第九話 『プロポーズ大作戦・後編』
それからの二人は、ぴたりとくっついた手を解くのを諦めた。
エドワードの腕を斬る案もどうにか却下し、二人で訳も分からないまま手を繋いで西の荒野に向かった。
形だけで言えば、二人で手を繋いで街を歩いているのだから作戦大成功だが、エドワードはそうは思っていない。
外野から見ればもちろん仲のいいカップルだが、実際はその真逆。
老婆への怒りはアドの心配など掻き消してしまう程で、道中ブツブツと恨みの念を吐いていた。
その恨みが、隣にいるエドワードに向いてしまうのは仕方ないことだった。
「手汗が多い!! 気持ち悪い!!」
「るせえ! 暑いから仕方ねえだろ!」
「暑いんだったら喋りかけないでくれる!? 私まで疲れるから!!」
「お前が先に喋ってきたんだろうが!!」
二人とも口を開けば、恨みのこもった小言ばかり。
何一つ上手く行っている気がしなかったが、その道中においても『プロポーズ大作戦』の刺客が次々とやってきた。
初め、二人は少女が座り込んでシクシクと泣いているところに遭遇した。
もちろん演技である。
その子はアドの友達で、お願いをしたら快く引き受けてくれたのだ。
エドワードがその女の子を優しく宥めて、慕われるというのが一連の流れだった。
これもテッドの言葉、
『――女ってのは、他の女が好きな男を取りたがる独占欲の強い生き物なんす。嫉妬も愛のスパイスっす』
に準じている。
アンナが遥かに年の離れた少女に嫉妬心を抱くかは甚だ疑問だったが、この際贅沢は言ってられない。
ちなみにテッドの言った通り、アンナは終始嫌そうな顔をしていた。
しかしそれは嫉妬心からではなく、普段小さい女の子に無頓着なはずのエドワードがやけに優しくしているのが、単純に気持ち悪かったのだ。
エドワードの演技がやけにわざとらしかったのも原因の一つだろう。
茶番が終わった後「アンタって、あーいうのに興味持ち出したのね」と重めなトーンで呟いていた。
次に、街中を歩いていると周りの人の会話から、しきりに「好き」とか「結婚」とか「エド」と言った言葉が聞こえてきた。
どこからともなく聞こえてきた声に初めは焦ったエドワードだったが、これは、テッドが仕込んだ幻聴だった。
『――人ってのは無意識のうちに繰り返しおんなじ言葉を聞いたり見たりしていると、実際に意識しちゃううんすよ』
と自信満々に言っていたテッド。
結果はと言うと、失敗に終わった。
度を超えて繰り返される言葉は、暗示と言うよりはもはや呪言のようで、アンナは終始頭がおかしくなりそうだと、気分が悪くなっていた。
呪いでもかけられたかのように頭を抱えていて、あと少し続いていれば精神が崩壊していたかもしれない。
他にもさまざまな仕掛けがあったがどれもこれも効果覿面とまではいかなかった。
変化があるとすれば、周りで訳の分からない出来事ばかり起こることにアンナが苛立ち、二人の口喧嘩が増えたくらい。
結局、大していつもと変わらない二人のまま、西の荒野へと到着したのだった。
時刻は既に夕方で上を向かずとも視界に入る太陽がほんのり赤く荒野を照らしている。
夕暮れに染まる広い荒野を二人の男女が手を繋いで歩いている、何ともロマンチックな情景だろうか。
「それ以上近寄らないで、このロリコン!」
「仕方ねえだろ! これ以上離れると腕が取れるんだよ! あとロリコン言うな!」
しかし、耳を澄ませば聞こえてくるのは汚い罵倒ばかり。
ロマンチックの欠片もなく、二人は終わらない喧嘩をしながら荒野を進んでゆく。
「フッフッフ……」
「――!!」
そんな風に言い合っている二人だったが、ふと目の前を見ると老婆が荒野の世界にポツンと現れた。
どこからともなく突然現れた老婆に、アンナが腰を低くして身構える。
「動かないで」と小さい声で囁かれ、途端に走る緊張感にエドワードはゴクリと唾をのむ。
細長い老婆のシルエットの奥をよく見ると、何やらモゾモゾと動く影があって、
「とーちゃん! アン……かーちゃん! 助けてえ!!」
「アド!!」
アドが全身を縄で縛られて、虫のように地べたに這いつくばっていた。
うっかりセリフを噛みかけたアドだったが、助けを乞う様子は迫真の演技だった。
ここからエドワードが見事にアドを救出し、その強く勇敢な姿にアンナが惚れるというストーリーが待ち構えている。
しかし、正直全く上手くいく気がしないエドワード。
まずアンナと手を繋いでいるため身動きが取りづらい。
そして、たとえ身動きが取れたとしても、アンナは圧倒的に速く、そして強い。
作戦会議中、テッドは『その辺は俺に任してくださいっす』と胸を張って言っていたが、今までの戦績からして、そこが一番の不安材料だった。
最後くらいは上手く行くといいが……とエドワードが諦めムードで思っていると、横のアンナが老婆に向かって投げかけるように言った。
「こんなことして、一体何が目的……?」
「目的なら単純、貴様らの本当の『覚悟』を確かめることじゃよ」
平然と答える老婆に、エドワードとアンナの二人が同時に「は?」と声に漏らす。
その言葉はグルであるエドワードですらも予想外だった。
「……? ほんとうの覚悟?」
「ああ、そうじゃ。さき、わしはお前さんらには呪いをかけたと言ったじゃろう」
そう言われてアンナは、互いが握っている手を確認する。
「ええ、本当に迷惑したわ。呪いが解けたらアンタを切り刻んであげる」
冷め切った怒りを言葉乗せるアンナ。
その言葉にエドワードは一瞬ギクッとしたが、老婆は一つもうろたえることなく言葉を継ぐ。
「それはわしが作ったオリジナルの呪いじゃ。決してお前さんらには解けん……じゃが、コイツは少々複雑でのう、わしのさじ加減で手を離すこともできるのじゃ」
「なら、さっさとこの手を離させ――」
「じゃが、手を離した方が命を落とす」
老婆は長い人差し指をピンと立てて、ニヤリと笑う。
途端にピリついた空気が場を支配し、アンナは老婆の言葉に何も言い返せずにいる。
エドワードは老婆の正体がテッドだと分かっているが、アンナは何者なのか分かっていない。
事実、手が離れないという常人には理解しがたい力が働いているため、迂闊にハッタリだとは断定できないのだろう。
「言ったじゃろう、『一生、手を繋いでいなければならない』と。手を離す行為は、それ即ち一生を終えること意味する。この呪いはそういう制約でできておるんじゃ」
「……それで? 結局なにがしたい訳?」
あくまで強気に疑問を投げかけるアンナだが、眉をひそめて険しい顔をしている。
「今からこの子供を殺す。救いたければ手を離せ」
「――!!」
その瞬間、エドワードは何をすべきか悟った。
アンナより先に動き、アドを助け出す。
普通なら呪いのせいで躊躇って判断が鈍くなってしまうが、エドワードはその呪いが嘘であることを知っている。
アンナの目に映るのは、自らの死を顧みずアドを助けるエドワード。
きっと、テッドが思い描いているシナリオはそういうことだろう。
「考える暇も与えんぞ」
無慈悲な老婆の言葉と同時、エドワードは繋いでいた手を離した。
テッドが用意してくれた最後で最高の舞台。
命を投げだしてでも我が息子を助けるという、父の決意。
その決意の早さからうかがえる男としての覚悟。
それらを見せつけるときがやってきた。
ズルいでもセコいでもなんでも言えばいい。
たとえ嘘であろうと包み隠せばそれは真実になる。
そして、そこに費やした努力は紛れもなく本物なのだ。
その全ての想いを背負い、体を前に倒して力強く地面を蹴った瞬間――
「――『韋駄天』」
――エドワードの背後から小さな声が聞こえた。
聞こえたと同時、エドワードの横にいたはずのアンナがなぜか前にいて、
「うおおおおお!!?」
遅れてくる爆風にエドワードが吹き飛ばされそうになる。
そしてあっという間に彼女は老婆の腕を切り落とした――はずだったが、振りぬいた剣は虚空を切った。
手ごたえのなさに顔をしかめるアンナだったが、剣が通った部分が揺らめいて見え、すぐさま老婆が虚像だと悟った。
「やっぱり……おかしいと思ったのよね」
アンナが呟くと、老婆の虚像がみるみる薄くなっていって――やがて消えた。
「まじかよ……」
わずか一瞬のうちに起こった出来事に開いた口がふさがらないエドワード。
例にもれず最後の作戦までも失敗したというのだ。
しかし、なぜ彼女は――
「死ぬかもしれないのに、何で咄嗟に動けんだよ」
エドワードが手を離し、前に飛ぼうと地面を蹴ったと同時にアンナは動いた。
いくらハッタリだと疑っていたとしても、何のためらいもなく飛び込めるのだろうか。
「カンタンよ。アンタが勝手に手を離したんだから、もし呪いが本当でも私は死なない。そして私はアンタより早く敵を斬った、それだけよ」
不思議に思う様子のエドワードにアンナがあっけらかんと答えた。
単純なことだ、彼女の判断力がただ恐ろしく速いだけだった。
自ら手を離す判断は下せなくとも、エドワードが手を離したならばアンナの行動はおのずと決まる。
イオニス随一の剣才は伊達じゃないという訳だ。
「アンタ、今から死ぬんじゃないの?」
そんな彼女は、姿を消した老婆の立っていた位置からエドワードに冷たい眼差しを向ける。
「あ、ああ……」
「やけに落ち着いてるわね……まるで、死なないことを知ってるみたい」
「――ギクッ!!」
図星を付かれたエドワードの心の声を代弁したのは、アドだった。
かの純粋な少年は演技していることを忘れ、思わず反応を声に出してしまったのだ。
やっちまった、とアドが気づいた時には既に手遅れで彼の身体中から汗がブワッと吹き出す。
そのあからさまに怪しい声をアンナが聞き逃すはずもなく、
「そういうこと。アンタたち、グルだったのね……。アドは一生そのままでいなさい」
「ひどいっ!!」
アンナに睨まれ、芋虫のような状態のまま涙目になるアド。
「テッド!! 出てきなさい! どうせどこかに隠れてるんでしょう!!」
「あちゃあ……バレてるっすね」
荒野全体に響き渡るような声で名前を呼ばれ、観念したテッドが何もない場所から姿を現した。
「最初っから怪しいと思ってたのよね。何か理由があってこんなことしてるんでしょうけど、どういうつもり?」
「いやまあ、それはそのっすね……」
「なによ、何がしたいのかさっさと教えなさいよ!!」
怒号を飛ばすアンナにすごんだテッドはちらりとエドワードの方を見た。
「……エドさん!!やっちゃってくださいっす!!」
「なにい!?」
作戦も何もかもめちゃくちゃになってしまい、完全に匙を投げたテッド。
彼の無茶ぶりに耳を疑うエドワードだったが、やっちゃってくださいと、そう言われて取るべき行動はただ一つ。
男、エドワードは覚悟を決めた。
「アンナ!!」
「――!?」
両手でアンナの肩をがっしりと掴むと、驚いたのか身体をビクンと震わせた。
薄い布越しにアンナの華奢な身体の感触が伝わる。
握れば今にも潰れてしまいそうな細い肩は、とても剣をふるっていたとは思えないほどだ。
「……」
「な、なによ……」
エドワードがアンナの鋭い目をじっと見つめる。
この行為もテッドの入れ知恵だ。
『女ってのは、相手と見つめあっていると異性として意識せざるを得なくなるんす。その時間は――』
――約七秒。
数えればあっという間の時間も、異性同士が無言で見つめ合うにはあまりにも長い。
「……」
「何か言いなさいよ……」
二人はまるで時が止まってしまったように固まってしまい、脇で見ているアドとテッドは固唾をのんで見守っている。
眉一つ動かさないエドワードは心の中で七、六、五……と秒数をカウントしていた。
が、しかし一方のアンナは肩を掴まれ、至近距離でまっすぐ目を見つめるエドワードの顔に堪えきれず口や眉がピクピクと動く。
そして、いたたまれなくなった彼女が目を逸らそうとした時――
「目を逸らすな」
とエドワードが真剣な表情で言い放った。
そのセリフにみるみる内に顔が火照り、紅潮していくアンナはついに耐え切れなくなって、
「バカエド!!!」
「――ぶあばっ!!」
用意していた言葉を言う隙も与えず、鉄拳がエドワードの横っ面を叩いた。
「近い! キモい! 死ね!」
顔を真っ赤に染め上げながら、アンナは思いつく限りの罵倒を浴びせる。
彼女は息を荒げ、肩を怒らせたまま、その場を去ってしまった。
「うごおぉ……」
殴られて吹っ飛んだエドワードは手で頬を押さえたまま地面に突っ伏している。
そんなエドワードにテッドがゆっくりと近寄り、一応として労いの言葉をかける。
「エドさん……どんまいっす」
「ほとんどお前のせいだからな!?」
恨み言を吐くエドワードを、テッドが「まあまあ」と宥める。
多少ふざけた所もあったが、一生懸命作戦を考えたテッドとしても、結果が不服だったのか、少し残念そうな表情を浮かべている。
「すいません、思ったより上手く行かなくて。作戦はほとんど失敗だったっすけど、最後のは効いたんじゃないっすかね」
「確かに、顔がほんのり赤くなってた気が……ってか、あれって怒りで真っ赤になったんじゃ」
「もうちょっとっすよ。ほら、追いかけてください」
アンナが走り去っていった方向を指差すテッド。
意地でも最後まで続行したい気持ちも分かるが、めちゃくちゃになった手前追いかける気にもならないエドワード。
「いやでも、あれは相当怒ってたぞ。いまさら行ってもまた怒らせるだけじゃねえのか」
「分かってないっすね、エドさん」
頭上にハテナを浮かべるエドワードに、テッドは少し微笑んで言った。
「――女ってのは怒ってるときに一人にしちゃダメなんす。そういう時に傍にいてやれる男が一番頼りになるんすよ」
「もうお前の言葉は信じねえよ!!」
毎日投稿の励みになりますので、少しでも面白いと感じていただけたら『ブックマーク』と、下にある☆☆☆☆☆から評価してもらえると嬉しいです。
作者が跳ねて喜びます。