第75話 お互いに、大切だから
「……さてと」
燃え盛るマンティコアの死体から視線を外し、サークが私に振り返る。そして、つかつかと私に歩み寄ると――。
――ぱしん。
肉を弾く乾いた音が、静まり返った洞窟内に木霊する。最初は衝撃だけ、そこから一拍置いて、じんじんとした熱を持った痛みがやってくる。
そう、それは、サークの平手が私の頬を打った音だった。
「――何で叩かれたかは、解ってるな?」
静かな、けれど、怒りを滲ませた声。サークは今、間違いなく怒っている。
「……勝手に依頼を受けて、一人で飛び出してったから」
「それもだが、それだけじゃねえ。……何で、俺に何も相談しなかった」
「……それは……」
サークが心配しなくても良くなるような、一人前の相棒になりたかった。そう言いかけて、私は、すぐに言葉を飲み込んだ。
だって、あの時サークが助けてくれなければ。私は今頃、マンティコアの餌になっていた。
一人前と認めて欲しいなんて、思い上がりだった。……私は、まだ、こんなにも未熟だ。
「そんなに……か」
何も言えないでいる私に、サークがポツリと言った。その顔は――とても、悲しげに見えた。
「……サーク?」
「お前にとって……そんなに俺は、頼りない仲間か」
「!!」
苦しげに、苦しげにそうサークが吐き出した時。私はやっと、自分の一番の過ちに気が付いた。
サークが今一番恐れているのは、仲間を失う事。私という仲間を、自分の手で守り切れない事。そう考えたのは半分は正解で、半分は間違いだった。
だってそんな事、まるで考えもしなかったから。だから気付けなかった。サークは、私がいなくなった時――。
――私が、サークを見限ったと、そう思ったのだ。
「確かに俺は、お前を守るどころか、逆にお前を殺しかけた」
サークの手が、自分の胸元をギュッと握る。苦しい胸の内を、更に押さえ付けようとするように。
「だからお前が、もうついていきたくないと思っても無理はない。それでも、黙って行く事だけはしないで欲しかった」
寄せられた眉根に刻まれる、深い皺。それはまるで、サークの苦悩を強く表すかのようで。
「お前が俺と行きたくないならそれでいい。だが、それなら、ちゃんとお前の口から……」
「違う!」
耐え切れず、私はそう叫んでいた。突然の私の大声に、細く歪められていたサークの目が大きく見開かれる。
「違うの! 私、サークにもう悪い夢を見て欲しくなくて、私の事で責任を感じて欲しくなくて、それで、一人で依頼をこなせる一人前になればもう心配かけなくて済むって……!」
「クーナ……お前……」
「でも結局助けて貰って、一人前には程遠くて……だからサークは何にも悪くない! 悪いのは全部私なの! 勝手な事したって、サークに怒られて当然なの! だからっ……!」
これ以上、自分を責めないで。そう言おうとして、溢れた涙に言葉を奪われる。
一番伝えたい事、言いたいのに。喉は勝手にひきつって、しゃくり上げて。
まるで、小さな子供みたいに。涙が後から後から溢れて止まらなくなった。
「ひっ……く、うぇっ……」
「……そうか。馬鹿だな、俺は」
涙で滲んだ視界では、サークがどんな顔をしてるのか解らない。それでもサークはいつものように、私の頭を優しく撫でてくれた。
「お前はそういう奴だって、知ってた筈なのにな。いつだって、自分以外の誰かの事を思ってる」
「……ふぇ……」
「ごめんな。自分の事しか見えてなかった。……お前を苦しませちまったな」
そんな事ない。そう言いたいのに、やっぱり言葉は声にならなくて。
代わりに、全力で首を横に振った。少しでもこの思いが伝わって欲しいと。
「……お前にゃ悪いが、自分を許す事はまだ出来そうにねえ。だが、約束する」
サークの長い指が、私の涙を拭う。遠い昔、泣きじゃくる小さな私にそうしたみたいに。
「自分の命を粗末にだけは、絶対にしない。だから、お前も、自分を大事にしてくれ」
「……っ」
薄れた涙の向こうに見えた、優しい笑顔に、私は。
「ひっぐ……うわああああああああん!!」
サークにしがみつき、声を上げて、泣いた。