第146話 アウスバッハの一族
「クーナ! サークおじ様……っ!」
「お母様!」
二年ぶりの我が家。玄関の扉を開けると、すっかりやつれてしまったお母様が駆け寄ってきた。
「よく……よく帰ってきてくれたわ。よくっ……!」
「お母様、お父様と兄様は……?」
私が聞くとお母様は言葉を詰まらせ、涙をぽろぽろとこぼした。そしてそのまま泣き出してしまい、私はどうしていいか解らなくなってしまう。
「お、お母様、一体何が……」
「――戻ったのですね、クーナ」
その時家の奥から、凛とした声が響いた。私が顔を上げると長い白髪を頭の上でお団子にした、小柄な老婦人が姿を現した。
「ひいおばあちゃま!」
「元気そうで何よりです。サーク、お世話をおかけしましたね」
老婦人は私達の前に立つと、ふわりと柔らかく微笑む。その気品ある佇まいは、一目で彼女がただ者ではないと理解させる。
この人が、私のひいおばあちゃま。大賢者クラウス・アウスバッハを生涯支え続けた妻、エル・アウスバッハその人だ。
「久しぶりだな、エル。一体何が起こってるんだ?」
サークの問いに、ひいおばあちゃまは小さく眉根を寄せる。……こんな難しい顔をしたひいおばあちゃま、初めて見た。
「……状況は、かなり切迫しています。実は……」
ひいおばあちゃまが、重い口を開く。語られた内容は、次の通りだった。
今から七日ほど前の事。グランドラ政府からお父様に向けて、緊急の呼び出しがあった。
何でも、他国との密通の疑いがあるとかで。その疑いを晴らす為にも、お父様は政府のある首都サルトルートに行かざるを得なくなった。
ところが、お父様がサルトルートに出立したその三日後。突如政府が、国軍を差し向けてきたのだという。
「国軍の使者は言いました。ハリーが国に対し、反乱を目論んでいた事を自白した……と」
「そんなはずはないわ! 優しいあの人が家族にも黙ってそんな、そんな事……っ!」
泣き腫らした目で叫ぶお母様に、私はその通りだとうなずく。あの温厚なお父様が、反乱なんて考えるはずがない。
「……とにかく国軍は、それを理由にアウスバッハ領に侵攻を開始しました。私は急ぎ領民達を中央に集め、籠城をする事にしたのです」
「レオノは? 姿が見えないが」
「あの子は事の真偽を確かめに行くと言って、単身サルトルートに向かいました。連絡の方は、まだ……」
「そんな……兄様……」
あまりの事に、私は思わず呆然としてしまう。お父様……兄様……二人とも無事なの……?
「とりあえず今は私が領民を指揮し、取りまとめていますが、このままではすぐに押し切られます。何しろあちらは国軍、規模が違いますから」
「……なるほど。状況は解った」
腕組みして話を聞いていたサークが、真剣な表情で頷いた。そして私を振り返ると、こんな事を言う。
「クーナ、確かお前、自分の馬を持ってたな?」
「キャロの事? うん、今も厩舎にいるはずだけど……」
「よし。エル、悪いが馬を一頭貸してくれ。俺達もサルトルートに行く」
「えっ!?」
その言葉に、私は驚いてしまう。だって、こんな状態のアウスバッハ領を放っておいていいの?
「あら、私が先にお願いしようと思っていましたのに」
けれど、ひいおばあちゃまは。驚いた様子一つなく、そう言った。
「さすがだな、エル。状況を見る目は衰えていない」
「ここであなた達が出来る事は、何もありません。どうかサルトルートへと赴き、政府を説得して下さい」
「お、おばあ様、何を仰るんです!」
ひいおばあちゃまの言葉に反論の声を上げたのは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたお母様だ。お母様は私を強く抱き締め、ひいおばあちゃまを懸命ににらみ付ける。
「私は反対です! サークおじ様だけならともかく、クーナまでサルトルートにやるなんて! ただでさえハリーとレオノが帰ってこないのにっ……!」
「クーナなら大丈夫ですよ、メニ」
一気にまくし立てるお母様に、ひいおばあちゃまは柔らかく微笑み言った。それはこの状況には似つかわしくないほどに、慈愛に満ちた微笑みだった。
「クーナは強い子です。この二年間、私達に弱音一つ吐かず自分の夢を追い続けた子です。サークが迷わずこの子を連れていくと言ったのも、それだけの成長をこの子がした証でしょう」
「で、でも……」
「信じましょう。サークと、私達のいとしい家族を」
ひいおばあちゃまの目が、お母様を真っ直ぐに見つめる。お母様はしばらく迷う素振りを見せていたけど、やがて私の体を解放した。
「……クーナ、約束して」
「お母様……」
「必ず無事に戻ってきて。あなただけでも、どうか……」
そう言うとお母様は、また激しく泣き出してしまった。私はそんなお母様を、今度は自分から強く抱き締める。
「うん。大丈夫。絶対に、お父様と兄様を連れて帰ってくるから」
「サークおじ様、クーナを……クーナをお願いします」
「ああ、任せとけ。今まで俺が、お前達の信頼に応えなかった事があったか?」
お母様の言葉に応え、サークが力強くうなずく。……そうだ、必ず帰るんだ。
お父様と兄様を必ず見つけて、こんなふざけた争いも終わらせる。それが今一番、私達のやるべき事だ!
「ひいおばあちゃま、私達が戻るまでアウスバッハをお願い!」
「もちろんです。アウスバッハの名に賭けて、必ず私達の家を守ってみせます」
そうして私達は急ぎ、サルトルートに向かう準備を整える事になったのだった。