第118話 もう一つの過去
家の中は、人形を作るのに使うと思われる道具で溢れていた。
それらは乱雑に散らばっていて、床を覆い尽くしている。足の踏み場もない、とはよく言ったものだ。
奇妙なのは、あるのが人形作りの道具ばかりで、生活臭が全くない事だ。家の中で食事を摂っただとか、そういう痕跡がどこにも見当たらないのだ。
一切の食事を摂らず、ここで生活していた? まさか、そんな筈……。
「……後は、この部屋だけだな」
一番奥、人形師の寝室とおぼしき部屋を前に、サークが呟く。ここまでの部屋には、異変に関わっていると思えるようなものは見つけられなかった。
それに人形師本人が、姿を見せないのもおかしい。この家は確かに広いけど、流石に人が入ってくればすぐ解る筈……。
「開けるぞ」
サークがノブを掴み、扉を押し開く。途端、生温い風がこちら側に吹き付けてきた。
「……これは」
部屋の中を見たサークが、呆然とした声を上げる。何を見たのだろうと、私も横から中を覗き見る。
「……穴?」
そこには、床一面に広がるほどの大きさの穴が空いていた。穴の中に明かりはなく、底までどのくらいあるのか見ただけじゃ解らない。
けど、見れば穴の縁には、木製のハシゴが立てかけられている。という事はとりあえず、奈落の底に通じてるという訳じゃなさそうだ。
「降りてみる?」
「しかないだろうな。俺が先に降りて安全を確認するから、お前はここで待ってろ」
言うが早いが、サークは止める間もなくハシゴを降り始めてしまった。私は慌ててポータブルカンテラを取り出し、上から穴の中を照らす。
ハシゴの届く高さとは言っても浅くはないようで、やがてサークの体は光の届かない闇の中へと消えていった。私は不安に駆られながら、大人しくサークの反応を待つ。
「大丈夫だ。降りてきていいぞ」
やがて下からそう声がかかってきて、私は荷物袋に足元を照らせる向きにポータブルカンテラを結びつけてハシゴを降りていく。穴はつい最近掘られたようで、剥き出しの土壁はまだ完全に乾ききってはいなかった。
間も無くサークが点けたんだろう、ポータブルカンテラの明かりが底の方に見え始める。私は地面が見えたのを確認すると、残りの距離を一気に飛び降りた。
「見ろ」
体勢を整えて、そうサークが明かりで指し示した方に目を向ける。するとそこには、高さ三メートルほどの横穴が掘られていた。
「どこに続いてるのかな、これ……」
「さあな。行ってみなきゃ解るまいよ」
言ってサークが、先頭に立って歩き出す。私もその後について、横穴の中を進み始めた。
「……ねえ、サーク」
サークの背中に、私は呼びかける。サークは振り返らなかったけど、話を遮ろうとする訳でもなかったからそのまま私は話を続けた。
「ヒューイさんは……どうしてあんな、自分を犠牲にするような事をしたのかな。それに、人間を助ける事に、何だか凄くこだわってるようにも見える……」
「……」
最初サークは、私の疑問に答えを返さなかった。けど暫くの沈黙の後、不意に、ぽつりと口を開いた。
「……俺の知ってるアイツは、酷い人間嫌いだった」
「え?」
その言葉に、私は思わず目を見開く。今のヒューイさんを見ているととてもそうは見えなかったし、それに、ヒューイさんにとって人間は恩人の筈なのに……。
「どうして? ヒューイさんは人間に命を救われたんじゃないの?」
「……エリスから聞いたのか」
「あっ……」
うっかり口を滑らせると、サークは振り返り、私を咎めるように見た。私は正直に、サークの過去を勝手に聞いた事を謝った。
「……ごめんなさい。どうしても気になって……」
「……いいさ。面白くない話だからって、黙ってた俺が悪い。……エドワードが追い出された後の話だ。森のエルフ達は、エドワードに助けられた者を非難するようになった」
「え……」
「特にヒューイはエドワードを森に引き込んだ俺とエリスの身内だからと、特別激しく責め立てられた。幼いアイツが心を守る為には、自分がこんな目に遭うのは人間のせいだと、そう人間を逆恨みするしかなかったんだ」
「……そんな」
そんなの、誰も救われなさすぎる。サークの、ヒューイさんの生きてきた現実に、私はただ打ちのめされるしかなかった。
「ゆうべ、アイツは俺にこう言った。『自分のこれからの一生は、人間への償いの為にある』と」
「その償いって、まさか……」
「そうだ。自分の勝手で、人間に憎悪を向け続けてきたその償い。……どこまでも身勝手で成長しない、そんな同族を見てやっと目が覚めたんだと、そう言っていたよ」
そんな。そんなの、ヒューイさんは何にも悪くない。
確かに逆恨みは良くない事だ。でもそうしなければ、ヒューイさんは自分の心を守れなかったのだ。
どこまでも救いのないヒューイさんの人生が、ただ、ただひたすらに悲しかった。自分のせいじゃない罪の償いに一生を捧げるだなんて、そんなのあまりにも……。
「今のアイツは、『人間を守って死ぬ』事にこだわっている。それだけが自分の価値なんだと」
「サークは……それでいいの?」
私の問いに、サークは少しだけ沈黙して。それから、苦しげに答えた。
「……良くなくても、アイツを置いて森を出た俺には何も言えないさ」
「……」
それ以上、サークは何も言わなかった。私もまた、そんなサークに何も言えなかった。
横穴はどこまでも、どこまでも奥へと続いていた。