四
こういう場合、どういう手続きが一般的なのだろうか。とにかくさっさと捕まえた獲物を料理してしまいたい。このまま大の男を連れ回して、あてもなく歩くのはさすがに恥ずかしいし、心もとない。
物語の世界では大抵ここで都合良く駅員や警察官が現れて、犯人をとっちめてくれるものだ。しかし、この世界の終点のような小ぢんまりとした駅には制服に帽子を被った頼るべき駅員の姿は一人も見当たらなかった。
これが現代社会の弊害だ。改札が自動化され経営効率の名のもとに駅員が削減され、その結果古き良きお客様サービスがないがしろにされてしまっている。
そんなことを考えている間にも時間は過ぎていく。お供の二人を従えながら駅員を求め再び満員電車に揺られて次の駅を目指すというのは、いくらなんでもナンセンスだ。
降りる駅をミスった。
私の背中に怖気が這い上る。相手は得体の知れない男二人で、こちらはか弱い女子一人。今、腕を振りほどかれたら為す術がない。居直られてすごまれたらどうしたら良いのか。痴漢どころか二人に手込めにされてしまいかねない。
「こんな小さな駅で、何をどうするつもりだ?」
込み上げてくる怒りを辛うじて押さえつけているようなくぐもった声。幼児が余裕で入りそうな大きなスポーツバッグを肩に掛けてオタクが背後から威嚇してくる。
私はその声に追い立てられるように広くない駅の構内を歩きだした。これ以上じっとしていると恐怖でそのまま石化してしまいそうだった。それに組体操の途上のような三人編成は一秒でも早く離脱したい間抜けさだ。
「決まってるでしょ。あんたたちを駅員に突き出すのよ」
私の言葉に細身の男がヒッと声にならない声を上げる。
そうだ。とにかく駅員を探そう。どこかに駅員室みたいなものがあるだろう。それはきっと改札のそばだ。
男二人は観念したのか、暴れることもヒステリックに叫ぶこともなく、私に引かれるままに付き従っていた。
「どうして俺が黙ってお前に付いて行ってると思う?」
またオタクが変に落ち着いた声で話しかけてくる。
「そりゃ、犯人だっていう自覚があるからでしょ」
「逆だ。俺は絶対に犯人じゃない。正義は勝つ」
「それはどうかしら」
「俺はお前を指一本触っていない」
「犯人は決まってそう言うのよ」
「テレビの見過ぎだな」
「違うわ」
私は即断していた。こちとらここのところずっと見たい情報番組も美容番組も断腸の思いで切り捨てて執筆活動に勤しんできたのだ。「強いて言うなら、小説の読み過ぎよ」
ただし、大抵は犯罪小説と言うよりは恋愛小説だが。
テレビを見ないわけではない。ニュースを含めて情報番組は好きだ。中でも金のにおいが濃い奴は大好物。美容番組はいかにしてお金を掛けずに美容を保つかという着眼点で見ている。
一方、ドラマはあまり見ることがない。俳優にスポットが当たりすぎていて、ストーリー性が二の次になっているものが多いからだ。本当に物語に触れたいなら小説を読めば良い。好きな時間に好きなだけその世界に入り込むことができる。
バラエティ番組は苦手だ。笑いを押し付けられている感じがして引いてしまう。たらいが落ちて来たり、ぬるぬるの階段で滑って転んだり、激辛わさび入りのシュークリームを食べたり、箱の中のザリガニに指を挟まれたり。それの何が面白いのかさっぱり分からない。
「あんたも何とか言ってやったらどうなんだ」
私に引っ張られながらオタクが細身の男に不機嫌そうな口調で問い詰める。「それとも、あんたが犯人か?」
「そ、そんな。僕は……」
「だったら何か言ってやれよ。痴漢呼ばわりされて悔しくないのか?腹は立たないのか?」
「でも、何て言ったら……」
一見、地味な服装のオタクの方がなよっとしていそうだが、口を開けば細身の爽やかな顔立ちの男の方がぐだぐだだ。オタクの方がいやらしい顔つきなので陰湿な痴漢にぴったりなのだが、さっさとけりをつけて目先のお金がほしい今はこちらの男前に泣いてもらうのが手っ取り早いかな、と私は計算しながら歩いた。
改札を出る手前の壁に小さなドアがあった。ドアの上に貼ってあるプレートには消えかけた字で「詰所」と書いてある。誰かいるとしたらこの中だろう。そう思って近づくと、目の前で突然ドアが開き、私は「ワッ」と首を縮めて驚いた。
「ワアッ!」
中から出てきた制服姿の男は私以上にびっくりしたようで、飛び上がって尻もちをついている。
「ちょっと駅員さん、しっかりしてよ」
私は二人の男の腕を脇に抱えたまま駅員目がけてため息をつく。
「駅員さん?」
「あなたのことよ。あなた駅員さんでしょ?」
「え。ああ、そうです。どうされました?」
駅員は立ち上がって尻を払い制帽を被り直した。しかし、サイズが合っていないらしく、すぐに帽子のつばが目のあたりにずり落ちてくる。
向かい合うと駅員は私より背が低かった。ヒールの分を差し引いても百六十センチそこそこだろう。今時はそんな男性駅員に合わせたサイズがないのか、帽子だけではなく濃紺の制服も少しぶかぶかだ。そのせいかどうも頼りない感じがしてならない。
「この二人、痴漢なのよ。私が捕まえたの」
「何ですって!」
駅員は私が腕を取り押さえている二人の男の顔を交互に見つめた。
「駅員!」
オタクがここぞとばかりに大きく声を張り上げる。
即座に駅員は「はいっ!」と素っ頓狂な声で返事をして、軍人のようにビシッと背筋を伸ばして直立した。
「この女は、他人を陥れようとしている。最近よく耳にする、痴漢をでっちあげて示談金をせびるあれだ。捕まえるべきはこの詐欺女で、俺はそれを言いたいがために、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで、ここまでついてきた」
「あ、あんた、何言い出すのよ。盗人猛々しいとはこのことね」
私は多少の後ろめたさもあって、顔を真っ赤にして反駁した。お尻を触られたのは間違いない。被害者の私が痴漢だと言えば、それは痴漢でしかないのだ。
小さな駅員が「まあまあ」と二人の間に割って入る。
「取りあえず、どうぞこちらの部屋へ」
駅員に促されて「詰所」の中へ入る。
そこはあまり使われていなかったのか、かび臭いような空気の滞留した六畳ほどのスペースだった。壁際にうっすら埃の積もった事務机があり、部屋の中央に小さなテーブルとその周りに錆の浮いたパイプ椅子が無造作に並んでいる。