魔女と願いの扉 序章1
魔女と願いの扉
序章
1
『……続きまして、グロージア大陸南部、ラーシア自治区に関する続報をお伝えしまぁす。昨年末より続いてた反政府軍とラーシア政府との戦闘における死傷者の数は、民間人を含めて三〇二二人、行方不明者一四四〇人に上りました。アルビオン軍の戦死者は発生しておりません。本日の会見にて、ケルン報道官は弱腰な姿勢と見られるのはかえって事態を悪化させるとし、紛争の早期終結を目指し、反乱軍の補給基地と目される村々に対してゼレベントの編隊を急行させ、空爆を実行したことを明らかにしました。更に、監督官として同自治区に着任した魔術師、l賢天の魔術師エンドルフ・マイヤーが指揮を執る第一三師団がシモーヌ川を越え、ラーシア第四の都市、リップヘンゼンを解放! 凄い! さすがマイヤー様ですね! 現地では喜びの声が上がっている模様です――』
ラジオから流れてくるニュースは、その内容に似合わず年若な女の声で読まれていた。
だからどうしたという程度の事だけれど、そこらの町娘が友人と語らうときの調子で話すものだから、緊張感が削がれてしまう。適材適所というものがあるだろうに、と詮ないことを思いつつ、サイドテーブルに置かれ結露したグラスに手を伸ばした。
小麦色のウスケボーが揺れるグラスの中で、氷がカランと音を立てる。
『……最後にお伝えするのは、こちらも同じくl賢天の魔術師に関するロマンなニュースです。五年前にモーストン州で新たに発見されたルールエ遺跡ですが、昨年、l賢天の魔術師シンクレア率いる第七独立連隊が発掘作業に加わった事で話題になりましたね。それによって発掘スピードは格段に上がり、次々と新発見があった模様です。発掘チームの代表である考古学者のコリント教授は、近く記者会見を予定しており、その場でアルビオンに纏わる歴史的な新事実を公表するとしています。さあ、盛り上がってまいりました。いったい何を発表するんでしょうね。アルビオン最古の女王ミラルーデンは実在したのか、お宝は有ったのか、パイニーも楽しみ! はい、では時刻は間も無く午後一二時を回りますよ。ここまでは皆様のお耳の恋人、パイニー・トリエがお送りしました。最後にこの曲でお別れです。わたくしパイニー・トリエで『あなたの願い』――ではまた明日!』
「なによ、このマイヤーとの落差は。もっとあたしにも注目しなさいよ」
戦功を立てるだけがl賢天の魔術師の役目ではないはずだ。
確かに遺跡の発掘は一見して地味だし、直ぐに結果が出るものでもない気長な作業だ。
それでも、血生臭い上に泥塗れになる戦場よりも何倍もロマンが詰まっている。
モーストン州の郊外にある荒涼としたルールエの大地には、大昔の地層を見る事が出来る谷が散在している。取り分けこの谷は、七五キロに渡って南北を走っており、落差は一〇〇メートル近く、幅は一五キロに及ぶ枯れた大渓谷だ。大地溝帯だという可能性もコリント教授から聞かされていたが、その点はまだ調査中だという。
そしてご案内のルールエ遺跡は、約一万年前の地層から発見された大規模な遺跡である。積もりに積もった地層の分だけロマンも積もっているし、好奇心がかき立てられるというもの。
「これを見てワクワクない奴は人間の潜りだわ。モグラよモグラ。ふふふ」
初夏の強い日差しを遮るパラソルの下、発掘作業が続く遺跡を肴にウスケボーを楽しめるというのは我ながら良い身分だった。少し暑くて埃っぽいこと以外は、楽しい楽しい宝探し――もといお仕事である。
前景を占めるルールエ遺跡は、谷に埋まる形で四つの逆ピラミッドから構成されている。未だ全容が明らかになったわけではないが、逆ピラミッド一つとっても全長七五メートルと、壮大な遺跡だ。自分の連隊から妖精種のドワーフたちを貸し出さなければ、発掘作業に何十年とかかっていたことだろう。現在は正面二つの逆ピラミッドが掘り起こされ、入り口と思しき箇所から内部の探索を始めたところだった。
コリント教授には感謝して貰いたいものである――と、丁度良く彼がバギーに乗ってやってきた。
「シンクレア大佐! いらっしゃったのなら声を掛けて下されば良いのに。どうですかこの短剣。これを見て下さいよ。一万年近く前のものだというのに素晴らしい保存状態です。先ほど出たばかり、産みたてですよ産みたて! 状況からして鉄隕石から鍛え上げたものだと考えておりますが、魔術師の観点からもご意見を頂きたい」
白髭も似合う初老のコリントは、子供の様に目を輝かせて短剣を差し出してきた。男はいくつになっても武具には目がないようで、考古学に携わっている彼のような老人もその例に漏れないらしい。やれやれといった風に籐椅子を軋ませて体を起こした。
「魔導具の類じゃない。マナは含まれていないし、教授が言うなら隕石由来でしょうね。それでも珍しいものに違いないし、こういうの好きよ。それよりも――」
短剣を返して遺跡に目をやる。するとコリントはこちらの意を汲んだように頷いた。
「ええ、わかっておりますとも。隠し部屋の件ですな。私もそう簡単にミラルーデンを諦めることはできない。彼女は必ずこのルールエの地に眠っているはずなのです。そこで、興味深い文字をみつけました。そう、あの宝物庫です。チームにも魔術師はいますが、賢天の魔術師とは比ぶべくもない。今すぐご覧になりますか?」
そんな事、答えるまでもない。
どうしてあたしが遺跡の発掘に連隊を動員しているとお思いか。
全ては幻の扉に到るため――そのためにどうしても必要なものがある。
アルビオンの伝説の女王ミラルーデンは居ても居なくてもどちらでも良いが、彼女が持っていたとされる〝秘宝〟だけは喉から手が出るほど欲しかった。
コリントに連れられてやってきたのは、遺跡内部にある小さな宝物庫の一つだ。
ピラミッドを構成している物と同じ石灰岩で造られており、発見当初は中央に据えられた石櫃から山ほどの金や銀の宝飾品が現われた。しかしこれは盗掘されることを予め想定し、目眩ましのために置かれていたのだろうと、コリントは語る。
「何故ならば、かの女王は世界最古の魔術師と呼ばれ、神々の創り出した創世の道具――『創造器』を集めていたと伝説にはあります。ところがこの遺跡からは創造器どころか魔導具の類も未だ見つかっていない」
コリントは電球に照らし出された壁画に手を触れ、憧れの娘への恋慕を友人に語るようにミラルーデンへの情熱の共感を求めてくる。
「シンクレア大佐もわかりますでしょう? ここに描かれた壁画は、アルビノ島の歴史を根本から変えてしまうものだ。描かれているのはオークたちです。大昔、魔族がこの島に居たことを示している。彼らはルールエ遺跡を目指すように描かれています。最初は攻め込んできている様子を描いた物だと考えていましたが、他の壁画には魔族との交流の様子が描かれていた。つまりこの遺跡は、彼らにとっても聖地、人と魔族が交流していた古の時代――魔術伝来の秘密を解く鍵になる場所かもしれない。だとすれば、この場に必ず無くてはならない人物が居る。そう、最初の魔女――ミラルーデンだ」
いよいよ熱っぽく語り始めたコリント。ロマンを追い求める者同士、気持ちは十分にわかるが、彼はこうなると話が長い。
「教授、前置きはいいの。何を見つけたのか早く教えて。あなたもミラルーデンに会いたいのなら、あたしに仕事をさせてちょうだい」
これは失礼、と彼は咳払いして水筒を取り出した。
「石棺のあった場所をよく見て下さい。床に亀裂が入っているのがおわかりになるでしょう。一見、自然に劣化して出来た亀裂かと思いがちですが、こうして水を垂らすと……」
水筒の水を床に垂らすと、水は当たり前ながらに高所から低所へと流れゆく。そして床の亀裂に沿って水が流れ始めると、何の変哲もないひび割れは、文字としての形をくっきりと浮かび上がらせた。
「これは古代文字です。直ぐに写しを取りまして解読したところ、凡そ一五〇〇年前に西側諸国で広がったロキアスク古代文字である事がわかりました。大佐、これは事件です。ロキアスクは、大陸の国だ。そして聖導歴二〇〇〇年代以前にはこの文字は確認されていなかった! それが何故一万年も前の遺跡に、しかもアルビオンにあるのか!」
まさにロマン、謎は深まるばかりだ……とコリントの恍惚とした表情は語っていた。
「それで、何て書いてあるのよ?」
「性急ですな。刻まれているのは左から『第五の星』、『第三の木』、『第八の土地』、それから順に『一、三、五、七、九』となっています。これがなにを意味しているのかはまだ判明していませんが、もしかすると遺跡を建造する際につけた印である可能性もあります」
「なるほどね――でもこういう見方もあるわ。これらの文字に線を足すと、ネシム学派の魔術師たちが使っている精霊文字の結界術式になる」
「ほう、それはどういった?」
どれどれと首を伸ばしてきたコリント。知りたいのならば教えてやろう。
腰からナイフを引き抜き、床に刻まれた文字に線を付け足すように突き立てた。
「大佐!? 待って待って待って下さいなんてことを! これは歴史的な資料なんですよ!」「固いこと言っこなしよ。今あたしにトレジャーハンターの神が舞い降りたの」
「大佐は軍人じゃないですか! ああ、だめですそんなに傷つけたら原型がなくなってしまうッ! それ以上は止めましょう! ね、止めましょう、お願いしますよ! 私が生涯を賭けて――どんな思いでこの遺跡まで辿り着いたと……なんと……これは」
「まあどんな事でも、取り敢えずやってみる。この手に限るわ」
床に刻まれていたロキアスクの古代文字。それに線を付け足して形作った精霊文字は、淡い翡翠色に発光し始めていた。
「そんな――こんな事が……」
「教授、あなたはここがミラルーデンの墓所だと言った。ならばこの程度の魔術はむしろ有って当然じゃないかしら。ともかく、道は開けたわ」
古代文字が刻まれていた床にはぽっかりと穴が開き、一切の光がない漆黒の空間に下りる階段が出現したのだった。
階段は何処までも続いていた。
闇の中をたいまつ片手に慎重に下りていく。体感ではすでに五〇メートル近く地下へと下りている気がして、いよいよ地獄の底まで繋がっているのではないかと疑い始めた。
空気は湿っぽい上にカビ臭く、足下ではチョロチョロと水の音がしている。地下水が流れ込んでいるのかもしれない。
「大佐、やはり一旦戻りましょう。我々だけでこの地下空間を探索するのは危険です。せめて誰かに伝えてから――」
「ダメ、最初に言ったでしょう。あたしには目的がある。他の連中にそれを知られるわけにはいかない。発掘にあたしの部隊を貸したときの約束、忘れたとは言わさないわよ?」
「それは――もちろん、もちろん覚えていますとも。その点抜かり有りません。私はミラルーデンさえ見つけることが出来れば、他の事には目を瞑りましょう」
「耳を塞いで、口を噤むのも忘れてはだめよ。あなたは魔女と契約したの――と、着いた」
階段を下りた先には、自分の想像を完全に裏切る光景が広がっていた。
そこは地下室の筈なのに、空気がとても澄んでいる。それどころか地面には、芝生が生えていた。流石に伸び放題になって管理されてはいないようだが、異常はそこに留まらない。可愛らしい低木が並木道を作り、水路のように整備された小川が流れ、白くて小さな橋が架かっていた。顔の目の前を羽虫が飛びさり、小さな池には小魚が泳いでいる。
一面に広がっている緑の芝生には、土器のように土色をした物体が随所から顔を覗かせているが、荒れている風ではなく、オブジェよろしく埋まっていた。
ここはまるで、六歳の女の子が想像したような乙女チックな庭だった。
耳を澄ませば鳥の囀りすら聞こえてきそうなほどに晴れやかで、伸びやかだ。
そう、この地下には不思議な光源がある。水晶の結晶らしき六角柱の物体がいくつも宙を漂い、優しい光を放って、地中深くにあるこの庭から暗闇を消し去っていた。
「なんということだ……これは――こんなことが……」
コリントはゆっくりと芝生に膝をつくと、眼前に広がる光景に打ち震えた。言葉にならない思いが体中から迸っている。きっと、彼の夢が一万年の時を越えて現実の物となった瞬間であるに違いない。それは、とても羨ましいことだ。
自分はと言えば、柔らかい芝生を踏みしめて奥を目指した。
小さな並木道に誘われるように先を行く。地下室の最奥に、この中庭の主人を見つけた。
彼女は――野原を模した一角に据えられている椅子に鎮座していた。
天上から吊り下がる鎖に玉座ごと胴を巻かれ、左右の壁からも伸びる鎖に両腕を引き縛られている。足下をよく見れば足枷も嵌められており、完全に拘束されているようだ。
深紅のサテンドレスを身に纏う彼女は、ミイラのように干涸らびてはいない。
胸元の鎖骨や縛られた両腕、そしてドレスの裾から垣間見える艶めかしい脚。その瑞々しい素肌は、生気溢れる若々しい女のものだった。だが――首がない。
それを踏まえれば、つい先ほど猟奇殺人にでもあったかのような有様にも思える。
しかしここは一万年前の地層に眠っていた遺跡の、更には隠し通路から伸びる地下室だ。昨日今日でこの場に足を踏み入れることが出来た者など居るはずもない。
首のない女の膝元には、一冊の本が置かれていた。
黒い革の外装で、表紙にはリンゴに巻き付いた蛇が描かれている。
「これは……」
かつて、世界を席巻した伝説の魔女がいた。
彼女は神々が世界を創世するために用いた神代の秘宝『創造器』を山のように持っていたと言われている。伝説の魔女はその創造器の力によって、ありとあらゆる財宝を手に入れ、敵を討ち滅ぼし、この世の全て支配していた。
しかし、なぜ彼女はそれほどの創造器を持ち得たのか―――。
その理由は一冊の本にあった。
世界の開闢から終焉に至るまで、ありとあらゆる事が記されているという伝説の創造器――〈蛇の書〉によってその道を指し示されたからだと、現代には伝えられている。
「あなたは……これまでどんな冒険をしてきたのかしら」
彼女がミラルーデンであるのか否か、それは知る由もない。
そして当面のところ興味も無い。
「今度は、あたしの番よ」
彼女の冒険は大昔に終わっていた。
コリントの冒険も今日終わりを告げただろう。
だが自分は違う。
幻の扉――l願いの扉をめぐる冒険が、今日この瞬間から始まったんだ。