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十九

 北条は足利を漠然と大学教授と言っていたが、調べてみると、ある美術大学の副学長を務めていることが分かった。

 教授ならば校舎内の一角にそれぞれ部屋を持っているので、学生に混じって気軽に入りこみ、授業の合間に話を聞けなくもないと思っていた。しかし、副学長ともなるとそうはいかないような気がした。

 私が大学生だった頃、学長、副学長を見たのは入学式と卒業式ぐらいのものだ。普段、どこに鎮座ましますのか知らなかったし、考えたこともなかった。まさか、大学を卒業して何年も経ってから、そんなことに思案を巡らすことになるとは。

「行けばわかるだろ」

 上杉は簡単に考えている。そんなこと言って歩きまわっても見つからずに時間だけ浪費するはめになったら絶対にジュースとケーキをおごらせてやる、と思っていたが、意外にも上杉の言葉通り行けば簡単に足利の部屋は見つかった。足利は副学長でありながら授業も持っているようで、他の教授陣と同じように校舎案内図に「足利魁研究室」と出ていた。

「ところで何?そのボディバッグ」

 最上階の四階に足利の研究室はあるらしい。エレベーターを待つ間手持無沙汰だった私は間を持たすために上杉に話しかけた。

 上杉は大きめのボディバッグを斜め掛けに背負っている。細長く四角いものを入れているらしく、その形が浮かび上がっている。この形、まさか。

「普段はいつもこいつに入れてる。両手が使えて便利だからな」

「毘沙門天?」

 上杉の持ち物で思いつくのはそれだけだ。こないだ駅の一室で披露していたのもこれぐらいの大きさだった。「いつも持ち歩いてるの?」

 上杉は微塵も恥ずかしがる様子を見せず真面目な顔で頷いた。

「当たり前だ。毘沙門天と俺は常に一緒だ」

 私は毘沙門天と上杉というテーマで何かに共感できる気が全くしなかったので、早々に話題を変えた。

「北条さんの筆は進んでるの?」

「俺は素人だからよく分からんがな」

 上杉は目元を曇らせて言った。「どうも、そうは見えん」

「美しい上杉さんがモデルでも?」

 上杉が深刻そうな雰囲気を出すから、どうしても茶化したくなる。あんた、重いよ。こんな調子で付き合われたら、北条も重圧と焦りで筆先が鈍るだろう。

「お前、そういうこと言うかぁ」

 上杉も自分の顔が暗いことに気付いたのか、少し困ったように笑った。「不調の原因はやっぱり精神的なものだな。気が付くと遠い目をしていることが多い。どうしても気になってしまうのは仕方ないのかもしれんが」

「奥さんのこと?」

「子供もな」

 私はどうしても釈然としない気分で、「ふーん」と小首を傾げる。

 そこへエレベーターボックスが降りてきた。扉が開くと三人の二十歳前後の男性が出てきた。皆、いかに目立つかが勝負だ、と言わんばかりの奇抜な格好だ。

 髪の毛は見事に一人ずつ赤、青、黄。ピアスの位置は鼻や唇に頬。そして三人ともスカートだ。網タイツを履いている奴もいる。一人は目の周りにどぎついアイラインを入れていた。

 どうしても目がギョッと見開いてしまう。さすが、美術大学。しかし、こんな連中とつるんでいると頭がおかしくなってしまいそうだ。

 上杉も同じことを考えたらしく私と暫く目を合わせたまま固まってしまっていた。扉が閉まりそうになり慌てて箱に乗り込む。

「やっぱりよく分かんないのよね」

 ボタンを押し、閉じた扉に凭れながら、私はもう一度首を傾げた。

「今のやつらか?」

「今のも分からないけど、北条さんのこと」

北条(ほうじょう)の何が?」

 上杉は北条を「ホウジョウ」と呼ぶことに決めているようだ。あだ名ということなのだろう。これ以上「キタジョウ」と訂正しても意味がないので私はそのまま続けた。

「子供がいるってことは奥さんとセックスしたってことでしょ?」

「セッ……」

 上杉が瞠目し絶句する。「お前、言葉に気をつけろよ」

「気をつけてるからこの中で話してるのよ」

「それにしても、もっと他に表現があるだろ」

 少し頬を朱に染めて力んでいる上杉を見ていると馬鹿馬鹿しくなってくる。

「性交とか?交尾とか?まぐわいとか?」

 これでもかと列挙して私は少し清々した気分になった。私だって女の恥じらいを蔑ろにする気持ちはない。しかし、それはTPOで使い分ける。上杉を相手にまどろっこしい言葉遊びは時間と労力の無駄というものだ。幻滅するならすれば良い。それは上杉の胸のうちの問題であって、上杉にどう思われようと私は何とも思わない。

「性別は関係なく、美しいものに魅かれるってことなんだろ」

 私の「セックス」の言葉の変換にあわあわとたじろいでいたが、上杉の方でも私を女と見るのを完全にやめる整理がついたようで何とか会話に復帰してきた。

「美しけりゃ誰とでもセックスするってこと?」

 また「セックス」という言葉が発せられて上杉がビクッと反応する。しかし、すぐさま姿勢を立て直し、ボタンの上にある液晶の回数表示を眺めながら言い放った。

「誰とでもってことはないだろうけど、それがバイセクシャルってやつなんじゃないのか」

 今度は私が驚かされる番だった。戦国オタクの上杉が「バイセクシャル」などというカタカナを使うとは思いもよらなかった。なかなか面白い。

「それって理解できる?」

 私は自分が女性と性的な行為をするところを想像した。女同士で唾液が絡み合うキスをする。乳房を揉み合いヴァギナとヴァギナを擦りつける。それはすごく不潔な感じがして思わず身を捩りたくなる。

 しかし、男性の陰部が女性のよりも清潔だということはない。だとすれば擦りつけるどころか内部に挿入されることを考えると女性同士より男女の接触の方がより不浄な行為に思える。

 それが分かっていても、愛しい人のペニスを不衛生だと遠ざけるようなことはない。つまり、浄、不浄という判別は場面場面で違ってくる。あるいは場面によっては不浄という概念は度外視されてしまうということになる。もっと言えば少し汚れていてもオスやメスのにおいがするぐらいの方が興奮することもあるだろう。

 きれい、汚いなんていう主観はあやふやなものなのだ。

 それでも男性がペニスを男性の肛門に挿入することは間違いなく不衛生だ。どれだけ譲っても男性同士の性行為は私には理解できない。

 じゃあ、自分のお尻だったら?

 男性に肛門を貫かれる。猛烈に痛そう。尋常じゃなく恥ずかしい。でも……。何かを破られる感じが百パーセント嫌だとは言えない気もする。

「この世に理解できないものなんていくらでもあるだろ」

 エレベーターが四階に到着するや否や、上杉は私を押しのけるようにして廊下に出た。真正面の壁にフロア案内図がある。「文化が違えば犬だって食べるし、競って首を長くする。それに江戸時代までは男色は当たり前だった」

 んー、どこだ、どこだ。上杉がフロア図の上で視線を彷徨わせる。

「今は現代よ」

 私は「足利研究室」と書かれた一区画をビシッと人差し指で叩いた。「あの上杉謙信公も男性のお尻を所望されたのですか?」

 プイッと顔を背けて私は独りで歩き出した。廊下の一番奥にある部屋が目指す場所だった。

「謙信公を愚弄するな」

 肩を怒らせた上杉が並びかけきて説教するような口調で言う。「お前は幸せな人生を送りたいのか、常識にとらわれた人生を送りたいのかどっちだ?」

「私は常識に根差した生活の中で、できる限り幸せな人生が送りたい」

 現実的な返答にさらにムッとしたのか顔は動かさず黒目だけをギロリと私に向ける上杉。ドアの前まで無言を通したが、ノックするばかりのところまで来て、これだけは言っておきたいと思ったのか急に私に向き直った。

「時に二つは相反するときがあるんだ。幸せを捨ててまでして手に入れたものが世間の常識で、お前は悲しくないのか」

 上杉はロマンチストらしい。こういう歯の浮きそうな台詞を臆面なく語るような奴はえてして底が浅いものだ。

「そうして手に入れた一時的な幸せも、長い目で見れば不幸の始まりってこともあるのよ」

 口当たりの良いだけの小説なら安易なハッピーエンドで締めくくることができても、現実はその先にまだまだ毎日が続く。例えば駆落ちをした男女は二人きりの時間を手に入れて幸せの絶頂を迎えるだろう。しかし一時の幸福も、毎日の生活の中で知らない土地での寂しさや、稼ぎの少ないひもじさを味わっているうちに次第に後悔に変わっていくことはあり得ることだ。私は終わりの先に続く長い人生にまで思考を巡らせたストーリーで作品を作り上げたいと日ごろから思っていた。

 上杉はまだ何か言いたそうだったが、私は彼の口を塞ぐ意味を込めて構わず扉をノックした。

 間をおかず中から声がする。テレビで聞き覚えのある足利の声だ。途端に緊張が全身を駆け抜ける。

 隣の上杉もハッと顔を強張らせた。


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