周りにいる敵は突然の出来事に呆気にとられ、こちらも動けないでいる。
「すまんな後輩!!」
男は刃の潰れた剣を肩にかけて、何の悪びれも無く言った。
「――俺の名前はエドワード! いずれ天下無敵の最強になる男だ!! よろしくな!」
くすんだ茶髪を靡かせた男――エドワードは白い歯でニカッと笑いかけた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「なによあの男! 一言も謝らないで! もしテッドに当たってたらどうするつもりだったのよ!」
その日の戦闘を終えたアンナは、戦果のことよりも破天荒男エドワードのことで頭がいっぱいだった。
頭がいっぱいと言っても、詰まってあるのは憤懣憤怒の類。
頬を膨らませ、顔を真っ赤にしたアンナは大層ご立腹の様子で、
「あれだけ偉そうにしてたから、どんな人かと思ったらただのへっぽこじゃない! ほんとカッコ悪い!」
地団太を踏んでやり場のない憤りをぶつける。
あの後のエドワードは、もうそれは愚かとしか言いようが無かった。
その後、後先考えずに敵に突っ込んでは何度も殺されかけた。
確かに一対一ではそれなりの実力はあったが、大勢がぶつかり絡まり合う戦争では戦略が大きく生死を分ける。
正直、テッドが助けなければ簡単に死んでいただろう。
エドワードはこの時、誰ともチームを組んでいなかった。
毎回一人で戦いに挑み、気の向くままに剣を振るう。
必要があれば他のチームにお世話になり、多大な迷惑を掛ける。
いつ死んでもおかしくないのに、なぜ生きているのかテッドは甚だ疑問だった。
「アンナ、あの人は先輩なんだから、あんまり大声で言わない方が……」
「いいのよ! あんな奴に何思われたって別に構わないもの!」
一応、十個も年上の先輩なのでアンナに諫言するも、彼女は聞こうとしない。
しかしテッドも、先輩とはいえ他のチームに迷惑を掛けるのは如何なものかと頭を悩ませていた。
今まではたまたま運が良かっただけだろう。
いつか痛い目を見るまで自らの愚陋に気付かないのだろう。
彼のことを小馬鹿にするように、蔑むように、そう思っていた。
――この時までは。
次の日。
戦場には篠付くような大雨が降り注いでいた。
空は雲に覆われ薄暗く、たびたび耳を劈く雷鳴が轟いた。
そんな悪条件でも、戦いが止まることはない。
「……!! 鬱陶しいわね!」
お得意の機動力が泥濘む足元に奪われ、アンナはいつになく苦戦を強いられていた。
アンナの長所を生かしていた森が、一転して足を引っ張るようになったのだ。
「アンナ、無理はしなくていいから、一人ずつ頼む!」
「分かったわ!」
アンナは最小限の動きで敵を相手するようにし、テッドはアンナに敵が集まらないように敵を薙ぎ払って分散させる。
頭をかち割り、腕をつぶし、時には谷へ突き落とし、少しずつ敵の数を減らしていった。
「ふぅ……」
敵の小隊をようやく片づけたと安心していた矢先、
「――死ねぇ!!」
奇襲。
テッドは寸前まで気配に全く気付かなかった。
普段より大きい負担から疲れが回っていたのか、この大雨で音や匂いが掻き消されて気付けなかったのか、はたまた単なる油断か。
いずれにせよ、背後から勢いをつけて迫る敵を防ぐ手立ては無かった。
そして、
「――危ない!」
焦る声が届くころには、彼女は技を放っていた。
『韋駄天』。
目にも留まらぬ速さで一直線に駆け出して放つ一太刀。
彼女の剣撃は見事に敵兵の首と胴体を分かち、同時にテッドへの攻撃を防いだ。
しかし、飛び掛かった身体は宙に浮き、この足元では彼女の生み出した勢いは止められない。
「アンナ!」
瞬時にそう察したテッドは、敵を斬り捨てたアンナの手を掴もうとする。
彼女もテッドに任せなければ止まることは不可能だと判断し、手を目一杯伸ばす。
まさに以心伝心、完璧なコンビネーションだった。
だがしかし、
「――」
寸刻足りなかった。
そしてその僅かな誤差が、彼女の命運を別った。
湿った指先が微かに触れ合い、彼女は崩れた態勢で勢いを殺せずに地面に着く。
受け身もまともに取れず身を激しく打ち、なされるがままに転がった。
彼女が転がった先は大きく削られた谷があり、その下には大雨で氾濫した川が流れていた。
「――アンナ!!」
慌てて追いかけるが間に合うはずも無く、アンナは谷底へと落ちて行った。
川は底が見えないほど濁り、地鳴りのような轟音と共に無量の水が流れていた。
彼女の姿は既に暴れ狂う泥水に隠れて見えない。
テッドはアンナを追うように谷へと駆けるが、寸前で足が止まった。
このまま飛び込めば彼女を助けられるのだろうか。
助けられる可能性はどれほどあるのか。
自分も川にのまれて死んでしまうのではないか。
あの一瞬のせいで彼女は死んでしまうのか。
こんなに簡単に大切な人が死ぬのか。
こうして考えている暇はあるのか。
どうすべきなのだろうか。
どうすればいいのだろうか。
数々の憂懼が脳を駆け回り、時間の経過とともに死の谷へと飛び込む勇気が薄まってゆく。
身を乗り出せば死が過り、足がすくんで動くこともできない。
諦念と恐怖と使命感の三つ巴の葛藤に心が押し潰されそうになり、砕けるほどの力で歯を食いしばった。
その時。
「どけえええええ!」
「――!?」
聞いたような声が、聞いたようなセリフを吐いて迫ってきた。
猛スピードで駆ける男――エドワードはテッドに目も暮れず、思い切り踏み込んで、谷の奥へと跳んでいった。
身体を大の字に広げ、何の躊躇いも無く、子供のように目を光らせる、昨日となんら変わらない男。
彼が飛び込んだ水しぶきの音は、降りしきる雨にすぐさま掻き消された。
まるで何事も無かったかのように雨の音が鳴り続ける。
「は、はは……」
呆気にとられたテッドは全身の力が抜け、その場にペタンとへたり込んだ。
彼の行動は、テッドにとっての正解だった。
愛する人に危険が迫った時、助けに行くか否か。
誰もが助けに行くと選択するだろう。
テッドもそのつもりだった。
アンナに対する気持ちが嘘だった訳じゃない。
彼女を心から愛していたし、死ぬときは一緒に死ぬ覚悟もあった。
だが、心で思い、言葉を口にするのと、実際に行動するのでは訳が違った。
飛び込んだところで彼女は既に死んでいるかもしれない。
自分まで死んでしまうかもしれない。
もしくは今すぐ飛び込めば間に合うかもしれない。
数多の可能性を考慮し、現状を正確に捕えて導き出される解は一つのみ。
それでも彼は、躊躇なく飛び込んだ。
それがいくら理想的な正解であろうと、非合理が過ぎた。
今飛び込んで何になる。
助かる可能性なんてほとんどない。
そもそも彼はアンナと関係すらない。
助けに行く理由なんてあったのか。
「……おかしいじゃないか」
彼が取ったのは向こう見ずで、理解不能で、愚かな行動。
彼は見知らぬ女性のために命を落とした浅はかな人間だ。
彼の判断は無計画そのもので、自分が下した判断の方が正しい。
そう、自分に言い聞かせるしかなかった。
自身の決断を正当化するには、そう考えるしかなかった。
自分を嫌いにならないためには、そう思い込むしかなかった。
――奇しくも二日後、エドワードは瀕死のアンナを抱きかかえてテッドの前に現れた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
エドワードが帰ってきた時、幻なんじゃないかと目を擦った。
ボロボロで傷だらけのエドワードの背中には、目を閉じてぐったりとした女性が背負われていて、
「――アンナ! よかった!!」
絡み合う複雑な感情の中から真っ先に取り出されたのは安堵の喜びだった。
すぐさま駆け寄りアンナを受け取ると、擦った目からは大粒の涙が零れ落ちた。
「お前がテッドか?」
「……」
憔悴しきったエドワードが小さな、しかし重たい声でそう尋ねた。
アンナの命の恩人に侮蔑を抱いていたことへの後ろめたさから、目も合わせられず俯き、小さく首を縦に振って返事をする。
あの時、真っ先に動かなかったことを責められるのではないか。
そんな不安がテッドを襲った。
しかし――、
「こいつがずっとお前の名前を呟いてたぜ、お前ら相当仲良いんだな。あと、俺のことをお前だと勘違いしててよ、説明が面倒だったからお前が助けたことにしといたから、よろしくな」
エドワードはいつものように白い歯を見せて優しく笑いかけた。
またも予想だにしない態度に開いた口が塞がらない。
「いい仲間じゃねえか、大事にしてやれよ」
彼はテッドの肩にポンと手を置いて、奥の医務室へと歩いて行った。
「――あの!」
「……なんだ?」
「何であの時、飛び込めたんですか」
エドワードの背に、尋ねたかった質問を投げかけた。
何を思い、どう考えてあの無謀な行動に至ったのか理解しないことには、次もまた彼女を見殺しにしてしまう。
そうならないためにも、彼の行動原理を知るのは今しかない。
「彼女の命を救ってもらったのにこんなこと言うのも失礼ですけど、少なくとも彼女との間には何もなかったじゃないですか。それに命の危険は十二分にありました。助けられない可能性のほうが、自分も助からない可能性の方が遥かに高かったんです。なのになんで、あそこで飛び込めたんですか……!」
眉を顰め、縋りつくように問いかけるテッド。
「俺とそいつとが関係あるとかないとか、それこそ関係ねえよ。何を難しいこと考えてんのか知らねえけどよ、俺は当たり前の事をしたまでだ」
彼は背を向けたまま飄々と答え、そのまま奥へと消えて行った。
彼の思考回路はいかにも単純だった。
それが当然だから、すべきことだから。
様々な可能性を懸念していたテッドとは大違いだった。
しかし、それを愚かだと言えるわけもない。
テッドは分かっていたはずだった。
自分が何をすべきだったか、わかっていた。
エドワードが示さずとも、頭では分かっていた。
分かっていても、足が動かなかった。
結局、彼女の生死を握っていたのはテッドで、彼女を守る権利を捨て見殺しにしようとしていたのだ。
只々自分の情けなさに憤りを覚えた。
ふと、アンナの故郷が火に包まれた事件を思い出した。
あの時もそうだった。
大切な家族を助けに行こうとしたアンナを止めたのは、他でもないテッドだった。
もしあの時アンナを行かせていたら、両親は助かったのだろうか。
結局、テッドは臆病なままで何一つ変わっていなかった。
自分の命可愛さで、合理性にかこつけて愛する彼女を見殺しにしようとした。
これからも、同じようなことが起こったとしたら。
命を捨てても彼女を守る覚悟が、自分にあるのだろうか。
「……っ」
正解は分かっていたのに、答えは出せなかった。
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