第137話 放たれた時の流れ
床を転がるトカゲ頭が、目を大きく見開いた人間のものに戻る。同時に体も首のない人間のものに戻って、真っ赤な血をぶちまけながらどうとその場に倒れ伏した。
「……っ」
その様子を見ていられなくて、私は死体から反射的に目を逸らした。人間の死体を見た事がない訳じゃない。けど彼女を殺したのは自分達なのだという罪悪感が重く心にのしかかって、彼女を直視する事が出来なかった。
「……立てるか」
近づいてきたサークの手を取って、立ち上がる。私の足に巻き付いていた尻尾は、鱗一枚残さず消え失せていた。
見ればサークはもう片方の手に、あの立方体を持っていた。そしてそれを、無造作に床に転がす。
「……壊すぞ」
サークのその言葉は、誰に向けての確認だったのか。とにかくサークは私の返事なんか待たずに、勢い良く立方体を踏み砕いた。
――瞬間、空気が変わったのが解った。
まるで、長い間締め切りにしたままの書斎の扉を開けたみたいに。古い空気と新しい空気が、混ざって入れ替わっていくような感覚。
間違いない。これでこの村は、元に戻った。
そう、思ったのも束の間。
「あああ……あああああ!!」
突如大きな悲鳴が、部屋の奥の方から聞こえた。私達は
顔を見合わせると、急いで悲鳴のした方に向かう。
そこで、私達はこの世の地獄を目にする事になる。
「おい、どうした……」
先に部屋に飛び込んだサークの言葉が、途中で消える。私もその横から部屋を覗き込んで、そして――言葉を失った。
「た、助け……」
上半身を起こした中年の男の人が、息も絶え絶えにこっちに手を伸ばす。その指先の肉が――みるみるうちに腐り、ボトボトと溶け落ちていく。
指先だけじゃない。目に見えている部分総てが瞬く間に腐り果て、膿み、壊死を始めていた。
「そんな……いくら何でも、進行が早すぎる」
傍らのサークを見遣れば、完全に色を無くした表情で呆然と呟いていた。それを聞いて、今の事態がサークにも想定出来なかった事なのだと悟る。
伝染病の進行が異常化している? ――何故?
「……まさか」
その時、私の脳裏に一つの可能性がよぎった。
この村は今まで、立方体の力で時間が進まないようになっていた。そしてたった今、その呪縛から解き放たれた。
もしも今、止まっていた間の時間が一気に流れてるんだとしたら?
「お……ぼ……ぇ……」
男の人は、もう言葉を発する事も出来ないようだった。ただその、腐り落ちた瞼と目玉の向こうに空いた虚ろな眼孔を、最後まで恨むように私達に向けて――。
――骨とぐずぐずの肉だけになって、その場に崩れ落ちた。
「そんな……俺……俺は……」
それを見つめるサークの顔には、冷静さも余裕も、希望すらももう存在しなかった。光の消えた瞳、震える声で、ただその場に立ち尽くしていた。
「うわあああああっ、嫌だあああああっ!!」
「ひいいいいい、誰かあああああああああっ!!」
男の人が人の姿をなくすのを皮切りにするように、村中のあちこちから悲痛な悲鳴が聞こえ始める。その悲鳴に私よりも、サークの肩が大きく震えた。
「……サークはここにいて。私が様子を見てくる」
私はそう言って、サークを置いて家を飛び出す。
怖かった。自分達のした事の結末を確かめるのが、たまらなく怖かった。
でも――。
(見届けなきゃいけない。例え一人でも。……それが、この事態を引き起こした私の責任だから)
その思いだけを支えに。私は、足を前へと動かした。