第二章 2
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遺跡の発掘作業や探索といった、国の重要文化財に指定されるような遺物の調査に係わる際にはそれなりの手続きが必要だ。ただ、この点の問題は既に解決済みだった。
フィンに全部お願いしたからだ。何かしら申請をするとか、山ほどの書類が必要だとかは全部丸投げし、全てを自分の身分である『神秘査察官』一つで解決するように特権を得ている。
これもランドールがアルビオンの潜在的な属国であるから出来る力技だった。
しかし、それでも問題が残っていた。自分たちにとってこの国は未知の土地。
外食するにも、土産物を買うにも、誰かに尋ねなければ始まらない。暗中模索でいたずらに時間を消耗する事態に陥ることは避けたかった。
口やかましいルイズも言うように、公費も無限ではない。
そこで、あたし達は土地勘を持つ現地のガイドを必要としていた。
「なぜランドール人のガイドを雇わなかったのです? そうすればこんな手間暇かけて人捜しする必要もありませんでしたのに。ウチには理解できません」
大使館に用意して貰った屋根無しの軍用車で、ノズリ東部の街中を進んでいた。
ハンドルを握るのは自称凄腕運転手のケメットだ。日頃からドライバーとして送迎の任に携わる彼女だが、身体的な理由から――尻尾があるので――いつもむず痒そうにしている。尻尾を腰に回していても、やはり圧迫されるので居心地が悪いそうだ。
後部座席ではルイズが地図と睨めっこし、あたしは助手席で講釈を垂れていた。
「良いかしら、ケメット。あたし達はランドールに歓迎されていない。あのヤラコバとかいう将軍が、あたし達の目的を黙認してくれるとは思えないわ。正規ルートで依頼すれば、将軍の息がかかった奴を寄越すに決ってるんだから。それにフィンもこの国は不安定だと言っていた。事実、ラーハン大統領の内政は上手く行ってない。昨日バザールで見たランドール人たちも、政治的に病んでいる兆候が見られる。国家の土台が揺らいでいる証拠ね。そう言う連中は国のためと、要らないお節介を働く。必ずあたし達の邪魔になる。だからランドールから精神的な距離を取ることの出来る人材が必要なの」
「流石大佐です! 正気を疑うほどの見識ですのニャ!」
「ふふん、でしょう? ……あれ、いま褒めたのよね?」
「だからといって、外務省が危険地帯に指定している、ハザール自治区で人を雇うのもどうかと思いますけど……」
「彼らは迫害されているんでしょう? なら、敵の敵は味方理論が成り立つんじゃないかしら。お金にも困ってるだろうし、多少の事は目を瞑ってくれるでしょ。それに、ハザールの遺跡の事ならハザール人に聞くのが筋よ。〝元〟は、彼らの国なんだしね」
「それはそうですけど……詐欺とか強盗とか怖いですし」
「ルイズは心配性ね。アルビオン軍人が聞いて呆れるわ。大使館が情報収集に使っている人だって聞いたから大丈夫よ。先方は準備があるとかで、自治区を抜けた道中で落ち合う予定よ。ヤラコバは入るなって言ってたけど、面白そうだしちょっと覗いていきましょ」
「好奇心はケメットをも殺すと言いますニャ」
「変な事に首を突っ込むの止めて下さいよ。昨日みたいなことはごめんですからね。次は大佐が土下座してください」
「有意義な冒険をするためには、この眼で、この国の状況をきちんと把握しておく必要があるわ。物事を正しく視る目を養うのよ。ああでも……幾多の困難を乗り越えるってのも、冒険の醍醐味ね!」
車はノズリを東に抜けて、緩衝地帯とでもいえる何も無い土地を挟んですぐ、荒野に広がる町――というよりも開拓地の集落――に着く。
鉄柵と有刺鉄線が集落を取り囲み、立派とは言い難い木製の門が開け放たれていた。見たところ門は朽ちかけており、常時解放されているようだ。
伝統的なレンガ造りの町だったノズリとは異なり、ここの集落は木造建築が建ち並び、地面の舗装はされずむき出した。
外から見た時の所感は、モノクロで退廃的なバラック街だ。
「ここがハザール自治区ね。想像していたより大きなところじゃない」
「そりゃそうです。ノズリに住んでいたハザール人がここに移ったんですから」
「人も多いし、出店も沢山あります。でもなんだか臭いですニャ」
人や馬車で猥雑とした自治区を眺めつつ、ケメットはゆっくりと車を走らせる。
彼女の言うとおり、臭いかもしれない。人の汗の饐えた臭い、料理中の煮炊きの臭い、汚水の臭いなどが混ぜこぜで、そこら中から嗅覚に暴力を振るってくる。
排水溝などは辛うじてあるようだが、下水道が整備されている様子は無く、ジャコブ河の支流に汚水が垂れ流されて淀んでいた。道のど真ん中には、アルビオンからは消えて久しい井戸があり、生活を支える為にいまも現役で活躍中らしい。
女達がまさに井戸端会議を行っていた。
大通りと思われる一帯は市場の様相を見せており、簡素な屋台骨の店が軒を連ねる。
自治区に住んでいる全般の市民に共通して言えることだが、彼らの衣服はやはり薄汚れていたし、酷い臭いを発していた。生活水準をノズリと比較するのは愚かしい物の見方と言えるが、少なくともヤラコバの言うような犯罪者の巣窟という印象とはかけ離れていた。
「お譲さんがた! ハザール名物のドサン焼きはどうだい!」
「子ヒマワリの花飾りだよ! 美人のお姉さん、買っていっておくれよ!」
「純度一〇〇パーセントのエーテライトだ。お似合のタリスマンが揃ってるよ!」
ちょっとひやかしのつもりで市場を通ってみれば、快活な店主や売り子、商人たちに声をかけられる。金づると思われているのかも知れないが、それを踏まえても、気さくな彼らに絆されおだてられ、ついつい財布の紐が緩んでしまった。
「ありがとう! お姉さんの一日が幸福でありますように!」
車に駆け寄って来た小僧に駄賃を手渡し、代わりに子ヒマワリの花飾りを受け取った。
ケメットはハンドル片手に、ドサン焼きなるお菓子を頬張っている。小麦粉を練って焼いたシンプルな物だが、タレが甘酸っぱくて美味しいらしい。
ルイズも買ったばかりのタリスマンを繁々と見つめてご満悦だ。あれでもエルードラ学派を修めた魔術師の端くれであるため、魔導具には目がないのだが、どう見たって不純物を含んだタリスマンに気付かないようではまだまだだ。
「思ってたような恐いところじゃなくてよかったですね」
「怖がってたのはルイズだけでしょ。だから言ったのよ。自分の目で確かめないと、本当のことなんてわからないんだから」
それにしても、ランドールはどうも好きになれない。バザールでの一件然り、ヤラコバを始めとしたランドール人たちによる迫害は度が過ぎている。ただそこに深く関わる事は内政干渉に他ならないので、自分が考えても詮ないこと。
あたしは目的を果たすまでだと、心の中で線引きをしようとした、そんな折。
「大佐、あすこを見て下さい。何かいますニャ!」
市場を抜けた先は、集合住宅が密集する地区の一角。ケメットの見つめる前方には、ランドール軍の物と思われる四台の軍用車が停まっていた。傍には腕章を憲兵たちの姿がある。いったい何をしているのだろう。
「車から降りろ! お前達は何者だ。こんな所で何をしている」
拳銃を腰に下げた憲兵たちが路を封鎖すると同時に誰何してきた。
こちらは仕方なく言われた通りにするしかない。フィンのお膝元という手前、昨日の今日で問題を起こすのは憚られるというもの。
「貴様らこそ何者だニャ! こちらにおわすお方をどなたと心得る! アルビオン第七独立連隊の連隊長――序列最下位の賢天の魔術師シンクレアであらせられるぞ! 頭が高いのニャ!」
「ひ、控えおろう……ッ!」
「ふふふ、ケメット、ルイズ、やっておしまい――じゃないッ! 人の気も知らないで勝手な事しないで! ルイズ、あんた人に散々注意して自分はどうなのよ!」
「ご、ごめんなさい! つい――」
本当にしょうのないお目付役と従者だ。それに序列は関係ないだろ!
だがそれよりも、このくだらない寸劇を披露したせいで彼らの注目を余計に集めてしまった。荒ら屋からもぞろぞろと憲兵達が現われる。
そしてその中には、あろう事か昨日助けてやった少年と赤毛の少女も含まれていた。
二人は憲兵隊に捕まり家屋から連れ出されてきたのだ。
「賢天の魔術師シンクレアだって?」
「あの狼連隊の?」
彼らの中からそんな声が囁き漏れてくる。外国の憲兵にさえも自分の名声が轟いているというのは悪い気分じゃないけれど、それどころじゃない。せっかく助けてやったというのに、何だってまた捕まっているんだ。鈍くさいったらありゃしない。向こうも向こうでこちらに気付き、物欲しそうな顔をしているのだから呆れてしまう。
助けてやる義理などあるのか、そうした逡巡が無い事も無いが……。
「はぁ……まぁ良いわ。隊長さんはだぁれ?」
「私が責任者だ。非礼は詫びましょう、賢天の魔術師。しかし、なぜ自治区に?」
「通りがかっただけよ。あなた方は何をしていらっしゃるのかしら」
「何をと言われても、職務を遂行しているに過ぎない。昨日バザールで盗みを働いたもの達を捕えに来たんだ」
「昨日の事なら知っている。盗んだ果物の代金はあたしが払ったんだ。それを店主は受け取った。捕えられる大義はどこにある? それに、赤毛の娘は盗みを働いていなかった。彼を暴力から庇おうとしていただけ。どうして逮捕する? まるで誘拐みたいよ?」
この反応を予想していなかったのか、憲兵隊の隊長は一瞬口を噤み、視線を泳がせた。
「賢天の魔術師、この国はアルビオンとは法律が異なるのです。それをご理解頂きたい。この案件は被害者側の訴えを必要としない。そして、この娘には窃盗の幇助と共謀罪の疑いが掛けられている」
言って聞かせるその丁寧な口調は、まるで自分に言い聞かせる口ぶりその物。
そこへ「嘘です」と横やりを入れる声。食ってかかったのは、なんとルイズだった。
「ランドールでは現状、窃盗は親告罪ならび現行犯による逮捕以外は認められていません。それに伴い幇助と共謀罪を適用するのは如何なものかと。これは職権の乱用ですよ」
「――だ、そうよ」
「…………」
こちらが外国人であるのを良いことに、口から出任せで乗り切れると踏んでいたのだろう。相手がただの観光客なら唯々諾々と引き下がっただろうが、生憎こちらには事前準備の鬼が居る。多くの国で問題を引き起こしてきたせいで、上官の行動を全く信用しなくなったルイズは当該国の情報収集(主に法律関係)に日々血道を上げているのだ!
謝罪担当は伊達ではない。
責任者の男は返す言葉が無いらしく、二の句が継げずにいる。
第一、子供をしょっ引いていったい何になる。重大犯罪でもあるまいに、そこまでして点数稼ぎがしたいのだろうか。それとも、しなければならない理由があるのか……?
あれこれと考えを巡らせながら睨み合いが続いて居ると、彼の背後から別の憲兵が何かを耳打ちした。その直後に責任者は息を呑み、視線が据わっていく。内緒話。
「ケメット」
「はいニャ。『少佐殿は邪魔者があれば超法規的措置もやむなしと』だそうです」
鼠の足音だって聞き分けるケメットの耳は、小声くらいじゃ誤魔化せない。
この発言で彼らは俄に色めき立ち、憲兵の数名が腰の拳銃に手を伸ばそうとする――。
直後にあたしは懐のホルスターから拳銃を抜いて彼らに突きつけ、それよりも数瞬早くケメットは拳銃の銃口を憲兵たちに向けていた。これに遅ればせながら、ルイズも追い縋る形で鞄から拳銃を取り出し、へっぴり腰で構える。
バラック街はあっと言う間に一触即発の空気が張り詰め――責任者の男が声を上げた。
「待て! 待て待て! 賢天の魔術師、大変な失礼を。重大な齟齬があったようだ。我々は引き上げる。銃を下ろして欲しい。抗議があれば、ランドール軍のノズリ支所、または外務省までどうぞ。失礼しました」
「齟齬ねぇ? まあ、あたしはそれでも構わないけれど。お仕事ご苦労様」