第十話 『見えない想い』
西の荒野をさらに西に進むと、辺り一面を埋め尽くす花畑がある。
そこに一人の女性――アンナが夕日に照らされて佇んでいた。
「訳わかんない……」
彼女がそう呟くのも無理はない。
彼女にとって今日という日は激動の半日だった。
いつもの稽古にアドが来ないと思ったらエドワードがやってきて、「アドが攫われた」とそう言った。
焦るまま探し回っていると、エドワードが着いてこれなかったので手分けして探そうと言ったところ、これを意味不明な理由で断ったのだ。
嘘としか思えなかったので、どういうことか言及していると怪しげな老婆が現れた。
アドを攫った張本人だと言う老婆は、なぜかアンナに対して余計なことばかり口にした。
老婆が消える際に、手を繋ぐ呪いをかけたとか言い残していたが、その言葉を聞いた途端に嘘臭さが増した。
その後も不思議なことがいろいろ起きた。
ようやくアドを見つけたと思うと、老婆が覚悟とか何とか言ってアドを殺すと脅した。
先に動いたエドワードよりも速く老婆の腕を切り落としたつもりだったが、幻影だと分かり、テッドの仕業だと確信した。
アドが攫われたというのもすべて嘘で、アド、テッド、エドワードの三人は最初からグルになって動いていたのだ。
しかし、そこまでは分かっても、その肝心な理由が分からず仕舞いだった。
エドワードが最後にとった行動の意味も、理解ができなかった。
「何がしたいのよ……」
三人の意図が全く読み取れず、心の靄が晴れないアンナ。
彼女はエドワードを殴って、一人でここまで逃げてきたことを少しばかり後悔していた。
彼らに悪気がないのは確かだ。
十年以上ともに過ごしてきた彼女だから、それくらいは信頼できる。
もう少し冷静になって話を聞けばよかったのではないか。
そう思ったアンナは、踵を返そうとすると、
「いた!! アンナ!!」
殴られてダウンしたはずのエドワードが花畑まで来ていた。
響き渡る大声にアンナは、ついビクッと驚いてしまう。
彼はアンナを見つけるや否やすぐさま彼女の方へと走り、
「はあ…はあ……。お前、速すぎんだろ」
息を切らしながら言った。
そんないつもの調子のエドワードにアンナが小さい声で尋ねた。
「……説明して」
「え? なんて?」
「説明してって言ってんの!!」
声を張り上げるつもりは無かったが、いつもの癖で大きくなってしまうアンナ。
「今日ずっと、私を騙してたんでしょ!? ほんと最低!」
彼女は出会った当初からエドワードといがみ合っていた。
そのせいでどうでもいい口論に発展し、言いたいことを言えなかったことが何度もあった。
「私に嘘ついて、アンタたちは何がしたいの!?」
今回もそうだ。
嘘をついて騙したことは解せないが、いつもの悪ふざけのようなもので、許せないほどのことでもない。
こういう時こそ落ち着いて笑いながらでも言えば直ぐに済むところを、語気を荒げて言い合いになるせいで長引く。
そして、制御のきかない自分自身の言動に苛立ちを覚えて、さらに加速する。
「何とか言いなさいよ!!」
「――アンナ、俺と結婚してくれ」
突然放たれた言葉に、アンナは唖然とする他なかった。
意味を理解するのに数秒を要し、次第に顰めっ面が浮かび上がる。
「は……?」
「俺と結婚してくれ」
「なんて?」
「俺と、結婚、してくれ」
「ごめん、もう一回」
「いやだから、結婚してくれって……」
「あーダメ……頭がおかしくなってるわ」
「幻聴じゃねえよ!!」
いくら聞いてもアンナの理解は追い付かない。
「いやアンタ、結婚って……意味知ってて言ってるの?」
「当たり前だろ。お前はどんだけ俺をバカだと思ってんだ」
「鳥類以上、人類未満ってトコね」
「お前なあ……」
少なくとも人の知能は持ち合わせていない、と評価されたエドワードが嘆く。
確かに考えなしではあるが、彼とて見た目は三十、中身は四十のれっきとした人間なのだ。
その時ふと、アンナの頭にある疑問がよぎった。
「結婚ってことは……アンタ、私のこと好きだったの?」
夫婦と言うのはお互いを愛し合う関係。
ということはエドワードはアンナのことを好きだということになる――
「いや、別に」
――訳でもなかった。
予想外の言葉ばかりが返ってくるせいで、混乱が止まないアンナ。
「……どういうこと?」
「そのままじゃねえか。別に、好き=(イコール)結婚じゃねえだろ?」
「それはそうかもしれないけど……」
エドワードが言っている理論はアンナにも理解はできるが、それは例えば政略結婚のような場合に当てはまる。
しかし、そんな大層なご身分でもなければ子供も作れないエドワードがその理論を振りかざすのは甚だ疑問なアンナ。
彼女も彼女で子供なんてアドがいれば十分だと思っていたが。
「じゃあなんで結婚……するなんて言い出したのよ」
「そりゃもちろん、一緒にいたいからだろ」
当然だと言わんばかりのエドワードに対して、その真っ直ぐな言葉にあっけにとられるアンナ。
「好きじゃないのに……?」
「悪いが、お前を異性として意識したことはねえよ。見た目は同い年でも心はガキのまんまだろうが」
彼女は失礼なエドワードにムッとした表情をする。
「あっそ。でももう既に一緒にいるじゃない。わざわざ結婚なんてしなくても――」
「――これからの話をしてんだよ」
優しく、力強い言葉がエドワードの口から紡がれる。
「好きとは違うけど、ずっと一緒にいたいと思った、俺の傍にいるべき女性は一人しかいないと思った、どこにも行ってほしくないと思った。これだけで充分だろ」
彼は屈託のない笑顔を見せて、恥ずかしげも無くそう言った。
平気でそんなセリフを言えるのは、彼が女慣れしているから――ではない。
本当に心で思っていることだからこそ、真っ直ぐに言えるのだ。
「……でもそれは、アドとかテッドにも思うことでしょ」
「そりゃ思うが、テッドは大事な『後輩』でアドは大事な『息子』としてだ。それに俺は男とは結婚しねえぞ?」
その言葉が彼の理性もしくは本能から出たのかは分からないが、本心なのは間違いない。
要するに異性として、恋愛対象としてアンナを見てはいないが、パートナーとしてふさわしいと思ったと言う。
テッドとは違う、大事な後輩ではなく、大事なパートナーとして。
つまりそれはもう……。
「……!!」
そう考えて途端アンナの身体が熱くなり、同時に顔に熱がこもる感覚に見舞われる。
「どうしたんだお前?」
「な、なんでもないわよ!」
アンナは赤くなった顔を誤魔化そうとエドワードから目を背け、同じく赤い夕陽の方を向く。
そんなアンナの様子を見て首をかしげるエドワードだったが、「あ、そうだ」と思い出したように呟くと、
「ほれ、やるよ」
背中に隠し持っていた大きな花束を無造作にアンナの前に差し出した。
「アンタねえ……いい年なんだから花の渡し方くらいちゃんとしなさいよ。こんなんじゃ誰もときめかないわよ」
「仕方ねえだろ、テッドに花渡せばいいって言われてやっただけだ」
「何でテッドが……しかもこの花って」
「知ってんのか? その辺にあったやつを適当に取ってきたからよく知らねえんだよ」
「バカエド……」
普通は事前に綺麗なものを用意するものなのにこのエドワードという男、野原に生えていた花をぶち抜いて集めたと言う。
「綺麗だからいいじゃねえか」とエドワードは開き直った様子。
「――『セパレプティア』って言うの」
「……?」
「この花の名前よ」
黄色に近い橙色をした花束。
どこにでも生えていそうな花だが、ちゃんとした名前がある。
しかも、
「この花、通称『別れの花』なんて呼ばれてるのよ」
「へえ……ってそれ、最悪じゃねえか!!」
シチュエーションと完璧に真逆な通称を持つ花を、縁起が悪いとエドワードが雑に投げ捨てた。
「……ほんとバカね。アンタらしいと言えばアンタらしいけど」
ロマンスの欠片もないエドワードに、これでよくプロポーズが成功すると思ったなと、ほとほと呆れるアンナ。
「今のは忘れてくれ……で、返事を聞かせてほしい」
改めて目を据えたエドワードが真面目な声色で言う。
息子とは大違いの茶色の短髪に、息子によく似た純粋な目をしたエドワード。
彼は対して強くも無く、芸も無い。
戦場では身体を張ることしかできず、幾度としてアンナに命を助けられている。
刹那主義の気分屋で、物事が続かず子供のようにすぐに飽きてしまう。
加えて自分にも他人にも興味がなく、いつもだらしない。
そんなはずの彼がアンナに結婚を迫った。
どうせ一時的な気の迷いだろう。
すぐにどうでもよくなって結婚したことすら忘れるはず。
そう思うアンナだったが、彼女はエドワードの目を見たことがある。
彼は自分の思いに正直になったときに限って、その目をする。
そして、その思いを裏切ったことは一度たりともない。
十年来の付き合いであるアンナだから分かる。
彼は自分の気持ちに正直なだけなのだ。
今はその気持ちがアンナに向けられている。
だから彼は本気で結婚したいと思っていて、彼からその思いが消えることはまずない。
ならば返事は決まっている、と。
「――」
夕日にあてられて顔がほのかに赤く染まり、アンナ柔らかく微笑んだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここはイオニスの中心街にある酒場。
夜になった酒場はいつもと変わらず大勢の客で賑わっていて、あちこちから騒がしい声が聞こえる。
その中でも一際大きい声を放つ者がいた。
「何でだよおおおおおお!!」
今夜ばかりはと酒におぼれた男――エドワードだった。
彼は行きつけの酒場の机に突っ伏して何やら嘆いていた。
「まあまあ……そういうこともあるっすよ」
「とーちゃん、あんま飲みすぎんなよ!」
「うるせえ!! 今飲まねえでやってられっかよ!!」
エドワードと一緒にいるのは、テッドとアドの二人。
今夜の彼らの役目は酔っぱらって自暴自棄になりそうなこの男を宥めることだ。
――そう。
エドワードはプロポーズに失敗し、見事にフラれたのだった。
「あんの野郎、満面の笑みで断りやがって!! 悪魔じゃねえか!!」
アンナの返事は「むり」のたった二文字だった。
笑みを浮かべるアンナに成功を確信していたエドワードだったが、その二文字を聞いて浮ついた心が即座に破壊されたのだった。
その渇ききった心を潤すために、彼はこうして酒に入り浸っている。
アンナが断った理由はいくつかあった。
「俺とアドの母親との約束なんて言った覚えねえよ……」
「あー、そういえばそんなんもあったっすね」
その一つとして、アンナはエドワードが過去に語った作り話を信じていたのだ。
アドを産んだ母親とエドワードが一度は結ばれるも、離れ離れになってしまうというベタな悲劇のストーリー。
その中でエドワードは、アドを産んだ母親と「アドを立派に育てる」と約束を交わしていた。
その約束が果たせるまでは、私が邪魔するわけにはいかないとのことだった。
勿論そんな話は全く身に覚えがないエドワードは「それ嘘だから!」と弁明したが、「いくらなんでも、そんなに大事な約束を簡単に無かったことにするのはいけないわ」と信じてもらえず一蹴。
過去の自分の行いが回りまわって、見事わが身に降り注いだのだった。
さらに辛辣なことに、エドワードが弱いからといった理由まであった。
夫とは妻を守るもの。
自分より弱い人と結婚するつもりはないときっぱり言われ、エドワードもさすがに心に来たようで、
「俺もちゃんと剣術の訓練すっかなあ……」
「それは俺も大賛成っすよ」
「とーちゃんも一緒にアンナさんに教えてもらおーぜ!!」
フラれた相手に教わるのも情けない話だが、こればかりは仕方ない。
やはりどうも諦めきれないエドワードはアンナより強くなろうと腹に決めたのだった。
「嫌われたわけでは無いんっすよね」
「……まあそうだが」
「だったら良いじゃないですか、一緒にいてくれるってエドさんの願いも叶ってるっすし、結果オーライっすよ、結果オーライ」
確かにフラれたからと言って嫌われることも無く、今までの関係が続くだけだ。
さらにアンナはずっとみんなと一緒でどこへ行くことも無いと約束してくれて、エドワードが結婚する理由はもう十分に満たされたはずなのだが、
「なんか、それは違うんだよなあ……」
それで満足とはいかず、どこか腑に落ちない様子のエドワード。
そんな彼を見て、アドとテッドが心なしかニヤけている。
「にしても、お前のよく分からんアドバイスも悉く外れてたよな」
失敗の原因がテッドではないと分かったため責めるつもりは無いが、エドワードはやはり今作戦の出来に物申したいようだ。
「いや、上手く行くと思ったんすけどね」
「何の自信があってそう思ったんだよ……」
「いやだって俺、昔アンナと恋仲だったっすから」
「――はあ!?」
予想外の事実に、エドワードとアドが一緒になって驚く。
それが本当ならまた話が変わってくる。
「いやでもお前それ……」
「ほんとっすよ。俺のときは喜んでくれたんすけど、歳とると変わるんすかね」
「何で黙ってたんだよ」
「十数年前のことですし、わざわざ言う必要もないかなって思ったっす。でも勘違いしないでください、邪魔する気なんて一切無かったっすよ。全力で協力してたのはマジっす」
「まあそこは疑わねえけどよ……」
ソースがテッドということはつまり、テッドはこの方法で成功していたと言うことになる。
しかしエドワードが実践した時にはほぼ失敗に終わっていたので何だかやるせない気持ちになる。
「とーちゃん、俺上手くやれてたかな」
すると今度はアドが不安そうな顔でエドワードの方を見て呟いた。
「何言ってんだアド。お前はよくやったよ、捕まってるときの演技なんて最高だったぞ」
「……」
わざとらしく褒めたつもりだが、それでも表情を曇らせたままのアド。
「アドが思い悩むなんて、珍しいっすね」
「なんだアド、言いたいことがあったらはっきり言え」
エドワードに似てか、アドは普段からのうてんきで明るい性格なのだが稀にこうして落ち込むことがある。
「おれがまだ一人前になれないから、とーちゃんとアンナさんが結婚できないのかな……」
そしてそういう時は毎回、エドワードが絡んでくるのだ。
エドワードが作り話の中でアドの母親と交わした、アドを立派にすると言う約束。
それが果たされるまでは、アンナとエドワードは結婚しない。
裏を返せば、アドが立派になれば二人は結ばれるというわけだが……。
どう考えても根も葉もない話を作ったエドワードに落ち度があるのだが、アドはそうは思わないようだ。
彼のはエドワードのことになると途端に自分を卑下する。
「ごめん……おれのせいで」
正しいのはエドワードで、間違っているのは自分。
エドワードとしてはそんな考えは捨てろと言ってやりたいが、一方で、そんな歪な父子関係を知らぬうちに刷り込ませてしまっていた自分に腹が立つ。
「ちが……」
違う、お前のせいなんかじゃなくて俺のせいだ、お前は一つも悪くない。
そう言いかけて、止めた。
ここでそう言ってしまえば、エドワードが自分自身を卑下するような発言をすれば。
責任の被り合いになり、おそらくアドは納得しない。
そのままだと、自分を卑下する考え方は無くならないだろう。
逆に誰のせいでもないと開き直ったとてアドの自責の念は消えない。
「バカ言うなアド、とーちゃんが偉いと思ってるんか知らねえが、何でもかんでも自分のせいにするんじゃねえ」
ならば、
「誰のせいか教えてやる――ダメだったのは俺とアド、どっちもだ!!」
二人とも悪いことにすればいい。
「え!?」
「今回の失敗は俺とアドの両方のせいだ!だから反省するぞ!!」
もちろん嘘で、エドワードはそんなこと微塵も思っていない。
悪いのはエドワードで、アドは何も悪くない。
これが客観的に見て明確な事実だ。
しかし、アドが自分を卑下する癖を直すにはエドワードは嘘をついてでもこう言うしかない。
この嘘はアドを思ってのこと。
嘘も方便。
愛のためには時に、嘘も必要なのだ。
「俺は反省してアンナより強くなる、だからアドもさっさと一人前になれ!そしたら俺は結婚できる!!」
「お、おす!」
アドの腐った考えを根本から変えることはできないとしても、腐った考えを腐らなくすることはできる。
自分のせいだと思って下を向くくらいなら、前を向いて進めばいい。
これはエドワードが昔言った教えに沿っている。
「男の五箇条、覚えてるか?」
――下を向くな、前を向け。
アドが五歳の時に教えた、男の五箇条、其の四だ。
当時、咄嗟に何となく言った言葉だったが、妙にエドワードの信条と合致している。
そしてそれをアドに身を以て教える時が来たのだ。
アドはエドワードの問いかけに「おす!」と元気よく返事する。
「じゃあ自分のせいでごめんだなんて、情けないこと言うんじゃねえ。自分の口で、もう一回言い直せ、いいな」
「おす!」
今回は失敗したからこれから二人で頑張ろう、と。
考えを矯正するためには、はっきりとそう自らの口で言わせる必要があるのだ。
幸い素直なアドはエドワードの言うことは大体聞く。
そしてアドはその純真な笑顔で――
「プロポーズ失敗してくれてありがとうな、とーちゃん!!」
「ちげえよ!!」
――男の五箇条、其の五に忠実に従ったのだった。
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作者が跳ねて喜びます。




