薔薇の棘を抜く少女
俺には、フィアンセがいる。
なんて古臭い話だと思うし、法律的にいえば俺たちに拒否権はある。
が、そのフィアンセの少女は俺の事を慕ってくれているのだ。
そしてそいつがつい先日うちの学校に転校して来て、俺のクラスだ。
……
…………
………………
い、いや。ちょっと待ってくれ、間違ってもこれは少女漫画ではない。
確かにここまでの話を聞くとどうせこの後でちょっと気になる女子が出てきてそいつとフィアンセの間で俺が揺れるとか思ってるんだろう?
さすがに、ない!
というか、そうなるには俺に一つ障害があるんだ。
まあ、障害といっても俺にとって害があるものではなくて、むしろ嬉しいものであったりする。
俺には、……俺――朝霧圭也には、朝霧家の長男である俺には、
彼氏がいる。
☆
「え? フィアンセ!?」
俺の前にいる男――前田海翔が素っ頓狂な声を上げた。
なんだなんだ、大した話はしていないと思うのだが?
「いや、そんなに驚く事か?」
「そりゃ驚くよ! お前は僕が何だと思ってるの!? むしろそれに驚かない方がおかしいでしょ!」
「え~、そうかぁ? 俺にフィアンセがいるっていっただけじゃん」
何の気なく、俺はそう返す。
確かに時代錯誤だとは思うが、拒否権がある以上は『どの高校に行け!』と親に言われてるのとかと同じくらいのことだと思うんだが。
むしろ、離婚という手段があったりする以上それよりも軽い問題の様に俺には思えるのだが、海翔にとっては違うらしい。
「フィアンセなんて、なんで彼氏の僕に今まで言わなかったの! 大事なことじゃん!」
「いや、ゲイに女のフィアンセがいても大した問題じゃ無くね? それが男なら大問題だけど」
「いやいやいや! 男の婚約者を用意しておく親って何なの!?」
そこじゃ無くね?
「いや、そこじゃなくて!」
そう思ったら海翔もほとんど同時に似た様な事を口にした。何だこのノリつっこみ。
そういう俺の考えを振り払うように海翔は俺に向き合って、言う。
「大した問題じゃん!」
「なんで?」
「だから、僕達の恋愛に支障が……!」
「出ないっでしょ。俺、断るし」
「いや、フィアンセってそんな簡単に断れるものじゃないんじゃないの?」
簡単に、か。
少し考える為に口を閉じ、ふとその間に顔が下がってしまっていた事に気付いて顔を上げる。
「簡単では、ないね。うちの親も向こうの親も決めると突っ走るタイプだから」
場合によっては頼りになるんだけど下らない事でもこれが該当するから……。と、小さな声で付け加える。
本当に、頼りになる時には凄いんですけどね。うちの親の行動力。
「それじゃ、大変じゃん!」
「別にこっちはいくらでも粘る覚悟があるよ。お前のことが好きだし」
「ちょ、そういう事を平然と……ッ」
「嬉しくない?」
ニコリと笑う。
そしたら海翔は一瞬で押さえこめてしまう。可愛い奴だなぁ。
「まあ、いいや。僕もお前にいつまでもついて行く覚悟だし」
「そうだな。それでいい」
と、二人が幸せそうに口を閉じる。
その雰囲気に閉ざされたのではなく、話すことが無くなったから自然に口を開ける必要がなくなったという、ただそれだけである様に。
……何言ってんだろ、俺。
「そういえば、」
不意に、海翔が口を開く。
本当に、思い出したように。
「何で、今? その話をなぜ今?」
「ああ、良い機会かなぁ。って思って」
「え? なんで?」
ん? ああ、そうか。そういえば言ってなかったか。
「最近来た転入生のあいつ。水津星良ってやつ。あいつだぞ? フィアンセ」
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「…………………………ん?」
「だから、水津がフィアンセ」
「え……、ええええぇええええぇぇえええええぇえ!!!!?????」
うるさいよ。
☆
「何で転入生が学級委員になるんだよ。どう考えてもおかしいだろ」
「まあまあ、なっちゃったものは仕方ないじゃん。二人で学級委員のお仕事済ませちゃお」
放課後に俺は星良と一緒に教室を掃除していた。
ちなみに、学級委員の仕事とは、掃除・整理整頓・掲示物整理・HLの司会、等々。学級委員とはうちの学校では雑用係の事を指す。
まあ、それぞれの仕事が大体ほかの委員のやりのこしを受け持つ様な形だから言うほど重労働という訳ではないのだが。
「ねえ、彼氏出来た?」
「ッちょ!」
不意に、星良が話しかけてきた。
それもとんでもない出だしで。
「お前、あんまり大きな声で言うなよ!」
「圭也君の方が大きいっての。それに人いないじゃん」
「それでもだよっ」
と、声が大きいと言われたのを少しだけ気にして言葉を返すと、あっさりととんでもない言葉を返された。
「ええ~、昼休みにはあんなにいちゃついてたじゃん」
「いや、そんなにいちゃついては……、は? なんで……」
「別にぃ、ちょっと屋上でご飯食べようと思って行ったら人がいたからドアの手前で入るのやめただけ」
「嘘吐けお前! 俺が屋上に向かった時には教室で飯食ってたろ!」
「デザートは景色がいいところで食べたい派なの~」
何カ月か前に、暗いところでご飯を食べると不思議な気分で楽しいよ。
とかって言ってたのは何処のどいつだよ!? いや、お前だよ!
…………。
「何か、いつも通りだな」
「そうだね。楽しい♪」
でも、本当に前からいつもこの調子だ。楽しくないと言ったら嘘になるし、正直和む。ただ、ちょっとカンがよすぎるんだよなぁ。
「お前って、まだ俺のこと好きなのか?」
「当たり前じゃん。いちゃついてるの見たら心底イライラしたよ」
声を少し荒げて星良が言う。
本音だろう。半分は、な。
「嘘吐き。半分くらいは嘘だろう?」
「……こういう時だけカンがいいのってずるい」
「俺から言わせりゃ常時カンがいいお前の方がずるいよ」
「そう? ……で、確かに嘘だけど。それがどうか?」
どうか? って、面倒臭いなぁ。
「別に、傷ついてねえかなぁって気になっただけだよ。俺の思い違いならそれでいい」
「……あってるよ。結構傷ついた」
星良が、嘆息して肯定する。
面倒臭い星の下に生まれてきたなぁ、とでも言うように。息を吐いた。
「好きな人がいちゃいちゃしてたら傷つくに決まってるじゃん……」
「……その、なんか。すまん」
「謝んないでよ。虚しくなるじゃん」
また謝りそうになって、口を閉じる。
「あぁーあ。こんな事なら気付かなきゃよかったなぁ。あのころは好きな人の事を理解したい一心だったけど……やめときゃよかった」
昔の事――星良に俺がゲイであると暴かれた時の事を思い出す様に、星良が沈黙する。
「ああ、もう! 落ち着かない!」
「ええ!?」
「圭也君のせいだからね! 圭也君がどうにかしてよ!」
「はぁ? どうしろと?」
「あああ、だったらああしてよ! あわせて!」
何を? いや、誰と誰を?
「だから、圭也君の彼氏と!」
「いっ…………」
え……、ええええぇええええぇぇえええええぇえ!!!!?????
☆
『で、まあ。そんな事になっちゃったんだけど……』
『ふーん』
電話の向こうから白々しい海翔の声が返ってくる。
こっちも嫉妬か。女と男に嫉妬されるって……、どんな経験だよ。嬉しくないって言っても嘘になるんだけどさぁ。
『そんな訳なんで、土曜の昼ごろに俺の部屋に集合って事で良いか?』
『……分かった。お昼頃だな。じゃ、また明日』
電話を切り、携帯を充電して考える。
恋する人って、こんなに面倒臭いっけなぁ。あ、だとしたら俺も、面倒臭いのかな?
だとしたら、嬉しいような。はにかむような。
そんな気分だ。
☆
「で、何でそんなにくっついてるの?」
「くっつきたくてくっついてる訳じゃねぇよ!!」
じと目で海翔が訊いてきたので若干キレ気味に俺が返す。
なぜかって?
星良が俺にべたべたくっついて来るからに決まっている。
こいつ俺が昼頃って言ったのに八時に来やがって! 海翔はちゃんと十一時に来たのに。
「人の彼氏とるなよ!」
「あっ」
海翔が俺を星良からひきはがす様に抱きついて来る。
ああ、やっぱこっちの方が落ちつくな。ああ、俺の安住の地はここにあり。
「ちょっと、あんまりくっつかないでよ!」
「なんで! 僕が彼氏だよ!」
「私はフィアンセだもん!」
「ちょ、星良離せよ。動きづらい」
星良がむっとした顔になる。
「何で私だけなの!? 海翔君もくっついてるじゃん!」
「海翔は俺の彼氏だからいいの!」
「―――――~~ッ~~!!」
星良が声にならない声を上げる。
それでもしぶしぶ納得して俺の腕から手を離してくれた。それと同時に海翔も俺を離す。
「えっと、そもそも今日は何のために集まったんだっけ?」
海翔が疑問を口にする。
「星良? そういやなんのために集めたんだ?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
海翔に続いて俺が訊くと、星良が首をかしげる。
かしげた後、姿勢を整える。
そして流暢な日本語で、言う。
「圭也君を、私に下さ
「「え、やだよ?」」
「…………」
「…………」
「まあ、これは冗談で。ここからが本題」
嘘吐け、三分の一くらいは本気だったくせに。
そう思ったものの、口に出しはしない。それに、ここからが本題だというのは本当だろうし。
「まずは確認だけど、圭也君は私と結婚するつもりはないんだよね?」
「そうだよ」
「海翔君じゃなくて圭也君に聞いたんです」
「俺も同じだよ」
「形だけの結婚で、体だけで良いから隣に置いとくような関係でも?」
……そんな結婚も、一つの形だろうか。
だが……、
「俺は海翔と一緒になる。だから、お前とはあくまで良い友人でありたい」
「勝手だなぁ。それに、学生恋愛が末永く続くと思ってるところも大概おめでたい頭してるね」
結構辛辣な事を星良は口にしたが、俺もそこまでおめでたい頭はしていない。まあ、星良はそれが分かって言ったんだろう。
そういう奴だ、こいつは。
でも、その上で、言う。
「恋愛してる間くらいそれが永遠だって思い込むのはもはや、美学だろ?」
「美学、ね。確かにそういうものかもね。まあ、とりあえず結婚する気はないんだね」
「くどいぞ」
俺が少しきつめに言うと星良は少し傷ついた様な顔になって、その顔を元に戻してから顔を上げる。
「本題なんて言っても、実は何もないんだけどね」
「え? そうなの? じゃあ、僕に対してケンカ売りに来ただけ?」
「ああ、いや。そういう事じゃなくてさ。ほら、分かるでしょ? 圭也君」
「…………」
まあ、分かるけどさ。
いつだってお前はそうだもんな。俺のことがただ好きで、俺を手にしてしまいたい。
それだけの、欲求。
黙っていたら、それを星良は肯定と受け取ったらしく、話し始める。
ま、肯定だけど。あいかわらず、何でもお見通しって感じだなぁ。
「強いて言うなら、圭也君がどんな彼氏を作ったのかって気になったのと……、圭也君にべたべたしたかっただけ」
「そっか、で。見てみた感想は?」
星良が口をへの字に曲げる。
すまないような、嬉しい様な感じだな。
聞いてもないのに、聞いた様な気になってそんな風に感じた。
「いいんじゃない?」
そして、不機嫌そうに星良はそう言った。
俺と海翔が顔を見合わせてくすりと笑う。
「ちょ、なによ! こっちは失恋中なんだから、多少感傷的になっていてもしかたないじゃん!」
言い訳じみた口調が、妙に可愛らしかった。
こんな時も、ゲイで良かったと思う。だって、女の子の可愛さを素直に受け取れるから。
容姿のタイプだとか、性的な興味をそそる様な体だとか、そんなものに気を取られずに可愛さを見られるから。
「それじゃ、そろそろ帰るわね」
それから暫くしてから、星良がそんなことを言った。
早いな。星良にしては。
「早く帰る為に早く来たのよ」
微苦笑を浮かべながら、いつもの様に半分ほど嘘の本音でそう答えてくれた。
気を使わせて悪いな。なんて言ったら、怒られた。
それと、最後に、
「私は一旦退散するだけでまだ諦めないからね! 一秒でも手放したらすぐに拾いに来るから覚悟しててよ!」
応援半分挑戦半分といった調子で海翔にそう言い残して行った。
って、俺はモノ扱いかよ。
「じゃあね」
そう言いながら、見送りをしている俺に向けた星良の笑顔は妙に綺麗だった。
いつも通りの美しさだったが、その正体が分かった気がした。
失恋って綺麗なんだなぁ、って。初めて知った。
「じゃあな、星良」
って、そう言ってやったら、星良がはにかんで笑った。
星良は、ますます綺麗になった。
失恋が、輝いていた。
まるで、砕け散る宝石のように、綺麗な失恋だった。
☆
「ねえ、キスしよ」
「は? いきなりどうした?」
星良が帰ってからいくらかもしないくらいの時間に、海翔がそんなことを口走った。
「あいつへの対抗心か?」
「それもあるけど、今は何か幸せな気分なんだよ」
「へぇ、どうして」
「なんでだろうな。たぶん、あの子だとは思うけどね」
星良か。
まあ、不思議な奴だよな。俺を好きな事とかなんていう次元じゃなくてもっと、女という神秘その物を内包したような少女。
「あの子のおかげで僕もやる気が出たしさ」
「やる気って、何の?」
「ん? 一生大事にする覚悟の」
「そっか、そりゃ嬉しい」
そう言いながら俺は、体を海翔の方に傾ける。
そうしながら、考える。これからの、事。
この恋は、いつまで続いてくれるのだろうか。なんていう、そういう事。
『恋愛してる間くらいそれが永遠だって思い込むのはもはや、美学だろ?』
あの言葉の通り、永遠なんてのは“思い込み”に過ぎないんだろう。
それでも、思い込みってのは案外大事な気がする。というか、全てはそれなのだから。
思い込むというのは、ある意味で生きて行くということそのものなんだろう。例えば、結婚。その、誓い。
誓いというのは、信じあえると思い込むことによって本当に信じあえるようになるという、たぶん。そんなモノ。
人はきっと、それを実現させるために思い込むんだと思う。
だから、俺は誓いのキスの様に唇を重ねた。
何時か本当の誓いになるだろうと、そういう、全身全霊の思い込みを込めて、
俺たちはキスをした。
一番怖いのって、本音で嘘つける人だと思うんですよね。
私にとっての女がそれだからなんですかね、何を書いても女のキャラが強くなる。