第54話 守るべきもの
まず動いたのは、黒犬の方だった。黒犬は大きく身を沈めると、弾かれたように猛スピードでこっちに向かって駆けてくる。
「クーナ、牽制を!」
「解った! 『我が内に眠る力よ、爆炎に変わりて敵を撃て』!」
相手の素早い動きに対処する為、私は複数の小さめの火球を生み出し黒犬へと飛ばした。黒犬は左右に巧みに移動しそれを総てかわしたけど、動きが直線じゃなくなった分速度は僅かに落ちた。
「お次はコイツだ! 土の精霊よ、奴を串刺しにしてやれ!」
その僅かな隙に土の精霊を呼び出したサークが、地面を隆起させ太く鋭い棘を発生させる。けど黒犬はすんでの所で、高く跳躍し棘を飛び越えた。
「ハッ、悪いな。読み通りだぜ!」
降りてくる黒犬を迎え撃つように、サークが曲刀を構えた。そこへカゲロウさんの、凛とした声が響く。
「『いでよ氷よ』!」
「ガルゥッ!?」
カゲロウさんの吹き付けた冷気は黒犬の左の首の目を凍らせ、視界を塞いだ。これなら!
「ナイスだ、カゲロウ! ……おらよっ!」
そのまま降りてきた黒犬と交差するように動きながら、サークの曲刀が一閃する。その一撃は、隙だらけの左の首を付け根から切り離した。
「ギャウウウッ!!」
首を一つ失った黒犬が、悲鳴を上げて私達から距離を取る。そして怒りに燃える眼で、大きく息を吸い込んだ。
「炎の息が来るぞ! お前はカゲロウを頼む!」
「うん!」
私は咄嗟にカゲロウさんを抱き上げて、サークとは別々の方向に走り出す。直後、黒犬の吐き出した激しい炎が、さっきまで私達のいた場所を焼いた。
「首が多いのは、一見手数が増えて便利……だけど!」
黒犬は私達を追うように、炎を吐き出したまま首を回す。カゲロウさんを抱えての移動だったから炎の熱気をすぐ近くまで感じたけど――炎が私達を飲む直前で、炎の動きがピタリと止まった。
視線を黒犬に移せば、私が逃げた左側とサークが逃げた右側、双方に一杯まで首を捻った黒犬の姿が見える。あいつの複数の首は確かに幅広い範囲をカバー出来るけど、それにも限界はあるのだ。
更に首を全部違う方向に向けてしまえば、体を旋回させる事も出来ない。この炎が途切れた時……その時が勝負だ!
私達とサーク、どちらを優先して追うか黒犬が迷っている間にも、炎の勢いが弱まっていく。あと少しだと、私がそう思っていた、その時。
「!!」
突然カゲロウさんが私の腕から逃れ、弱くなった炎に駆け出した。あまりに急な行動に、私は、すぐに動き出す事が出来なかった。
炎はカゲロウさんが辿り着く前に、フッとその場から掻き消えた。そうして視界がクリアになった事で――私は、カゲロウさんの行動の意味を知る事になる。
「……あの子は!」
少し離れた所で恐怖に目を見開き、呆然と立ち尽くす小さな姿。それはカゲロウさんを慕う、あの男の子のものに他ならなかった。
「アイツ……! クソッ!」
サークも男の子の存在に気付き、私達は遅れて駆け出す。けれどそれは、同時に動き出した黒犬の走る速度には及ばなかった。
「――クオンっ!」
黒犬が前足を振り上げ、爪を振り下ろす。その爪は――寸前で男の子を抱き抱えた、カゲロウさんの背中を深く切り裂いた。
「この犬ッコロがぁ!」
先に黒犬に追い付いたサークが、無防備な後ろ足を纏めて切り飛ばす。そしてバランスを崩した黒犬の首を続けざまに切り落とすと、黒犬は黒い血を撒き散らしながら動かなくなった。
「ぁ……カゲロウ……さん……」
「この犬の処理は後だ! 早くカゲロウを小屋に運んで、手当てをするぞ!」
「うん!」
意識を失ったのかグッタリとしたカゲロウさんを、サークが背負う。私はその場に張り付けられたように動かない男の子に何か言うべきか迷ったけど、結局何も言えずに、走り出したサークの後を追った。