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「北条さんは外出するときはいつも手ぶらですか?」

 沈黙を破ったのは駅員直江だった。上杉の発言など何もなかったように、世間話のような調子で北条に話しかける。上杉と私がいがみ合って空気を重くしている以上、駅員直江としてはそうするしかなかったのだろう。

「たいてい手はズボンのポケットに」

「別に手をぶらぶらさせているかどうかを訊ねたわけではないんですけどね」

 どうもこの二人の会話は噛み合わない。

「財布と携帯と家の鍵もポケットに」

「では車内で両手は自由だったということになりますね」

 駅員直江の質問は一気に事の核心に近づいた。

 北条が小さく唸る。彼もこの問いがどういう意味を持っているのか理解したのだろう。

「ズボンのポケットが両手の自由を奪っていました」

「ポケットから手を出す自由は北条さんにあったわけでしょ?」

「混雑してて腕を動かす自由にも制約がありました」

 禅問答のようなやり取りが面白くて私は思わず少し吹き出してしまう。

 駅員直江も手ごたえのなさに困惑したようで制帽を取って頭を掻く。

「北条さんはこの時間にどちらへ行かれるつもりだったのですか?」

 制帽を被り直すと、駅員直江は質問の角度を変えた。

「どこってことないけど……」

「どこかに行く予定もないのに混雑した電車に乗ったのですか?」

「予定はあります」

「あるんなら教えていただけませんか?」

 北条は言葉を詰まらせた。予定を言いたくないのか、本当は何も予定はないのか。

「犯人じゃないのなら答える必要はない」

 上杉が割り込んできて北条に加担する。

「北条さんが犯人でないということは、上杉さん」

 駅員直江は冷静な顔つきを北条から上杉に向けた。「あなたが、真犯人ですか?」

 上杉は憮然と「違う」と言い捨てて、拗ねたように明後日の方向に視線を投げた。

「北条さん」

 駅員直江はベテラン刑事のように諭すような口調で北条に語りかける。「犯人じゃないのなら、痴漢目的で満員電車に乗り込んだのではないということを証明した方が得策ではありませんか?」

 駅員直江の口調は軽いが言うことは重い。

 北条は駅員直江から顔を背け、苦々しい表情で呟いた。

「市役所の方です」

「市役所?市役所にどんな用事ですか?」

「市役所ではありません。市役所の方です」

 私は嘆息した。お前は「市役所の方から来た」と名乗って強引に白アリ駆除をしたり浄水器をとりつけたりする悪徳業者か。

「具体的にはどちらに?」

 駅員直江は根気強く質問を投げかける。

「市役所駅から五百メートルのところ」

「市役所駅から五百メートル?」

 北条の顔がさらに強張った。強張った表情のまま駅員直江、上杉、私と順番に顔を見つめる。やがて何か決心したような色をその目に浮かべて告白した場所は三人を少なからず驚かせた。

「裁判所」

 裁判所?北条以外の三人は交互に視線を交わして怪訝な表情を示し合った。

 そこへもう一度北条の振り絞るような声が響く。

「離婚の調停です」


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