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サイレン  作者: 森本泉
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僕から君へ

『僕から君へ』


「俺、糸尾のこと好きじゃないけど糸尾と付き合えたらいいなと思うんだ。」

 ラーメンを抱えてテーブルに戻ると、サイレンが言った、学食である。昼休憩である。

 突然思いがけないことを言われたので私は返事をするタイミングを誤って、そして間違ったままに答えた。

「私、サイレンのこと好きだけどサイレンとは付き合いたくないよ。」

 二人で向き合ってしばし沈黙した。まあ座れよ、とサイレンが言った。

「ええっと、だ。」

 サイレン今月緊縮財政につき、昼ごはんは近所の手作りパン屋さんが売りに来る一個60円のチョココッペと紙コップのメロンソーダである。

「うん。」

 私は茹で過ぎてぐずぐずのもやしをとりあえず噛む。

「なんだろう。この、お互い若干違うんだが、振られた感じは。」

「意思の疎通としてはバランス取れてるからいいんじゃないの。」

「取れてるのか?バランス」

「文章は循環してると思う。」

「糸尾。俺のことが好きだったのか。」

「言うかね。そんなこと。こんな場所で。」

 私はラーメン啜りながら真っ赤になった。そんなことをこんな場所で。昼休みで。友達がたくさんいるところで。学校の食堂で。

「あのね、サイレンくん。」

 私は心を落ち着けて自分を取り戻すために携帯を取り出して時間を確かめる振りをした。

「そんなね。女の子に対してね、付き合いたいとかって言うのは学食でとんこつラーメン食べながらする話じゃないですよ。マナーがなってない。せめて塩ラーメンじゃないと。」

「そこにどんな違いがあるっていうんだ。」

「深く追求してくれなくていい。私は常に文字よりニュアンスが伝わればいいと思ってるから。」

「そうか。じゃオムライスだったなおいいと。」

「まあ、そういうことです。」

 サイレンは笑った。

「でもねえ、サイレン。ほんとに君はなってないですよ。女の子の気持ちが分からないって言われない?」

「言われたよ。いやと言うほど。」

 だれに。

 私は聞いた。作り置かれてしおしおになった焼き豚を食べる。

「前に付き合ってたこ。」

「へー。サイレンでも彼女いたことあるんだ。」

 サイレンでも、と言ったけど正直私はなくもない話だな、と思っていた。こう言っちゃなんだけど、サイレンは顔かたちが「いい」方である。むしろかなり積極的にかっこいい。そりゃその気になる女の子もいないことも無いだろう。問題は本人がその辺のことを自覚しているかどうかだ。

「一年の時のゼミで一緒だったこでさ。向こうから付き合ってくださいって言ってきたんだ。」

 サイレンはしかめっつらをした。

「なんでそんな顔してるの?」

「腹が減った。」

 そりゃそうだろう。健全な20代であまつさえ肉体労働してる学生がチョコパン一個じゃ満たされるはずも無い。

「向こうから付き合ってくれって言ってきたんだ。まあ俺だってそういうことに興味ないわけじゃないからさ。いいよって言ったんだ。付き合うってのはどんなもんかと。けっこうかわいかったし。」

「サイレンも恋愛に興味あるんだね。以外だね。」

「恋愛に興味があったかどうかは知らない。単に俺も一健康男児だったってことだ。」

「動機は他にあると。」

「そういうことだ。」

 私は深くは聞かなかった。

「でも実際やってみたらすげえめんどくさかったんだ。俺にべったりなんだよそのこ。休み時間はどこにいるから待ってるとかさ、家に帰ったら電話くれとかさ、寝る前はメールしてとかさ。俺はその、糸尾よく分かってると思うけど俺は絵を描いてたいからさ。電話とかメールに必要以上の時間を掛けたくないんだよ。だからいつも極力簡潔に終わろうとするんだけど、そのこがいつも納得しなくてさ。だんだんだんだんいつ会っても不機嫌になるようになってさ。そうなると俺だってそんなこと一緒にいるのはつまらないだろ。だからもう面倒くさくなって。」

「なってどうしたの。」

「しばらく電話にも出ずにメールの返事も返さずにほったらかしにしてたら、友達を3人連れて家に乗り込んできて、もめにもめて、ありとあらゆる悪口を言われた挙句振られました。」

 サイレンは当時のいやな記憶を思い出したのか哀しそうな顔をしていた。

 自業自得だよ。

 と私は思ったけど言わなかった。もちろん、その軽率な女のこの方も悪いと思っていたし。

 でもサイレンが哀しそうな顔をしているのは何も過去のやっかいな失恋を思い出しているせいだけではなさそうだった。

「食べたいの?」

 サイレンは私のラーメンどんぶりをじっと見つめている。

「うん。」

 と言った。私は呑みかけのスープが残ったとんこつラーメンのどんぶりをサイレンの方に押した。

「ありがとう。」

 サイレンはレンゲでどんぶりの底にしずんだもやしをかき集めている。

「でもねサイレン。分からないんだけど。」

「うん。」

 スープだけ呑んでも腹のたしにはなるまいに、と思ったけど、まあ仕方ない。

「前回付き合ってそんなにいやな思いしたのに、なんでまた私と付き合いたいの?まあ、実際には付き合わないけど。」

「糸尾だと楽そうだから。」

「楽なの?」

 うん、楽。

 サイレンはどんぶりを抱えて最後のスープを飲み干した。

「糸尾だったら、俺が絵を描いてる間もそのへんで文章書いて一人で遊んでてくれそうだろ。俺が絵を描くのに集中してほったらかしにしてても文句言わないだろ。糸尾だったら一緒にいてもお互い自分の好きなことができるじゃないか。だから楽そうだなと思ったんだ。」

 ごちそうさま。とサイレンが言った。

 私はサイレンに言われたことを頭の中で反芻した。何度か同じ答えにぶつかった。何度考えても同じ答えにぶつかった。だからそのことをサイレンに言った。

「それじゃ今と変わらないじゃない。」

「え、」

「いや、その理論だったら、今やってることと変わらないんじゃないの。」

「え。」

 サイレンがぽかんとしている。

「考えなかったの?そのことは。」

「あー。」

 考えなかったらしい。そういうところがサイレンだと言えば、そうなんだけど。

「糸尾はどうして?」

「何が?」

「なんで俺と付き合いたいと思わないの?」

 改めてそう言われるとこれほど恥ずかしいことはないな。

「だから。」

 私は再び気持ちを落ち着けるために来てもないメールを確認する振りをする。

「意味が無いじゃない。付き合っててもそうじゃなくても状況が変わらないんなら。」

「変わらないのか。」

「変わりたいの?」

「いや。」

「そうでしょ。だからわざわざ付き合わなくてもいいじゃない。私はサイレンが絵を描いている間にその辺で文章書いてるし、サイレンは私が文章書いている間にその辺で絵描いてるんでしょ。」

「そうだな。そうだな。」

「ねー。でしょう。」

 私は突如としてものすごく嬉しくなった。ここへ来てどうしてそんなに嬉しいのかは、説明不可。

「このままでいいじゃない。私も、サイレンも。」

「そうだな。それはそうだ。糸尾。ありがとう。」

「お互い無理はやめよう。」

「うん。」

 サイレンは清清しく笑って言った。

「糸尾、渡り廊下行こうぜ。」

「描くの。」

「うん。今日は野球部が練習してるからそれを描く。」

「珍しいね。」

 サイレンが人物をモチーフに選ぶのは珍しいことだった。我々は学生できゅうきゅうになっているテーブルの間を通って、食器とゴミを片付けに行った。


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