◇8
追いかけても、追いかけても、追いつけない背中があった。
父と、母と、二人に連れられて歩く弟。自分は後ろから必死に走ってついて行こうとするが、三人はどんどん前に行ってしまう。
「待って、待ってよ」
どれだけ叫んでも、振り返ってくれない。その内、石につまずきさらに置いていかれてしまう。
いつもここで目が覚めるんだ。
「おはよう、恭平君。顔色が悪いわね」
スミレさんが苦笑する。
「どうぞ、ハーブティー。美味しいわよ」
いい香りだ。気分が落ち着く。
恭平は倒れ込むように椅子に座り、ハーブティーを口にした。こんなに落ち着いてお茶を飲むのは、何年ぶりだろう。家族がいた時も、いなくなった後も、こんなにゆっくりした朝を迎えたことはなかった。
「矢藤御さんは?」
「まだ寝てる。昨日、お仕事あったみたいだから」
お仕事。
あの現実に、少しずつ慣れている自分が分かる。
「あ、そう言えば昨日、矢藤御さんの師匠に会いましたよ」
ハーブティーを入れていたスミレの手が止まる。
「え?」
表情が変わったのは、明らかだ。
「えっと…浪岡烈さんって名前の…」
空気が変わったことに、恭平もすぐ気がついた。
「浪岡が、どうしたって?」
キッチンに突然現れた楓。彼女の気配に、全く気づけなかった。
「お、おはよう楓ちゃん」
スミレさんも動揺している。
「恭平君、浪岡に会ったの?」
「う、うん…でも、話しただけだよ。だって、師匠なんでしょ?君のこと、心配してたよ」
「何て言ってた?」
恭平はすぐに答える。
「元気なら、いいんだって…」
その言葉に、楓は鼻で笑う。
「元気なら…つまり、生きていればってことだわね」
笑っているのは、楓だけだ。
「し、師匠じゃないの?師弟関係なんでしょ?」
「そんなところだけど、そんな簡単な関係じゃないです。恭平君、今度浪岡が会いに来たら…」
寒気がした。
「すぐに逃げてくださいね」
死神たちが騒ぎだす時間は、午前零時を回ってから。闇に乗じて、人間を襲い、魂を喰らう。だから楓が家を出るのは、零時五分前。死神たちが騒ぎ出す前に、構えておく。
「ギャア!!」
人間の叫び声が聞こえたら、いつでも飛べるように。
「低レベルの死神だな、札を使うまでもない」
酔っ払いの首をつかんでいた死神は、不完全体なのだろうか、妙な色の液体がドロドロと流れ出ている。
「とっととあの世に還れ」
楓が鎌を振り落とすと、死神は音も立てず消えた。
「十万ってところです。支払いよろしくお願いします」
腰を抜かしている酔っ払いに請求書を渡す。
今日はこの辺にしておくか…。
「あら?帰ってしまうわけ?」
楓の真後ろに、気配がする。
「…そんなに私が好きですか?來亜…」
「ばっかじゃないのぉ!」
膨れっ面の來亜が、少しずつ楓に近づいていく。
「こんな簡単な仕事じゃ、物足りないでしょ?どう?たまには本気で…」
にんまりと笑う來亜。
「貴方はいつだって、本気でしょ?というより、必死でしょ?」
楓も、鼻で笑った。
「その笑い方、本当に嫌いっ!」
地面を蹴った來亜。
來亜の刀と楓の鎌がぶつかり合う。
火花が散った。
二人の殺気に強さに、鳥達は飛び去り、闇に潜んでいた獣達は姿を消す。酔っ払いも、失神してしまった。
「強くなったわね…」
後ろに飛び退いた楓から、笑いが消える。
「あんたを殺すことだけを考えていたらね、どんどん強くなれるのあたし!あんたの余裕ぶった表情を、この手で消してやるって思うとね…」
水と油。一生、分かり合えない関係。
「でも、約束しちゃったからなぁ…」
來亜が刀をしまう。
「れっちゃんとの約束破ると、本当に恐いから…仕方ないからあたしは手を引くわ」
來亜がそう言った瞬間、楓の背後にもう一人の気配がした。
「約束は守るわよ…れっちゃん」
楓が振り返ろうとした時は、すでに遅かった。誰かの拳が、彼女の鳩尾に直撃する。
「くっ!!」
楓の意識が飛んだ。
「ありがとう、來亜…」
倒れた楓を支えたのは、浪岡だった。
「感謝してよっ!」
頬を膨らました來亜を見た浪岡が、にっこりと微笑む。
「美味しいパフェを、おごりますよ」