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第十九話 『巻き戻せない』


――ドォォォン!!


 耳をつんざき、肌を打つ爆音に、エドワードは思わず動かしていた足を止めた。

 脳みそが揺らされるような不快感に襲われ、耳鳴りは止まない。


「……何だ?」


 音がした前方を見ると、戦場にポカンと大きな穴が開けられたように、そこにだけ人がほとんどいなかった。


 否、いないのではなく、地面に倒れていたのだ。

 敵味方関係なくほとんどの人間が倒れていて、辛うじて立っているのが数名。

 その中で、何事も無かったかのようにまっすぐに立っている影が見えた。

 目立つ赤い髪の少年の手には、エドワードの剣が握られていて、


「――アド!!」


 エドワードは遠くから息子の名前を叫んだ。

 何を伝えたいわけでもなく、ただ呼んだ。

 これはアドの仕業なのだろうか。

 全員、殺してしまったのだろうか。

 不安でエドワードの胸が締め付けられた。


「……」


 アドはチラッとエドワードの方を振り向いたが、何も言わずに顔を逸らした。

 彼の見やった方向からは、未だ止め処なく敵がやってきていた。

 戦線にいる人間のほとんどが倒れていて、その中心に立つ、たった一人のイオニスの少年を取り囲む形になっている。

 ステリアにとっては絶好の機会でしかないだろう。


 アドは何のためらいもなく、やってくる敵の方へゆっくりと歩いてゆく。


「アドッ!!」


 再び、息子の名前を叫んだエドワード。

 今度は心配の意を込めて発した。

 なぜ一人で立ち向かえる。

 敵うはずがない、死にに行くようなものだ。


 ――そんな懸念も、ただの杞憂に過ぎなかった。


 ゆらりと佇むアドに襲い掛かる敵。

 その悉くを、一瞬にして爆発四散したのだ。


 細切れになった肉塊が飛び散り、辺り一面に血の雨が降り注いだ。

 何が起こったのか理解不能な敵はそれでも前に進み、その身体を無惨にも散らせてゆく。

 次第に敵陣営の表情が恐怖に染まり、アドに近づく愚か者はいなくなった。


「ひ、ひいいいいいい!!」


 それでも尚、アドは惨殺を続けた。

 負の感情の全てを目の前の敵にぶつけ、荒れ狂いながら逃げ惑う敵の背中を攻撃した。

 修羅のような形相を浮かべ、身体は返り血で真っ赤に染まっていた。


 豊かな草原は、あっという間に血の海へと化した。

 エドワードはあまりの出来事に言葉を失っていた。

 地獄を彷彿とさせる異常な光景の中心に立つ少年は、未だ破壊の手を止めない。


「あああああああァァァ!!」


 既に息絶えた敵に馬乗りになって何度も殴り、叫び声を上げるアド。

 口角を上げ、涙を流し、眉を顰める彼には、おそらく正気などない。

 感情を怒りと憎しみに支配され、昨晩まで笑い合っていた姿はどこにも見られない。


「やめろ……」


 未だかつて見たことのない息子の様相に心が押しつぶされそうになり、小さな声で訴えかけた。

 もう二度と、元には戻らないような気がして。


「――やめろ、アド!!」


 ボロボロに枯れた声で叫んだ時だった。


 ――アドの背後から誰かが近づいているのが視界に入った。


 腹を押さえて屈みながらも、ゆっくりとアドに歩みを寄せている。

 見覚えのある桃色の髪は今朝とは違ってボロボロに荒れていて、


「――アンナ!!」


 エドワードは枯れた声で彼女の名を叫び、抉れた足を走らせた。

 何度も、何度も叫んだが、アンナは振り向く素振りも無くアドに近づいていく。

 アドの背中からは遣り場のない憎しみが溢れだしていて――


 ――この時、最悪の未来がエドワードの脳裏を過ぎった。


「――離れろ!アンナ!!」

「うあああァァァ!!」


 野獣のような叫び声と同時に、怒り狂うアドが背後を振り返った。

 アンナは攻撃を避けようと体勢を素早く横にズラすも、


「――つっ!!」


 彼女の右腕が内側から爆ぜた。


 身を躱していなければ、アンナは敵兵の様に身体ごと木端微塵になっていただろう。

 家族のように大切な人に牙を剥け、一つ間違えれば殺していた事実に、エドワードの心の奥底から初めて『怒り』が込み上げてきた。


「アド……お前えぇぇ!!」


 エドワードは、内臓が震える程の激しい憤怒を覚えた。


 倒れかけるアンナに、追い打ちをかけようとするアド。

 一刻も早く阻止せねばと、エドワードは血で濡れた地面を思い切り蹴った。

 しかし、二人とエドワードとの距離は遠く、とても間に合わない。


 咄嗟に、エドワードはステリアの屍に埋もれた銃をその手で拾った。


 アドに正気などない。

 このままでは目の前の女性をアンナだとも気づかず殺してしまう。

 魔法も使えないエドワードがこの距離でアドを止めるには、敵の武器に頼るほかない。


 ――誤ってアドを殺してしまわないだろうか。


 そんな迷いも許されない刹那。

 エドワードが引き金に指を掛けた時だった。


「――あ」


 気づけばアンナが徐にアドの身体を左腕一つで抱き寄せていた。

 二人は膝をついて身体を密着させ、互いに相手の肩に顔を乗せるように抱き合っている。

 アドの強張った表情は、突拍子の無いアンナの行動に対する驚きに塗り替えられていた。


 密着していると銃弾がアンナにも当たり兼ねず、引き金にかけた指の力が解ける。

 エドワードは二人にゆっくりと近づいた。

 殺伐とした戦場に見合わない不思議な光景が、彼の眼前に在った。


「よしよし……」


 小さく頬笑み、右手をアドの頭に回して柔らかく撫でるアンナ。

 赤子をあやす母のように優しく抱きしめる様子は、血飛沫が舞う戦場においては異常だった。

 キョトンとしていたアドだが、次第に悲壮な表情へと変わってゆく。


「アンナさん……俺、おれ……」


 どうやらアドは、宥められて正気に戻ったようだった。

 アンナの腕を奪ったことを知り、罪悪感からアドの目には涙が溢れていた。


「何泣いてんのよ」

「だって、俺がアンナさんを……」


 アドは声を裏返しながらアンナの肩に手を翳した。

 淡い光と共に傷口が塞がり、ひどい出血もあっという間に止まった。

 同時に、アンナは痛みから解放されてホッとしたように息をついた。

 しかし、アドは依然として眉間に皺をよせている。


「俺、こんなつもりじゃ……」

「わかってるわよ。あんたが優しい子だってくらい。こうなったのも偶然だって」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「謝んなくていいのよ」


 後悔の念を吐き連ねるアド。

 それに対してアンナは何事も無かったかのように赦していた。

 するともう一度、アドを力強く抱き寄せ、穏やかに笑った。


「謝身を削ってでもあんたの幸せを願うのは当然でしょ。私はあんたの母親なんだもの」


 大切な、かけがえのないものを扱うように優しく、何度も頭を撫でた。

 自分の右腕を失うことよりも、アドの母親であることを彼女は望んだのだ。

 彼女の母性に充てられて、アドの真っ赤な眼に涙が溜まってゆく。


「だからいいの。それよりも言うべき言葉があるでしょ。ほら」


 アドの耳元でアンナはそう囁くと、ずびずびと鼻音を鳴らしながら、アドがアンナの身体に手を回して抱きしめた。


「だずけでくれで……ありがどう……」

「こちらこそよ、アド。あんたが敵をやっつけてくれたんでしょう。大したものだわ」


 服が涙と鼻汁で汚れるのも厭わず、アンナは自らの胸にアドを抱き寄せた。

 すると、眼前の燃えるような真っ赤な髪に顔を埋め、


「さすが、私たちの自慢の息子ね」


 その口元に柔らかな笑みを湛えて、呟いた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「もう大丈夫でしょ。さっさと泣き止みなさい。まだメソメソしてるつもりなら、私が斬るわよ」

「急に辛辣だな……さっきまで聖母様の様に優しかったじゃねえか」

「それはそれ、これはこれよ……私の息子が弱虫で泣き虫だったら困るわ」


 アドにそう言い放ち、スッと立ち上がろうとするアンナだったが、


「……っと、危ねえな」


 よろめいた所をエドワードが寸前でキャッチした。

 混戦の傷に加え、肩からは大量の血が流れ出ていたため当然だろう。

 ショック死していないのが不思議なくらいだ。


「さすがにあの出血じゃ一人で歩けねえだろ。ほれ、肩貸してやるから」

「別にいいわよ……」


 そう言いながらも、エドワードがアンナの右肩を持つと、すんなりとこれを受け入れた。

 肩に回したエドワードの左手を、アンナが何やら恨めしそうに眺めていて、


「そういえばアンタの腕、頼めば何本でも生やせたわよね……私がもらってもいいかしら」

「物騒なこと考えんな!?」


 危うく腕を?がれそうになるエドワードだったが、アンナは「ふふっ、冗談よ」と失笑した。


「親父……」


 すると、二人の傍らでアドがすくっと立ち上がった。

 罪悪感でも後悔でも反省でもない。

 ただ、何を言われるか分からないという無理解からの恐怖が、アドの瞳に映っていた。


 実際、エドワード自身もアドに対して何を行ってやれば良いか分からなかった。

 アドに対して初めて『怒り』を抱いた。

 それに、銃口と共に殺気さえ向けた。

 今では到底考えられないような感情だ。

 ここは謝るべきだろうか。


 そもそもアドはエドワードの言い付けを無視して突っ走ったのだ。

 感情を制御できなくなり、アンナにまで手をかけようとした。

 父親として一つ叱っておくべきだろうか。


 否、ここはアンナの判断に従っておくべきだ。

 結果的にアンナを傷つけることにはなったが、アドは一人で前線に上がり、大勢の敵を無力化した。

 そんなことは誰にだってできることじゃない。


「アド、何も気にしなくていい。お前はよくやっ――」
















――パァン。















 音がした。















 遅れて、肩に乗せていたアンナの腕の力が弱まり、ずるっと滑り落ちた。


「――え」


 エドワードはアンナに引っ張られて一緒に地面に倒れ、衝撃で思わず声が漏れた。


「ア、アンナさん!?」


 アドが焦る様子でアンナに駆け寄る。

 それに釣られてエドワードがアンナを見遣ると、


「おい……まじかよ」


 ――アンナの胸に、小さな穴が一つ、開いていた。

 少ない血液がドクドクと流れ出し、あっという間に服に染みわたっていく。


「アンナ!!」


 エドワードもすぐに駆け寄り、止血を試みる。

 傷をいくら強く抑えても、溢れだす血は留まるところを知らない。


「アド! 治療だ!!」

「や……やってみる」


 半泣きになりながら、震える声でアドはそう答えた。

 アドがアンナの胸に手をかざし、少しずつ傷口が塞がってゆく。


「俺の……俺のせいだ…………」


 治療の間、アドがぶつぶつと独り言を呟いていた。

 目に涙を溜めながら、自責の念に駆られていた。

 この広い大平野で狙い撃ちされてはどうしようもない。

 最後の最後でしてやられたのだ。


「アンナ! しっかりしろ! アンナ!!」


 エドワードが顔を近づけて叫ぶと、アンナはうっすらと目を開いた。


「死ぬな! 絶対に死ぬなよ!!」

「エド……」


 唇をほとんど動かさないまま、弱弱しい声を発した。


「もうちょっとだ! ここを耐えれば何とかなるから!!」

「エド、一つだけ聞きたいことがあるの」


 気付けばアンナの全身が真っ白になっていた。

 唯一、その琥珀の瞳だけが辛うじて生気を感じさせていた。


「もう喋んじゃねえ! 今から帰って元気になったらいくらでも聞いてやる! 一つじゃねえ!! 何でも答えてやるから!」


 涙を堪えながらそう訴えかけると、アンナは残った力で薄く微笑んで――


「……」


 ――乾いた唇から微かに掠れた音がして、アンナは目を閉じた。



 それからずっと、アドによる治癒が続いた。

 同じような言葉を何回も何回も繰り返し唱え、鼻水で息がつまり嗚咽していた。

 過呼吸になりながら何度も手をかざして同じ治癒を繰り返す。


 そうして数十分が経った頃にはエドワードもとっくに気が付いていた。

 アドだけは、気が付かないよう、見えないようにと涙で視界を覆っていた。
















 ――アンナが目を覚ますことは、二度と無かった。











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