6. ミジャクジの来迎
暴風が後ろから激突して、ごろごろとタカヤを草原に転がした。
轟音、がした。
頭を振って、目眩を消して、タカヤは振り返った。
ミジャクジの御柱のあった場所に、白く巨大な柱が立っていた。
轟々と暴風が吹いて、木々が森ごと揺れた。
「ああああ? オロチ?」
海端の兵が悲鳴を上げた。
タカヤが視線をあげると、雲を貫いて、白い蛇の頭が、こちらを見ていた。
輪郭が霞んでいるが、真っ赤な目が光って透けて見える。
「ミジャクジさま……?」
「アイイイイッ! オロチッ!! オロチッ!!」
気が狂ったように海端の族長が悲鳴を上げ、鉄矛を投げる。
キンッと金属音がして、矛は白蛇の鱗に弾かれ地に刺さった。
「ウー、なのか……?」
オオオオオオオオオン。と大きな吠え声が山野に響き、地面が震えた。
唐突に白蛇の大きな頭が族長の上に落ちてきた。
鈍い音がして、大きな赤い花が咲いたように族長は白蛇のアゴの下でつぶれた。
海端族の兵が奇声を上げて帚星の丘の向こうへ逃げ出した。
ずるりずるりと音を立て、バキバキと木を倒しながら白蛇が丘を上がっていく。
タカヤの頭の中は蛇の鱗のように真っ白で、どう考えて良いのか解らない。
巨大な魔物。
そんな物はお話の中に出てくるだけの物で、世の中には、それほど不思議な事は無い。そう思い始めていたタカヤは頭を殴られたような衝撃を受けて棒立ちになっていた。
タカヤは無意識に白蛇を追う。
矛で切られた足がずきりと痛んで引きずる。
「ウー、ウーッ」
タカヤはウーを呼ぶが、白蛇は振り返りもしない。
雪のように白いオロチが丘を越え、ヤマト軍と長脛軍の前に姿を現す。
沢山の鳥が騒ぎながら木々を分けた白蛇の周りを飛び交った。
長脛彦も、タカヤの父も、ヤマトの大王も、五瀬も、その姿を見て、一様に固まった。
「ヤトの神?」
「オロチ!」
「ミ、ミジャクジ様か」
人々が思った神名を口にする。
神は正しい名で呼ばねば祟る。そう、その頃の人は考えていた。
真名の解らない真っ白な禍津神は天に向け口を開き吠える。
そして、ヤマト軍に向けてオロチは進撃を始めた。
こおおおおおっ、と吠えながら白蛇は前進する。
胸の鱗の下で兵士達が踏みつぶされて行く。
川に飛び込み、水しぶきを上げながら、白蛇は素早い動きで敵陣を文字通り割った。
大きな牙で兵士達をむさぼり食った。
ばつばつと白い体に真っ赤な血が花のように散る。
ヤマトの大王が大声で号令を掛けるが、兵達は逃げ惑うだけで、陣が組めない。
尻尾が横殴りに軍を襲う。体が折りたたまれたようになって、兵が何人も空を飛び、川縁を赤く丸くなって転がる。
川の水をせき止めるようにとぐろを巻き、白蛇が轟々と吠える。
五羽の八咫烏がぐるぐると白蛇の周りを旋回する。
大きなかぎ爪でオロチの真っ赤な目を狙い、急降下する。
うるさそうに白蛇は首を振る。
風が轟音を立てて生まれ、八咫烏たちを巻き込んでクシャクシャの羽毛の塊にした。
ばたばたと音を立てて、烏たちは落下して河原に血の花を咲かせた。
丘の上から見下ろすタカヤの肩の震えが止まらない。
それはもう、戦では無くて、ただの捕食であった。
オロチは血まみれになって、がつがつと兵士を食べる。食べる。食べる。
血が飛び散り、人が只の肉に変わり、それを押しとどめようとする兵も、逃げる兵も差別なく食われていく。
蛇は長脛の兵の方へは来ない、が、前線にいる長脛兵は肉に変えられた。
ただ、なすすべも無く、長脛の兵は立ちすくみ、惨劇だけを見続ける。
恐怖だけが戦場を支配している。
「神威……」
ヤマトの大王は馬上で胴震いをした。
「アメノムラクモを出せっ! あれならばオロチを断つことができるはずだっ!」
「ムラクモは気枯れが酷く、あと一、二回しかっ」
「出せっ! 今使わないで何時使うのだっ!」
背の高い、筋肉の付いた戦士が、大剣を持って、重々しく進む。
大王にアマノムラクモと呼ばれた剣が金色にギラギラと輝く。
ぎょおおおおおおおりいいいいぎぎょおおおお。
と、耳障りのする音が剣から発せられ、刀身がぶるぶると震える。
戦士が天を裂く勢いでムラクモをオロチに向けて振った。
剣が走った軌跡が三日月状の光となって、白蛇の首に向かう。
パアン。と大きな音が鳴り、蛇の喉あたりに赤い線がはしり、金光がはじけて消えた。
喉にできた赤い線は徐々に色を薄くして、すぐ、消えた。
家ほどもある蛇の首が唐突にのしかかって、アマノムラクモごと勇者を、バクリ、と食べた。
「父上、お逃げくださいっ!」
「馬鹿、おまえこそ逃げよっ!」
五瀬と大王がお互いを逃がそうとする。お互いの馬がいななきを発して竿立ちになり、右往左往する。
鉄刀を抜き、五瀬はオロチの前に出る。
遠い花の丘で小さく棒立ちになったタカヤを五瀬は見つける。
ああ、そうか、おまえたちのやったことじゃないんだな。
そう、五瀬は思って少し笑う。
タカヤは目をそらせない。
川を挟んで小さく見える五瀬の姿から目をそらせない。
白蛇が大きく口をあけ、ヤマトの親子に襲いかかる。
「やめろーっ!! ウーっ!! それは俺の友達だーっ!!」
タカヤが絶叫した瞬間、ばくりと白蛇の口が閉じ、噛みちぎられた手と足が空に舞った。
「やめろお……」
タカヤは花の丘に膝をついて、泣いた。
ずるずると音を立てて、白蛇は動いて行く。
発狂したヤマトの兵士が変な形に曲がった腕を振り回しながらゲラゲラと笑う。
生きている物はただ棒立ちになって震えながら動かない。
まるで動くと神に見つかり、祟りに合う、そう恐れているかのようだ。
ヤマトの民も、長脛の民も、こんなに直裁で乱暴で無慈悲な神下ろしを知らない。
ずるずると巨体を引きずり、蛇は丘へと上がっていく。
丘の頂上へに着くと蛇の背中から天に向けて、真っ白な粒子が飛んだ。
その巨体が白く光る粒子に分解されて行く。
ぽん、と、蛇の胴の中程からウーが現れ丘の上に着地した。
ガシャリと音を立てて、ミジャクジの面が地に落ち割れた。
ウーは、ぱたぱたといつもの笑顔でタカヤに向けて走ってくる。
「くるなっ!!」
いぶかしげな顔をして、ウーは立ち止まった。
「うー?」
ちがう、ちがうとタカヤは思う。
そんな事を言いたいわけじゃないのに、体はがくがくとふるえ、違う人間が言うような事が口から出てくる。
「くるなぁっ!! ばけものっ!!」
びくっとウーの体が震え、目から表情が無くなる。
「う」
小さく頷くと、ウーは振り返り、森の中へと、かけていった。
後ろから見る丸いウーの頬に、ぱたぱたと涙がこぼれていた。
ちがう、ちがう、ちがう、そんな事を言いたい訳じゃ無い。
早く立ち上がって追いかけて、ウーに謝れ、ウーを傷つけたい訳じゃないん だ、ただ……。
ただ、なんだ? ただ、大きな蛇に化けて怖かった? 軍を蹴散らして行く姿があまりに無情で怖かった?
ちがう、良いから立て、考えるな、立って追いかけろ。
そう、思うのだが、体が動かない、ただ地面だけを見て、タカヤはぶるぶると肩をふるわせる。
今ほどタカヤは自分の事を弱虫だと思った事は無い。
今ほどタカヤは自分の事を嫌いだと思った事は無い。
背を丸め、草を握りしめて、タカヤは泣いた。