取り返しがつかない事
あの日、私はまだ十四歳だった。
三月が近づいて来るたびに思い出す、あの日。
その日は私と友達の梨花、優、知美、千春、の五人で、いつもとは違う通学路を通って帰っていた。 学校が卒業式でいつもより早く終ったためだ。そもそもこれが間違いだったのかもしれない。
正直私は乗り気ではなかったが、グループのリーダー的存在、千春には逆らうことができなかった。今思い返せば、どうしようもなく馬鹿馬鹿しいことなのだが。
学校のすぐ裏に、かなり急な坂道がある。
自転車を持っていた梨花は、一気に坂道を下って行った。だが、暫くして全力疾走で戻ってきて、後ろに乗らないかと私に言った。
その時の私の頭の中には、スリルを味わいたいという気持ちと、怖がっていることを周りに知られたくないという気持ちがあり、ろくに考えもせずに頷いた。これがあの事故の始まりだった。
梨花の運転する自転車の後ろに私は座り、かつて一度事故も起きたこともあるその坂道を勢いよく下った。もちろんブレーキなどほとんど握っていない。
これが思いのほか面白かったので、次は千春もやりたがった。
千春は甲高い悲鳴をあげつつも、楽しそうに坂を下っていった。
これで二人目。だから、次も大丈夫だと思った。何も起こるはずなんてないと。
梨花は私と一緒に、また自転車を坂の上まで押して行った。
次は優の番だった。
優は最初は怖いのか乗りたがらなかったが、周り声に押されて乗ることになった。最後の一押しは、私の言葉だった。
私達は、優と梨花が坂を下る前に坂の下に降りて待つことにした。しかし、千春は二人を待つのが面倒臭くなったのか、それとも単なる悪ふざけのつもりだったのか、足早にその場から立ち去ろうとした。
私達もそのあとを追う。その時、あの音は聞こえた。
今でもはっきりと耳に残っている。
自分のすぐ後ろでスリップする音がした。タイヤとコンクリートが擦れ合う、ザザッという嫌な音。
まさか……
死ぬほど嫌な予感がして、私は後ろを振り返った。
数メートル先に、横たわる自転車と、倒れている2人の姿がそこにあった。梨花も優も立ち上がりそうな気配はない。
「あはは、何やってんのー?」
一緒にいた知美が言った。どうやら冗談だと思ったらしい。千春も同じようなことを思ったらしく、そこまで心配する訳でもなく、似たような反応をとった。
だが、私には何故かはっきりとわかった。あれは冗談などではないと。
急いで駆け寄ってみると、ゾッとするほど鮮やかな赤い色が目に飛び込んできた。
そこには血まみれの二人がいたのだ。
どちらも頭を押さえていて、二人の手の指の間からおびただしい量の真っ赤な血がぼたぼたと零れ落ち、コンクリートを赤黒く染めていた。
「大変! 血が出てる!」
知美がどんな風に叫んだのか、今でもはっきりと思い出せる。
私はもう半分パニック状態だった。一言だって言葉を発することができなかった。
それでも怪我をした本人たちは冷静だった。梨花は、バッグの中にタオルが入っているから持ってきて欲しいと私に言った。彼女は頭だけではなく、膝の皮膚も引きちぎれたようになっていて、真っ白い靴下は半分ほど真っ赤だった。これはもう、縫わなければ駄目だろうなと思った。
バッグは少し離れた所に置いて来てしまったので、私は全速力で走った。走っている途中、色々なことを考えていた。
――そうだ。これは夢だ。現実じゃない。早く覚めろ。
そんなことは絶対にあり得ない。それでも、すべてをなかったことにしたかった。
ただただ、目頭が熱くなり、視界がぼやけていくだけだった。
「どうしよう……」
そんなことを呟きながら、私が皆の元に戻ったときには知美が学校に電話をしてくれていた。先生の車が来るまで、そう時間は掛からないだろう。しかし、私は落ち着いていられなかった。
特に、自分の頭から流れ出る血に怯え、痛がる優を直視できなかった。想像以上の出血だったからだ。
頭からの出血はほかの部分に比べて派手になるということはわかっていた。わかっていたが、だからといって落ち着けるかというと、そうではない。
それから暫くして先生の車が到着し、2人ともすぐに近くの病院に連れて行かれた。
「ごめん」
2人が車に乗るとき、こんな言葉しか喉の奥から絞り出すことができなかった。
どうして気付けなかったのだろう。
普通に考えれば、こうなることは絶対に予想できたはずだ。ただでさえ、前に事故だって起きているというのに。
これからどうなってしまうのだろう?
ただ、そんなことを考えながら、下を向いていた。
そんな時、千春が私に言った。
「なんで泣いてるの? 二人が痛そうで、可愛そうだから?」
違う。そんなんじゃない。
「あの時止めておけば、あんなことにはならなかったのに。どうして考えられなかったんだ。本当に馬鹿だな」
帰り道、そんな声が頭の中で響いていた。
「ねえ泣かないで、きっと二人なら大丈夫だよ」
知美が私に言った。
彼女には、私の考えていることが、すべてわかったのかもしれない。
「誰か一人の責任じゃないんだよ」
わかっている。
わかっているけど悔しい。止められるはずのことを、止められなかったのだから。
だが、その直後、こんな声が聞こえた。
「ねぇ、最初に言い出したのって私じゃないよね?」
千春だった。
「梨花だったよね?」
だから、なんだ。
この人は一体何を言っているのだろうと初めは思った。そしてようやく気が付いた。
これはその場にいた人間全員に責任があって、誰が一番最初に言い出したとか、誰が一番悪いとか、そういう問題ではない。
全員が悪いのだ。私達も、あの二人も。
違う。そんな単純な問題じゃない。
私はそう千春に言ってやりたかったが、言い合いになるのが怖くて、喉のすぐ上まで這い上がって来た言葉を押し戻した。それに、自分の震えた情けない声をこれ以上周りに聞かせたくなかった。実に情けない話だが、泣いていたのは私一人だけだったからだ。
次の日、やはり学校では二人の話題が取り上げられた。
思った通り、梨花は膝を何針か縫ったらしかった。
先生の話を聞いているのが嫌で嫌で仕方がなかった。多分、ずっと私は先生の方を睨んでいたに違いない。
あの後、二人の家に電話して謝ったが、梨花も優も私が何か言おうとする前に「ごめんね」と言った。当然、聞いて嬉しくなる言葉ではなかった。
二人が、知美が言った通り大丈夫だったことにはもちろん安心したが、それ以上に友人関係にひびが入らなくて本当に良かったと、その時は思った。
しかし、それと同時に自分達は取り消せない過去を作ってしまった。取り返しの着かないことをしてしまったと、深く後悔した。
今となっては笑って話せる話だが、もし、あの時二人のうちのどちらかが後遺症に悩まされるような事態になっていたら、運悪く死んでしまっていたら……
そう思うと、私は今でも恐ろしくなる。