◇7
「ちょっと話、聞かせてくれないかい?」
男の言われるがままについて行くと、古びれた喫茶店に案内された。床は軋み、今にも崩れそうな建物だったが、入った瞬間にしたコーヒーの香りが、恭平を落ち着かせた。
白い口ひげを生やしたダンディーな店長が、男を見るとにっこりと微笑んだ。
「やぁ、いらっしゃい」
低音で、いい声をしている。
「僕の行き着け。穴場なんだよね、ここは」
男は恭平に笑いかけると、ゆっくりと席に着いた。
「座ったら?」
そう言われた恭平も、恐る恐る席に着く。警戒心が、表情に出ていた。
「コーヒー、平気?」
「…はい」
本当は苦いのはこの世で一番苦手だが、断る余裕すらなかった。
「ここのコーヒーは格別だよ。他は飲めなくなる」
男がどれだけ笑っても、恭平は表情を変えることができない。
「…警戒されても当然だよね。しかも、突然こんなところに連れてきちゃって…君、よく僕について来たね」
自分でも分からない。でも、あそこで断っていたら、何か起きていたに違いないと、自分の中で思ったのは確かだ。
「自己紹介が遅れたね、僕は浪岡烈。君は?」
「…小倉、恭平です」
恭平君か…と、浪岡は呟く。
「矢藤御楓さんとは、同級生かな?」
「はい。そちらは?」
すぐに質問を返したのは、沈黙になりたくなかったからだ。
「僕…僕は…何て言ったらいいのかな…」
浪岡が迷っていると、コーヒーが運ばれてきた。
「お、いい香り」微笑む浪岡。
話しを逸らされては困ると思った恭平は、コーヒーには目もくれず、じっと浪岡を見つめる。
「あぁ…楓さんとの関係だったね…えっと…しいて言うなら…」
コーヒーカップを置く、浪岡。
「師弟関係ってところかな」
師弟関係?
「僕、楓さんにあることを教えていた、師匠なんだよ」
「もしかして、退治屋?!」
身を乗り出す。
「あ…はは…君、そのこと知っているの?」
恭平の勢いに、浪岡は思わず言葉を詰まらせる。
「あ…いや、そんなに詳しくは知らないんですが、俺、矢藤御さんに助けられたんで」
「そうか…楓さんにね…じゃ、死神使いについても知っているのかな?」
頷く。
「なら、話が早いね。その通りだよ。僕が楓さんに、退治屋としての技術を教えたんだ」
今度は、さっきよりも深く頷く。
「じゃ、矢藤御さんと一緒に退治屋として働いていたんですね」
「そうだね…でも、ほんの数ヶ月の話しだよ。彼女はすぐに僕の元を離れて、独り立ちしちゃったからね」
何でですか。と聞こうとしたが、浪岡にコーヒーを勧められて、質問を忘れてしまった。
「美味しいでしょ?」
「はい」
確かに、上手い。苦さの中に、かすかに甘みも混じっている。
「楓さん、元気?」
「はい…と言っても、俺、彼女と出会ってからまだ数日程度なんで、よく分からないんすけど」
恭平が苦笑いした。
「そう、元気ならいんだ。全然、連絡が取れない状態だったからさ」
浪岡は薄らと笑った。
「じゃ、引き止めて悪かったね。ここは僕が払うから、ゆっくりして行って」
伝票を持った浪岡が、立ち上がる。
「え、それだけですか?!会ったりしなくていいんですか?」
恭平の声に、足を止める。
「…いんだ。彼女が元気なら、それでいんだ」
会計を済ませた浪岡が、外へ出る。その間ずっと、恭平は彼から目を逸らすことができなかった。
彼が、雨の中に消えていくまで…。
浪岡が外に出ると、それまでシトシトと降っていた雨が、急に強まった。傘を持っていない人たちは走り出し、どんどん彼を追い抜いていく。肩がぶつかっても、お構いなしだ。
浪岡は、雨が好きだ。だから彼は、あえて走らず、雨音に耳を傾けながらゆっくりと歩く。身体に雨を冷たさが伝わるほど、何だか落ち着けるのだ。
「傘も差さずに、どちらへお出かけ?」
背後からした声に、浪岡は微笑んだ。
「ちょっと散歩してたんだ。もしかして迎えに来てくれた?來亜…」
そこに立っていたのは、ピンクの水玉模様の傘を差した來亜だった。
「まさか。あたし、人のことなんか考えないもん。遊んでたら、れっちゃんが見えたから追いかけただけ」
「何だ、期待しちゃったじゃん」
残念でしたぁ!と、來亜が舌を出す。
「遊んでたって、誰と?近所の子ども?」
「ちょっと!そこら辺のガキと一緒にしないでよね!姿はこんなでも、あたし一人前のレディーなんだから!!」
「これは失礼」
浪岡が、深々と頭を下げた。
「死神たちと、魂探し☆五六人いたよぉ!美味しそうな魂持っている人間が」
不敵に笑う來亜。
「それは良かったね。僕も大収穫」
「何々?」
無邪気に浪岡に近づく來亜は、やっぱり子どもだ。
「楓さんの居場所が、分かりそうだよ」
それを聞いた瞬間、ふて腐れる姿も、やっぱり子どもだ。
「何だ、そんなこと?楓なら、ついこの間戦ったわよ」
浪岡の目つきが変わる。
「そ、そんな怒らないでよ!だってこのこと話したら、れっちゃん絶対、楓のことで頭いっぱいになるじゃん!それが嫌だったの!!」
涙目になる。
「…怒らないよ」浪岡は、優しく來亜の頭を撫でた。
「ごめんなさい」
やっぱり、子どもだ。
「でも來亜、今度また楓さんと戦うことがあったら、僕に連絡して」
「…ん」
しぶしぶ頷く。
「それから、殺しちゃ駄目だよ」
「…ん」
それにも、しぶしぶ頷く。
「楓さんを殺すのは、この僕だから…」