第164話 鎮まれ、地獄の焔
大蛇の眼が、一斉に怪しく光る。すると私達の周囲を、激しい火柱が取り囲んだ。
「しまった!」
「……ぐ……っ」
兄様の焦る声が響く中、サークはいまだ起き上がれずにいる。……ここは、私が何とかしなくちゃ!
この火柱を、一人で全部消す事は難しい。例え出来ても、魔力を使い果たすかもしれない。
なら……今取れる手段は、これしかない!
「私が道を作る! 兄様はサークを!」
「解った!」
私の指示に兄様はすぐさま従い、サークを肩に担ぐ。それを横目で見ながら、私は両手を前に突き出した。
「『氷雪よ、我らを阻む総てのもの、皆等しく凍てつかせよ』!」
詠唱が終わると同時、両手に生まれた冷気の渦が前方の火柱を貫く。冷気は炎を吹き飛ばし、それにより少しだけど、炎の裂け目が生まれた。
「走って!」
その裂け目が閉じてしまう前に、兄様と一緒に駆け出す。けれど大蛇は予想通りだと言うように、再び眼を光らせた。
「っ!」
私達を正面から迎え撃つように、渦を巻いた火炎が向かってくる。このまま何もなしにぶつかれば、当然ただでは済まない。
「掴まれ、クーナ! 『限界開放』、最大出力!」
兄様の呼びかけに応じ、私はすぐに兄様の腰に掴まる。直後兄様は走るスピードを上げ、私とサークを抱えたまま、迫る炎を寸前で飛び越えた。
「やられっぱなしじゃ! 『満ちよ永遠の氷雪、我が腕に宿り、零下の絶獄に総てを堕とせ』!」
私は兄様から手を離すと同時に詠唱を終え、両手に冷気を纏わせる。そして落下のスピードを乗せて、眼前の大蛇に拳を振りかぶった。
「いっけえええええ!!」
「シャアッッッ!!」
大蛇が唸り、いくつもの首が私を見上げる。この捨て身の行動は大蛇にとってもさすがに予想外だったようで、向こうが対策をするより、私が接敵する方が早かった。
「まずは一本! 『氷の拳』っっ!!」
激突するように、首の一本に拳を叩き付ける。その勢いのまま体は更に落下して、やがて、ぐにゃりとしたものに正面衝突した。
「ふにゃっ!?」
思ってたのと違う感触に包まれて、思わず変な悲鳴を上げてしまう。けれどその直後、地面が揺れて私をその場から振り落とした。
「いづ……っ!」
今度こそ固い感触にしたたかに肩を打ち付け、それでも懸命に、なるべくすぐに身を起こす。するとすぐ側で、大蛇の体がでたらめにのたうっていた。
その様子に私は、最初に落ちたのが大蛇の体の上だったらしいと気付く。私の特攻は、思いがけないダメージも生んだみたいだ。
とにかくそれなら、今がチャンスだ。向こうが回復する前に、追撃を叩き込まないと……!
『……クッ、アハハハハ!』
その時だ。脳内に、アウローラの声が響き渡った。
『面白い! そうでなくちゃ! この女王が……この姿を見せた甲斐がない!』
大蛇の眼が、一層強く光る。一度は凍りついたらしい頭も、みるみるうちに氷が溶け出していく。
「くっ!」
そこに兄様の声が聞こえ、姿を探す。すると床から不規則に噴き上がる火柱から、必死に身をかわす兄様の姿が見えた。
「っ、あれじゃ反撃出来ない……!」
それを見て、私は歯噛みする。反撃のタイミングは基本、相手の動きに合わせる事で生み出せるものだ。
でもその動きが、全くのデタラメだったら……。いつまで経っても、反撃のタイミングが掴めない!
「っきゃあっ!」
その時目の前に火柱が噴き出して、私は慌てて距離を取る。いつどこから上がるか解らない火柱、そして焼け付くような熱気が、こっちの体力と集中力をじりじりと削いでいく。
このままじゃジリ貧だ。どうしよう。どうしたらいい?
「……クーナ! 来い!」
不意に、切羽詰まったサークの声が響いた。私は顔を上げ、炎に呑まれないよう気を付けながら、急いでサークを担いだ兄様の元へ向かう。
「サーク! 気が付いたの!?」
「ああ、何とかな。……ぐっ……」
「伯父上、あまり無理をなさらないで下さい!」
兄様の声にサークを改めてよく見ると、背中の部分がすっかり焼け焦げて、酷く爛れてしまった肌が目に入った。私を庇ったせいでそうなったのだと思うと、胸が締め付けられたように苦しくなる。
でも、その感傷に浸るのは今じゃない。アウローラを倒し、みんなで生き残る。その為には、落ち込んでる暇なんてない!
「いいか、時間がない。だから手短かに言う」
苦しげに眉間に皺を寄せながら、サークが言う。
「俺とレオノで道を拓く。だからお前はなりふり構わずあの蛇女に突っ走って、魔力が切れるまで拳を叩き込め」
「無茶をしないで下さい伯父上! クーナのサポートなら私だけで……!」
「兄様、右!」
兄様が肩のサークを振り返った瞬間右側の床が焼けて、私は思わず声を上げる。私の声に兄様は反射的に動き出し、大きく噴き出した火柱を寸前でかわした。
「すまない、クーナ。助かった」
「レオノ、言っただろう、時間がない。それにお前一人じゃ、クーナの道を拓けない。命を懸けてもな」
「……」
「兄様、お願い。サークのしたいようにしてあげて。私はみんなで、生きて家に帰りたい。誰も欠けたら駄目なの」
私も一緒に、兄様の説得に加わる。サークは絶対に、自分を含めた誰かを犠牲にするような策は練らない。そう信じてるから、サークの言葉に賭けてみようと思ったんだ。
兄様は私達の言葉に、少しだけ迷うように沈黙して、そして。
「……伯父上、指示を!」
「ああ。俺はクーナの援護に集中する。お前はとにかく、炎をかわしまくれ!」
「心得ました!」
「それじゃあ、二人とも! 援護よろしく!」
二人を振り返らず、私は大蛇に向けて全力で駆け出した。もちろん大蛇もそれに気付き、こちらを見る。
『いいわいいわ、今度は何をしてくれるの?』
愉悦に満ちた、アウローラの声が脳内に響く。私はそれに応えず、ただ走り続けた。
でたらめに上がる火柱以外、向こうは迎撃の様子を見せない。もしかしたら向こうにとっても、これは大技なのかもしれない。
なら、こっちにとっては都合がいい。とにかく真っ直ぐ突き進むだけだ!
「!!」
その時足元で、急速に熱気が膨れ上がるのを感じた。——火柱が、来る!
——ゴウッ!!
そう感じた瞬間、背後から強い追い風が吹いた。風に押し出される形で私の足は早まり、火柱が噴き出す寸前でその場を通り抜ける。
振り返って確認するまでもない。これはサークの風だ。サークが風を操り、文字通り、私の背中を押してくれる。
——なら、怖いものなんて何もない!
「『氷よ集え! 更に、総てを凍てつかせるほどに』!」
駆けながら、全魔力を両手に集中させる。これを全部……大蛇の体に叩き込む!
「はああああああああっ!!」
「シャアアアアアッ!!」
もう大蛇は目と鼻の先。威嚇してくる大蛇に、私は拳を大きく振りかぶる!
「てやあああああっ!!」
まずは右ストレートを一発。伝わる感触は柔らかいけど、殴った部分から大蛇の体がみるみる凍り付いていく。
それが溶け出す前にすかさず二発、三発。氷は一気に面積を拡げ、大蛇の巨体を覆い尽くしていく。
『私の炎が……追い付かない!?』
「最後は一気に! ひっさぁつ……『氷の流星群』!!」
トドメとばかりに残りの魔力の全部を載せて、大蛇に拳の連打を叩き込む。あれほど大きく熱かった大蛇の体が、冷たい氷に閉じ込められていく。
そして。
『……見事よ。『神の器』」
その言葉を最後に。氷漬けになった大蛇の体は、粉々に砕け散ったのだった。