9. スワの地にそれは眠る
イセの地を抜け、平野を抜け、川を遡上した所に、スワの地がある。
ヤマト王朝は東征を重ね、今ではスワの地の豪族も服属させた。
男が一人、馬上にあり、湖のほとりの道を行く。
片足が無かった、片腕も肘の所で無い。
怪異な顔だった、大きな傷が顔面を斜めに走っていて、片目を皮の眼帯で覆っていた。
黒い馬を並足でポクリポクリと歩かせて、男はあくびをした。
春。
桜の花が道に舞い、その光景は、なにかを男に思い出させる。
なんだ?
ああ、そうか、あの時の、あれが消える時の……。
思いついて、男は笑みをうかべる。
ゆっくりゆっくり、馬は歩く。
男は鞍の上でゆらゆら揺れる。
竹林に入り、小さな村が現れる。
谷間で、日当たりも悪い土地なのに、家が五六軒建っている。
「な、何用でございますか?」
農作業をしていた若い男が問いかける。
「村長はいるか」
若い男は、村の奥にへと駆け出していった。
壮年の村長らしき男が走って来た。
「これはいらっしゃいませ、おもてなしのご用意が」
「いらん、それよりも、見せろ」
「は、はい」
眼帯の男は器用に馬を下り、杖をついて、村の奥に歩き出す。
村の奥には滝があり、滝の水が池を作っていた。
崩れやすい池の端を注意して歩くと、滝の裏に洞窟があった。
片足、片手ながら、眼帯の男の移動は早い。
洞窟は立って歩けるぐらいに高く広い。
どうどうと滝の音を聞きながら入り口に入ると、中はひんやりとしていた。
村長の先導で洞をしばらく行くと空気に水気が消え、乾いた。
カチカチと火打ち石を打って、村長は松明を点ける。
荒削りな石の壁が灯を反射してぴかりぴかりと光る。
さらに奥に行くと、壁が急にツルツルになり、正確に直角な通路となった。
不思議そうに眼帯の男は壁に触る。
「誰が作ったんだろうな」
「わかりません。遙か昔の技術なのでしょう」
あたりに動物の内臓のような、ぐねぐねとした模様が走り始める。
手を触れると冷たく堅い。
「装飾。ってえ訳でも無いのか?」
「呪術ではないかと思います」
ふむ、と鼻をならして、眼帯の男は足をすすめる。
唐突に洞は広くなり、内臓状の凹凸は激しく絡み合い、何かの台の根元に連なっていた。
台の上には大きな氷の柱が立っていて、その中に白い貫頭衣の少女が居た。
「ああ、こいつは……」
眼帯の男は太い息を吐き出した。
村長が腰から黒石の小刀を抜き、眼帯の男に襲いかかった。
ふっと、息を吐いて、眼帯の男は村長の手を固め、木の義足で足を払い村長を腰に乗せて投げ飛ばした。
「こんななりでもな、ずっと軍に居たんだ、お前には負ける気がしねえよ、タカヤ」
「五瀬、五瀬なのかっ、生きていたのかっ!」
「おおよ、あの時は俺もこいつに殺されたと思ったがな」
五瀬は氷の中のウーを指さした。
「確かに聞いたんだよ。『やめろ、それは俺の友達だっ』ってな」
タカヤは息をのんだ、あんな遠くの声が……。
届いていたのか……。
「風の具合か、なんかしらねえけど、確かにオロチの口にくわえられた時に聞こえた。で、オロチは俺をはき出したってわけさ。ウーにも聞こえたんじゃないのか」
「そんな事が」
「久しぶりだな、タカヤ」
五瀬はあのころのようにヤマイヌのような顔で笑って、手をさしのべた。
タカヤは手にすがって立ち上がった。
五瀬は感慨深そうに氷の中のウーを見つめた。
「ウーは変わらねえなあ。氷は溶かせるのか?」
「わからん、色々やってみたが、反応しない。呪力と呪文が要ると思うのだが」
「こいつは神代の兵器だなあ」
「神代兵器?」
「恐ろしい昔になあ、鉄も作れなかった頃にだ。呪力を使って色々と恐ろしい魔物を作ってた奴らが居たらしい」
「それがウーだと?」
「ああ、もの凄い魔物を作り合って大陸で戦いあったって古文書にあった。熊隼人や八咫烏みたいな獣に化けるやつらもその名残って話さ」
「お前はウーを戦争に使うつもりかっ」
タカヤは五瀬に詰め寄った。
「ああ、ずっとなあ、そう考えていた。手足をもぎ取られ、熱を出して、何年も寝込んでよお、結局大王には成れなくてな、お前とウーを恨んで恨んで、何とかして見つけて殺してやりたくてなあ」
タカヤは何も言えなかった、あの日、ウーとタカヤが戦を見になど行かなかったら、五瀬はヤマトの大王になって居ただろう。
「へへ、で、殯の宮で腐ってたらな、下女やってたカカセに怒鳴られてよ」
「下女?」
「ああ、長脛は滅んだ、弟が征服して、あの丘には城ができたよ」
「……。みんな死んだのか?」
「まあ、そこそこ死んだが、大分残った。残った民はヤマト族に入れられて氏族としてやってるよ。強い部族はな、ヤマトでは尊敬されるからさ。今は物部って部族になってる」
「物部……」
「戦士であり、物、つまり魔物を統べる職能部族だ。後ろ盾は俺だ」
「五瀬が……」
「カカセを嫁にしたんでなあ。まあ、正妻にはできなかったが、あれはいい女だぜ」
「そうか、それは……」
それは、良かった。とタカヤは思う。
遙か彼方の故郷を思い、胸が詰まって、目頭が熱くなった。そんなタカヤをみて、五瀬はまたヤマイヌのような顔で笑う。
「カカセに、生きてるなら腐ってないで立って動きなさいっ、てえ、ギャーギャー言われてさ。歩く練習をしたり、馬にのる練習をしたりしたんだ。雨の日は古い文書を読んでオロチが何なのか知ろうとした」
「解ったのか?」
「大陸の古文書まであたってみたが、やっぱりよく分からなかった」
「そうか」
「でもなあ、これだけは解ったぜ、大陸には沢山の王朝があったが、まじないや魔物を使って立った王朝は無い」
「そう、なのか?」
「ああ、どの王朝も例外なく建つときは兵隊で起こる。民は嫌いなんだろうよ、まじないや妖物が関わった集団が」
何となく解る気がした、神に仕える巫女が集団に居るのは良い。だが、神や魔物が本当に居る集団は駄目なのだろう。人の理解を超えてしまうのだろう。
「そうして、やっと歩けるようになって、馬にも乗れるようになった。戦にも出れるようになったのさ。でな、俺は兵士に凄い人気でよ。大王をかばって蛇神に立ち向かい、傷を負った勇者ってな、尊敬してくれたんだ」
「それは良かった」
「今では、弟王を支える大将軍様だ。そうしたらよ、なんだか知らないが、お前とウーの事をあまり考えなくなってる自分に気がついた。思うのは、嫁の事や子供の事ばっかりでな」
「子供、できたのかい」
「ああ、カカセが子供をどかどか生みやがって、俺の宮は凄く賑やかだぜ」
五瀬とカカセが沢山の子供と遊んでいる光景を目に浮かべ、タカヤは微笑んだ。
「タカヤは? 外の若いのはお前の息子か?」
「いや、あれは、旅に付いてきた兄衆の子供たちだ。俺は……」
タカヤはウーの姿を見た。
氷の中にタカヤの思い人はいる。
時々手が動いたり、するので死んでは居ない。
だが、それだけだ。
「俺はオロチを使って大陸までを征服したいと思ってた。弟を倒し、大王になってやろうとも考えた。それが俺の失った物を取り戻す手立てだってな。でも、その想像の中の俺は、今の俺ほど幸せそうじゃあ無いんだ。悲しそうなんだな」
タカヤは頷いた。
その世界のすべてを焼き尽くすような、思いの中の五瀬は幸せそうには見えない。
「俺は色々失ったけどな、それ以上に贈られた物が沢山あって、たぶんそれは、お前とウーに会ってなかったら手に入れて無かったもんなんだろう、とな、最近は思うようになったのさ」
五瀬は、ぱんと膝を叩いて、ウーを振り返った。
「だから、俺はウーを使う気は無い。ここの入り口を塞いで、でかい社を建てよう」
「ここを塞ぐ?」
「ああ、神様なんざ、拝み奉って収めておくもんだ。使うもんじゃない」
「でも……」
でも、そうなったら、俺はどうしたらいい、ずっとここでウーの目覚めを待っていた、俺はどこに行けば良い?
タカヤは下を向いた。
大昔にオンジの作ってくれた黒石の小刀が粉々になって散らばっていた。
「ずっとウーを待つつもりかい?」
「俺は……」
「お前が死ぬまで起きないかもしれねえよ?」
「ああ……」
「起きたら起きたで、あの力だ、ほしがる奴が沢山出てくる。お前はウーを守りきれるのか?」
「それは……」
タカヤは唇をかんだ、五瀬の言う事は正しい。正しい事ばかりだ。
だが……。
ガチャリと音を立てて、五瀬は腰の鉄刀を鞘ごと引き抜いてタカヤの前に出した。
「やるよ、あの時の鉄刀じゃあねえが、約束だしな」
これを受け取るという事は、ウーを忘れるという事だ。
五瀬と共に行くという事だ。
タカヤは一瞬迷った、そして、
「……う、馬もくれるか」
と、滑り出すように口にしていた。
五瀬は微笑んだ。
「ああ、良い馬を選んでやるよ、あはは、ウーは無理だが、約束通りお前は俺の家来だ」
「東の海へ」
「東の海を見に行くぜ、一緒に行こう」
見上げた五瀬の背後に、まだ見ない遠い遠い東の海の潮騒をタカヤは聞いたような気がした。
その後タカヤは、五瀬に竹内の姓を賜り、大和朝廷に仕えた。
五瀬にもカカセにも妻帯を進められたが、タカヤはことわった。
タカヤは晩年に養子を貰い、その子孫は代々武内宿禰と名乗り、活躍は記紀に見える。
物部の民は、各地の魔の物を治め、超常の存在の姿を民衆から隠していった。
ウーは二千年ほど眠った後、再び目覚めるが、それはまた別の話である。