第一話 『最弱の拾い子』
「アンナ、気を付けるっす。今、そこの木の陰に敵が見えたっす」
「ええ……あんたこそ体デカいんだから気つけなさいよ」
鬱蒼とした森の中、二人の男女が静かに言葉を交わしている。
時刻は昼だというのに辺りは暗く閑散としていて、木の葉が擦れる音だけが微かに聞こえる。
アンナと呼ばれた女性は物陰から慎重に顔を出し、自らの目で敵影を確認する。
「……向こうもこちらの出方を伺ってるわね。下手に出ると痛い目を見そうだわ」
「そうっすね。奴ら、見たことのない武器を使ってるから、一旦様子を見るっす」
そのアンナと話しているのは全身を覆う鎧を身にまとった大柄な男――名をテッドという。
テッドは破壊力に長けた大きな斧を携えているが、どっしりとしている分機動力はないように見える。
一方、アンナは刀身の細い剣を持ち、最低限まで軽くしたような装備をしている。
防御面に関しては菲薄そのものだが、その分素早い動きができる。
彼らの視線の先には五、六ほどの人影が動きを見せずにじっと止まっている。
人形なのではないかと疑うほど動く気配のないその陰に不気味さを感じ、彼らもまた動きを封じられているのだ。
森中が静まり返り、緊迫した空気の中、一触即発の状態が続いている。
罠かもしれない、その考えが浮かんだ時点で相手の動きを待つしかない。
「この状況を打開するには……」
アンナが解決策の模索に考えを巡らせ、独り言を呟いた。
あちらが待ちの姿勢な以上、こちらからは何か動きを見せる他ない。
しかし、安易な誘いに乗るかどうかも分からないし、かといって大胆な行動に出れば今度は自分の命が危ぶまれる。
「クソッ……どうすれば」
彼らには大人しく待っている時間も余裕もなかった。
国を背負って戦う彼らは現在、相手国であるルベルテ国と戦っていた。
彼らはその戦争における前線の一つを任されたのだが、先日、この先にある野営地を夜襲により敵に占領され、それを一刻も早く取り返さなければならなかった。
前線の中では比較的小規模な戦場ではあったが、取り返さなければ戦略に綻びが生じてしまう。
最悪の場合、敗戦という可能性もある。
そんなプレッシャーに焦りを感じ、何とかせねばと思考を巡らせる。
戦士とは言え、正直なところ命が惜しい。
しかし、彼らが背負うは国の運命、要するに国民の命がかかっている。
背に腹は代えられまいと、男が決心したような表情を見せる。
「俺が囮になって注意を引くっす、アンナはその隙に斬って――」
「無理よ! そんな短い時間だと、二人や三人ならいけるかもしれないけれど、それ以上はさすがに私の手に負えない。危険すぎるわ」
「ならどうしろって言うんすか……動かかなけりゃ一生このままっすよ」
「だから! 敵は出てくるのを誘ってるって言ってるじゃない! 私は無策で敵の罠に飛び込むほど馬鹿じゃないわ」
声を殺しながら言い争いをする二人。
打つ手がなく投げやりになるテッドと、無い答えを探そうと必死に思案するアンナ。
どちらも相当焦っていることは間違いなかった。
「そのやり方ならせめて、囮がもう一人いれば……」
私たちで片づけられるのに、と言おうとした瞬間――
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
「―-!?」
――二人の後ろから耳が潰れるほどの雄叫びを上げて、一人の男がものすごい勢いで走ってきて、呆気に取られていた二人をあっという間に追い抜かした。
腕と足を大きく振りながら走る姿に、男が全力なの見て取れる。
男はたった一本の剣を持つだけで、装備はペラッペラな普通の服。
はたから見ればただの庶民である男が、この緊迫した空気が流れる戦場に現れた。
危険も何も顧みず、ただ前へまっしぐらに走っていく。
彼の放つ大きな声は森中に木霊し、もちろん敵であるルベルテの兵士にも聞こえる。
「バカ! 危ない!!」
男はその勢いのままアンナの制止も聞かずに敵影めがけて突っ込んでいき、
――パァン。
複数の銃声が一斉に鳴り響いた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
天暦 四一〇年
「死んだらどうすんのよ、このバカエド!!」
「だっはははははは! 大丈夫だって!! 頭潰されねえ限り死なねえんだからいいじゃねえか!!」
時刻は夜。
森の中にある開けた平地で数十人が野営をし、奪われた土地を取り返した喜びを噛みしめていた。
彼らはイオニス国と呼ばれる小さな国の兵士たちで、敵国であるルベルテと戦争の真っただ中にあった。
天幕が張られただけの野営地には数か所に焚火が置かれてあり、それぞれの焚火を囲む形でいくらかのグループが談笑していた。
その中でも一際賑やかなグル―プがあった。
「良くないわよ! 万が一ってことがあるでしょう!? 真っ先に頭撃たれてたらどうするのよ!?」
何やら怒声を上げているのはアンナという名の女剣士。
薄桃色の長い髪に、清廉さを感じさせる琥珀色の切れ目を持つ彼女は、その華奢な細身からは想像できないほど凄腕の剣士だ。
というのも彼女の強さの秘密はその身軽さにある。
俊敏な足運びから繰り出される彼女の『神速之剣』は、目にも止まらぬ速さで次々と相手を戦闘不能にさせる。
齢二十にして、彼女は国に存在する剣士の中でも指折り数えるほどの実力者だった。
「まあまあ、エドさんのおかげで何とかここも取り戻せたんっすから。これを脳天に振り下ろすくらいで許してやってほしいっす」
「ははっ、お前も面白い冗談言うように……おいテッド。顔が怖えよ! さっさと斧から手え離せ!」
所有者の身長ほどもある巨大な斧を持ち、真顔で冗談を言い放つ大男の名はテッド。
年齢はアンナと同じで、二十歳である。
さっぱりとした紺色の短髪は精悍さを漂わせる。
そして、彼もまた同じく国を背負う戦士であるが、アンナとは打って変わって俊敏性は皆無に等しい。
しかし、その筋骨隆々とした雄大な体から想像できるように、彼は巨大な斧を振り回して敵を一掃する矛役且つ仲間を守る盾役として二役買っている。
「この死なない体のおかげでこんな俺でも役に立てるようになったんだ。俺なんか気にせずに好きなように使ってくれればいいさ……今んとこ囮しか出来ねえが」
「ほんと、ただの肉盾ね」
「……言い方気いつけろ?」
そして最後の一人、先ほど敵に勢いよく飛び込んで見事に返り討ちにあった男――エドワードだ。
彼にはアンナやテッドのように戦闘において秀でた才能を持っている……訳ではない。
剣の腕もイマイチで、テッドのように耐久力がある訳でもない、中肉中背の三十二歳、ただのおっさんだった。
しかし、そんなおっさんにも一つ、他の人間とは明らかに違う点があった。
彼は、いわゆる人造人間なのだ。
事の発端は数年前、とある戦争で白兵として駆り出された彼は戦闘の最中に瀕死の重傷を負ってしまった。
その時にたまたま戦地にいたイオニスの天才魔術師の気まぐれにより身体を作り替えられ、蘇ったという流れだ。
ゼロから人間を作った訳ではないので、正式な名称は、半人造人間と言う。
その魔術師は今まで何人もの人間を改造する実験をしてきたが、エドワードが初めての成功例らしく、彼のような人間はこの世界に一人としていない。
しかし、だからといって彼が超人的な力を発揮できるわけでは決してなかった。
尻にエンジンを搭載した訳でもなく、手から翼が生えてくる訳でもない。
本当に、ただ体を取り換えただけ。
外面の皮も皮膚に似せて作ってあるため、見た目もたいして変わらない。
体が少し頑丈な作りになり、血が流れなくなった。
要するに、ただの死ににくいおっさんになったというわけだ。
「何とかなったは結果論! 今度から無策で飛び込むのだけは絶対にやめること!! 次からはちゃんと私たちと連携を――」
「ピーピーうるせえな、まだガキのクセに婆さんみたいなこと言ってるからいつまで経っても男の一人もできねえんじゃねえのか」
「うるさいバカエド! アンタも体張るしかできない雑魚だから女が寄ってこないんじゃない!! このモノ無し!」
「仕方ねえだろうが! とっくの昔に取られちまったんだよ!!」
ただの盾である彼にもちろん威厳がある訳もなく、十個以上も年が下の女にタメ口でバカにされる始末。
彼らが出会った当初、エドワードが気を遣わせたくないからタメ口でいいと言った途端こうなってしまった。
彼が半人造人間になって、大事な大事な生殖器が無くなってしまった弱みまで握られてしまっている。
「エドさん、鍛錬してアンナより強くなって見返してやりゃいいんすよ」
テッドが慰めるようにポンとエドワードの肩に手を置く。
「鍛錬か、俺の一番嫌いな言葉だな」
せめて戦闘能力さえあればと思うことはあるものの、彼は元々熱しやすく冷めやすい性格で、地道な鍛錬など長続きせずすぐ飽きてしまう。
テッドは努力家で、才能もあるためちょっとやれば上達するのかもしれないが、エドワードは伸び代など皆無な三十二歳。
今更何かに手をつけるエネルギーなど無い。
「今や時代は魔法だぜ。剣の鍛錬なんかしても意味あるんだか」
「テッドならともかく、アンタは魔法もできないのに何言ってんのよ」
彼らの国であるイオニスは、敵国が武器の開発に勤しむ中、魔法の発展に力を注いできた。
人自身が武器になれる魔法というのは戦争において大きな戦力になる。
小国だったイオニスが近年力を付けてきたのは、魔法が急速に発展・普及してきたからだ。
「明日の作戦だって、『魔術師が到着するまで自陣を守ってじっとしていろ』だぜ? これじゃ剣士の立場なんてあったもんじゃねえ」
「魔術師は近接戦闘に弱いからそれを守るのが私たちの役目じゃない」
「だがあくまで魔術師が主体じゃねえか。それに――」
エドワードが後ろから何かを取り出しながら呟く。
「――ルベルテの奴が持ってた、この『銃』ってのも厄介だ。攻撃も全く見えなかったし俺じゃなかったら確実に死んでたぜ」
取り出したのは、『銃』と呼ばれる堅い金属でできた筒状の武器。
先ほどの戦闘における戦利品だ。
「確かにそれは厄介ね。避けるのに精一杯だったわ」
「何回か食らったけど、結構痛かったっす」
「お前らなあ……ちったあ先輩を立てるってことを覚えろよ」
二人の化け物っぷりにほとほと呆れるエドワード。
見えもせず、当たれば木の幹を貫くほどの威力を持つ武器を彼らはオモチャか何かかと思っているのか。
「……いずれにせよ、明日ウチの魔術師部隊が到着したらこの先の街を落とすらしい。いっちょ、見ものだな」
「アンタ……真面目にやんなさいよ? 私たちがしっかり守らなきゃ魔術師も攻撃に集中できないでしょ」
年上のエドワードに向かって、アンナはまるで子供をあやすかのように言いつける。
「わかってら。ただ、この時代の前を進んで走る二つの戦力が互いの国を背負って立ち向かい合った時、一体全体どっちが勝利の女神にほくそ笑まれるのか知りてえってだけさ」
「何言ってんの? 頭悪そうな言い回し……」
「女神はほくそ笑まないっす。ほほ笑むんす」
「お前らなあ……」
ドヤ顔でかっこいいセリフを吐いたつもりのエドワードだが、二人の反応にの冷たさに嘆息する。
その後、「もういい、寝る!」と子どものように拗ねた彼は休息など必要のないその体を休めるために、寝床に入った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
翌日。
「すげえ……」
一つの街をぐるっと囲む城壁に立ち、エドワードが感嘆の声を漏らす。
彼が見下ろすのは、イオニスの魔術師部隊によって壊滅寸前となった大きな街で、あちらこちらで火の手が上がっている。
彼が期待していた魔法VS銃の戦いは、結果から言うと魔法の圧勝だった。
攻め入る際、城壁の上で銃を構えて防衛しようしていた兵士たちを魔術で一掃し、城壁の上を瞬く間に占領した。
街を囲む高い壁は外からの敵に対しては強力な防御になるが、一度敵に占領されてしまったが最後、あっという間に袋の鼠と化す。
城壁の上から一方的に魔法を放たれ、成す術もなく逃げ惑う人々の姿が今でも鮮明に思い出せる。
「こんなもん食らったらひとたまりもねーな……魔術師が味方でよかったぜ」
壊滅した街にはほとんど人は見られず、凄惨な光景の割には不気味なほどシンとしていた。
魔術師たちの侵攻により多くの命が奪われ、なんとか命を拾った者は捕虜として捕えられた。
そのため、既に作戦が終わった後の街では人の気配は少なく、ただパキパキと建物が燃える音だけが聞こえた。
「うぅぅ……」
炎が燃え盛る街を歩いていると、端から何やら声が聞こえた。
発された声の方向を見ると、積み重なった瓦礫に押しつぶされている女性が呻き声を上げていた。
立ち上がる炎に焼かれて皮膚がただれ、もはや顔すらわからない。
それでもなお、生に縋る有り様にエドワードは顔をしかめるばかりだった。
「今、楽にしてやるからな」
そう呟いて、エドワードは持っていた剣を女の首元へと振り下ろす。
剣が通る瞬間、「えぁっ」とほんの少し声が漏れ、そのまま女は絶命した。
今この街に残っているのは、彼女のような放っておけば死にゆく者ばかりだ。
苦しむ彼らに対してエドワードは、苦しまずに逝くために手を下してやることしかできない。
簡単に死ねない彼だからこそ、それがせめてもの救いになると知っていたのだ。
「……ん?」
ふと、微かに音が聞こえた。
炎が燃え盛る音や瓦礫がパラパラと崩れる音に混じって、不自然な音がしている。
エドワードは耳を澄まして、音を拾うことに集中する。
否、声が聞こえた。
何やら甲高い声だった。
呻きでも嘆きでもない、その声の正体を突き止めんと、急いで重なった瓦礫を押しのけると、
「あうー」
生まれて間もない赤子が、呑気におもちゃで遊んでいた。
赤い髪の元気な男の子だった、くりっとした目を輝かせエドワードの顔を見てきゃっきゃと喜んでいた。
おそらくさっき死んだ女性の家の子供だろう。
「すまんな、ボウズ。お前んとこの姉ちゃんか母ちゃんか分かんねえけど、死んじまったよ」
エドワードがしゃがんで赤子に話しかけると、赤子のほうも反応するかのように「あー」と声を出す。
「お前も一緒んとこにいくか?」
エドワードが赤子に剣先を向ける。
まだ言葉も話せない小さい赤子がエドワードの言葉を理解できる訳もない。
向けられた剣先を触り、新しいおもちゃを見つけたかのように好奇の眼を輝かせる。
それに対して「おもちゃじゃねえぞ」と剣をしまうエドワード。
「のんきなボウズだな……何で楽しそうなんだか」
戦火が上がったこの街で笑っているのはおそらくこの赤子だけだろう。
死を目の前にして苦しんでいる人間を斬るのはエドワードにとって簡単にこなせるが、これほど幸せそうに遊んでいる赤子を斬るのはどうも憚られた。
殺すのは圧倒的に赤子のほうが簡単なのに、不思議な話だ。
赤子は相変わらず楽しそうな様子でエドワードの裾を引っ張っている。
「それとも、俺と一緒に来るか?」
ふと、たまたま頭に思い付いたことを独り言のように言ってみた。
この赤子は言葉すらわからないのだ。
そのはずなのに、
「うー!あいー!!」
まるで、「俺も一緒に行きたい!」と返事でもするかのように甲高い声を上げたのだ。
まだ言葉を理解しているはずもないのに、まるで分かっているかのように反応する赤子。
「おもしれえガキだな」
同時に、赤子を連れて帰るという選択肢が頭に浮かんだ。
赤子の可愛さにあてられたわけでもない。
故郷を燃やされたかわいそうな赤子に同情したわけでもない。
ましてやこの子の家族を殺してしまった自責の念なんてこれっぽっちも無い。
彼はただ、面白そうだと思った。
この子にはすごく強そうな名前を付けよう。
兵士たちに囲まれて生活してれば、戦いも身につくだろう。
俺たちが鍛えて最強の剣士にしてやろう。
共にバカをやって笑い合える関係になろう。
一緒に背を合わせて戦う様な、頼もしい息子に育ててやろう。
そんなことを考えれば考えるほど妄想が膨らんでいった。
一度その考えが浮かんでしまうと引っ込みがつかない。
彼は後先も何も考えずに考え付いたことはすぐに行動に移す人間だから。
それがエドワードという人間だから。
「ようし! 決めたぞボウズ! 俺に付いてこい!!」
「あうー!」
元気のいい返事が聞こえ、エドワードは赤子をすっと抱きかかえて立ち上がった。
これは、最弱の拾い子が、最強の英雄へと成長する――そんなお話の始まり。
数ある作品の中からこの作品を見つけていただき、ありがとうございます。
毎日投稿の励みになりますので、少しでも面白いと感じていただけたら『ブックマーク』と、下にある☆☆☆☆☆から評価してもらえると嬉しいです。
作者が跳ねて喜びます。