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人魔のはみ出し者  作者: 生意気ナポレオン
第五章:吹く風血まとう教練編
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第九十八話:革新の六月

 六月半ば。暗い夜、静かな夜。昼の雨に濡れた林が風に煽られ雫をこぼす。我が家の玄関に灯る暖かな光を遠くに見ながら僕はサクサクと歩いていた。

 ……なんて言えば、ずいぶんいい光景に見えるけど、実際は湿気と暑さで不快でしかない。まだ五分も歩いてないんだけど……。汗を手で拭いながら胸中でぼやく。


『っと、()()()


 熱がスゥーと引いていく様な感覚に、気を引き締めて臨戦態勢を取る。なるべく力を抜くように意識して、

 人影見えず、足音聞けず、匂い香らず。だけど、()()を感じる。

 反射的に胸がざわつき、一瞬だけ夜闇が晴れるがすぐに元に戻す――いや、さらに落とす、か。


氣炎鎮静(ガイスト・シュティレン)


 ぼそりと虫の音にすら掻き消されるほど小さく呪言を呟く。殺気に波立つ魂を鎮め、穏やかに、静謐に保つ。呼吸する頻度が落ちていくとともに、鼓動の音は段々と弱まり、ともすればこのまま途絶えてしまいそうなほど。

 脆く、脆く、触れてしまえば折れてしまいそうなほどに脆く――()()に。

 

 ……場所は右斜め前、距離は二十メッセ(メートル)ってところだろうか。速度は早足程度、淀みなし、位置は完全に把握されてると見ていいな。

 まだだ、まだ近づいてきている。遠距離武器は無し……か? いや、殺気ッ!

 感じるままにその場から左に飛び退くと、ヒュンという風切り音が耳を掠め、やがて斧を打ち込んだような音が小さく鳴った。


 休む間もなく、針で突き刺すような殺気が強まる。先と同じくすぐさまその場を左に飛び退く、と見せかけて大きく右斜め前――つまり、敵のいる方向へと跳ぶ。

 自分の位置が知られたことがわかったのだろう、迷いからか気配が揺れるがすぐに迎え撃つ形でこちらへと迫ってくる。

 やがて、ぼんやりと闇の中に人影が浮かび初めて来る。かと思うと、人影が腰を落として一気にこちらとの間合いを詰めてくる!

 だけど、大丈夫だ読めてる、その動きは。その程度のフェイントであれば、いまの僕なら殺気の揺れで見破れる。

 

 無言無音で放たれる切り上げに合わせ、胸を張るように浮かせた足を後方に落とす。と、まるで示し合わせていたかのように、紙一重の所を特徴的な反りのある刀身が通り、斬風が喉頭を吹き抜けていく。

 チャキリと刃金の舌打ちとともに敵の手首が返り、刃がくるりと回り天から地へと向く。葉の隙間から漏れる月光を背にした刃は飢えた獣の牙に似ている。


 だけど、相手は人なんだ、獣じゃない。恐怖を飲み下し、見入ってしまいそうな凶光から目線を外す。

 代わりに見る場所は腰。そこにもう一つの牙がある。半身となった人影にわずかに伺える不自然な膨らみ――腰だめに構えた左拳。

 本人からしたらどちらが本命と言う訳ではないのだろう、どちらも僕を殺すのには充分だ。でも、ほんの少しだけこちらに込められた殺気の方が強い――()()()()


『捉えた……!』

『ッ!』


 拳の出掛かりを即座に掴まれ敵が息を呑む。が、それは動揺から生まれた隙ではなく、反撃に対する反応でしかない、どころか下手をすれば攻撃速度が早まったまである。

 それでも、先を取ったのは僕だ……! 右手が拳を掴んだ瞬間、体を反転させながら腕を引き、敵の左腕を巻き込むようにして背中合わせに。

 そして、すぐさま


氣炎万丈(ガイスト・ヴューデント)


 呪言で燻った魂の火を拘束を燃やす火炎とし、魔力に代わる剛力を持って背にある敵の首を折る。

 がくりと全身から力の抜けた死体の髪を掴み、緋の瞳が捉えた林の奥の人形に投げつける。

 余勢のままにクルリとその場で一回転、周囲に敵の姿が無いことを確認。まばたき一つで、再び辺りを闇に戻す。


 半吸血鬼(ハーフヴァンプ)になってたのは二秒ぐらいか? いまのは中々良い動きだったな。何時もこれぐらい動ければ、もう少し生存率を上げれると思うんだけどな。

 ほっと息を吐いて再び丘を登り始めると、木に張り付けられた紙を見つける。 

 そこには――一名死亡、一名気絶ただし当分起き上がる気配はない――と書かれている。ゼーレからの(ふみ)だ。


 ――いま僕がやっている補習(くんれん)のルールは単純、丘にある林を通って自分の家に帰るだけ。その間に何があるかは、ついさっきの通り。襲撃犯は複数という設定なのだが、実際にはゼーレしか相手は居ないので、ゼーレが倒される度に姿を隠して襲撃してくる形になる。この文は死体の代わりというわけだ。


 一ヶ月前から始めたこの補習(くんれん)だが、未だに意識のあるまま家に帰り着いたことがない。いつも次の日、遅刻寸前の時間に目を覚ます事になる。

 初めは純粋に気付けず殺され、慣れた頃には半吸血鬼(ハーフ・ヴァンプ)化に頼りすぎて気絶、最近では先のように節約するようになって気絶はなくなった反面、氣炎万丈(ガイスト・ヴューデント)が間に合わなくて骸の山を気づきあげてるのが現状だ。


 とは言え、少しずつは上達してる……いや、どちらかと言うとようやく、か。ようやく、一番最初にゼーレから教わった隠行を理解出来始めた。

 隠行――ゼーレ曰く、自分の気配を殺し、相手の気配や殺気を察する術。昼は学級闘争(クラスマッチ)で前者を、そして、この夜の訓練はと言うと後者の習得に重きをおいているらしい。

 もっとも、本来なら一ヶ月にも満たない程度にしか訓練していない僕のそれなど占い程度にも信用出来ない。事実、僕はこの間までそのように扱っていた。


 ――氣炎鎮静(ガイスト・シュティレン)を覚えるまでは。

 切っ掛けは学級闘争(クラスマッチ)で脱落し、暇な時間に抱いた疑問だった。

 魂の火勢を強める……言ってしまえば火事場の馬鹿力を無理やり引き出すのが氣炎万丈(ガイスト・ヴューデント)。じゃあ、()()火が消える寸前まで()()()()()()、どうなるのだろう? と。

 

 いま思えば、なんであれほど活動的だったのか分からないのだが、どうしても気になった僕はその場で実際に実験してみることにした。

 結論から言ってしまえば――死んだ。魂を、生命力を弱めたことであっという間に風邪をこじらせて死んだ。今でもあの苦しみは忘れられない。ちなみに、あとでゼーレにそれこそ死ぬかと思うぐらい怒られた。何でも、人界(むこう)の友人が同じような理由で死にかけたことがあったらしい。


 ただ、死の淵に立った(そして落ちた)ことも無駄ではなかった。

 自分が死に近づくに連れ、周囲の人が()()()()()居て、()()をしようとしているのかが手に取るように分かって行った。

 あまりにもその感覚が鮮烈で、蘇生直後はかなり混乱したことを覚えている。……いま思えば、混乱というより恐怖だったのかもしれない。朝起きたら、目と耳が使い物にならなくなっていたそんな恐怖だ。


 その事をひとしきりゼーレによる説教が終わった後に話し、徐々に形としていったものが"氣炎鎮静(ガイスト・シュティレン)"。

 自らの魂の火勢を弱めることで、他の魂――生気や意志、つまり、気配や殺気に対して敏感になる技だ。欠点として、怪我や病気が重いものになりやすかったり、長時間の運動が出来なくなったりする。

 さすがに実験の時と違って、手に取るようにとまでは無理だけど、こういう場所だと眼と耳以上に頼りになる。

 

『こうやって、広範囲の魔術も避けれるぐらいにはっと』


 独りごちると横に一歩、二歩、三歩と跳躍を重ねる――と、結界中に轟くほどの吠え声と共に、衝撃波がつい先まで僕が居た場所を薙ぎ払った。

 支えが消し飛んだ木々がそれぞれ思い思いの方向に倒れていく。ミキミキ、ガサガサとつい先ほどまでの沈黙を振り払うように木々が騒ぎ立てる、本意ではないだろうけど。

 その中に混じり、タタタ、タタタ、と一定のリズムで響く足音。ハッ、ハッ、と言う血臭が漂ってきそうな呼吸音。そして何より、むき出しの殺意……人獣(リカント)だな。この訓練におけるその意味は―――。


『――強敵』


 こいつに会って生き延びたことが一度もないんだよね……! 唇をチロリと舌で濡らし、筋肉が固まらないように浅く拳を握る。

 向きは真正面、ジグザクに移動しながら。距離は……推測する暇はないな、足が速すぎる!

 咄嗟の判断で地面と木を三角跳びし枝に登ると、そのすぐ下を人獣(リカント)が猛烈な速度で抜けて行く。


『RUAAA!』

『嘘でしょう!』


 人獣(リカント)がその進路上にあった木を蹴り飛ばし、その反動でこちらへと飛びかかってくる!

 呪言を唱える暇がある筈もなく、反射的に半吸血鬼(ハーフ・ヴァンプ)化。足を枝に引っ掛け、飛びかかってきた人獣(リカント)の腕を掴み、勢いそのままに地面へと叩きつける。

 同時に足を外して人獣(リカント)の上に降り立ち、


『お、おぉぉォォ――!』


 相手が何かをする前にと、無我夢中で右、左と拳を振り下ろす。本来の半分とは言え吸血鬼(ヴァンプ)の剛拳を浴びてなお、人獣(リカント)は抵抗を続ける。

 鋭い爪を背中に突き立て、顔を殴った拳に噛み付き、牙が折れても顎の力だけで拳を捉えようと血まみれの口を閉ざす。

 が、僕の全身が真っ赤になる頃には人獣(リカント)もビクビクと痙攣するばかりとなり、やがてピクリとも動かなくなった。


『――――あ』


 そこで、ようやく気付く自分のすぐ後ろに何かが――。


◆◇◆◇◆◇ 


 ジリリリリリ! 聞き慣れたけたたましいベルの音に僕はカッと目を開く。筋肉の引きつるような痛みに耐えつつ首を回し、手を伸ばす。

 目が時計の文字盤を捉え、手は時計のベルを止めるスイッチを叩く。八時四十分、一時限目は五十分から――終わった。


『なんて、諦めてたまるか!』


 体を跳ね起こし、布団を蹴り飛ばし、ベッドから転がり出て、寝間着を脱ぎ散らす。ゼーレが用意してくれている訓練服に手早く着替え、窓から外へと飛び出る。

 服を用意してくれるぐらいなら、ちゃんと起こしてくれれば……! いつものことながらそう思う。


氣炎万丈(ガイスト・ヴューデント)!』


 泣き叫ぶように呪言を唱え、半吸血鬼(ハーフ・ヴァンプ)化。異能の無駄遣いもここに極まれりだ。

 丘を十秒で降りきり、本来の通学路から外れた人気のない道を疾走、時に壁を一飛で乗り越え、時に天井を駆ける。幾度かの遅刻からの追加訓練を経て完成した吸血鬼(ぼく)用の通学路だ。


 今日も何とか人目につくことなく学校に到着。人の居なくなった校門を砲弾の如く駆け抜け、いそいそと靴を履き替えてから外へ降り立ち、一気に三階の窓に手を掛ける。

 中を見て人の居ないことを確認、ここでようやく半吸血鬼(ハーフ・ヴァンプ)化を解除。顔から汗を吹き流し、息を荒げながらガラガラと後ろの引き戸を開け、慣れた蔑む視線を受け流して席につく。

 ぐったりとしながら、黒板の上に掛けられた時計を見れば時刻はギリギリセーフの八時五十……。


『一分……?』


 確信していただけに信じられず、口から吐いて出た言葉も間の抜けた調子になる。目を擦っても、まばたきを繰り返しても、長針は十二を指していない。

 クスクス、ケラケラとクラスから漏れ出る嘲笑……はともかくとしてこちらを見て、ティアナ嬢がこ嘆息し、ロザリエは不安そうな表情を浮かべている。

 だけど、僕を見てるというより僕の後ろを――。


『何を首傾げてるんだ? ズィンダー』

『痛ッ……!』


 むんずと後ろから髪を掴まれ無理やり椅子から立たされる。なんとか首を捻って後ろ見てみれば、ゼーレがニヤリと笑い、あっさりと髪の毛を掴んでいた手を離す。

 結果、椅子を倒しながら僕は床に尻を強かに打ちつけることになる。


『バルチェ顧問、申し訳ありませんがいつもの訓練の方をお願いします。俺はちょっとこの餓鬼に稽古つけて来ますんで』

『分かりました。では、皆さん訓練場の方に。駆け足でお願いしますよ』


 苦痛に顔をしかめる僕を他所にゼーレが話をつけ、ぞろぞろと教室から人が出ていき、やがて僕とゼーレだけが残る。

 ……なんか、やっと事態が把握出来てきた気がする。


『悪いな、ユスティくん。時計、一分だけ進めさせて貰った』


 けろりと表情を変えて、ヘラヘラと笑いながら手刀を切る。これだから、この男は……はぁ。

 業腹ではあるものの、もうだいぶ慣れている自分がいる。それがまたイライラするんだけど……いくら怒鳴ってもこの男は応えない、どころか喜んでる節まであるからな……。

 うんざりとする僕を他所にゼーレが近くの机に腰を下ろす。


『それで? わざわざそんな真似してまで何の用なんですか』

『そんな怖い顔しないでくれよ。ちょっとしたご褒美やろうって言うんだからさ』

『ご褒美? 何のです』

『"強敵"撃破兼君の予想以上の成長に対してさ。……真面目な話、"隠行"が使い物になるまで少なくとも三ヶ月は掛かると思ってたからな』


 そう言って肩を竦めるゼーレは微妙に悔しそうで、少しだけ胸がすっとする。

 

『だから、まだ早いとは思うが計画を前倒ししようかと思ってな。()()()は即効性もあるし』


 ゼーレが胸ポケットから取り出した手帳を指で弾く。表紙には"三の翼(ドライ・フリューゲル)出席番号後半"と書かれている。

 もしかして、クラス全員分の訓練を考えて……? いや、まさかね。夜は学校の図書館から本を読んでることもあるし、そんなことをしていたら寝る時間がない。


『それがご褒美ですか』

『不満か?』

『いえ。強いて言うなら、即効性があるというならもっと早めに教えて頂きたかったですね』

『カカ、確かにな。だけど、まぁ俺にも色々と事情があるんだよ。教官(レーラー)として一人の学生を贔屓するのは躊躇われるし、お前に()()()を教えちまったら、否が応でも学級闘争(クラスマッチ)が大きく変化する。……出来ることなら、もう少し時間を置いて、自然に行きたかったが、あれから二ヶ月そろそろ敵さんも動いてきそうだからな』


 手帳を元のポケットに仕舞い、ゼーレが極々短い言葉で僕に()()()を告げる。

 

『それ、本気ですか……? いや、本気なんでしょうね。はぁ……貴方っていう人は本当にッ……はぁ』

『おいおい、八つ当たりは止めろよ。これに関してはお前の自業自得だろ』

 

 ……そう言われてしまえば、ぐうの音も出ない。確かにゼーレを責めるのは筋違いだ、ゼーレの言うとおりこれはまさに僕の自業自得。

 だけどな、そのニヤけ面をどうにかしてから言えよな……! 腕を組んでこちらを見る様はこうなることを予想してましたと言わんばかり。この男だ、強ち予想していたと言うのはこちらの穿った予想ではなく、事実かもしれない。

 何にしてもここでがなっても、ゼーレを喜ばせるばかりだ、我慢しろよ、僕。

 そうして、僕が何も言わないで居るとゼーレはつまらなそうに短く舌を打って、腰を上げると何を思い出したのか、打って変わって表情(かお)を元のニヤけづらに戻す。


『とりあえず、用事はそれだけなんだけどさぁ……他の学生の手前、遅刻した奴には厳罰を加える必要があるわけだ。とは言っても、これは俺が時計を弄ったせい、本来ならお前は褒められたものではないがギリギリ間に合っていたわけだ。それで罰を加えるのは俺としても胸が痛む』


 ニヤニヤ、ダラダラと話すゼーレは実に楽しそうで、僕の不安はドンドン膨れ上がっていく。


『だが、昨日の補習(特訓)。強敵撃破良いが、ほとんど恐慌状態見たいなもんだったよなぁ? 俺が殺らなくても、間違いなくあれじゃあすぐに燃料切れだ。だけどまぁ、今まで散々殺られてきたんだ、頭が真っ白になる気持ちもよく分かる。そこで、だ――あとは、言わなくとも分かるな?』

『あとは、どころか何も言わず目で分かりましたよ、その十喋って一を伝えるしゃべり方いい加減自重してくださいよ』


 パキパキと手の骨を鳴らすゼーレに僕はげんなりとしながら身構えた。


◆◇◆◇◆◇ 


 合図とともに今日も学級闘争(クラスマッチ)の幕が上がる。今日僕が選んだ開始地点は……便所。

 別段臭いが強いというわけではないが、やはりなんとなく鼻で息をする気にはならない。

 何でこんな場所を選んだかといえば、単純に人が少ないことに加え、こんな場所で誰も戦わないからだ。少なくとも、開始当初は。

 実を言えば僕はまだ学級闘争(クラスマッチ)にて一、二を争うワーストランカーだ。下手をすれば補習(特訓)前よりも結果は悪くなっている。と言うのも、


氣炎鎮静(ガイスト・シュティレン)……』


 で、気配を探るのは良いんだけど……見え過ぎるんだよね……。補習(特訓)の時は重層結界に居るお陰で、ゼーレ以外の生物が居ないお陰でいざ矛先がこちらに向かえば分かりやすいのだが、こうも人数が多いと混乱してしまう。

 言ってしまえばパーティー会場で遠くから自分に声を掛けている人物を探り当てるようなものだ。いや、実際に経験したこと無いけどさ。

 ともかく、いつもならこうして気配を探るのに集中する(で、やられる)のだが、今日は打って出る必要がある。


『……とりあえずは大丈夫そうだな』


 なにせ開始当初だ、まだ各自散らばっている段階だろう。……まぁ、すでに訓練場の方では争っている音が聞こえてるけど、それは数少ない例外だ。

 キィ、と軋む扉にビクつきながら個室から出て、おずおずと廊下へと一歩を踏み出す。

 腰を落として窓に写らないよう注意しながら外へ――ッと、居る! 慌てて屈んで扉の陰に張り付き、気配を探る。

 クソ、やっぱり他の気配が鬱陶しい! ……直接見るしか無いか。


 深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、顔をわずかに扉から出して気配を感じた方に目を向ける。

 ……居た。名前はたしか……ダニエラ。よく見る顔だ、と言うことは僕と同じ(と言ったら激怒されるだろうが)学級闘争(クラスマッチ)早期退場組だな。

 どうする、殺るか? ……いや、わざわざ遮蔽物のない外に居る敵に襲いかかるのは危ない。ここはどこかに行くまで待って……。


『チッ、誰もいないじゃない……中かしら?』


 って、近づいて来た! どうする……なんて考えてる場合じゃない。足音はどんどん近づいてくる、もはや逃げるなんて選択肢は無い。

 幸い、氣炎鎮静(ガイスト・シュティレン)は継続中だ。気配は極限まで消えているはず、大丈夫だ、大丈夫。叱咤が胸中で虚しく木霊する。

 口がひどく乾く。呼吸とはこんなにも難しいものだっただろうか? 目眩すら感じてくる。

 トッ――学校指定、黒の軍靴が校舎の中に踏み入る。


『えっ?』


 瞬間、僕の体が脳が命令するまでもなく動き出す。肩を掴んで体を回し、そのまま片手で口を塞ぎつつ、もう片方の手で喉を締め、時間を戻すように扉の陰に背を預け、そのままもがくダニエラを抑えこんで一気に()()()

 緊張に反して、呆気無くことは済んだ。しばらく無言で様子を探るが、剣戟の音や魔術によるものらしき地響きこそあるものの、どれも危険を覚えるほどではない。


 拍子抜けだな…………あ、調整鍵(チューニンガー)抜いとかないと。しかし、女性だとやりづらいな……あ、よかったウエストポーチにあった。これをオフにしてと。

 カチリとスイッチをスライドさせるも、ダニエラが結界から出る様子はない。やっぱり、僕の調整鍵(チューニンガー)の範囲から出す必要があるか……どうせ踏ん切りが付かなかっただろうし、良かったと思おう。

 

氣炎万丈(ガイスト・ヴューデント)


 呪言を唱えるや否や僕はすぐさま外へ飛び出し、あらん限りの力で疾走する。

 中庭。業火の鳥と鉄血の鎌が死闘を繰り広げる後ろを目に留まることなく過ぎ去る。

 中校舎。鉄血を纏った槍を持つ男と鉄血の鋼線(ワイヤー)を手繰る男が争っている。鋼線(ワイヤー)の男の後ろ一瞬揺らめいたような気がしたが、それを確かめる暇はない。

 再び中庭。今度は北校舎と中校舎の間だ。魔術の流れ弾が襲い来るも、一際強く地を蹴り寸前で回避。

 

『なっ……!?』


 北校舎前。男子学生とゼーレがそこには居た。ちょうどいま一人誰かを殺した所らしい。目を剥いて驚いては居るものの、手はすでに魔術を放つ構えを取っている。

 動き出される前に――ッ! しかし、こちらが今から一歩近づき、拳を叩きこむ前にあの魔術は放たれるだろう。……回避すべきなんだろうが、そうしたら時間が掛かる。

 それこそここに来るまでに見た戦いのどれかが終わったら、ここに駆けつけてくるかもしれない。つまり、回避は下策も下策、敗北必至だ。

 攻めだ、攻めの姿勢を持て。攻撃を放つ瞬間、先の機にて目の前の男を殺せ!


 ペッ――と、僕は勢い良くツバを吐きつけた。半吸血鬼(ハーフ・ヴァンプ)化していることで僕のあらゆる力は格段に増強されている、それは肺活量や口の中の筋肉も例外ではない。

 頭を撃ち抜く……なんてことは無いが、十メートル(メッセ)間を高度を落とさずに放つことぐらいは出来る。


『痛って! な、なんだ!?』


 狙い違わず敵の右目に被弾。突如として視界に弊害を受けた敵は怯み、迫っている僕のことを一瞬忘れる。

 そして、その一瞬さえあればッ! 迷いを捨て、一直線に駆ける。指先を揃え貫手の構えで狙うは喉頭。

 ()から迸る熱を、殺意を、意志を息吹に乗せて、突く。

  

『っと、危ない』


 腹立たしいほどあっさりゼーレに止められたが。一方、喉を貫かれるはずだった男子学生はといえば、顔を蒼白にしてその場に尻餅をついていた。

 戦死扱いとしてゼーレが調整鍵(チューニンガー)を渡すように声を掛けているが、苦しげに荒い呼吸を繰り返すばかりで一向に応える様子はない。

 ……どうしたんだろう? 少し気になるけど、何時までもここに居るわけにもいかないよな。かすかな躊躇いを振り払い、氣炎万丈(ガイスト・ヴューデント)を解除しつつ、その場を後にし北校舎の中へと入る。

 

氣炎鎮静(ガイスト・シュティレン)


 入った途端、階段の陰に隠れてすぐさま気配を探る。……居ないな、この校舎の中には誰も居ない。少し()()()()()()()()()、まさかここまでとはね……胃が痛くなってきた。

 クククと思わず空笑いが溢れる、その後に出てくるのはため息だ。足が重い、気が重い、でも行かないとな!

 ポンと奮い立たせるために自分の頬を軽く叩いて立ち上がる――その時だった、校舎の外から殺気を感じたのは。

 僕に向けて、ではない。だけど、()()()()()向けてかが僕には分かる。


『ッ――――!』


 口元まで出かかった声を何とか飲み込み、即座に階段へと走る。

 頭の中は真っ白、視界にものは映れど見えてはいない。音はどこか遠くから聞こえてくるようにしか感じない。

 内にある声だけがハッキリとしていて、速く、より速くと体を急かす。


 一心不乱に駆け上り、二階、三階、そして果てには立入禁止の張り紙がされた扉。ノブを回す時間すら惜しく、勢いのままにぶち破る。

 扉の先は屋上。そこに居た彼女が何事かとこちらを振り向く。と、涼やかな瞳がわずかに見開くとともに、口がゆっくりと開いて行く。

 それに被せるように、僕は呪言を吠え立てた。"氣炎万丈(ガイスト・ヴューデント)"、先に出かけた声はようやくの出番とばかりに空に轟く。

 (うち)から湧き上がる力を足に乗せ、僕は一息に彼女との距離を詰め、押し倒す――と、僕の背中を一本の投槍が裂いた。

 

『くッ――!』

『テ……テオ!』


 僕の下にいる彼女が――ロザリエが悲鳴に似た声をあげる。それに応える余裕も暇もなく、僕は顔を上げて投槍が飛んできた方向、()を睨みつける。

 

『チッ、まさかお前みたいなのに邪魔されるとはな』


 眉をひそめて言ったのは、長い銀髪を肩甲骨辺りで纏めた眉目秀麗な男――レームブルックだ。いつの間に、と僕の下に居るロザリエが呟くのが耳に入る。

 背中から蝙蝠によく似た赤紫(マゼンダ)の翼を生やして、僕とロザリエを見下ろすレームブルックは侮蔑の色を隠すことなく、僕に声を掛けてくる。


『フン、その様子……前々からお前らの話し聞こえてはいたが……女に囲われて生き延びようとするとは、恥をしれよ罪人(ズィンダー)

『その婦女に不意打ちした君に言われたくないな。貴族(フォン)の名が泣くぞ』

『安い挑発だな。そも、これはそう言う訓練(もの)だろうよ。それよりも男妾、下に組み敷いている女は良いのか?』


 言われて下を向くとロザリエが真っ赤な顔でグイグイと僕の身体を押していた。耳を澄ませば、どいて、とか細い声で言っているようにも聞こえる。やばい、これはやばい。

 そして、その隙を突いて飛んで来る槍を適当に手で払う。いま良いところなんだよ、邪魔するな。


 僕がじっと動けずにその様子を見ていると、クッとロザリエが顔を横に背ける。その際にきめ細やかな金色の髪がサラリと顔を隠すも、その僅かな隙間から潤んだ瞳でこちらを伺っているのが分かる。僕を押す力も強くなるが、僕もそれなりに鍛えている身だ。女性の力ではピクリとも動かない、少しこそばゆいぐらいだ。

 ……何時までもこうしていたいな。などと、思い始めた所に空から声が掛かった。


『何時までそうしてる! こちらの質問に答えろ!』


 うるさいな……質問? 何のことだよ、全く聞こえてないよ……とは言えだ、危うく正気(と理性)を失いかけたが、あれはどうにかしないとな。

 適当に気を引き締め、僕はちょうど目の前にあるロザリエの耳に口を寄せ、ボソリと『フォロー頼む』と声をかける。

 ビクンと体を震わすロザリエを、思わず抱きしめそうになるが、何とかその欲望を封じ込めて立ち上がる。


『悪いですけど、答える気はないですよ』

『なに?』

『答える義理もないし、冥土の土産に……なんて言った悪役で助かった人を見たことないもので』


 レームブルックが一瞬、わけがわからないというように小首を傾げるが……すぐに意味が伝わったのだろう、怒りの形相でこちらに腕から生えた槍を突き付ける。


『俺がお前ごときに殺されると? 戯けたことを……その侮辱、死ぬほど後悔させてやるぞ』

『死ぬほど? ハッ、体験したことも無い癖に』


 ピキリとレームブルックのこめかみに太い血管が浮かぶ。向けられた殺意はいまの僕でも感じ取れるほど。

 まったく、悪い癖が伝染った。そう思いつつも顔に浮かぶのは笑みだ。なるほど、これは確かに病みつきになりそうだ、レウスさんやゼーレが、いくら言われても治らないのも分かる!

 這う姿勢からぬらりと獣の如く四肢を地に擦りつけて駆け出す。翼を掲げ、鳥を騙る蝙蝠が怒りの吠え声をあげる。


槍作願望(ランツェ・フォルメン)!』


 飛来した蝙蝠の牙、鉄血の槍は今までのとは段違いに疾く鋭い――が、脆い。

 射出されるのが前提で作られたレームブルックの槍は、防ぐことは想定されているが()()ことは想定されていない作りになっている。

 故に、やることは一つ。()()目でよく見て、()()()叩く、それだけだ。

 言うほど簡単じゃないけど――できないほど難しくもない。ピシリと硬質な手応え、鉄血の槍が破砕音と共に、夢から覚めたように血の飛沫と化す。

 槍の返り血を顔に浴びつつ、その場から跳躍。空をとぶレームブルックに襲いかかる。

 

『いい気になるなよ、罪人(ズィンダー)がァ!』


 何の捻りもない襲撃を屈辱と感じたのか、レームブルックが声を荒らげて羽ばたく。風魔術特有の緑の燐光だけが視界に残り、羽ばたきの強い風が僕の体勢を崩す。

 即座に風に乗り、クルリと宙で身を回して何とか着地。危ない危ない、普段なら地面に激突待ったなしだった。

 もっとも、状況は悪化の一途。ヒュウと背中を舐める冷たい風、宙に浮いた踵、半歩後ろに退けば地面に真っ逆さま。加えて……


『これでお前にできる事はなくなった……最初からこうしておけばよかったよ』


 レームブルックは空中。いや、それは最初から変わってないけど、今ではその下に影がない、と言うより床がない。

 つまり、さっきみたいに飛びかかれば、地面に赤い花を咲かせることになる。僕は何も言わず、床を蹴った。足元の砂利が遥か下の地面へと落ちていく。

 レームブルックに動揺はなかった。脅しと踏んだのだろう、目こそこちらに向けられていたが、その意識は僕よりもロザリエに向いている。

 傲慢だとは思わない、むしろ妥当な判断だ。だけど、妥当だからといって最善とは限らない。

 その事にレームブルックが気付いたのは、僕が屋上の縁に足を掛けた瞬間。ギィィとひび割れた金属のような笑みを張り付け、躊躇いもなく虚空へ飛び出す。


『馬鹿が……!』


 唸るレームブルックの瞳に様々な感情が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。怒り、恐怖、嫌悪、侮蔑、憐憫。――この物狂いが、と怒鳴り、叫び、悲鳴をあげていた。

 僕が跳んだのに少し遅れ、レームブルックが羽ばたく。それで終わり、僕の手の届く範囲から彼はあっさりと抜けた。

 翼を持つ者、持たざる者。その差はちょっとした不意打ち、狂人に対する戸惑いなどでは埋めれるものではなかったみたいだ。

 堕ちて行く。跳んだ瞬間に感じた解放感などとうに失せ、重力に囚われどうすることもできない無力感だけが僕を支配する。

 

 ()()()()、僕の笑みは消えない。顔を引き攣らせてるレームブルックには悪いけど。

 僕は化物だけど狂人になったつもりはない。死ぬのは怖いし、蘇生するからといってこんな訓練で相討ち狙おうと思えるほど達観してない。

 僕に翼はない。だけど――


『"ブリュンヒルト流血法:天獄への階段(ヴァルハラ・ライター)


 だけど、僕には戦乙女(ヴァルキュリア)が付いてる。天獄(そら)へと続く階段がある。

 僕の腕ほども太い血鎖の先端が足元で脈を打って変形する。出来た形は六角形、大きさは少し大きめのクッション程度。


『足場にするには十二分だ!』

 

 振り落とした足が、虚空にはあり得ない確かな手応えを返し、僕の体が重力を振り切り再び飛翔する。

 飛翔に遅れ、背後で鳴るガラスに似た破砕音。階段にしてはちょっと脆いな! 軽口を叩いて、手を伸ばす。緑の燐光を放つ、ただでさえ青い顔を青ざめさせた蝙蝠へと!


『――――ッ!』


 声にならない悲鳴。破裂音を響かさせる翼。視界で瞬く緑の燐光。強い風が僕を煽り、鉄血の六角形が再び足元で煌めく。

 その光景を見たか、レームブルックはすぐさま撃った翼を折れんばかりの勢いで背へと振りかぶる――それが、致命的だった。

 一刻も早く距離を離したい。そんな焦りからだろう、その翼の動きはあまりに()()()()()()

 翼が風の唸りを生む前に、ガラスが割れた様な音が僕の足元から、獣の咆哮が僕の喉から鳴り響く。――伸ばした手は、今度こそレームブルックの首を掴む。

 それと同時に僕の足首に血鎖が巻き付く。これで墜落の心配はなさそうだ。


 僕を見るレームブルックの眼差しは凄まじいの一言に尽きた。全身から沸き立つ剥き出しの殺意は、圧倒的優位に居るにもかかわらず体が竦みそうになる。

 こうして、まじまじと殺す相手を見るのは初めての事だったが……良かった、思ったより罪悪感は()()

 自分でも驚くほど冷静にギリギリと喉を締め上げていく。


『こ、こはぁ……!』


 雑巾でも絞るようにギリギリ、ギリギリと残り少ない空気をレームブルックから吐き出させる。苦悶に歪んだ顔は、もはや焦点があっていない。口角からあふれた泡が僕の手を濡らす。

 どろり、と背中から生えた翼がここでようやく溶け落ちる。もはや、魔術を繋ぎ止めることもできないほど意識が朦朧としているのだろう。

 もう、この手を放してもいいだろう。しかし、万が一これが僕の隙を突くための策だとしたら? そもそも、これは戦闘じゃなくて殺し合い、戦うのではなく殺すのが目的だ。なら、ここで手を休める道理は――。


『――ッ!』


 その殺気に本能が僕の体を硬直させる。剣で言うなら最上大業物に匹敵する、磨き、鍛えぬかれ、研ぎ澄まされたその殺気はそれだけで人を殺せそうなほど。

 もしこの殺気を氣炎鎮静(ガイスト・シュティレン)をしている時に、いや常の状態ですら浴びせられたら気を失ってしまうだろう。

 だって、半分とはいえ吸血鬼(ヴァンプ)化している今ですら、体が思うように動かない。潮風に浴びせ続けられた機械のようだ。

 頭だけはこうしてまともに動くから性質(たち)が悪い。嫌な想像が、死のイメージが、僕の脳裏を無数に駆け抜ける。


 滝のように流れる脂汗を流す余裕もないまま、震える体を奥歯を噛み締めて抑えつけ、殺気を感じた方へと目を向ける。

 柔和な笑顔をした老人が僕を見ていた。


『うっ……!』


 せり上がってくる熱い固まりを何とか飲み下す。ぼやける視界をなおすため、何度も何度もまばたきを繰り返す。涙がポタポタと地面に降り落ちていく。

 なんで、あんな顔で、こんな殺気を出せる……! 久しぶりに旧友に再会したような、あんな笑顔で! 

 壊れてる! 狂ってる! あんなのが英雄であってたまるか! どこからどう見ても――――狂人じゃないか……!


 自分の中の何かが決壊し、噛み締めいた筈の奥歯がカタカタ、カタカタと鳴り始める。

 そうなったら後はもう恐怖に流されるままだった。体は震えが止まらず、手に力が入らない。そんなだから、腕に抱えていたレームブルックを落としてしまうのも極自然なことだった。


 スル、と腕から重みが消え――全身に降り注がれていた殺気もまた消えた。震えはピタリと止み、手は自然と顔を拭った。晴れた視界はもう歪むことは無く、何の抵抗もなく拳を握ることができる。

 そうして呆然としていると、体がグイッと一気に引き戻される。いきなり加えられた力に内蔵が浮き上がり、血の気が引いて吐き気がこみ上げる。

 やがて、ドサッと手荒に屋上に放り捨てられ、ゴロゴロと転がり縁にあたってようやく動きが止まる。


『……ローザ、もう少し優しく……』


 ズリズリと体を動かし縁に背を預ける僕に影がさす。目の前には陽の光を背にしたロザリエ、その表情は窺い知ることは出来ない。

 予想はできるけどっと! 苦笑を浮かべながら素早く顔を守るように腕を上げる。それとほぼ同時、パチンと小気味いい音が鳴り、痺れるような痛みが走る。

 

『フフン、ローザがそう動くのは――』


 予想済みだ。したり顔で言おうとした僕にゴスッと鈍い衝撃が走る。ゾワゾワと内蔵から染み入るような痛みが下腹部、脚と脚の間、股間と呼ばれる部位から全身に広がる。

 先と同じほどの脂汗が顎から滴り落ちる。顔から血の気が引いていき、表情は悲劇が訪れる前の得意げな薄ら笑いで固まる。

 ぐい、とロザリエが顔を近づけてくる、互いの息がかかる距離。なのに、なんでだろう驚くほどドキドキしない、どちらかと言うと心臓が止まりそうだ、恐怖で。


『……無茶しないで』


 近づいたことでロザリエの表情も(あら)わになる。予想通りだった……と言うと自惚れかな。

 彼女は――泣いていた。薄っすらとだが、たしかに。


『だ、だけどね……その台詞、わざわざ血鎖まで使ったローザに言う権利ないだろ……!』


 ロザリエの薬指からのびる太い血鎖は地に垂れ、その先端は僕の脚の間に転がっている。先端は刃でこそないものの分銅だ。斬撃か打撃かの違いでしかない。もっとも、僕に限って言えば、再生しやすさで言えば後者の方がそりゃ良いんだけどさ。


『それに、僕はどうにも他の人に比べて、選択肢が狭いみたいでね。こういう戦い方しかできない。だから、謝るつもりはないし、これからもこうやって戦い続ける』


 ロザリエはなにも言わず、ジリジリと圧力を掛けてくる。……罪悪感はある。だけど、言葉にした通り、これ以外の戦い方はできない。そして、誰かを守るには、彼女を守るには戦わなければならない。

 だから――


『だから頼む、君が僕を守ってくれ。僕がドブに捨てる命を、どうか掬って欲しい』


 手を地に着け、(かしず)く。すると、ぽこんとしなやかな手が僕の頭を軽く打った。


『見くびらないで、言われなくともボクは君を守るよ。最初からそう言ってただろう? 最初にボクの気持ちを裏切ったのはテオじゃないか』


 惚けながら顔を上げると、ロザリエもまた元の姿勢に戻り、そっぽを向いてこちらに手を差し出していた。

 その手をとって、一気に立ち上がる。握った手は小さく柔らかいけれど、この手さえあれば僕はどんなものとも戦える。

 しかし、クク……せっかく逆光になってたのに。そっぽを向いた顔は陽に当たり、赤々と上気した頬を惜しげも無く晒していた。

 

『なに笑ってるんだよ』


 手をとって立ち上がると、どうやらいつの間にか笑いが漏れていたらしい、ジロリと睨まれてしまった。

 いやはや、本当にローザのこういう表情(かお)は可愛いなぁ……。もちろん、何時でも……いや、大体の時は可愛いんだけど。

 クク、好きな子にちょっかい出して喜ぶとは、僕の精神年齢は随分前で歳を重ねるのを止めたらしい。若々しくて結構なことだ。


『別に、ただの思い出し笑いさ。自意識過剰なんじゃないか』

『一言多いところ、昔から変わってないよね、テオは』


 ジャラと未だ足元にあった血鎖が揺れる……程々にしないと性転換を強いられそうだ。子供もいずれは大人になる、今がその時なのかもしれない。


『さ、冗談はともかく、これからどうするの、テオ』


 救われた……! と言うか、ロザリエ、冗談にならない痛みだからね、あの一撃。

 

『どうするもなにも……何もしないよ。正直、もうヘトヘトでね、誰か来るまではゆっくりさせて貰おうよ』

『……まぁ、良いけど。少し、話に付き合ってよ』


 無言で頷いて続きを促しつつ、人目につくと場所を屋上から移す。張り紙のされた扉を開いて校舎の中へ、気配を氣炎鎮静(ガイスト・シュティレン)で確認しつつ、階段に腰掛ける。


『今更だけれど、こうやって手を組むのは大丈夫なのかな』

『大丈夫だよ。じゃなければ、とっくにゼーレ……教官(レーラー)か、バルチェ教官(レーラー)が飛んできてる』


 それに、そもそも手を組むことを決めたのはあの男からの一言があったからだし、と内心で付け加える。

 ゼーレの言ったご褒美とは、つまりそういう事。一人で駄目なら二人で戦え、あの男は僕にそう言った。お前みたいなひよっこが誰かが守るだなんて傲慢だ、とも。

 目が覚めた気分だったな……それ以上に、一度手ひどく裏切ったロザリエにこの話を持ちかけなければならないと思うと、憂鬱でしょうがなかったが。


『と言うより、気付いてないだけで、たぶんもう手を組んでる奴らは居ると思うよ』

『え? だけど、二人組を見た覚えは無いんだけど……』

『そりゃあ、そうだろう。そんなことして他の奴らに真似されたら嫌だろうし、ローザみたいにルール違反してないかビクビクしてるだろうからさ。たぶん、手を組むって言っても互いに手を出さないぐらいのものじゃないか』

『なるほど……ということは、こうやって表立って手を組んだのはボクとテオが初めてってこと?』


 たぶんね、と頭の後ろで手を組みながら返すと、それきりしばらく無言が続き、地上からの戦闘音だけが鳴り響く。

 ……思えば、こうしてある程度は話せるようになった後も、こうした事務的な会話以外はろくにしていないような気が……。

 そう意識するともう駄目だった、思うように言葉が出てこない。どうするどうすると内心で自問自答が繰り返される。


 なにか声かけてくれないかな……と、チラと期待を込めて隣を見るが、ローザもまた僕と同じで落ち着きのない様子で周囲を見ていた。そうして、ふと目が合う、合ってしまう。

 ローザがただでさえ赤かった顔を、さらに赤くして慌てて目をそらす。僕はといえば、心臓が止まりそうになったものの、そのあまりの慌てっぷりに逆に気がほぐれる。

 そうすると、あれほど出て来なった言葉もするりと口から出てくる。


『そう言えば、鎖の形変えたんだね』


 僕の記憶にあるローザの血鎖……"血盟願望(アンゲケッテット・リング)"は両手の五指から生やすしたい覚えがある。

 先の戦闘で見た血鎖は、両手を使うのは一緒だが、鉄血で出来た薬指だけを覆う手甲から太い一本を生やす形だった。


『あ、うん。一番最初、ゼーレ教官(レーラー)と戦った時があっただろう。あの時、十股するなって言われたんだ。その時は全く意味がわからなかったんだけど、しばらくしてふと鎖の数を減らしたことがあってね。今みたいに二本じゃなかったんだけど、随分と動かしやすくて。それで、やっと言葉の意味が分かったんだ。数だけ増やしても意味が無い、一本一本を十全動かせるようになって初めて数を増やす意味が出てくるって。もしかしたら、教官(レーラー)はそこまで考えてなかったかもしれないけど』


 いや、そういう意味で言ったのだろうと、言葉にこそしないものの確信する。近いことをだいぶ前にゼーレから聞いた覚えがあったからだ。   

 しかし、ゼーレも思いの外、先生してるんだな。……あのメモ、やっぱり全員分あるのかも。


『それよりもテオの方が変わったよ。あれはやっぱり……その……』

『思ってる通り、異能だよ。ごめん、ローザにとっては見るのも辛いだろうに』

『ボクのことは気にしなくてもいい。けど、テオは大丈夫なの? 誰かにバレでもしたら、いや、その前に暴走でもしたら……』


 心配そうにこちらの顔を伺うローザに、僕はしたり顔で答える。


『――人生はポーカーと一緒だ、配られた才能(カード)で勝負するしか無い。だけど、それをブタにするも役にするも、本人次第だ』

『誰の言葉?』

『僕……って言いたいところだけど、僕の恩人から聞いた言葉さ。最近になってつくづくその通りだと思うようになった。ポーカーは降りるだけじゃ勝てないんだ』

『……この格好つけ』


 はぁ、と呆れ混じりのため息を吐いて、またそれきり黙りこむ。今度のは言葉が出ないというより、納得はしてないといった様子だ。

 とは言え、それを言葉にしないということは、こうやって僕が戦うことを許してくれたのだろう。

 しかし、参ったな一つ訊きたいことがあったんだけど……答えてくれるかな? 


『なぁ、ローザ。帰る時、なんで離れて歩くんだ? できれば、もう少し近くに来て欲しいんだけど……』


 僕の言葉にローザはピクリと体を反応させ、すぐに脱力して言った。


『デリカシーが無いね、テオは』


 僕が何か言い返そうとする前に階下からかすかに物音が鳴る。集中して辺りを伺えば、相も変わらず数は不明、場所も不明だが、ただ気配がここに集まろうとしているのを感じる。

 あれだけ空中で大立ち回り繰り広げたらそうもなるか。……理由はそれだけじゃないだろうけど。

 隣でローザが意気揚々と立ち上がる。僕も気分だけならそうしたかったが……本当にヘトヘトなんだよな。具体的にはあと一分が活動限界。

 それが顔に出ていたのか、ローザが少し得意気な顔で僕を見下ろす。

 

『なに、立てないの? お手てを貸そうか、テオ赤ちゃん(ベービ)


 挑発してるつもりだろうけど、まだまだ言い方がぎこちない。もっとも、僕のそれもきっとレウスさんやあの男から見たら滑稽なのだろうけど。

 ここは一つ師匠方に倣った返し方をするとしよう。


『手もいいけど、ぜひぜひ胸を借りたいね。お腹が空いたんだ、母さん(ムター)


 上手く飲み込めなかったのか、ローザが首を傾げ、すぐにボッと顔を赤くする。状況が状況なせいで言い返すことも出来ず、口をモゴモゴと動かすローザ。僕はそれを見て、してやったりと忍び笑う。

 そんな僕の前、階段下。炎の鳥を手に抱えた女学生が険しい顔してこちらを睨む。

 "血盟願望(アンゲケッテット・リング)"。隣から聞こえる呪言に胸が熱くなる。隣にこの女性(ひと)が居るだけで魂が轟々と燃え猛る。


 居ても立ってもいられず、僕は無謀に突撃する。嘲笑と共に炎の鳥がその手から解き放たれ――二本の血鎖に阻まれる。

 負ける気がしない。自分の奥底から漲る力に笑みを深め、僕は目の前の敵へと襲いかかった。

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