第一章 4
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二日ぶりに地上に降り立ち、気持ちよく伸びをした。
ここに至るまでにも、様々な冒険があった。
嵐に巻き込まれて船内を滅茶苦茶に転げ回ったり、赤兎竜の愚連隊に出くわし通航料としてホロホロン鳥を取り上げられたり、泣き喚くケメットが赤兎竜に発砲して彼らの怒りを買い、戦闘機動で空域を脱出したり、ルイズが嘔吐製造器になったりなど、やっとの思いで辿り着いた。
ランドール共和国、第二の都市ノズリ。
現在地はノズリの北側にあるゼレベント発着場。この国に二つしかない国際線の一つだ。
有刺鉄線で仕切られ芝生の広がる敷地内には、多くのゼレベントが地上に繋ぎ止められ、《ナーニー》《ナニィー?》とコミュニケーションをとっている。その中、あたし達は荷物係にあれこれ指示して、迎えの車に荷物を積み込ませていた。
コホン――と咳払いしているのはうちの眼鏡担当。
「大佐、まだ納得できない部分が大半を占めていますが、ここまで来てしまったら致し方ありません。モック中佐から、大佐のお目付役を仰せつかっておりますので、今後の行動はきっちりと、この副官補佐のルイズが管理させて頂きます。ここはアルビオンではありませんので、ご自身の言動には十分配慮してください」
などと眼鏡をクイッしながら宣い、いかにも出来る女臭を醸し出している。責任感が強いのは結構なことだが、それにしたって、もう少しは自分の株価がどの位置にあるのか把握出来そうなものだと思う。寝起きに襲撃されたことは忘れてないぞ。
「命令書を拝見させていただきましたが、大佐の今の身分は『神秘査察官』ということですので、それに則した行動であって然るべきです。いつもみたいに、勝手気ままに戦場を渡り歩いて物資の横流しをしたり、運送業の真似事をしたり、軍票を元手に商売なんて絶対させませんから」
「なによ偉そうに釘刺しちゃってさ。あんた達だって何時も一緒にやってることじゃない。それにもう出世は無理だって思ってるんでしょ? お利口さんは卒業して、そろそろあたしの軍門に下って気楽に生きなさいよ。きっと楽しいわよ、ねえケメット」
「ルイズ中尉、暗黒面を受け入れるのニャ」
ケメットは顔に影を落とし、小憎たらしい微笑を湛えてルイズの肩に手を置いた。ルイズは「こんなの悪魔の囁きよぉ」と耳を塞いで首を振ってイヤイヤしている。本当に強情な娘だ。モック中佐が彼女をお目付役にしたのは正解らしい。気弱な癖に意思だけは強い。
ところで暗黒面ってあたしの事を指しているの?
ケメットを捕まえて膝蹴りを入れようとしていると、管制塔の方から軍服らしい装いの連中がこちらに向ってくるのが見えた。
先頭に立つのは恰幅の良い軍人で、どうやらランドール軍の将官のようだ。
胸に煌めく略章が数々の勲功を讃えていたし、どっしり構えた固太り体型、猫の口みたいな白い髭を生やしてる。これで将軍格で無ければお笑いだ。彼の後ろには、将官と同様にカーキ色の軍服を着た四〇絡みの男と、真っ黒なローブ姿の人物が続いている。
「やあ、お早いですな。急なことでしたので、このような些末な出迎えを許して頂きたい。本来であればレッドカーペットを敷いて歓迎したのですが、何分急でしたものでね。ええ。ところで、シンクレア大佐……で、よろしいのかな。本日は私用で?」
名乗りもせずにそう尋ねてくる固太りの将官。
これを素朴な疑問と受け取るか、慇懃無礼と受け取るかは人それぞれだが、あたしは心が広いのでこの無礼を許せる寛容な女だ。
「ほら見なさいケメット。あなたが発注した三つ揃いがエルカントじゃないからよ。ランドール軍の将軍閣下にプライベートでやって来たのかって勘違いされたじゃない」
「ですがウチにもやむにやまれぬ事情があったのです。店の主人が二品目は半額にしてくれると言う物ですから、ウチの分のスーツを安く仕立てるにはあの店でなくては――」
「違いますから! 軍服の話! 大佐が制服をちゃんと着てないからですよ! 軍規にだって身だしなみの項目に『公用では、制服着用のこと』と記載されていますし、アルビオン軍の所属である事を明らかにする義務が大佐には課せられているんです!」
勘違いされて当たり前だ、とルイズは声を荒げてぷりぷり怒っている。
だがそんな事を今更言われても困る。
この体と装いは一片の余さず一種のアイコンなのだから。
後頭部で結った金髪を背中に垂らし、鳶色の三つ揃いに身を包み、真っ白なシャツには深紅のループタイを流す。足下も磨き上がった洒落た革靴で気を抜かない伊達女。
この星のいつ何時、いかなる場所であってもこのスタイルを崩すつもりは無い。
全ての衆目に、戦場の敵味方に、あたしがそこに居る事を宣言する為の旗印。
「これがあたしの正装。シンクレアという記号。賢天の魔術師シンクレアとは、これよ」
その宣言に部下の二人はあきれ顔。よそ様方は面食らった様相で、将官は我に返った。
「これは失敬、賢天の魔術師シンクレア。私は国内の治安維持を任されているジャマル・ヤラコバと申します。どうぞ、よろしくお願い致します」
「畏まらないで下さい。階級は閣下の方が上なのですからね。偉い方が偉そうでなければ、下の者が付け上がります。それだけならまだしも、不埒者は世の理を乱しかねませんから」
この物言いに後ろの二人は「借りてきた猫みたいですニャ」「ケメットは借りても変りそうにないわね」「酷い侮辱です! 八歳と九歳と十歳の時と、十二歳と十三歳の時にうけた侮辱よりもなお酷い!」こうなのだから、上下関係は大事なんだ。
「それよりも、閣下に出迎えして貰うほどの用件ではありませんでしたのに……」
ランドール共和国はアルビオンの属国に近い国だ。しかしだからと言って、佐官である自分に、将軍格へいこらと態々出迎えに来る必要は無いし、彼らの矜持だって傷付きかねない。どうにも腑に落ちなかった。
「いえいえ、そんな事はございませんよ。こうして賢天の魔術師シンクレアにお会いできて光栄だ。ただ……その、我が国には既に賢天の魔術師が駐留しているものでして、なんというか、落ち着かないのです。不躾ながらお尋ねしますが、今回はどういったご用件でいらっしゃったので?」
なるほどそういう事か。ヤラコバ将軍は宗主国の賢天の魔術師が二人も同時に国内に存在することを危惧しているんだ。それだけ注目されているというのは悪くない気持ちだが、今回の場合は危険視されていると受け取るべきか。
「ご安心下さい閣下。今の私どもは軍事行動でやってきた訳ではありません。今回はランドールに存在している遺跡の調査と、神秘学研究を目的とした訪問ですので。事前に通知したとおりですわ」
「そうでありましたか。いやはや、とんだご無礼を。では如何でしょう、ランドールは初めてのご様子ですし、案内役にお付けいたします」
調子の良いことを言って、首輪をつけておきたいと顔に書いてある。
「有り難いのですが、今回は休暇も兼ねた任務でもありまして。色々とこの国を見て回りたいので遠慮しておきます。どうぞお気遣い無く」
「左様ですか……。では二、三注意点をお伝えしておきます。ハザール自治区には立ち寄らないよう気をつけて頂きたい。なにぶんあそこは土人共の巣窟でして、文明社会とは相容れぬ面がございます。ランドールの法を理解せず、日常的に犯罪行為が絶えない危険地帯となっております。ランドール治世下での滞在でありますれば、羽伸ばしにも良い湯治場などもご紹介致しましょう。それと、遺跡の調査という事でしたので念の為に――我が国で発見された考古学的価値を持つ発掘物に関しましては、ランドール政府に帰属する物である事を留意して頂きたい。もし何か見つけた場合は、必ずご一報下さい」
何か見られたくないものでもあるのだろうか。
ヤラコバの目は笑っていなかった。威圧感のようなものをヒシヒシと感じて、どこか切迫している様子も窺えた。それに彼の後ろに控えていた部下の二人からも、似たような印象を受けた。四〇半ばの軍人は特に、あたしに首ったけだったらしく、熱い視線を頂いていたので気になってしょうがなかった。痩せ気味だが整った顔をしていたし、顎髭は年相応で渋みが男前だとは思うけれど、敵意を通り越した怨望めいた念がちょっとおっかない。
「一悶着ありそうね」
「絶対ダメですよ。大佐の好きにはさせません!」
お前は誰の味方なんだとルイズのケツを蹴飛ばして、迎えの車に押し込んだ。
「大使館に向いますのニャ?」
「ええそう。ケメットも早く会いたいでしょ? さっさと行って、許可を貰いましょ」
「久しぶりですニャ。元気にしてますでしょうか」
覇権国家の軍属という立場上、自分が売ったわけではない恨みでも、買った側は考慮してはくれない。どこで買った恨みかは定かではないが、出来ることなら遠方を任されている支店長格のあたしではなく、本社に突撃して貰いたいものだ。
賢天の魔術師シンクレア。
若干二〇歳で賢天の称号を授けられた若き魔女。これは最年少記録だそうで、今後半世紀はこの記録が破られることは無いと囁かれる才女らしい。
アルビオンに於ける賢天の魔術師の序列では最下位ということになっているが、賢天の義務であるはずの、海外駐留任務から外されている。この手綱が緩いのを良いことに、彼女は様々な問題を引き起こすトラブルメーカーとしても有名だ。
数ヶ月前には公金着服問題で、一五〇億カークもの大金を私的流用していた事実が判明して起訴されている。しかし平然と賢天の魔術師の椅子に腰掛けていられる現状を鑑みるに、面の皮が厚いだけではないのだろう。まさかアルビオンの枢密院や賢天評議会が、好々爺よろしく甘やかしている訳ではあるまい。何か相応の理由があるはずだ。
現状、こちらが有する情報はこれだけしかない――。
「まったく、厄介者が間の悪い時期に来たものだ。賢天の魔術師などあのケットシー一人で沢山だというのに。また国内を引っかき回されでもしてみろ、ラーハン大統領からお叱りを受けるだけでは済まんぞ。八つ当たりで粛正の嵐が吹き荒れるなど笑い話にもならん」
シンクレア達の乗る車両が遠ざかるのを見送るヤラコバは、憎々しさと苦悶とを表情に同席させて弱り切っていた。
「ジューダス、奴らの宝探しごっこに気を配っておけ。大統領令は絶対だ。もし連中の目的が〈世界樹の杖〉であったのなら、排除してもかまわん。杖さえ手に入れば、奴らなど恐るるに足らん。忌々しいアルビオンの狗共、今に見ておれよ」
憤然とするヤラコバは、肩を怒らせながら管制塔へと戻っていく。その姿を冷ややかな視線で送り出してやると、隣に立つ黒いローブが小さく揺れる。
「随分とご立腹なされおりますね」
「ふん、部外者は気楽で良いな。いつまでも楽観視していられると思うなよレミーガ。この国のの、器の小さい独裁者は何をしでかすかわかったものじゃない」
レミーガは震えるように嗤い、ローブの袖口から荊のタトゥーにまみれた痩腕をぬるりと伸ばして掌を上に向けた。すると手中に光の粒子が集まり、渦を巻いたかと思えばそこから魔導書が現われる。
「ラーハン大統領は聡明なお方です。杞憂ですよ。それに、部外者という意味ではジューダスさん、あなたも然したる違いは無い」
「馬鹿を言うな。君と私の立場は全く異なる。もちろん、ヤラコバと同じということも無いが……ともかく、いま将軍閣下の機嫌を損ねるは悪手だ。〈世界樹の杖〉の捜索から外されれば目も当てられない。情報提供を求めるよ、レミーガ。ミッドガーズ王国の諜報員なら、アルビオンの賢天の魔術師に関する情報を腐るほど持っているだろ?」
「おやおや、情報局の人間とは思えない弱気な発言だ。他国の情報機関を頼るので?」
「ランドールとアルビオンの関係はわかっているだろ。意地悪は止めてくれ。大統領が〈世界樹の杖〉を欲しているのは、今のアルビオンとの関係を解消したいからだ。一秒でも早くな。このまま彼の国の属国にあれば、富が吸い尽くされかねない。エーテライト鉱石の取引価格の引き下げに更なる圧力がかかったばかりだ。それだけならまだしも、石炭石油にまで手を伸ばされれば、この国は忽ち干涸らびてしまうよ」
「ふふ……心にもないことを」
「意地悪は止めてくれと言っている。アルビオンの勢力圏を切り崩すチャンスだぞ。私に協力することはミッドガーズの利益に繋がる」
「ふぅむ。情報もタダではないのですけれどね。まあ良いでしょう。正直な話、シンクレアに関する情報は殆どありませんから。表に出始めてまだ二年足らず。軍事作戦に於ける戦闘行為は観測されず、新世主義国――主にアステルス製の戦車などを活用した機甲軍団を運用し、先進各国の戦術ドクトリンを模倣する傾向にある。その為、彼女の賢天の秘奥だけが未だに判明していない。調査の為に潜入した二名の工作員は不審死を遂げている。一説によれば、彼女は[王国の庭師]に育てられたという話があり、賢天評議会や枢密院に影響力を及ぼそうとする庭師たちが送り込んだ刺客、という見方もあるようです。そういう意味では、我々と同類の可能性がある。小娘と侮れば、痛い目を見るでしょう」
「そういう話を聞きたいんじゃない。奴の目的だ」
「我々の方こそ知りたい情報です。ただ、ヤラコバが言うような偶然の出来事だとは思わない方が良い。物事は起こるべくして起る。因果の小車は回り続けるのです」
レミーガの持つ魔導書が音を立てて唐突に開き、風に捲られるように頁を暴れさせ、その頁から次々と黒い影が飛び立っていく。シンクレア達を尾行するための使い魔を放ったのだろう。結局、情報はこれから集めなければならないと言うことらしい。
「それはわかるな。創造器:〈太陽の眼〉を手にすれば、〈世界樹の杖〉への道は開ける。因果の胤は芽吹いているはずさ。私は先に戻る。君もあとで合流しろ」
レミーガは答えなかった。
「仕事熱心な奴だ」
これまで隣にいた筈の彼は、砂埃を残し、影も形もなくその場から消え去っていた。