スラムに咲く一輪の華~アドハ~
「掃き溜め」
俺達の住むスラム街を端的に表現するのに最も相応しい言葉だ。ここの住民以外は、自分達の生活に必要のないものを棄てるゴミ捨て場として認識している。有害な産業廃棄物に生ごみ、死体、そして赤ん坊……
とてもまともな神経の人間が暮らせるような場所じゃない。
俺達スライムにさえ、忌み嫌われるような土地なのだから。
ここに住んでいるのは皆、脛に傷を持つはぐれスライム達だ。お互いに後ろ暗い過去があることは分かり切っているから、深く詮索しないというのが掟になっている。
俺も例に漏れず、とある事情で住んでいた国を追われ、ここに流れ着いた。暮らし始めてすぐに自分の体の変化に驚愕した。透明だった体の色が、気付けばどんよりと濁っていた。
スライムは元々ある程度の毒物耐性を持っているし、泥水を啜って生きていくことも可能なのだが、だからこそ、この場所のヤバさを存分に思い知らされた。
ここに棲みつくスライム達が『腐りスライム』と罵られていることにも納得がいった。半年ほど、常に腹を下しているような感覚と猛烈な吐き気に苦しんだが、住めば都とはよく言ったものだ。今はモンスターや人間が滅多に寄り付かないこの最低な環境をある程度気に入ってしまっている。
そんなある日、このスラムに人間の赤ん坊が毛布にくるまれ捨てられているのを見つけた。
俺は、そいつを助けたいと思った。
後から考えても何故そんなバカげたことを考えたのか分からない。おそらくただの気まぐれだったのだろう。
「アラン、お前何やってんだよ。こんなくそったれな場所で、人間のガキが生きていけるわけねえだろ?」
「今回ばかりはドミニクの言う通りだよ。気持ちは分からなくもないけど、情が湧いたら余計に辛くなるのは、あんたの方だよ」
「生きるか死ぬかなんて誰にも分かんないだろ! なあハンナ、俺がここで集めてきた魔結晶全部くれてやるから、闇市まで行って粉ミルク買ってきてくれないか?」
「……はあ……あんたも相当な変スラだね……」
俺達の予想に反して、捨て子は劣悪な環境にも負けず、すくすくと育っていった。全く、人間のたくましさには驚かされた。当初こそ否定的だったドミニクとハンナの夫婦も、次第に食料探しや環境作りに協力してくれるようになった。
赤ん坊は『アドハ』と名付けた。ただ単純にアラン、ドミニク、ハンナの頭文字を取っただけだ。
そんな適当な名前でも、呼んでやるとキャッキャと嬉しそうに笑った。無邪気な姿に思わずにやけてしまう俺のことを、性悪夫婦が指を差して笑うのだけは癪に障ったが。
次第にアドハは俺達にとって、掃き溜めに咲いた一輪の華のような、かけがえのない存在になっていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
三匹と一人、いつものように粗末な食事をしている際中、突然アドハが立ち上がった。
「おい、食事中は座ってろ」
「私決めた! 将来アランのお嫁さんになる!」
「はあ!? ……お前……な、何馬鹿な事言ってんだよ!」
「アドハは馬鹿じゃないもん! 馬鹿って言った方が馬鹿なんです~! アランだって私がいなくなったら寂しいくせに!」
「……うるせえ!……俺は食料探しに出掛けてくるからな!」
そういってその場を逃げ出すように立ち去った。
(いつかはアドハもここを出ていかないといけない。こんなくそったれな場所で一生を終えるなんて許されない。あいつはもっと幸せになるべきなんだ)
常に心の片隅にあったその考えを、再認識させられたようで悔しかった。そして何よりアドハのような小さな子供の口約束に、ほんの一瞬喜んでしまった自分が腹立たしかった。
約束なんて下らない。
生まれる前から決められていた婚約者と、実の弟に裏切られ、国を追放された俺自身が、一番良く分かっているはずだったのに……
それにアドハの台詞にドギマギしている俺の姿を、ニヤニヤと眺めている性悪夫婦にムカついたってのもある。
むしゃくしゃした気持ちを抱えながら、ゴミ捨て場でかれこれ数時間、アドハが食べることのできそうな残飯を探していたと思う。俺を呼ぶかすれ声に振り向くと、そこには汗だくで息も絶え絶えなハンナがいた。
「おい!! 一体どうしたんだ!!」
「すぐに戻ってきて!! アドハが攫われそうなの!!!」
その言葉を聞いて、全身から血の気が引いた。ハンナから細かい事情を聞くこともせず、気付いたら全力で駆けだしていた。
よく考えればスラムで暮らしている人間の少女なんて目立つし噂になるのは当然じゃないか。あいつは目鼻立ちも整っているし、奴隷として売り払うか娼婦にでもするつもりかもしれない……頭の中を嫌な想像ばかりが巡り、体液が沸騰しそうになる。
あばら屋に辿り着くと、ボロボロになったドミニクが地べたに這いつくばり、二人の黒づくめの男が今まさに嫌がるアドハを引き摺り連れ去ろうとしていた。
「てめえら!!! 俺の未来の嫁に手を出すんじゃねえ!」
「……あっ……アラン!!!」
「おいおい、腐りスライムの分際で何を偉そうに……ぐああ!!!……痛えええ!!!」
油断している黒服の顔面に飛び掛かる。本来なら人間がスライムに飲み込まれたところで大したダメージなんて受けないだろう。でも俺達の体は、そんじょそこらのスライムとは違って、濃縮還元100%の激ヤバスラム汁で構成されてるんだよ!!!
「遊んでんじゃねえよバッカス、さっさと……うげえ!!!……てめえらいつの間に……」
俺の姿に気を取られている間に、こっそりと近づいていたドミニクとハンナが、もう一人の男の腕と足にそれぞれ喰らいつく。
「はっは~! ざまあみろ! これが俺達夫婦のコンビネーションだ!」
「何偉そうに言ってるんだい! さっきまでだらしなく伸びてたくせに!」
「仕方ねえだろ! 人間相手に1対2で敵う訳ねえよ!」
いつものように痴話喧嘩をしながら男を気絶させた二匹。このまま奴らを溶かし続ければ、簡単に息の根を止めることができたが、アドハの教育に良くないということで放っておいた。どうせスラムには腐るほど掃除人がいる。
「アラン!!……大丈夫!?……ケガしてない!?」
「……あんな雑魚共にやられるかよ」
「はあ……良かったあ……よがっだよお……」
安心して泣きじゃくるアドハの頭を優しく撫でる。俺は彼女を自分の人生から追放するなんて、到底出来そうにないと悟った。
「……私、アランの言葉、一生忘れないからね! 将来絶対にお嫁さんにしてもらうんだから、覚悟してよね!」
顔を上げて、先程までぼろぼろと涙を流していた目で、真っ直ぐ俺を見つめて力強く言い放つアドハ。
彼女のことを手離すつもりはなくなっていたが、余りにもストレートな言葉を投げつけられあたふたしていると、ドミニクとハンナがにやつきながら「後は若い二人でごゆっくり」と捨て台詞を残して去っていく。
生まれて初めて人間共と闘って、成り行きでアドハにプロポーズもどきまでしてしまうなんて……
……全くハアドな半日だったぜ。
スラムに咲く一輪の華~アドハ~
すらむにさくいちりんのはなあどは
くさりすらいむのはあどなはんにち
腐りスライムのハアドな半日