第十四話 『ハリボテの強さ』
非術師からなる前衛部隊の野営地は、魔術師たちの野営地からそれほど離れていない。
わざわざ分ける必要があるのかとも思うが、それには三つの理由があった。
一つは非術師と魔術師は前衛と後衛ではっきり分かれているため、わざわざ一緒に寝泊まりする必要も無いからだ。
それに野営地はどこにでもいくらでも建てられるため、二つくらいなら簡単に用意できる。
二つ目は、前衛部隊は、魔術師よりも見つかりやすい位置に野営地を置いているため、先ほどのように夜襲が来た時に囮として機能するからだ。
そして三つ目がその最たる要因で、お互いの仲がとてつもなく悪いからだ。
お互い、というよりは特に非術師が魔術師に向ける憎悪が圧倒的に大きい。
テッドが懸念していたのもその点だったように、非術師にしてみれば魔術師の盾のように扱われ、傷を負うのが自分達だけだと納得がいかない。
魔術師が何もしていない訳じゃないことは頭では分かっていても、やはりどこかで共に命を懸けて戦ってほしいと望んでいた。
こうして、非術師の大半が魔術師を恨めしく思うようになったのだ。
エドワードが前衛部隊の野営地につくと、そこにはさっきとはまるで別の光景が広がっていた。
人は魔術師の倍以上いるというのに、まるで全員が寝静まったような静けさが漂っている。
音と言えばコソコソと話し声が聞こえるくらいで、あとは鼻をすする音が断続的に鳴っている。
全く対照的なこの空気の理由は、外に綺麗に並べられた死体が物語っている。
今日までの戦いで、二百人を超えた前衛部隊の内、五十人ほどが命を落としていた。
普通の戦争なら命を落とすことなどさほど珍しくも無いが、イオニスの戦い方からして前衛部隊は守りに徹していればよく、敵地に攻め入る必要が無いためあまり命を落とすことはない。
長い間、そうやって戦ってきたため死者は少なくて済んでいる。
しかし、逆を言えばそれだけ命は簡単には譲れないものとなってしまった。
故に、命の重みが増したこの部隊では死者が出ればその分こうして士気が下がってしまうのだ。
利点がかえって欠点になる、典型的な例だ。
エドワードはよどんだ空気の中を進み、できるだけ平気そうな兵士を一人選び、声を掛けた。
「お疲れさん、アンナはどこにいるか知ってるか?」
「エドワード副隊長、お疲れ様です。アンナ隊長なら先程部屋に向かわれましたよ」
若い兵士がニコリと笑ってアンナの部屋の方向を指差す。
「あいつ、何か変わった様子は無かったか?」
「……? いえ、特には。いつも通りの様子でしたよ」
取り繕ってはいるが疲れているのだろう、彼の目の下にははっきりと隈が出来ていた。
彼に対してエドワードは「ありがとな、ゆっくり休めよ」と労いの言葉をかけてアンナの元へと向かう。
大広間の最奥、土でできた扉の向こうにアンナの部屋がある。
普段なら既に寝る時間は過ぎているが、扉の隙間から微かに光が漏れていた。
エドワードはアンナが起きていることを確認するためにコンコンと二回扉をノックする。
「……」
返事はなく、堅い土の乾いた音だけが響く。
「入るぞ」
しばらく待っても返事がなかったので、エドワードがそう言って扉に手をかける。
少し開けて一旦扉を止めるが、中から声はしないかったので、思い切って中に入った。
決して広いとは言えないその部屋には、机とベッドが一つずつあるだけだった。
エドワードが突然部屋に入ってきたのに驚いたのか、アンナは何やら慌てた様子で机の上を整理していた。
「……エド?」
「おう、邪魔して悪かったな。一つ報告があるんだが、明日の朝にするか?」
「……いいえ。今でいいわ」
アンナは冷静さを取り戻して首を横に振った。
三十代も後半に入るというのに若々しさは一向に衰えず、大人の魅力が増したことでさらに妖艶な雰囲気さえ醸し出している。
その鋭くも麗しさを帯びた目は不自然なほどに赤らんでいて、
「――泣いてたのか?」
不意に見えてしまったものに、純粋な疑問を抱いたエドワード。
アンナはその言葉に驚いたようで、すぐさま自分の目を袖でこすった。
あ、まずい、とエドワードは自分の不覚を呪った。
涙を流していたことを指摘することは、人が人ならそのプライドを傷つけかねない。
エドワードも昔、そうしてアドをからかっていると本気で嫌われたことがあった。
口走ってしまった矢先、発言を撤回して見なかったことにはできまいかと、あたふたしていると、
「大丈夫、何でもない」
どうやらアンナは怒っている様子は無く、ホッとしたエドワード。
何でもないとは言え、やはり泣いていた理由が気になる。
しかし、理由に関して大体の予想はついていて――
「お前にとっちゃ、今回が初めての隊長だもんな。荷が重いのは俺たちも分かってるし、上手く行かないこともあるだろうさ。そりゃまあ、部下が死んじまって悲しいだろうし、責任感じるのもしょうがねえよ」
「……」
励ますつもりでアンナに言葉をかけるも、当の本人は口を開こうとしない。
ましてやその表情はみるみるうちに曇ってゆく。
そこでエドワードは、わざとらしい笑顔を作ってアンナに一歩歩み寄った。
「ここは一つ笑ってだな――」
「何でもないって聞こえなかったの?」
今度はどうやら怒った様子のアンナ。
まさか機嫌を損ねると思っていなかったエドワードは心から「なんで?」の声が漏れた。
「私の事分かった風に言わないでくれる? それとも無能な隊長の情けない様子をバカにしたいの? いつもの仕返しのつもり?」
「ええぇ……」
珍しく拗ねた子供のような態度をとるアンナに、エドワードは当惑した。
エドワードとしてはいつものように怒鳴り散らかしてくれた方が言い返しやすいのだが、こんな風に自虐的に来られると困って何も言えない。
「何か言いなさいよ。アンタも言いたいことあるんでしょ。あるからそうやって突っかかっててきたんでしょ、私は何でもないって言ってるのに。アンタの意見を聞くのも私の仕事なんだから、さっさとして」
しばらく黙っていたエドワードに痺れを切らしたのか、アンナがやけになって机から立ちあがって詰め寄る。
アンナの剣幕に押されたエドワードは、ここで黙り通す訳にもいかず、とりあえず言葉を繋ぐ。
「いやでも、言ったらどうせ怒るじゃねえか……」
「怒るわよ。当たり前じゃない」
「理不尽だな!?」
「アンタにだけは言われたくないから。はい、さっさと言いなさい」
逃げの一手も虚しく、言ったら怒るが言わなければいけないという負け戦を背負わされてしまった。
いっそ、と覚悟を決めて一呼吸し、エドワードは言葉を放つ。
「……お前、何でもないとか大丈夫とか言ってるけど、だいぶ無理してんだろ?」
「無理なんかしてないって何回言ったらわかるのよ」
心配するようなエドワードの言葉に、アンナは強がる姿勢を崩さない。
「だってお前、俺と言い合う時には本音しか言わねえじゃねえか」
「だから大丈夫だって正直に言って――」
「それを言ったのは言い合ってる時じゃねえ。お前、さっき自分が無能だって自虐したよな……らしくもねえ」
さっきアンナは怒った拍子に自分を責めるような発言をした。
冗談めいた言い方だったが、あそこで自虐発言が出るということはそれは彼女の本心なのだろう。
「いっつも正論しか言わねえお前が自分自身を責めたら、そりゃ参るに決まってんだろうが」
決してひねくれたことは考えない彼女だからこそ、その本心は深く自分自身に突き刺さる。
しかもアンナはエドワードのような楽天的な考え方は無く、思い悩むときは本気で悩むタイプだ。
彼女のまっすぐな考えが、彼女の脆い心に攻撃すれば参るのは当然と言える。
「じゃあ何よ……私が間違ってるって言うの? アンタはバカだから悩むことなんてないのかもしれないけど、私はアンタじゃない。私が、私を責めるのはおかしいことなの?」
「間違ってねえし、おかしくもねえよ。お前が正しいと思うんなら、正しいだろうな」
自分の世界で自分が正しいと思えば、それは正しくなる。
エドワードが言いたいのはそんな陳腐な正義論じゃない。
「でもよ、たとえ一人で泣いたとしても、皆の前では強がって見せてるってのは、偉いと思うぜ。さすが隊長だ」
アンナは少なくとも、部下の前では普段と変わりなかった。
エドワードがここへ来る前に、一人の兵士から聞いていた言葉だ。
恐らく、心はボロボロになりながらも、皆の前では気丈に振る舞っていたのだろう。
褒めるような言葉が意外だったのか、赤くなった目を見開いて驚くアンナ。
「泣きたくたって、隊長が部下に心配かけてちゃいけねえもんな」
曲がりなりにも二百人近くを率いる隊長だ。
部下の前で情けない姿を見せる訳にはいかない。
そんなことをすれば全体の士気をさらに下げることになる。
「皆が死んで辛いとは思うし、それを自分の至らなさとして責めるのもまあ、分からんでもねえ。でも、ちゃんと立派に隊長できてんじゃねえのか」
自分を責め、辛い思いに向き合わなければならないのが隊長なのだ。
アンナはそう言った意味ではこの前衛部隊の隊長の役目をを全うしていた。
決して、彼女は間違ったことなどしていない。
しかし、一度熱くなったアンナが落ち着くことはなく、エドワードををジトっと睨む。
しばし時が止まった様に沈黙が流れ、アンナがふてくされた顔をして言う。
「偉そうに……じゃあ、私は誰の前で泣けばいいのよ」
「……?」
いまいちアンナには言いたいことが伝わっていないようだった。
一人で泣くのは何も悪いことじゃないし、隊長としての矜持を保つ立派な行為だ、と確かにエドワードは言った。
首を傾げ、頭のてっぺんにハテナを浮かべるエドワード。
「いや……だからお前、今の俺の話聞いてなかったの――ぐおはぁ!?」
アンナの拳がエドワードのみぞおちにクリーンヒットした。
反応すらできない予想外の一撃を食らい、エドワードは悶絶する。
エドワードはなぜ殴られたのか分からないままもう一度アンナの顔を見下ろすと、かなり怒ったご様子。
「バカエド……アンタにはもう見られたからいいでしょ!」
アンナはいつもの口調でエドワードにそう言う。
しかし当のエドワードは一瞬、言葉の意味が理解できずに口を噤んでいると、ようやく理解して、
「……あ、なるほどな!! 確かにそれもあり――いだあっ!!」
今度は右のローキックが見事にすねに刺さった。
アンナはおそらく、エドワードの言いたいことは分かったが、一人で悩むのは嫌なようだ。
そしてエドワードに辛い思いを吐露したいということだった。
しかし、なぜ蹴られたのかまでは分からないエドワード。
さっきからアンナの怒るタイミングが難しすぎて何が正解かよく分からなくなっていた。
すると、アンナは無言のままその細い身体を寄せ、エドワードの胸に顔を密着させた。
「……何も言わないで」
そう言って、アンナはエドワードの胸に顔をうずめた。
外に聞こえないように声を殺し、息を吐く掠れた音と息を取り込む音が交互に鳴る。
胸に伝わる高い声の振動と、布越しにもれる温かい息が彼女の叫びを物語っていた。
一瞬、彼女の服を引く力に負けて倒れそうになるが、手持ち無沙汰な両手をエドワード自身の腰に当て、負けないよう胸を張る。
見下ろすと彼女の薄桃色の髪が目に入り、小刻みに震えているのがよく分かる。
暫くしてアンナは泣き止み、「ありがと」とだけ言って服を離した。
相当辛い思いをしたのだろう、エドワードはこんなアンナは見たことが無かった。
彼女は思い詰めることはあっても、決して弱みは見せない。
そんな彼女が今回初めて、エドワードの前で泣いた。
いつも自信たっぷりでエドワードにも不遜な態度を見せていた彼女が、弱音を吐く姿を見せたのだ。
もし過去の自分にこのことを伝えたら即座に嘘だと言い切るだろう。
エドワードの頭の中でふとテッドの言葉が浮かんだ
『――成長したっすね』
確実に、アンナの中でエドワードに対する何かが変わったのだろう。
それが成長と言えるものなのかは分からないが、少なくとも悪い変化ではないようだ。
ならば試しに、とエドワードは言ってみた。
「結婚し――」
「むり」
なんと、「結婚しよう」の七文字すら最後まで言わせてもらえず、即却下されてしまった。
ガクンと膝から崩れ落ちるエドワード。
そしてアンナは最後に吐き捨てるように、
「アンタね、ああいう時はグッと抱きしめんの、なのになんで自分の腰に手当ててんのよ。 そういうとこがダメなのよ、バカエド」
情けないほどのダメ出しを食らったのだった。
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