◇6
「よろしくお願いします!」
とは言ったものの、いざ住むとなると緊張するのは当たり前だ。両手にスポーツバックを握り、門の前で立ち尽くす恭平。自分の荷物なんて、バック二個分しかなかったのかと思うと、苦笑いしかできない。
「恭平くぅん!いらっしゃぁい!!」
二階のバルコニーから、スミレが大手を振っている。
「早く入ってらっしゃいなぁ!!あなたの部屋、用意してあるからぁ!!」
笑顔で自分を迎えてくれる人が、ここにいる。そう思うと、何故か震えた。
これは、嬉しさからなのだろうか…。
「おはよう、借金少年」
朝から嫌味な女だ。
「お、おはようございます」
ぐっと堪えろ、自分!
「早くいらっしゃい恭平くん!こっちこっち」
無理矢理二階に恭平を連れて行くスミレ。その強引さを、黙って見ている楓。
本当にこの家で、やっていけるのだろうか。
「じゃーん!どう?!」
部屋に案内された瞬間、その不安が一層大きくなった。
星柄の壁紙、星柄のベッド、そのベッドの上には大きな熊のぬいぐるみ。小学生でも、今時こんな部屋には住まないだろう。
「男の子って言ったら、星かなぁ?って思って!本当はハートにしたかったのよねぇ…楓ちゃんの部屋をハートにしようとしたら、殺されかけたから…」
目に見える。
「感想は?!」
「は…はい。ありがとうございます」
どんな壁紙でも、ぬいぐるみがいても、自分の為に用意された部屋があると思うと、心臓の辺りが温かくなった。
あの親戚の家に行った時は、こんなに笑顔で迎えてはくれなかった。
厄介者が一人増えた。
狭い家に、これ以上人なんか住めないのに…。
面倒ごとが増えるわ。
みんな冷たい目で自分を見ていた。あんなに冷たい世界がこの世の中にあるなんて、恭平は恐ろしくて泣き出しそうになった。
「恭平君、学校に行く時間だけど」
楓が部屋を覗く。
「あ、そうだ!学校だ」
「いってらっしゃい、お二人さん!」
いってらっしゃい。久しぶりに言われた言葉だ。
「本当にあの部屋でいいの?」
哀れんだ目を向ける楓に、恭平も苦笑する。
「もう、住まわせてくれるのなら何でもいいです」
女の子と二人で登校するなんて、もちろん初めてのこと。周りの視線も気になるが、恭平が一番気になったのは、奈緒子の視線だ。
どう思ってるのだろう。
「あのさ、俺となんか並んで登校していいわけ?」
「はい?」
周りの視線も全く気にならないのか、平然とした表情の楓。
「だってさ、ほら、俺みたいな地味な男と歩いたらさ…評判とかに関わるんじゃね?」
「評判って何ですか?私は、店の商品じゃないです」
そういうことじゃなくて…。
言おうとしたが、面倒臭くなってやめた。
「あのさ、死神使いってよく現れるの?」
小声になる。
「それは分かりません。神出鬼没ですので」
「恐くねぇの?だって、死ぬことだってあるんだろ?」
黙って頷く楓。
「死神使いと退治屋との間には、暗黙のルールがあります」
暗黙の了解。
「それは、戦う時は絶対に、一対一のデスマッチでやることです。命を賭け、サシで戦うことが絶対条件なんです」
アニメの世界に思えるけれど、これは現実なのだと言い聞かせる。
「けれど最近では、そのルールが破られつつあります。それが一番の問題です」
楓の目つきが変わる。
「世界が歪みつつある…だから、私たちが必要なんです。命を賭けて、この世界の終焉を止めないとならない」
楓の覚悟を、肌で感じる恭平。
彼女の生きてきた世界は、自分の想像なんか越えるほど恐ろしい世界なのだろう。
「矢藤御さん、俺は…何をすればいいのかな?」
「何も。私に関しては何もしなくていいですよ。貴方が何かできるほど、この世界は甘くないですし」
自分もそう思う。とてもじゃないが、楓と同じ世界には立てそうにない。
「スミレさんは、どう思ってるわけ?」
「スミレさんは何も言いません。私の生き方です、私が決めて進むだけですので」
大人だと、素直に思った。それを了承しているスミレさんも、凄いと思う。きっと、信頼という絆で結ばれているのだろう。
自分には、そんなものはないが。
「そういえば、スミレさんがパンを買ってきてくださいと言ってましたよ。お願いしますね」
それでも、こうして頼まれごとなんかされると、自分とも少しだけ絆が生まれたのかと思える。
「はい」
ずっと憧れていたものだ。
パン屋に寄った帰り道、怪しげな曇り空に胸騒ぎを感じた。
「早く帰ろう」
そう呟いて、走り出す。
「うわぁ!」
角を曲がろうとした瞬間、飛び出してきた誰かと思い切りぶつかった。
「す、すみません」
久々に、転んだ。
「いや、こちらこそすみません」
見上げた恭平の目に映ったのは、長い白髪の男性だった。背が高く、細身の姿に、雑誌のモデルかと思った。
「大丈夫かい?」
差し出された手に捕まり、立ち上がる恭平。
ヒンヤリとした男性の手に、目が見開いてしまった。
「すみません…」
逃げ出したくなったのは、何故だろう…。
「じゃ、急ぎますんで」
目も合わせず、走り出そうとした恭平の手を、男性は離さなかった。
「もしかして君、矢藤御楓って子を知ってる?」
心臓が飛び上がった。
「知っているんだね」
男性が微笑む。その笑みに、鳥肌が立つ。
この人、ヤバい。
「ちょっと話、聞かせてくれないかな?」