2. 戦争の準備
盆地の夜は早い。
タカヤはウーと一緒に囲炉裏端で縄を結っている。
母は食事の支度だ。
家中に猪肉の焼ける良い匂いが漂っている。
「うーうー」
縄を結いながらもウーの目は焼けていく肉に釘付けだ。
タカヤのお腹もぐうぐう鳴っている。
「もうちょっとだからね、がまんだよ」
母は笑いながら、団栗の団子の蒸し加減を見ている。
猪の肉は滅多に食べられないごちそうだ。
近く戦になるという事で飼っていた猪が特別に潰されたらしい。
戸をふさいだ筵を開けて、タカヤの父が帰ってきた。
「父さん、戦になるの?」
「ああ、満月の次の昼だ。ヤマトの奴らはだまし討ちが得意だから、タカヤもウーも村の外にでるなよ」
「満月っていうと、十日ほど後?」
「そうだ、この村が戦場に一番近い、氏族が集まるから明日から忙しくなるぞ」
「ヤマト族って、何なの? どうして鉄とか馬とか持ってるの?」
母親はみんなの所へ、竹の葉を敷き、団栗団子と猪の焼き物を置いた。
「うーっ!!」
ウーは笑顔でばりばりと猪肉を噛む。
「これ、ウー、落ち着いて食べなさい」
父親は笑って桑酒を飲む。
タカヤも肉を食む、じょわと口の中に肉汁が広がる。
「海の向こうに、大きな大きな大地がある。その土地の帝国が三つに分かれ相争ったのだ。何年も沢山の人間が争い殺し合い、最後には北の国が他の二つを滅ぼした。今のヤマトは滅ぼされた南の国の者達の子孫なんだ、だから、鉄で武器を作り、馬に乗りて走り、稲を植え米を作る。強大な敵だな」
「米って?」
「赤く、美味い食べ物だ。長脛の皆も作りたいと思っているが、なかなか上手くいかない」
「ふうん」
タカヤは団栗団子を口に入れる。香ばしい味が口いっぱいに広がる。
米というのは団栗よりも美味い物なのだろうか。と、タカヤは思う。
「まあ心配するな、一度や二度の戦で滅ぶ部族は居ない、父さんたちを信じていろ」
そう言って、父さんは、くいっと木杯を傾け桑酒を飲み干した。
食事が終わり、タカヤとウーは藁の寝床に潜り込み寝た。
その夜、タカヤは夢を見る。
そこは見渡す限りの草原だった。
タカヤは馬に乗り、風のような早さで草原を行く。
後ろでウーがきゃっきゃと笑う。
腰には鉄の剣があって、カチャカチャと澄んだ音を立てる。
横に一騎、並んで駆けている。五瀬だ。
五瀬も楽しそうに笑い、前を指さす。
前方には光る帯のような海、東の果てだ、とタカヤは気が付いた。
ああ、どこまでも行こう。どこまでも僕らは幸せになろう。
タカヤも二人に釣られて、声を上げて馬上で笑う。
そんな、幸せな夢を、タカヤは見た。
次の日から長脛の村は戦の準備に大忙しとなった。
タカヤとウーも手伝いに忙しい。
物作りのオンジの元で、槍の穂先を柄に葛で結びつける仕事を手伝う事になった。
石割の仕事は熟練が必要で、材料の黒石も、遠くから交易で手に入れた貴重な品なので、子供にはやらせて貰えない。
寡黙なオンジが石を割る音が作業場に響いている。
「うーうー」
大きな槍柄を相手に、ウーが葛にまかれながら穂先の石を苦労して結びつけていた。
「オンジ、俺にも槍をくれ」
「駄目じゃ、抜歯がすんでからにせい」
「ヤマト族が村に入ってきたらどうするんだよ」
「ウーをつれて、森の中に逃げろ、やつらもそこまでは追ってこんじゃろ」
カーン、カーンとオンジが拍子をつけて元石を叩くと、あっという間に黒く光る穂先が生まれる。
タカヤの前に出来た穂先が滑って来て、止まる。
オンジは村一番の職人で、できあがった物は他の村との交易に使われるぐらいに質がいい。
「ヤマトの奴は鉄の矛持ってるってさ、うちの村じゃ作れないのかい?」
オンジは作業の手を止め、空を見上げ、遠い目をした。
「鉄は欲しいのう、だが、うちの村では青銅止まりじゃなあ。燃料と炉の仕組みが解らんでなあ」
「悔しいなあ」
「う、うー」
ウーができあがった石槍をオンジに見せる。
「おお、ようできたな。上手いぞ、ウー」
顔をくしゃくしゃにしてオンジは笑い、ウーの頭をなでる。
タカヤも足を使って、葛紐を堅く堅く締める。
長脛の村では、青銅の武器も沢山は作れないので、族長達の腰を飾るぐらいだ。
殆どの村人は昔ながらの石槍で武装し、獣の皮で出来た鎧を着る。
成人式を済ましていない子供には、武器なぞ与えられない。
作業場の外を、よその村の長脛族が通っていく。
村を囲う壕の外には茅でできた仮小屋が幾つも立って、炊事の煙が立ち上っている。
広場を見渡すと、熊隼人たちと青年小屋の若者たちが酒をのんで大笑いをしていた。
早く大人になりたい、そう、タカヤは思った。
大人になり、ウーと所帯をもって、新しい家で二人きりで暮らしたい。
タカヤは来年、子供小屋に入る、そこから四年後に青年小屋に移り、そこでさらに三年暮らした後、成人式で抜歯を済ませば晴れて立派な大人となる。
先は長いな、とタカヤは穂先と槍柄を合わせながら思う。
作業場の入り口の岩の向こうにカカセの頭が見えたので、タカヤは腰をずらしてオンジの影に隠れた。
「あ、居た居たタカヤー。なんで挨拶に来ないのよ、あんた」
ヤマイヌの毛皮を身にまとい、色とりどりの勾玉を左腕に沢山つけたカカセは作業場をのぞき込んで笑った。
タカヤはカカセが苦手だ。
「本家がここに来たら、私が来るって解ってるでしょ? ほんとうに無愛想ね、あんた」
「うるさい、カカセなんかに用なんか無いよ」
「馬鹿ね、あんたが用が無くても、私があるって言ってるのよ。彗星の丘に綿毛の花が満開ですってね、つれていきなさいよ」
「今、仕事中だ、また今度な」
カカセは長脛彦の娘だ、一昨年の大祭の時知り合ったのだが、それからずっとタカヤの事が気に入ったのかまとわりついて来る。
すらっとして若鹿のようなきれいな娘だが、気が強くてうるさいのでタカヤは苦手だ。
「そこの唖の奴隷の子と行ったって聞いたわ、そこでヤマト族に会ったんでしょう」
「ウーは奴隷じゃないっ、マレの子だ」
「一緒よ、出来損ないだわ」
ウーは聞こえてないのか、聞き流しているのか、槍の制作に夢中になっている。
カカセはタカヤの横に座り、もたれかかりながら続ける。
「ねえ、私と所帯持つの、そんなに嫌? 次の長脛彦はお兄様だけど、私をめとったら、何かの時にはあんたに族長の権利があるかもよ?」
「興味ないよ。離れろ、暑い」
カカセの体から良い匂いがして、体の奥がざわつく感じになったタカヤは、彼女を突き放した。
「もー、何時までもお子様ねえ。そんなんじゃ良い大人になれないわよっ。兄様なんか、あんたの歳には、もう、お嫁さん決めてたのよ」
「うるさい。こっち持て」
「ん」
カカセに柄を持ってもらい、タカヤは槍の穂先を堅く結んだ。
「意外に器用よねえ、あんた」
タカヤは返事もしないで、オンジに槍を渡した。
オンジは満足そうに笑って、うなずいた。
「よしよし、この調子じゃ」
「仕事終わったよねじゃ、丘に連れて行ってよ」
タカヤは返事をしないで、新しい穂先と柄を取った。
「ねーえーっ」
カカセはタカヤの肩をつかんで揺すった。
「タカヤ、行ってもよいぞ」
正直タカヤはめんどくさかった、助けを求めるようにウーの方を見ると、彼女はそっぽを向いて
「うっ」と短く言った。
オンジがタカヤに向けて小刀を床に滑らせた。
黒石の打面の反射が、ぴかりぴかりとタカヤの心を震わせた。
綺麗な石の小刀だった。
「オンジ」
「もっていけ」
「あ、ありがとう」
「あら、良い小刀ね、良かったわねえタカヤ」
オンジは、また岩のように座り込み、カチリカチリと石を割った。
タカヤは小刀を帯に挟み、カカセを連れて作業場を出た。
ウーが、いーっとカカセの背に歯をむき出した。