◇10
スミレさんが朝から機嫌が悪い原因は、自分だ。分かっているからこそ、恭平は何も言えずにいた。
言葉が見つからない状態で食べる朝ごはんは、とても不味く、食べても食べても満腹感は得られない。
「あの、スミレさん…」
「恭平君」
同時だった。
「な、何ですか?」
即引いたのは、恭平だ。
「恭平君、楓ちゃんがね、あの仕事をし出した理由は…死神たちに、家族を殺されたんですって」
重たい空気が漂い出す。
「楓ちゃん言ってたわ、だから絶対に死神が支配する世界なんて作らせないって。自分のように深い哀しみを味わう人間を、作っちゃいけないってね」
薄らと笑うスミレさん。
「あんなに華奢な身体で、年齢だってまだまだ子ども…なのに、背負ってるものは膨大なもの…あたしはね、楓ちゃんを見るたんびに心が痛いの。ねぇ、恭平君」
「はい」
「後戻りできないのよ?」
真剣なその眼差しに、身震いがした。
「それを分かってる?」
「スミレさん…」声が震えた。
「死神使いは厄介な連中。一度楯突けば、永遠に貴方の命を狙ってくるわ。楓ちゃんがそうなように…」
永遠に自分の命を狙われる運命。それがどれ程過酷なものなのか、想像すらできない。
「でも、矢藤御さんは取り戻さないと」
震えていたが、力強さを感じる声だった。
「スミレさん、俺は…雑草みたいな人間だったんだ。いつもそこにいるのに、誰にも気づいてもらえない。家族にも、友達にも、必要とされてない…」
存在意義を見出せない日々だった。
「だから、嬉しいんですよ。俺みたいな人間でも、一緒に何かをしてくれって言われるの」
笑えた。
ぎこちなさはあったかもしれないが、ちゃんと笑顔で言えた。
「俺、絶対、矢藤御さんを救ってきます」
「恭平君」
「って言っても、まだ何も分からない状態のくせに言い切っちゃったんだけど…」
苦笑いの恭平。
「…ありがとう」
スミレさんの目に、涙が溜まっていた。
「おう!ビビってこんかと思った」
小さい公園のベンチに座っていると、笹目が背後から飛びついてきた。
「どっから来たんですか!」
「お?飛んできたで!何せ、時間がないからな。おい、ちょっとこっち来て」
笹目は恭平の腕をぐいっと引っ張ると、公園のど真ん中に彼を立たせた。
「何ですか?」
「そこに立っててな」
そう言うと、笹目は手を合わせて何かを唱えだす。
「さ、笹目さん?」
「俺の目に狂いが無ければ、お前はここで目覚める」
恭平の周りを、風が囲む。あまりの突風に、目を伏せる。
声が出ない。
息も、できない。
「神が与えしこの力、小倉恭平に分け与えることを…」
笹目の目が、赤みを増す。
「ここに契約する」
風は立ち上り、恭平の姿は完全に見えなくなった。
目の前が、真っ暗になる。
息苦しさの中で、恭平は無意識に助けを求め、手を伸ばす。その手を、誰かが握り返した。
「覚悟があるか、審議しに参った」
薄らと明けた目に映ったのは、髪の長い女性だ。
「貴方は…」掠れた声を出す恭平。
「私は、そなたの心に住む闇。闇に勝てれば、そなたに死神を罰する権利を与えよう」
死神を、罰する権利。
恭平の頭に、激痛が走る。
「ぐわぁ!!!」
「闇を見つめる覚悟が、そなたにあるか?」
激痛の中で、恭平の頭の中に色んな声がなだれ込んでくる。
あんたなんて、いらない。
弟はできがいいのに、どうして兄は?
産まなきゃよかった。
いたの?
迷惑なんだよ。
お荷物が増えちゃったわ。
早く出て行ってくれないかしら…。
みんな、自分が嫌いなんだ。
誰も愛してなんてくれない。
世界中で、たった一人…。
「孤独、それがこの世で一番恐ろしい、闇」
女の言葉に、恭平は呼吸の仕方を忘れた。
苦しい。
恐ろしい。
恭平君…
スミレさん?
恭平君…
スミレさんの声。
ありがとう…
スミレさんの声だ。
「ありがとう」一番、もらいたかった言葉。
ここで、諦めるわけにはいかないんだ。
「俺は、矢藤御さんを救わなきゃいけない!!」
叫び声に、女の表情が変わった。
「末恐ろしい人間だ。憎しみを、希望で消した…」
恭平の意識が飛ぶ。
風が止んだ。
「どやった?」
意識を失った恭平を抱きかかえた女を見た笹目は、不安そうな目を向ける。
「安心しなさい。彼に、死神を罰する権利を与えた」
「…じゃ、力を?」
「えぇ」
女はゆっくりと恭平を地面に置く。
「けれど、どんな力なのかは私にも分からない。全ては神が決めること…私は、神が力を与えるまでの審判する天使にすぎない」
「あぁ。ありがとうな」
「少年は、死神使いにとって天敵となるでしょう」
「え?」
女は薄らと笑みを浮かべた。
「憎しみに溺れるのは簡単です。けれど、彼は憎しみに逆らい希望を見出した…末恐ろしい」
そう言うと女は姿を消した。
「やっぱり、岸本の言っとった通りや…」
笹目が、小さな声で呟いた瞬間、空から雨が降ってきた。