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サイレン  作者: 森本泉
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無くなっていくもの、新しく得るもの

『無くなっていくもの、新しく得るもの』


「ユーザーが見つかりません。

 送信先をご確認ください。」

 というメールが返ってきた。私はしばらく意味が分からなくてその文面を何度も何度も読み返した。

 分かった。

「まきを、アドレス変えたんだ。」

 そしてそれを私に教えてくれなかったんだ。

「え、えー。」

 まきをがアドレスを変えた。それはいい。それはよくあることだ。でもそれを教えてくれなかったんだ。私には教えてくれなかったんだ。

「おおおおおお。」

 自分の部屋で良かった。私は携帯を睨んだまま布団に倒れこんだ。この現実は決定的だ。そして圧倒的だ。

「まきをがアドレス変えた、ああああ。」

 空気の層が厚すぎて電撃はなかなか先に進めないけど、雷は貪欲に走り続けて遂に私の電波塔を打ち砕いた。

「まじかあああ。」

 ショックはじわじわと広がった。半紙に墨汁が沁みて行くような、あれだ。

 まきをは私の幼馴染で、小中高とずっと一緒だった同級生で、一番大好きな友達だった。自分の中の一番古い記憶くらいからずっとまきをは私の隣に居たし、毎日のように一緒に遊んで毎年のようにバカなことをして、一緒に怒られたりしょぼくれたりしていたのだ。

 さすがに大学までは同じにならず、ここ何年はメールのやり取りしかしていなかったが、さっき久しぶりにまきをにメールを送ったら、こういうこと。

「まきをが…。」

 そのまきをが、アドレスを変更して私に教えてくれなかったのか。

 いや、それは。

 もしかしたらそれほど深刻なことではないのかもしれない。

 まきをは単にうっかりして私にアドレス変更を知らせるのを忘れていただけかもしれない。

 でもそうだったらなお悪い。まきをにとって私はもう『うっかり忘れる』様な存在でしかないのか。

「まきをが…。」

 頭の中を、まきおとクリアしたイベントの映像が走馬灯の様に廻る。

 小学2年生の時二人でバドミントンをしていたら羽が近所でも評判の偏屈じいさんの家の庭に入ってしまい、あんまり怖かったのでどうしても取りに行けずそのまま二人で逃げたこと。

 5年生のときまきをが初めて自分でチョコを作って、2月14日に男の子に渡しに行こうとしたんだけど、直前にまきをがもうどうしても無理だって行ってへたり込んで、怒ったり励ましたりしたんだけど全然だめで、仕方なく二人で食べたこと。

 中2の夏休みに暇だったから小説を書いてまきをに見せたら、まきをが勝手に新聞社の中学生小説賞に応募しちゃってちゃっかり佳作になったこと。

 センター試験を受け終わった日、もう春が来たみたいに暖かかったのに、なのに二人ともどうしてか気が晴れなくて根拠不明の不安で頭がいっぱいで、まきをといつまでもいつまでも自転車で走り回っていたこと。

 ほかにもほかにも。

 そのすべてが、まきをにとってはもう『うっかり忘れる』程度のことなのか。

 単純にショックだった。現実はやすっぽいペンキでこてこての赤に塗りつぶされていた。十何年の親友のアドレスブックから私の名前が消えてしまった。いや消えてしまったことは無いかもしれないけど少なくとも頭の中からは消えてしまっているんだろう。ショックだった。その赤は、実にリアルだった。

 私はいつの間にか自分の日常からかつての友人たちが少しずつこぼれて行っていることに気付いた。

 私は改めてアドレス帳をあ、から順番に繰っていった。

 高校の友達で、最近一ヶ月間にメールするなりメールが来るなりしたこが一人もいないのだ。なんだこれは。いつのまに。

 21世紀の時代に音信不通になるのってこんなに簡単だったの?

 私は段ボールロボットになった気分でしばし我を忘れた。

 対人関係って。

 こんなにあからさまに駄目になっていくものなのか。けっこう気を張ってないとそう簡単には維持していくことが出来ないものなのか。

 すごくつまらなかった。離れていった友達にも、離れさせた自分にも。ちょっとくらい連絡しなくても友人関係は続いていくと思っていた自分の単純さにも。現実を維持するにはエネルギーがいる。それを怠ると、怠ったところからこんなふうになって行く。


 すでに深夜3時を回っていた。過去のデータからサイレンがまだ起きている可能性は高かったが、いくらなんでも電話するには非常識な時間だった。

 でも私はサイレンに電話した。落ち込んでいた。どうしようもなかった。目の前にぱっくり開いたクレバスを、サイレンの声で塞いでほしかった。

「はい。」

 送話口から出てきたサイレンの声は明瞭だったので、私はほっとした。よかった起きていた。

「サイレン。遅くにごめんね。」

「うん。」

 サイレンが電話を離す気配があった。

「ずっと絵、描いてたんだ。」

 絵筆でも洗っているんだろう。

「糸尾はどうした。」

「ちょっと落ち込んでて。眠れなくてずっと起きてたの。」

「ふーん。何があった?」

「たいしたことじゃないよ。たいしたことじゃないんだけどそれだけに、自分の今までって一体何?って無駄に深刻に考えちゃってそれでまあどつぼにはまっていると言うのか、ない?そういうこと。」

 俺には分からないな。

 サイレンは言った。

「糸尾。今から行ってやろうか。」

「え、今?」

 驚いた。

「いや。どっちみち俺これから出かけるつもりだったんだ。糸尾がよけりゃ今から行ってやるよ。一緒に連れてってやるよ。」

「こんな時間にどこへ。」

「今じゃないんだけどさ。俺の取っておきのスポットがあるんだ。一緒に行こう。糸尾のうちって駅の近くって言ってたっけ。」

「西口出てすぐのマンション。1階がコインランドリーになってるのが目印。」

「分かったすぐ行くから支度して待ってて。」

 サイレンは電話を切った。

 さあ。私は慌てた。

 今日(もう昨日か)はやさぐれていて、一日中部屋でだらだらだらだらしていた。よっれよれの部屋着である。頭ぼっさぼさである。お風呂にも入らなかったことを私は悔いた。

 まだまだ深夜で辺りは真っ暗だけど、まさかこのままサイレンに会うわけに行かない。私はレーサーのように洗顔して新幹線のように歯を磨いてロケットのように服を着替えた。わあわあしていると携帯が鳴った。

「糸尾。青い看板のコインランドリーであってるか。」

「うん。そこ、うち。」

「もう着いて待ってるから降りて来いよ。」

 私は財布と携帯と部屋の鍵だけを手提げに突っ込むと、サンダル履きですっとんでいった。

 サイレンは銀色の自転車にまたがって私を待っていた。

「乗れよ糸尾、俺のランボルギーニに。」

「おお。君のアルファロメオに。」

 私は荷台に横座りした。

「何処まで行くの。」

「一駅先の河川敷。徹夜した後は良く行くんだ。糸尾、腹減ってるか。」

「そういえば晩ご飯食べてなかった。」

「俺も腹減ってんだ。コンビニ寄るぞ。」

 サイレンは自転車を漕いだ。街を包む空気に夜と朝が半々くらいに混ざって汽水みたいだと私は思った。二人乗りしているのにペダルを踏むサイレンの脚は安定していた。

「重くない?」

「ばかやろう、糸尾、俺が普段どれほどの足腰を要求されていると。」

 まかせなさーいいい、と言ってサイレンは自転車を漕ぎ続けた。

 電信柱が一本また一本と過ぎ去っていくのを目でカウントしながら、私はさっきまで自分を苦しめていたまきをや友人たちのことが遠くの信号の明かりみたいにちっちゃあああくなって行くのを感じていた。まだ辛うじて見える。でも、もう少し走ったらきっと視界から消えてなくなってしまうだろう。二度と会えない。初めからなかったのと同じことになってしまう。でも、

 かまうもんかああああ、と私は思った。そんなことより今の私にはサイレンの自転車の後ろに乗っていることのほうが重要だった。いつまででも乗っていたい。5時間は堅い。

 私たちはコンビニに自転車を停めて、ツナサンドと焼きソバパンとポテトチップスコンソメパンチ味とコーヒーと紅茶を買ってチキンナゲットを一箱半分こにすることにした。

「もうちょっと先だから。」

 サイレンが言った。私たちは再び自転車に乗った。

 河川敷の堤防の道に出ると、アスファルトの舗装が急に雑になって、さすがに自転車はふらふらしだした。

「糸尾、落ちるなよ。」

 大丈夫、

 自分の声が川風に飛ばされていった。

「もうちょっとだ。」

 じわじわと朝がやって来ている。深い群青だった空のてっぺんは今もう少し淡い藍になっていて、川の対岸はよりはっきりとした青に染まっていた。川沿いには私とサイレンしか居なかった。犬の散歩をするひとも、まだ寝ている頃なんだろう。まったく静かでせせらぎだけが時々空気とかち合っていた。

「着いたぞ。」

 そこはちょっとした公園だった。薄明かりでよく分からないけど、ランダムな間隔でランダムな大きさの半円が地面から盛り上がっている。

「何?ここ。」

「近寄って見てみたら。」

 サイレンはコンビニの袋を持って先に歩いていった。私は一番端の半円に向かって歩いた。

その半円は多分全部の円の中で一番小さくて、よく見たらアルファペットで『プルート』と書かれていた。モザイクだった。

「あー、これってもしかして。」

「うん、太陽系のオブジェ。」

 半円の盛り上がりの横には陶板で簡単な説明が添えられていた。ネプチューン、ウラノス、クロノス。直径、太陽からの距離、自転周期公転周期、青く光って見えます。大きな輪は氷の粒で出来ていますがやがて消えてなくなってしまうでしょう。

「俺は朝ここを散歩するのが好きなんだ。」

 糸尾も座れよ。

 サイレンはベンチに座ってコンビニの袋をさぐっている。

「このオブジェを見に来るのが好きなの?」

「それもあるけど。まあそれだけじゃない。もうちょっと待ってろ。今日は天気が良さそうだから。」

 私たちは買ってきたものを食べながらなんとなく無言だった。サイレンは何時に無く真剣な顔で何も喋らない。私ははぐらかされているような気がしていたが、こんなに朝早くに外で冷たい紅茶を飲んでいるのは悪くなかった。いや、むしろ積極的に良かった。

「糸尾、見ろよ。」

 これを見に来るんだ。とサイレンが言った。

 対岸の山の稜線から朝日が昇ってくる。

「ご来光だ。」

 まさに新しい朝という感じだった。暁光がまだとどまっている夕べの古い空を押しのけて、今朝一番の新鮮な白い空を振りまいている。さえぎる雲も無くてあまりに眩しくて、長く見つめていることが出来ない。

「これが目的だったの?」

「俺が今一番描きたいものはこれなんだよ。でも駄目だ。自分でも分かってるけどこんなものとても描けやしねえ。でも描きたくて、いつも見に来るんだけど、見れば見るほど描ける気がしないんだよな。」

 私はいつかサイレンが言っていたことを思い出した。

「サイレン、草原の朝日ってどんな感じかな。」

「草原にも朝日が昇るのか?」

「何言ってるの?昇るでしょ。」

 何言ってんの?

「日本は山が多いだろ。俺太陽って山から昇ってくるイメージしかないんだよな。モンゴルの草原みたいになんにも無いところから太陽って昇るのかな。なんか、想像出来ないよ。」

「でも、昇らないということはないんじゃない。」

「うーん、草原って言うのは何って言うのか、気がついたら太陽がそこにあるんだよ。きっとそうだ。いつの間にか一日が始まってて、誰もそんなこと気にしたりしないんだ、きっと。」

 そしていつの間にか一日は終わっている。

 誰もそんなことを気にしない。

陽光はじりじりときつくなり、今日も暑くなりそうだ。私たちは6時を過ぎてもう完全に世界が朝にシフトチェンジするまで、ベンチで飲んだり食べたりしていたのだった。


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