十
ファスナーの奥から最初に出てきたのは何やら高級そうな木箱だった。
上杉が一旦押し戴くように持ち上げてから、テーブルの上に慎重に置く。蝶結びを解き恭しく箱を開くと中から厳めしい顔をした男性の木像が出てきた。少し上杉本人に似ていなくもない。足元に奇妙な生き物を踏みつけていて手には槍のようなものを持っている。随分物騒な気配が漂っている。
「何です、これ」
気味悪そうに駅員直江が木像を指差す。
「オンベイシラマンダヤソワカ、オンベイシラマンダヤソワカ、オンベイシラマンダヤソワカ」
問いかけを無視して両手を合わせ何やら呪文のようなものを唱える上杉を見て、小さな声で駅員直江が私に耳打ちしてくる。
「この人大丈夫ですかね」
私は苦笑いで首を傾げた。確かに不気味だ。
「毘沙門天だ」
合掌を解いて上杉は厳粛に紹介した。
「だから何なんですか、ビシャモンテンって」
「戦の神だ」
「イクサ?上杉さんは誰かと戦ってるんですか?」
「常在戦場。この世はどこにでも争いがある。今も俺はお前たちと戦っている」
言われてみれば上杉のこれまでの態度は終始戦いの姿勢を貫いているようではある。
「何だか怖いな」
喧嘩の一つもしたことのなさそうな駅員直江が小さな身体を震わせる。
「怖くはない。毘沙門天は日本では七福神の一神として親しまれている福の神でもある。崇めれば金銀財宝をもたらす」
福の神?金銀財宝?何と素晴らしい力を持った神様なのか。
「オンベイシラマンダヤソワカ」
私は木像に向かって両手を擦り合わせ、覚えたての上杉が唱えていた意味不明な言葉を繰り返す。
「女。お前、真言宗か?」
「違うわよ」
「では何故毘沙門天の真言を知っている?」
「あんたが今唱えてたじゃない」
「お前……金銀財宝と聞くと異常な能力を発揮するな」
何とでも言え、という感じで私は開き直っていた。今は私も戦っているのだ。このまま一銭も得られずに敗れ去るわけにはいかない。
「こっちは何ですか?」
駅員直江がバッグから勝手に取り出したのは筒状の黒いケースだ。野球のバットを入れるには少し短くて平たい。
上杉は無言で駅員直江からケースを引っ手繰ると、留め金を外して開いた。中から出てきたのは冷たく銀色に光る刃物と木製の棒だ。
「包丁?」
私は思わず立ち上がって一歩退いた。仏像と刃物を携帯するオタク。危ない。理解の範疇を超えている。背筋が寒い。街中で突然狂気を露わにし、見境なく通行人に切りつけるのはこういうタイプの人間に違いない。
駅員直江も一歩二歩と後ずさりする。急に部屋の温度が下がった感じがする。
「も、模造品だ。刃は付いていない」
上杉は慌てた口調で刃物を取り出し、手で触れて切れないことをアピールする。確かによく見れば本物の刃物とは違って明らかにぬらぬらと輝き過ぎの感じがある。これが上杉が売っているおもちゃなのか。
上杉は慣れた手つきで刃物と棒を組みたて始めた。棒が三段階に伸び、その先に刃物が装着される。
「薙刀?」
北条の小さな声に上杉が無言で頷く。
薙刀?槍みたいなものか。武器であることは間違いなさそうだ。
「バッグの中にはまだ何かありますね。赤と白の服?」
駅員直江が恐る恐るスポーツバッグの中を覗き込んでいる。
「それは……衣装だ」
何故か上杉の声が上ずって聞こえる。
「衣装?お芝居でもされるんですか?」
上杉は観念したように目を閉じ、駅員直江が赤と白の布でできているその衣装に手を伸ばすのを止めなかった。
駅員直江が取り出して広げたそれは私にも見覚えのあるものだった。確か、これは……。
「これって巫女装束じゃない?ちょっと洒落た刺繍が付いてて変だけど。バッグの中に草履もあるし」
「詳しいですね」
駅員直江が感嘆の声を上げる。
「高校生の時にご奉仕したことがあるの」
「ご奉仕?」
「バイトのこと。でもバイトって言うと叱られるの。神社では助勤とかご奉仕とか言うのよ」
私は高校生の時の大みそかと正月三が日に実家の近所の神社で巫女としてご奉仕をしたことがある。時給はそれなりだったが覚えることが多く、酔っ払ったおじさんやナンパしてくる学生の相手が面倒で、結構大変だった。そして何よりも山里の雪の降りしきる寒さが私を苦しめた。巫女装束では重ね着も限界がある。冷え切った手足のじんじん痛む感覚が思い起こされて私は思わず顔を顰めた。
「お前、巫女をやってたのか」
上杉がごくりと生唾を飲み込んだ。
「だから何よ……」
私の腕に鳥肌が立った。上杉がどうしてこんなものを持ち歩いているのか。まさか自分が着るわけではないだろう。だとすると誰かに着せるということになる。「大人のおもちゃ」という言葉が耳に甦る。あれは駅員直江の行き過ぎた解釈だと思っていたが、あながち間違いではなかったということか。
「上杉さんがこれを……」
駅員直江も不審そうな目で巫女装束と上杉を見比べる。
上杉がスポーツバッグの中を見られて困る理由はこれだったのだ。女性モノの衣装を大事そうに持っていたのは何ゆえか。そこが上杉の向こう脛なのだろう。
「違う!俺が着るんじゃない」
上杉がむきになればなるほど周囲の熱は冷めていく。
「じゃあ何のために?」
冷やかに問いかける駅員直江の隣で、私が「ヘンタイ」と呟くと上杉のヒステリックな反応はピークに達した。
「変態じゃない!」
唾を広範囲に飛ばして上杉が反駁する。「これは相棒が着るんだ。今日はO町でコスプレ大会があるのを知らないのか?一年に一度の日本屈指の大きな大会なんだぞ。もういいだろう。返してくれ。こんなところでちんたらしてると、登録時刻に間に合わん」
短く刈りそろえた髪の隙間から見える頭皮まで赤らめて、上杉はひったくるように駅員直江の手から紅白の衣装を奪い取ると、ろくに畳みもせずにスポーツバッグに押し込んだ。眼鏡を掛けた茹でタコと揶揄したくなるぐらいに首より上を真っ赤にした上杉は、コスプレなどしなくても、そのまま練り歩くだけで十分に人目を引きそうだった。




