夢屋夢を語る
今年であれから10回目の夏が来る。
自然溢れる山々に囲まれたここは、携帯の電波も入らなければ、交通手段は徒歩か車か、バスは1時間に1本と相変わらず何かと不便な村だ。
「次は松絵村、松絵村。お降りのお客様はお忘れ物がないようにお願い致します。次は……」
私は電車を降りてバスで既に1時間、やっと到着かとしばらく動かさず固まった腰を少し猫のように伸ばす。
降車ボタンは私以外乗っていないから躊躇うことも無く押す、既にその時にはバス賃は1,800円となっており、だいたいその位だろうとは思っていても、10年前は躊躇いもなくこのお金を払ったのだろうが、今は少しこのバス賃では高い価格に抵抗を覚える。
とはいえ払わないわけにはいかないと、肩に荷物をかけ腰を上げ財布を開くと、その頃、ちょうどバス停が見えてきていた。
バスを降りると、あの日と同じ松絵と書かれた錆びたポールと粗末な穴の空いたベンチ。それを横目に私は二度と来ないと思っていた10年振りのここへまた来ていた。
太陽は真南に高い位置。あの日と違うのは、地面はアスファルトが鉄板のように焼けるようだ。
「……暑い」
さっきまでバスの中の快適なクーラーからのこの常識破りな灼熱はなかなかに応える。汗がじわりと次々に滲み出て、身体が早くどこかへ涼みたいと訴えながらとりあえず目的地へ足を向ける。
わざわざ向かわずとも迎えは来るようになっていたはずが、未だそれは見えず、山林の農道は辺りも開けており影になる所がまるでない。
私はそれからどれくらい歩いただろうか、まるで砂漠を渡るように頭をタオルで覆い隠す。
通る車はなく、人気もなく、こんなことになる状況を考えておらず。場所がそのままならおそらく徒歩なら1時間。
10年前もなんなく歩いた道すがら。とはいえ今はいい歳こいたおじさんで、さらにこんな鉄板ではなかった。
そこに1台の車が見える。ようやくかと肩の力が抜けてゆく。そのまま私の脇で停車すると、パワーウインドウがお待ちしましたとゆっくり開く。
「あ、すいません遅くなって、夢屋さん……ですか?」
「…………はい」
「やっぱり!よかった、どうぞどうぞ、狭いですが後部座席へ乗ってください!」
止まった黒塗りのセダンから開いたパワーウインドウからクーラーの冷たい風が漏れて心地いい。私は促される儘に後部座席に心地いいままにそのまま横になりたい気持ちを押し殺し、お行儀よくシートベルトをしてちょこんと座ると、車は進み出す。
「すいませんね、遅くなってしまって。ここまで歩かれて来ていたんですね。今日はこの夏最高気温とアスファルトは焼けるように暑かったでしょ?」
「……ええ」
車で迎えに来てくれた彼は、今回の私の仕事の依頼主。
私と彼はネットで仕事のやり取りをして、実際に会うのは今日が初めてであり、ほぼほぼ初対面。
ネットでも薄々感じてはいたが彼は話すことがとにかく好きなようで、まるで保険の商社マンのように開いた口を閉じることをしない。
彼のマシンガンのような言葉を一言二言で相槌を打ちながら、車に乗せてもらってるのにも関わらず、ステレオから流れてくるラジオの今週の星座占いの1位がよく聞こえないと内心思っていた。
「着きました。ここです」
車を降り、見上げればそこはこじんまりとした古めかしお家が一軒。
「どうぞ、中には家内もいますので、くつろいでいてください」
私は、「そうですか、ありがとうございます」と取って付けたようなお礼も、人柄がいい彼には悪い印象を与えてないようだと思いながら、飛び石に促される儘に玄関に着くとチャイムを押すこともなく戸を開く。案の定戸はガラガラと鈍い音に田舎だなと思いながら敷居を跨ぐ。
入れば四方にガラス戸がされ靴を脱ぎ、上がり框に立つと、正面右手は戸は開かれている。
そこは居間で、その奥が続いて仏間。ぽーんと開かれた部屋の奥の真ん中にそのまま仏壇が見えると、お線香が立てられ、線香からは細く白い煙が昇り溶けてゆく。
「あら、もしかして夢屋さんですか?いらしてたんですね」
ぼうとしていた私は不意に人が近くにいることも気づかずハッとして、それをみた彼女は「すいません驚かせてしまいましたね」おっとりとしながら言った。どうやら先程の方の奥様のようだ。
「今日はよろしくお願いします」
「いえいえ、くつろいでいてくださいね」
どうやら先程まで人が集まっていたらしく、居間にはテーブルが置かれそこに2人では使い切れない使われたお皿やコップが無造作に置かれていた。
私はそれらに構うことなく早速居間に据え付けてあるエアコンの前を陣取り、ゆっくり腰を据えると、先程の彼がお盆にコップに麦茶と、隣には白い封筒と持ってきた。
私は奪い取るようにしてその麦茶を飲みたかったが、きちんとお礼をして受け取ると待ちきれずがぶ飲みした。
「あ、もっと飲まれますか?」
「あ、いえ、あまり飲むとお腹を下してしまうので……」
「すいませんね散らかしてしまったままで。それで、その早速なのですが……」
彼の言わんとしていることはわかる。
私はそのためだけにこの辺鄙な村に赴いているのだから。
「ええ、では、早速始めさせていただきます」
私は詐欺師だ。
いや、だったというほうが適切だろう。
今は真っ当に保険の商社マンをしている。
10年前のこと。
私はわかりやすいところの霊感商法を中心として荒稼ぎしていた。この高貴なる数珠を買わなければいずれ貴方にとても恐ろしい災いが訪れるといったあれだ。
しかし私は、素人のようにただ闇雲に電話や訪問をする訳ではなく、ターゲットを決めればその人の家族、息子や孫、住所やその人の仕事、電話を取れる時間帯、もちろん好きな物嫌いな物をデータとして用意する。
「夢屋」なんて偉そうな名前のサイトまで開設していたのだから我ながら笑えてくる。
そして私は10年前、この家に来ていた。
彼女は歳は80代半ば、旦那は昨年他界し息子もいるが遠くに就職している。彼女はどこか虚ろで私が取り出したガラス玉を霊気が込められた水晶だと話すと、それは素晴らしいと嬉しそうに言った。
当時の私は心の中で腹を抱えて笑っていた。
その日も今日のように燃えるように暑く蝉の声がけたたましかったのを忘れもしない。
私は水筒の水が空になっていることに気がつくと、彼女に水を貰えないかお願いをした。
その時も今日のように汗をかいた麦茶が出てきた。
私は奪い取るようにがぶ飲みすると、若く業突く張りな私は2杯3杯飲み終え、直ぐにお腹の調子が悪くなっていることに気がついた。
その頃、詐欺を成功に成功を収めていた私は、とにかく浮かれて毎日毎晩焼肉や油物の暴飲暴食。それが祟ったのだと今になればわかる。
私はトイレに出てからは脱水症状だったようで、その頃も今ここに座る居間にはいたのだがその頃はここにエアコンは無く、暑さで意識が朦朧とし5分ほどで記憶がなくなってしまった。
気がつくと日は傾き夕焼け空になっていた。
ずっと内輪で扇いで貰っていた私は目が覚めるなり自分の状況がよく分からなかったが、救急搬送されていればそのまま捕まっていたかもと酷く怯えたのをよく覚えている。
頭には氷水が入った袋と、彼女はゆっくり私を内輪で扇ぐ。
どうやら私が普通のセールスマンではないことを彼女は知っていたから救急車は呼ばなかったそうだった。
私はお金を貰わずにその場を飛び出して、ずうと歩き、ボロい穴の空いたベンチに座り込み声を上げることも構わずにただただ泣いていた。
偽物の水晶を取り出し、100円均一で揃えた様々な色の数珠とお香に火を灯すと、私はしばらく動かなかったが、一言わざとくぐもった声で「どうぞ、」と告げると彼は先程まで見せなかった感情的な声を出していた。
「母さん!……母さん寂しい思いをさせてしまってごめんよ!ぼっ……僕、僕は帰ってこないから母さんは嫌ってしまったんじゃないかって…………」
自首してから3年後、私は真面目になった。というよりもまた不真面目になってしまう自分が恐ろしかったというほうが正しいだろう。恐怖心に似たなにかに追われるように生きてきた。
そこで気がついたのは一年前。閉鎖したと思っていたサイトはそのまま残されていることにたまたま気がつき、主不在のままに依頼だけが数件入っていた。
目だけ通して閉鎖してしまおうと思っていたが目に止まった苗字はとても珍しい身に覚えのある。そしてどこかなつかしいものだった。私はもう何年も前の依頼に返信すると、直ぐに折り返しがあった。
彼女は私を内輪で仰ぎながら語ってくれた。
「私には誇らしい息子がいるんです。就職したてでね、仕送りをしてやらないと食べていけない息子。けれどね、きっと今が一番辛い時期なんですよ。私はあの子を応援してやりたい。私もちょっと寂しいけれど、あの子には頑張って後悔しない人生を歩んで欲しい
……と、仰っています」