第一章 6
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政府高官が多く住まう町の一角。
人通りが多くてしかたがない旧都の中心地から少し外れ、多くの区画が入り乱れる南の外れにアルビオン大使館は門を構えていた。
出迎えてくれたのは大使の秘書官で、落ち着いた雰囲気を纏う見目麗しい半獣人の女性である。彼女も猫科の半獣人で、波打つ金色の髪を肩に掛け、空の色をした大きな瞳があたしを写していた。見た目はケメットとうり二つであるが、彼女から滲み出る生来の気品が似ても似つかない。
「久しぶりね、リネット」
「お久しぶりです、シンクレア大佐。ケメットも元気そうね。大佐に迷惑かけていない?」
「もっちろんです! お姉ちゃんも元気そうでよかったニャア!」
――えっ? いや、別に良いんだけどさ。小さいことをとやかく言って、姉妹の再開に水を差す気にもならない。双子のくせに何故こうも差があるのか。抱きついたケメットを受け止めるリネットの表情にも笑みがこぼれる。こうして抱擁を交し、グルグル回られるとどっちがどっちだか分らなくなりそう――そのまま交換出来ないだろうか。
「ケメットって家族が居たんですね」とルイズは意外そうに二人を見比べている。
「双子のリネットよ。今の部隊が出来る前に、ナバル戦争で行き場のないあの子たちを拾って来たの。見た目はそっくりなのに全然似てないでしょ。片っぽだけ大出世よ」
「半獣人の身で賢天の魔術師オルテガの秘書官にまで……ケメットにもその素養が?」
「人の本質ってのは勉強の出来る出来ないに拠らないでしょ。全部本人次第よ」
持っていたところで活かせなければ宝の持ち腐れだし、活かそうとする気概が無ければ能力が開花する事も無い。更には、それに気付き、伸ばせる環境を手に出来るかどうかも、運命の女神による差配を要する。そして穿った見方をすれば、自身の素質その物が本人に適さない場合だってある。
大半が人間の慰みものとして市場で流通している半獣人界隈にあっては、今の二人はそれぞれに適した形で、それなりの生活を手に入れているはずだ。もっとも、半獣人の扱いに関しては人間のエゴという手垢に塗れているだけで、手の施しようは残されているのだが……。
「それにしてもケメット、あなたまだその変な口調してるのね」
「変とは失礼な! これは誰あろう、敬愛なるシンクレア大佐による命令だニャ!」
「あら、それはごめんなさい。ところで大佐、どうしてお召し物がそんな有様なんです?」
「え? ああ……まあ色々あったのよ」
悪漢共との喧嘩では特別汚れるようなヘマは犯さなかったのだが、後から来た憲兵隊との取っ組み合いが良くなかった。
連中に外交官特権を振りかざしても、『外交官が街中で喧嘩騒ぎを起こすものか』と一向に信じて貰えず、引っ張り回されて三つ揃いはクタクタになり、一時は格子窓のついた馬車に放り込まれてしまった。
それでもどうにか、謝罪担当のルイズが平謝りして誤解を解いてくれた。
そう言えばと、思い出す。
あの赤髪の少女は無事に逃げ延びることが出来ただろうか。
「で、さっそく問題を起こしたわけだな、シンクレア」
大使執務室でさっそく大使と面会を許された訳だが、先ほどの騒動は彼の耳に入っていたようだ。開口一番にお小言を頂いて、あたし達は三人仲良く俯いたまま黙していた。
貴賓室なんて上等な部屋に通されることは無かったが、執務室は落ち着いた上品な雰囲気で、棚やソファーなどの家具にカシ材が多用され、バーカウンターや球技台、そして観賞植物も多く見られた。木の臭いで充満しているため、ちょっと癒される。
自然の香り豊かな室内で、大使はその小さすぎる体の七割ほどを執務机に埋めていた。
大きく鋭い眼光を光らせ、ケメットやリネットのような大きな耳を頭から突き出し、五指の手で物を書いている。その姿はあまりにも猫であったが、猫ではない。
貴族のように上等な装いをして、赤いマントを羽織る長靴を履いた猫。
妖精種のケットシー族である、フィン・アーギン・オルテガ大使。
序列第二位の賢天の魔術師にして、強力なアーギン魔術の使い手だった。
ちょこんと椅子に腰掛けるフィンの姿は可愛らしくはあるけれど、歳は六〇近い。
それでも艶やかな毛並みや、力強い眼力を有しているのは、やはり長命な妖精だからだ。
「問題を起こしたのは向こうの連中であってあたしじゃないわ」
「反省の色が見られん。そんな口の利き方をして良い立場かね? 君のお父上に告げ口したって構わないんだぞ」
「パパはこんなことじゃ怒らないから大丈夫よ、どうぞご自由に」
超然とした態度を見せると、フィンは眉間に皺を寄せて呻いた。
「二グラスの親バカめ。甘やかすから付け上がるんだ。良いかシンクレア、この国を監督官として任されているのは私なんだ。アルビオン人の問題は全て私の責任となる。その事を重々承知して貰いたいものだね」
ひとしきり嫌味を言ってフィンは溜飲を下げたらしく、それでも愁眉を開いたり閉じたりして自分たちの目的を尋ねてきた。いわゆる猜疑に歪んだ目というやつか。
「それで、君らは何をしに来たんだ。電報は受け取っているが、さっぱり意味がわからなかった。任務を出しにして遊びに来たのかね? それならそれで構わんが。いやその方が心穏やかでいられる」
随分と信用されていないらしいこの物言いに、傍らに控えているリネットもクスリと笑みをこぼしている。だがちょっと待って貰いたい。
「遊びだなんて心外だわ! あたしは本気でアルトロモンドを見つけようとしているの。この国には創造器の伝承があるのをフィンも知っているでしょう? アルトロモンドを喚び出すには原初創造器と呼ばれる五つの創造器が必要になる。だからランドールの創造器に関する情報の提供と、その探索許可を頂きたいわ! これが陛下から頂いた勅許状よ!」
王室の印章で留められた羊皮紙の巻物を取り出し、フィンの目の前に置いた。
彼は顔を顰めつつも丁寧に結び目を解く。すると呆れたように一つ息をついた。
「君は陛下に何と言ってこの勅命を引き出したんだ。というか本当に勅命なのか?」
『最近の若者の考えは深淵なるもの故、年寄りには想像もつかぬこともしばしば。されど王国の為ならんとするその意気やよし。この書状は、そのアルモト アル、アル何とか なる扉の探索に、あらゆる権利の行使を王室の名の下に、それなりに保証する物である』
「全文に渡ってふわふわしているんだが。年寄りの日記か? 酔っぱらってるのかあの爺さんは」
「印章と陛下のサインは本物でしょ。参謀本部のサインもあるし、後はフィンだけよ」
「何一つ理解出来ない。私が留守の間に世界は滅んだらしい……」
嫌味なのか何なのか良くわからない事を言いつつも、フィンは勅許状に名前を認めてくれた。
これで準備は万端。煩わしい書類作業は全て終了だ。
あとは大手を振って冒険に臨めるというもの……と目を輝かせて勅許状を返して貰おうとすると、フィンの鋭い猫のような眼差しが鈍く光る。同時に前に伸びた自分の手が得体の知れない力によって宙空に固定されてしまった。押しても引いても腕が動かず、宙にピン留めされてしまったかのようだ。部下の二人もソワソワとして狼狽えている。
「ちょっと何するのッ、それ返して! アーギン魔術なんか使って、何が不満なのよ!」
「不満? 違うな、不安なんだ。時に尋ねるが、私の記憶が確かならアルトロモンドとは――あれかな? 魔導師カイロ・メジャースの小説に出てきた扉のことかね?」
「そうよ!」
「あれは小説の話、だな? それを君は現実の世界に持ち込んで、探索をすると言っている。これに相違ないかね」
何が言いたいのかわかった。
「フィン、あなたはあたしの頭がおかしくなったんじゃないかって、そう思ってるのね」
「何て言い草です! 大佐の頭がおかしいのはずっと前からですのにッ! いくらオルテガ卿と言えどそのような侮蔑、偉大なる大佐の部下として聞き捨てなりませんのニャ!」
「うぉおいッ、失礼なのはお前だ! 黙らっしゃい!」
それに何だその言い草は。頭がおかしくなった時期に対し、言及して憤慨しているのかお前は。争点はそこじゃない。後ろから飛んできた弾にもめげずに気を取り直す。
「あたしの頭は正常よ。この任務は、アルトロモンドを証明する為に行なわれるものです。アルトロモンドの設定と、ハザール王室に伝わる伝承とが酷似していることを発見し、その真偽を確かめる、我々の任務はそれ以上でもそれ以下でもありません」
憮然としながらそう宣言すると、フィンは仏頂面のままこちらの拘束を解いた。
そして人差し指を遊ばせると、勅許状がふよふよと宙を漂いながらこの手に返る。
「……君たちも町を歩いてみたなら理解出来たはずだ。この国は先のハザール侵攻以来、恒常的な政情不安に陥っている。ラーハン大統領による独裁は多岐に渡り社会の歪みを生み出した。民族間衝突も多発している。ランドール政府とミッドガーズの接触も度々報告され、我々が動きを掴めない場面も多くなった。元庭師なら、これがどういうことかわるだろう、シンクレア。遅かれ早かれアルビオンも本格的な対応に乗り出す。今は大事な時期なんだ――創造器に関する情報は揃え次第届けさせよう。[王国の庭師]が集めた情報だ、確度は高いと思われる。くれぐれも問題を起こさないようにしてくれ――下がって良し。
全ての栄光はアルビオンの為に――」
先ほど得た情報によれば、ランドールの侵略を支援したのはアルビオンという話。
そして今は、それを起因とする社会不安に頭を抱えているという。はてさて……。
「アルビオンに栄光あれ」