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乙女は断罪イベントを望まない

作者: 稲葉千紗

『一芸に秀でる者は多芸に通ず』と言う言葉がある。

 様々な解釈がある言葉だが、要約すれば何か一つ他人に誇れる特技を身につけなさい、と言う事だ。

 そうすれば、必ず将来役に立つだろう。とサラを育ててくれた孤児院の院長が教えてくれた。

 だからサラは、素直にその言葉に従った。

 その結果が「今」であり「これから」である。




「どうしてこうなっちゃったのかしら」


 銀の髪を風にあそばせながらサラは溜息をついた。

 青い瞳が映し出すのはアリシア・フレイベルト侯爵令嬢と彼女の婚約者であるカイン王太子殿下が睨み合う光景である。

 いや、正確にカインが一方的にアリシアを睨んでいるだけで、アリシアの方は毅然と前を向いているだけだ。

 それが気に入らないのだろう。カインの眼差しはことさら鋭さを増していく。


「いい加減自分の罪を認めたらどうだ」


 険を帯びた声を発したのはカインの方だった。

 その声に、彼の横にたたずむ小柄な令嬢が体を震わせる。リリー・テレジア伯爵令嬢だ

 別名小動物令嬢とも呼ばれる彼女は、学園の男子に絶大な人気を誇っている。もっとも、女子内での評判は言うまでもないが。

 まるで何かにおびえるように、嫌な記憶でも思い出したかのように震えるリリーに、周囲の、主に男子生徒の視線が同情を帯びるそれに変わり始めたその時だった。


「わたくし、罪を認めろと言われましても思い当る事がございませんの」


 凛とした声が作り上げられ始めた憐憫の雰囲気を壊していく。

 もちろん、声の主はアリシアだ。

 己を恥じることなく胸を張り、前を見据えるその姿は堂々としていて、思わず見惚れてしまう。


「言い逃れをするな。報告は受けている」


 けれど、カインはどうしてもアリシアに「罪」とやらを認めさせたいらしい。

 わからないというのならこの場で罪状を言い渡すのみだと言い切った。


 曰く、アリシアはリリーに嫌がらせをしていた。

 きつい言葉を投げかけるのはもちろん、お茶会にわざとリリーを招かなかったり、招いてもリリーにのみ不味い茶を出し残せばマナー違反だと糾弾した。等々。

 誰が聞いても子供の喧嘩だとしか思えない事柄を並べ立てた。


「本当に、これはどんな茶番かしら」

 若干遠いまなざしで向かい合う二人とその周囲に侍る人々を見つめながら、そしてなぜかカインのやや後ろ側、控えるように用意された己の立ち位置を疑問に思いながら、サラは自分の半生を思い返した。






 一芸に秀でる者は多芸に通ず。

 サラの場合、その一芸にあたるものが「歌」だった。

 高く、遠く響くサラの歌声は澄んだ水のようで、人の心にしみわたる事で評判だ。

 孤児院の隣に位置するパン屋のおじさんなど、サラの歌を聞けば疲れも吹っ飛ぶと笑っていた。


 このまま育てば名のある歌姫にもなれるだろうと言われて、気の早い劇団などはまだ10にも満たないサラに将来の約束を取り付けてくるほどだった。

 孤児であるサラにとっては身に余る誘いだったけれど、サラ自身も将来は一座の一員になるのだ、とそう信じていた。


 そんな人生設計が崩れたのが12の時。

 孤児院の視察に訪れた水精王に仕える青神殿の神官が、サラの歌を耳にした瞬間だった。


「彼女の歌声には僅かながら癒しの力がある」


 その一言で、サラは住処を孤児院から神殿へと移された。

 癒しの力が大きくなれば巫女として遇すると、そうでなくともそれなりの待遇を用意するといわれた。


 青天の霹靂とはまさにこのことである。

 つい昨日までは継ぎ接ぎだらけの中古服をまとっていた少女が。

 日々の糧を稼ぐため、道端で旅芸人の真似事をしながら歌を歌っていた少女が。

 ナスターシャにおいて王家と並ぶ権力を持つ神殿の巫女姫となる可能性を得たのだ。

 本来であるならば、身元の確かな家に生まれ、無二の能力を持つ令嬢にしか許されていない巫女と言う地位に、孤児であるサラが就く。

 あまりにも話が大きすぎて、当時のサラに理解などできるはずもなかった。

 彼女にできた事は、院長に背を押されるままに孤児院を出て、神殿に入る事だけだった。


 けれど、今思えばこの瞬間こそがサラの運命の転換期だったのだろう。

 巫女教育のため、特別に入学を許された王立魔法学園での経験こそが、サラを変えたのだから。




 ナスターシャ王立魔法学園と言えば良家の子女の中でも特に魔法適性の大きな者達が通うエリート校として有名な学校だ。

 一学年の人数は30にも満たず、少数精鋭を地で行く彼の学園は、卒業すれば要職に就くことが約束されている。


 そんなすごい学園にいくら巫女候補とはいっても、なぜサラのような孤児が入れたのかと言うと、ひとえに彼女の魔力が珍しいものだったからだ。

 通常、癒しの魔術は光に属するものである。

 けれどサラの魔力適正は水だった。水属性による癒しの魔術を行使出来る者はめったにいない。

 くわえて、サラは歌を媒介に無意識化で魔術を行使していたわけだからこれはもう珍しいとかそういうレベルの話ですらないのだという。

 つまるところ、学園の先生方の研究魂に火をつけたわけだ。


 生徒と書いて研究対象と読むような扱いだが、代わりに最高峰の教育を受けることが許されるのだから孤児のサラにとっては願ってもいない事だ。

 この学園には孤児など、どうとでもできる人間がたくさんいるのだから。


 最初は、毎日が不安だった。

 学園に通うものは身分のあるものばかり。孤児はもちろん、平民すらいない。

 そんな中にポイっと放り込まれたサラに何が出来よう。


 話す話題が違うどころか、言葉遣いも違えば、所作の一つとっても天と地ほどの差があるのだから。

 神殿の地位が高い国のため、将来は巫女になるかもしれないサラに意地悪をする存在こそいなかったが、代わりに多くの人間がサラをはれ物に触るように扱った。


 見かねた学園長が特別にマナーの先生を付けてくれたが、一日やそこらで身につくものでもない。

 黙々と寮と校舎を往復する日々を繰り返すサラに友と呼べる存在ができるはずもなく、彼女はいつだって一人だった。

 学園を卒業するその日まで、一人であるはずだった。




「背筋が曲がっていてよ、それでも王立学園の生徒ですか。みっともない」


 最初、アリシアにそういわれた時、サラはまさか自分の事だとは夢にも思わなかった。

 この学園に、研究熱心な先生方を除いて自分に話しかける存在があるなどとは思いつきもしなかったのだ。


「なによ。言葉一つ返せないというの? 特別につけられたマナーの先生には一体何を習っているのかしら」


 そこまで言われて、はじめてサラは彼女、アリシア・フレイベルト侯爵令嬢が自分に話しかけている事に気が付いた。

 けれど信じられなかったサラは、たっぷり3拍の間言葉を探し、そうして「これは夢でしょうか?」と何とも間抜けな答えを返したものだ。


 それが、始まり。

 その出来事をきっかけに、サラの周囲は劇的に変わった。


 アリシアは、サラの顔を見るたびに様々な言葉を投げつけてきた。


 他者の視線を避けるように歩いているサラを見つけては「それが平民の歩き方ですか。学園の恥になるようなマネは慎みなさい」と声をかけた。


 うまく言葉がつむげず、途方に暮れるサラに対しては「言葉もまともにしゃべれないのでしたらせめて微笑んでいなさい。それくらいならば平民にもできるでしょう」と指摘した。


 食堂でマナーに気を付けながらちびちびとご飯を食べるサラの正面に座り「カトラリー1つまともに使えないの?」と言いながら優雅に食事をとって見せる事もあった。


 人によっては、アリシアがサラをいじめているように見えるかもしれない。

 けれど、サラにとってのアリシアは友であり、教師であった。

 学園に通い始めて4年。16になったサラは今やどこに出しても恥ずかしくない淑女となったが、その大半はアリシアのおかげだと彼女は思っている。


 アリシアに指摘されたことを一つ直すたび、マナーの先生は褒めてくれた。

 アリシアを見本にすれば、特別講義を受けるよりもよほど早く所作を覚えることが出来た。


 一人ぼっちだったサラに、唯一言葉をくれた人。

 途方に暮れていたサラに、道を示してくれた人。


 彼女がいたから、サラはひとりではなくなった。

 彼女が一切の遠慮を捨てた言葉をくれたから、周囲の生徒も少しずつではあるがサラに言葉をくれるようになった。


 それなのに。


「リリーだけではない。サラにも陰湿な嫌がらせをしていたと聞く」


 この王太子は一体何を言っているのだろうか、とサラは首をかしげる。

 そして同時に、何故己がこの場のこの位置に立たされていた理由を察した。

 彼は、アリシアがサラに対して行ってきた数々の行いを、そう見ているのだ。


 けれどそれは大きな間違いだ。

 サラは、知っている。

 アリシアがわざときつい口調でサラに話しかけるのは、どんな言葉をかけてもサラが怒る事はないと周囲に示すためだ。

 アリシアが、サラの前でことさら優雅にふるまうのは、サラの手本となるためだ。


 全てはいつか巫女となったその日に、サラが困ることがないように。


 社交界に一切ツテを持たないサラに友をつくるため、まだ動きのぎこちないサラに淑女の在り方を教えるため。

 アリシアはことさらサラに絡むのだという事を、サラはきちんと理解していた。


 けれどそんなことは知らないのか、それとも知っていてなおそういう事にしたいのか。カインはサラに同意を求めてくる。


「そうだろう、サラ。素直に言え、アリシアに虐げられていたのだと」


 正直なところ、そんなことを言われてもサラは困るだけだ。

 同意など、出来るはずもないのだから。


 けれど同時に、否定する事も出来ない

 何せ相手は王太子だ。次期国王だ。サラは巫女候補ではあるものの、あくまでも候補でしかないただの孤児だ。

 どうしてただの孤児が、次期国王の言葉に逆らえよう。


 言葉に詰まるサラに視線が集中する中、何を勘違いしたのかカインは「遠慮することなどない。君が何を言おうとも誰も罰することなどない」と優しげな笑顔までむけてくる。


 対応に困って、おもわず視線をアリシアに向ければ、彼女はひとり凛とした空気を崩しもせずにその場にたたずんでいた。

 自分には恥ずべきことなど何もないと、態度で示したその姿は美しく、一輪の薔薇を思わせる。

 そうして同時に、彼女の立ち居振る舞いはサラに一つの勇気を授けた。


「本当に、どのようなことを言っても構わないのですか?」


 視線をアリシアに向けたまま、サラはカインに問う。

 ほんの少しばかり声が震えてしまったのは許してほしい。

 何せサラはこれから、彼女の中の常識を壊そうとしているのだから。


「ああ、かまわぬ」とカインは答えた。

 その眼は、サラがカインの言葉に同意すると信じて疑っていない。


 だから、サラも腹をくくった。

 ゆっくりと、息を吸う。

 心を落ち着かせ、前を向き、そうしてアリシアをまねるようにサラは凛とした声を紡いだ。


「わたくしは、アリシア様に虐げられたことなどございません」

「だ、そうだ。そういう事で私はアリシア・フレイベルト侯爵令嬢は次期王妃にふさわしくないと判断し、婚約を破棄す……る……?」


 まさかサラが己の言葉を否定するとは思わなかったのだろう。

 用意していた台詞を堂々と言い放ったカインが固まった。

 成り行きを見守っていた他の生徒たちも以下同文だ。

 ぽかんと口をあけて、間抜けな顔をさらしている。


 ただひとり、アリシアだけがまるで予想していたかのように口元をゆるませる。

 その姿に勇気づけられたサラは、もう一度、ことさらゆっくりと言葉を紡いだ。


「アリシア様は、わたくしの師であり、友です。虐げられるなど、そのようなひどい扱いを受けた記憶はございません」






 その事件から数か月。

 アリシアとカインの婚約が破棄され、同時にカインが王太子の座を追われることになるのだが、それはまた別の話である。


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― 新着の感想 ―
[一言] 最後の最後までサラが”歌で”主張するオチだと信じてました… 伏線だとばかりw
[良い点] 面白い。 [一言] 私は後から「あー、こうゆうことだったのね」と自分で読み返して前後の文章から推測するタイプの作品が好きなので、小動物令嬢のための断罪イベント…とミスリードする書き方が好ま…
[一言] えっ?!ぁ、うん。 第3者の立場の話だったのに気づいたらサラの物語の様に読んでました (*´・д・)アブネー 前半の物語がサラの話で大半を占めているので 婚約破棄になるまでに至った経緯を …
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