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復活、そして

年月をかけてビブロスからエジプトへ着いたイシスは、セトやその遣いに見つからぬよう慎重に葦の茂みへ棺を隠した。

棺には釘が打たれているので、イシスはオシリスの顔を見る事が叶わない。顔を見れなければ蘇生など不可な事。


「何処かに、釘を外せるような物は…確かこの近くに民家があった筈…待っていて下さいな貴方…今、その忌々しき棺から出して差し上げますわ…!」


イシスは急ぎ足で民家の方へ駆けて行った。


「…相変わらず、健気な人だ。だが…それをも打ち伏せたら、貴女はどのような絶望の顔を見せてくれるのやら…想像するだけでゾクゾクするよな。ええ?【兄上】よ…」


イシスが去った後に、茂みから現れたのはセトだった。その手には大きな剣。セトは嗤いながら棺に足を掛ける。


「言ったろ…お前が蘇ると言うのなら、俺は何度でも殺してやろう…ってな…!!!!」


言い終わると同時にその大剣が棺に振り下ろされた。激しい音が周囲に木霊した。


「…くくく…はははは!!!!もう二度と戻って来るんじゃねえぞオシリス!!!!この世界にはなぁ!!!テメェの居場所なんかねえんだよ!!!居場所が欲しけりゃなぁ…【違う世界】でも作るこったなぁぁ…!!!!!あはははははは!!!」


無惨な形になってしまった棺は、オシリスの赤い血に塗れた。


そこには彼の美しく碧色の長い髪が散乱していた。



セトは息切れ切れに剣を突き立てた。



「ハァ…ハァ…っ…二度と…俺の視界に…入って来るんじゃねえ…【クソ野郎】…!!!」


そう言い捨てると、その無惨な【オシリスだったもの】を近場の河へ投げ入れた。河は一瞬だけ赤く濁るが、すぐに元の青く透明な水色に戻った。



―これでもうオシリスは存在しない…どこにも…!!



セトは笑いながら茂みを去って行った。河は静かに流れていた。






「…何…なの…これ…は…!!!」


釘抜きを両手で持ちながら呆然とその場に立ち尽くすイシス。

オシリスがいた筈の場所に、木の破片と真っ赤な血、そして少しの肉片と彼の美しい髪が散乱していた。


その彩りは、酷く残酷な色だった。


「…どうして…やっと…やっと会えると思ったのに…オシリス…オシリス兄様ぁぁぁぁぁ!!!!!」


イシスは、喉が枯れる程に泣き叫んだ。


私が目を離したのがいけなかった…セトが…彼がやったのね…こんな事…



私は…諦めない…




絶対あの人をまた探してみせる…!!

【神域】


「しばらく見ない間に、お前も大人になったもんだねぇ、この間までこんな小さな子犬ちゃんだったのにねぇ…それが今では【墓の守護】を努めるかね、時が流れんのは早いねぇ…【アヌビス】よぉ。」


「…それほど、【母上】は【父上】を探す事に手を煩わせていらっしゃるという事です…我があの頃に大きくあれば、母上も今程苦労はなさらずに済んだでしょうに…【セベク】様、母上は、父上を蘇らせる事が可能なのでしょうか…」


「お前さんが信じなくてどうするね、まだ見ぬ親に会いたいんだろ?可能に決まってんだろ。なっ!」


「…ぬぅ…」


聖域には光り輝く水と爽やかに薫る花だけがある。そこに【恐怖神】と【墓地の守護神】がいるのはとても異様な光景だろう。


イシスがビブロスに行っている間に、既にアヌビスは成人となり神職を与えられていた。アヌビスはオシリスに似た端正な青年に育っていた。

アヌビスは憂いを含んだ表情で水を優しく撫でていた。


「しかし、イシスさんも頑張るねぇ…俺だったら飽きてるかもしんねぇ。」


「…母方が怒られますよ」


「大丈夫大丈夫、本人はここにいやしねえからね」


「誰がここにいないの?」


「うぉあっ!!すまん!!嘘だ嘘だ許してくれ母さん!!!…って、なんだねネフティスさんかい…驚いた。」

「あら、ごめんなさい…それで、【ネイト】がどうかしたの…?」


「え…や、何でもないっすわ!なっ!アヌビス!」


「ぬ?ぬぅ…」


「ふふ…そう。」


微笑ましく流れる時。この時が永遠になればいい。それは人のみならず神とて思う。


だが、今はそれすら叶わない。


「…あん?なんか…誰か来たねぇ…あっ!イシスさん…!!?」


「えっ!姉さん…!?」


「母上…!?」

三人の目線には泣き濡れるイシスの姿があった。


「姉さん…!無事でよかった…オシリス兄様はどうしたの…?」


イシスはその場に崩れ、ネフティスに縋りながら言う。


「お願い…お願い…!…力を貸して…オシリスが…セトよ…セトがオシリスを…!!」


「母上!落ち着いて下さい!!しっかり…」


「…お願い…オシリスを…バラバラにされたオシリスを探して…河に捨てられたのよ…あの人を!」

三人は絶句した。和やかな景色が濁る。


「なんだ…河なら俺がなんとか出来る範囲だ、俺に任せなイシスさん。」


「っ…?」


唯一その雰囲気を維持していたのは、得意気に笑うセベクだった。

セベクは河の神であるが為、河にオシリスが捨てられたとあればと得意気に河へ潜り始め、捨てられたオシリスの肉片を集めに行く支度をした。


「弟さん、俺の存在忘れてたんかね、嬉しいやら空しいやら…まぁなんだっていいさね。河の事なら任せときんさい。数ヶ月も掛らんね、何ならビールを飲んでいても構いやしねえよ?…まぁそれはそれで結構辛いがね?」


「いえ、私も探しますわ…今は一時も早くあの人を蘇らせなくてはいけないもの…泣いている暇はありませんわ…!」


「姉さん…私も手伝うわ…私にも関係があるもの…」


「ネフティス…」


「やれやれ…婦人、おっと、女神様二人にこれ以上苦労掛けたくないんだがねえ…やむを得ないか。」


「我は…父上が戻りし時の訪れに備える為、蘇生の場と道具を揃えましょう。手を貸して頂ける神々も探します。」


「それはよくないわ、今は【力の神】が王に君臨している…どれだけ信用の出来る神でも、裏切りもあるかもしれないし、もし手助けをする神が見つかってしまったらその神も反逆罪で殺されるかもしれないわ。犠牲は増やしたく無いの。」


「…イシスさん俺、とても複雑な気持ちさね…まぁでも任せときんさいと言ったのは俺だから関係ねえかい。それに、元々王位はオシリスさんに継いでもらわにゃ、俺はこんな世界無意味さね。」


「…ありがとうございますわ、セベク様…」


「よせやい。イシスさん達には以前から世話になってるからね、こんぐらいはしなきゃ母さんに捻られちまう。」


セベクの陽気な笑顔にイシスとネフティスは微笑む。


今度の捜索は、棺を一つ探すなんかよりも大変だ。だが、イシス達はそれでも探す決心は曲げなかった。今の荒んだ王を変え、人や神の恐怖に怯える世界から救えるのなら、このような苦労は塵よりも小さな事。


そうして、アヌビスを残して、3神はオシリスの捨てられた肉片を探す旅へ出た。


「…父上…」


アヌビスは、未だ見ぬ父の復活を心に強く願った。




―父上…必ずや、貴方様を蘇らせます…そして、成長した我を見てください…父上…



幼い頃に父の愛も知らず、【母】の愛も十分に受ける事が出来なかった。


ならばこそ、早く父を復活させ叔父であるセトを王位から下ろして【母】と【叔母】に安息を与えたい。

そうすれば、受けられなかった愛もその時に受けられるかもしれない。




それが【真実を知らぬ彼】の【想い】であり、【欲】であった。







―各地の河へオシリスの肉片を探しに出てから幾月



イシス達は順調に肉片を見つけて行った。もはや完全に近い程の量だった。


「…どうして」


しかし


「…何故…ッ…」


何処を探しても


「ここで…最後なのよ…ッ?」


オシリスの【最後の一部】が


「あと一部で全部が揃うのに…どうしてなの!!!!」




見つからなかった




「…悪いね、あんな自信あり気に言った俺だがね…オクシリンコスに喰われたとあっちゃ…何も出来やしねえさ…」


「…セベク様のせいではないわ…私達は必死に探したんですもの…ねえ?姉さん…?」


「…ええ、セベク様には、感謝でいっぱいですわ。セベク様のお陰様で、こんな短期間でオシリスの肉片を全て集められたのですもの。」


「だっ…だがね…その…」


セベクはバツが悪そうに頭を掻く。

結局、オシリスの肉片は全ては見つからなかった。あと一部だった。しかしそれもオクシリンコスという魚に食べられてしまったのだ。


「…母上、貴女様のような大魔術師であるならば、お作りになれるのではありません…か…?」


「…ええ、作ることは出来るの…」


「ならば…!」


「【仮初の物】なのよ…所詮…だから、蘇生しても生きている事には…ならない…この世の王位継承権も…力も無くなる…だから…【この世】に生きる事が出来ない…」


アヌビスは息を呑んだ。それは、【神としての死】と同等だった。

神には力が必要であり、この世で使える力を失えば、もはや人間以下…


「それに、生き返っても人間には見えなくなる。そんなのが王位を継いで何になるってんだ?っていう話になるんね…ちくしょう…!」


温厚なセベクも、今回ばかりは不満を零す。こわもてが一層恐ろしい顔つきになる。



「…姉さん、それでも…【子】を作ることは出来るわ…王権を持つ【子】を作ることが…」


「ネフティス…!」


「…アヌビス、薄々感じているでしょう…貴方は完全な【王権】を持つ子ではない事に…」


「ネフティス…どうして今になって突然…!!」


「今は偽っても仕方が無いの…私も…私もこうなるなんて思って無かった…私は…二度も間違えた…二度もやり方を間違えた…ごめんなさい…ごめんなさい…!!」


「…頭をお上げ下さい…ネフティス様は何も間違えておられませぬ…今から我は父上の遺体を繋げます。構いませぬか?」


「…え?」


アヌビスは黙って微笑み頷いた。

「今は、事実を知る時では御座いませぬ。【奪われた王位】と【神の命】、最低でもこれだけは取り戻さねばなりませぬ。」


アヌビスは準備を進めながら語る。その目は下を向いていたせいで見えなかった。


「アヌビス…ごめんなさい…お願いするわ。」


「姉さん…」



―蘇った後が一番大変だろうに…


セベクは黙って3人の姿を見ていた。




元はオシリスだったと言えども今は肉片に過ぎないモノを、アヌビスはパズルを解くように繋ぎ合わせてゆく。



―不思議だ…手にとるように分かる…どの場所にどこがあったのか…父が導いてくれているのだろうか…



イシスの術で水気を飛ばしたと言えども人と同じ作りの【肉】。その冷たさと柔らかさが現実的で哀しく感じた。



「足りぬ所を除き、全て繋げました。」


「お疲れさん…て、うぉっ…あーらま…こんな所が欠けてたとは…俺だったら自殺したくなるな…こりゃあ直視出来んねえ…」


「ぬ…ぬぅ…セベク様…」


「あん?あ…、ははは、すまねえ女神さん方冗談さね。」


アヌビスに言われるとセベクはこりゃ失言とばかりに頭を掻いた。


「だがねイシスさん、子が欲しいならそこは『大事な場所』じゃないかね?」


「私の術を甘く見ないで下さいまし。仮初と言えども実物には変わりありませんわ。」


「…アヌビス、お前さんと違ってイシスさんはなかなかたくましい女神さんだ。」


「わ、我は、そういう話はあまり…その…ぬぅ…」


「ご冗談はそれくらいにしてくださります?そろそろ【蘇生】に入りましょう、姉さん。」


「ええ、ネフティス、この術はとても力が必要よ、大丈夫?」


「私を誰の妹とお思いですの?姉さん。」


そう言うと、二人の女神は互いに微笑んでミイラのように布で包まれたオシリスの遺体の前に二人向かい合うように立った。


そしてイシスとネフティスは目を瞑り、呪文を歌い始める…







母に問う

父に問う


我等は太陽に嫌われし者

我等は月に救われし者


問うべきは

彼の魂の行方

望むのは

彼の魂の蘇生


愛しき母よ、父よ


全てを包みし貴方へ問おう

全てを包みし貴方へ望もう


この世に命の

再びを







「…っ…」


「母上!ネフティス様!」


術を終えて力尽き、二人が倒れかけた。アヌビスとセベクが支えようと飛び出そうとしたが、その前に伸びた別な手がイシスとネフティスの腕を掴んで支えた。


「オシリス…?」

澱みの一切無い緑に包まれた髪と瞳、包みこむ為にあるような優しい温かさを持つ大きな手、そして、懐かしくも仄かに香る樹々の匂い…


【豊穣の神】が蘇った。


「―…痩せたな、二人共…いや、それも私のせいだったな…すまない…ありがとう。」


「…オシリス…っ…オシリス兄様ぁっ!!!」


優しく愛しい声に、二人の女神は【兄】の蘇生を喜び、子供のように嗚咽した。オシリスは縋る二人を我が子を慈しむように優しく抱き締める。


「大丈夫…ちゃんと分かっている…お前達はがんばってくれた。挫ける事無く私を探し、蘇らせようとしてくれた。もうそれだけで私は嬉しい…だから、もうこれ以上涙を流す必要は無い。」


「…貴方…貴方…!」


「オシリス兄様…ごめんなさい…ごめんなさい…!私…私は…姉さんに偽って…あの時に…私は…うぅ…っ…ごめんなさい…!!」


泣きじゃくって不安定なその言葉を聞いたアヌビスが小さく反応した。オシリスはアヌビスを見やった。


―やっぱり、アヌビス…お前さんは、ネフティスさんとオシリスさんの息子かい…


セベクがアヌビスとオシリスを見た。アヌビスは父と呼ぶ事が出来ないように黙って立ち尽くしている。しかしオシリスは優しく笑って、イシスとネフティスからそっと離れた。


「…やっと目にかかれた。私が、お前の愚かなる【父】だ…健やかに育ってくれてなによりだよ。アヌビス。」


「…父上…」


先程までとても冷たかった肉塊だった父がやっと笑い、

「アヌビス」と名を呼んでくれた。そう思うと、胸元が熱く苦しく締め付けられて

「父」と呼ぶ事が精一杯になった。

アヌビスは下を向いて、静かに涙した。その涙は、決して哀しいものではなかった。


「久しぶりさねオシリスさん、まさか弟さんに殺されるなんて思わんかっただろう。大変さね、さすがに人が善くともあのセトが憎かろうに…」


「それはどうして?私はセトを憎いとは思ってなどいないよ。」


あまりにも予期せぬ言葉に、その場にいた神が全員振り返る。


「オシリス兄様…!?何をおっしゃるの!?兄様はセトに殺されたのよ?それを憎くないなんて…!」


「…オシリス…貴方、まさかセトに制裁を与えないなんていいませんよね?それはいけませんわ!彼の罪はとても重く残忍なものなのですよ!?」


「お考え直されて下さい…父上!」


「確かに、さすがに人が良過ぎじゃないかね…?」




「それでも…私は、彼を赦すよ。」


イシス達が驚愕の表情でいる中、オシリスだけが微笑みながら立っている。その表情から、発言に偽りの無さが明らかだった。地位の為に血の繋がった実の兄である自分を殺した弟を赦そうなど、神であろうとも信じられまい。

しかし、現に彼はそういう人となりだった。


「それに、私はここには居られない。【冥鬼】となった私には、【母と父に抱かれし地】に神で居れる場が無いんだ…だから、私は死せる者が徘徊する【冥界】に降りて死者達を統べよう。【冥界】ならば、誰も咎めまい。【ラー】様も、【セト】も…」


「…!…【ラー】様…!?まさか…あの人には…セトにはラー様が付いているの…!?」


「何ぃ!!?お…おいおい…軽々しく手出し出来んぜそれじゃあ!?隠居されたにしても一応元【王位に属する者】だがね…!しっかも壮絶頑固ジジイ…俺ぁあの神さんは一番苦手さね…」


―それでも


「分かりましたわ。貴方。」


―私は


「母上…!?」


―弟を


「貴方が自ら行う、と言うのは初めてですものね…私達に否定する権利はありませんわ。」


―セトを


「イシス…」


―絶対に


「でも、私はまだ【冥界】に降りません。正しき道は正しき道へ…私なりに、セトに罰を与えますわ。」




―赦さない。







【王の間】


「ふん…冥界に降りるか…まぁいい。俺は汚らわしい死人共なんか統べたくもねえ…死んだアンタにゃ丁度いい雑用じゃねえか…くく…」


使いの人間に下がれと言うと、セトは窓辺へ歩き外を眺めた。既に月が【大地】と【空】を薄暗く照らしていた。


「…姉上の事だ。オシリスの子を身籠もり逆討を謀るかもしれねえな…その前に手を打たねえとなんねえか…」



やはり、誰もがオシリス側に付くのか


俺には、仮初の存在しか集わない


何故だ?


手に入らなかったから苦しかった


だから奪って幸せになろうと思ったのに


何故だ?


俺には何も与えられない



どうしてオシリスにばかり…!!




「…死んでもまだ邪魔をするのか…兄貴…!!!」







「何故なのです…何故、兄弟なのに殺さなければならないのです…?悲しすぎますです…しかも、彼は王になってしまいましたです…」


可憐な声に、【太陽】と同じ色の長く美しいブロンドが揺れた。その【女神】は大粒の涙を流していた。


「決めましたです…【マアト】も、冥界に降りますです。この世の秩序は既に失われてしまいましたです…」

「貴女様も、オシリス様と共に降りられてしまうのですね。マアト様。」


「【トト】様…ひっく…どうしてなのですか…どうして兄を弟が殺すのですか…そうまでして【王位】は大切なのですか…!?」


「私が殺めた訳では御座いませんので…。」


トトは見えぬ顔で苦笑した。マアトは嘆き続ける。


「マアトはもう嫌です…この世に正義も秩序も失われましたです…失われかけていた所にとどめを刺されたのです…ならば【冥界】で正義と秩序を持つ死者を待ちますです…」


「そうですね…こう言うのも無礼でしょうが、貴女様のお父上様も【一件】を起こしておりますし…ね。」


トトにさらりと告げられると、マアトは更に泣きじゃくる。


「お父様は…いえ、【ラー】様はひどい神様なのです…人々を【お姉様】に抹殺させようとしたのです…ひどいのです…それなのに、お父様より怖いセト様に王位を継がせるなんて…」


不意に、トトが無言のまま月を見始めた。


―…狂気が…また満ちた…






さらさらとセベクの住まう河が流れる音が静なる夜を飾った。【母なる天空】は優しく眠る。


「イシス。」


優しい声が耳に触れる。


「明日の朝、私は冥界へ降りるよ。…今まですまなかったな。」


「…もう慣れましたわ。貴方と来たら、いつもいつもそうしてセトを甘やかして来ましたものね。」


そう、それが貴方のいい所だと言うことも知っている。

だからこそ私は赦せる。


「甘やかす…か…お前にはそう見えるのか。」


「見えますわ。アヌビスをもし貴方が育てていたら性格が歪んでいたかもしれませんわよ。」


「…アヌビスとネフティスの事は」


「貴方の悪い所。」


イシスに言葉を遮られ、オシリスは黙る。【祖父母】が【父母】を裂く為に走り抜け、オシリスとイシスの髪がなびく。


「…そうして、すぐに謝ったりする所ですよ。私は全く気にしていないのに、貴方達はそうしてすぐに謝るの。私、信じてますから…ネフティスも、貴方も…」


「…それじゃあ、私も信じよう。ネフティスとイシス、そして、セトも…」


「…優しいオシリス兄様…だから好きです…」


オシリスは笑う。


「私は、心の強い君が好きだ。」


イシスも柔らかく笑い、月明りの差し込む下でオシリスに抱き寄せられる。


「…冥界へ降りたらここへは戻らない…」


「大丈夫…私に、【貴方】を残して下さい…」



囁くように会話し、最初で最後の逢瀬を交わした。

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