第九十七話:焦燥の五月
闇に沈んで行く。一度入れば戻れない底なし沼のような闇。凍えるほど冷たいのに汗が吹き出る。空気は偽物かと疑うぐらいいくら吸っても息苦しさが取れない。
ツ、と額から流れた汗が頬を伝う感覚。拭おうと手を動かそうとするが、体は一向に応えない。と言うより、そもそもそんなものは無いという感じだ。
――――この感覚、どこかで覚えが……? 既視感、そんな単語が脳裏をチラつくがどうにも違う気がする。ここ最近、ずっとここに来ている様な気が……。
そう、首を(それさえもあるかも定かではないが)傾げていると、今まではズブズブと沈むばかりだった体が一転、何かに吊り上げられるように上へ、上へと昇っていく。
そして――。
『ッア……ハァ、ハァ!』
目を覚ました瞬間、視界に飛び込んできたのは死体――ではなく、気絶ないし傷を負ったクラスメイトの姿だった。
跳ね起きた僕を見ることすらなく(気絶しているものにはそもそも無理だけれど)、悔しげに呻いていたり、何かを手帳に書き留めていたりなど、各々自由に動いていた。
まだ、呼吸は荒く、心臓がバクバクとうるさい。まるでつい今産まれたみたような感覚だった。
『……なるほど、今日は殺されたのか。うん、そうだった』
染み付いた血が乾いて固くなった訓練服に触りながら独りごちる。脳裏に浮かぶのは鉄血の槍、穂先がずぶりと体に突き刺さる感触を思い出すと、塞がれたはずの傷がズキリと痛む。
この訓練服ももう駄目だな……また新しいの買い直さないと。今月も根菜だけと親しくする食事が続きそうだ。
学級闘争。ゼーレが考案したらしい大型の重層結界を使った、考案者本人曰く限りになく実戦に近い訓練――のための訓練の一つ、らしい。
何でも一年で四回ある定期テストを区切りとして訓練の内容を段階を変えるようで、いまも家に帰る度にその計画書を練っている。
と言っても、どの訓練でも生存と死亡――調整鍵を奪われたり、教師による戦死認定受けたり――が採点基準になってるのは変わりないって言ってたけれど。
もっとも、本当に死ぬのは僕だけだけどな。
なにせ僕は異能により再生る。となれば、自然と暴力や殺人への抵抗、容赦が無くなる。いままでもその傾向はあったが、この模擬訓練においてそれに磨きがかかったような気がする。
学級闘争中、午後の訓練の間はずっと神経を尖らせてるんだ……そのストレスを人にぶつけたくなるのも否応なし、か。それに……だからこそ、この異能を使いこなすための訓練になる。
『"氣炎万丈"』
魔術師よろしく自らを意志を放つ呪言を唱え、魂を燃焼す。
封印の許容を越え吸血鬼の力が零れ出す。同時に湧き上がる死刑囚の意識は魂の一部を使って押し止める。
鼓膜が遠く林から飛び立つ鳥の羽音を捉え、嗅覚が汗と血の臭いから学生がどの程度の戦闘を行ったかを教えてくれる――半吸血鬼(ハーフ。ヴァンプ)化成功、乱れもなし。
比喩ではなく命の掛かった学級闘争で感覚を掴み、自宅での瞑想でもってそれを再現できるように試みる。始業式の次の日から本格的に始まったゼーレによる訓練に合わせ、今日まで一ヶ月間ほどこれを繰り返して随分と自然にこの半吸血鬼化を使えるようになった。
……しかし、未だにこうやっていちいち呪言を唱えるのには抵抗があるな。自分で考えたと慣れば尚更なのかもしれないけれど。
『前にも言ったが、魂には意志も含まれる。魂を使って戦う以上、意志を固めるという行程は予想以上に大切なんだよ。ということで……』
などと、最初にゼーレからそのことを聞かされた時は全く信じていなかったが、事実こうしてから安定するようにはなったもんな。暗示になりかけてるのか、その安定度も最初に口にした時よりも上がっている気がするし。
総じて一ヶ月前よりも随分と魂の扱いに慣れた気がするけど、半吸血鬼で要られるのはまだ五分だけ。お陰で学級闘争においてもこうして死ぬのは常に五番以内。今日は不意を打たれて殺されたが、五分を超えれば意識を失うから結局調整鍵を奪われて死亡だ。
対して、ローザと……最近ではティアナ嬢も学級闘争一試合の時間内でまずこちらに戻ってくることはない。ゼーレや本人、クラスメイトの噂を聞く限り、ローザは主に奇襲や罠など搦め手で、ティアナ嬢はゼーレの言った通り魅了を利用した戦術で生き残っているらしい。
お陰で自分の情けなさが身にしみる……これじゃあロザリエを守るなんて……!
再生し終えたばかりの体は力が入らず、ギュッと拳を握ることすらさせてくれない。それがまた自分の無力さを突きつけられているようで、僕はただ無意味に拳を震わせた。
◆◇◆◇◆◇
カラスの声をすら止み、聞こえるのは虫の声だけ。近づく梅雨の湿気が混じった夜気は汗と混じって身につけた服を肌にくっつける。
午後八時。本日三回目の学級闘争を終えたところで、クラスメイトは皆へとへとで辺りもとっぷりと日が暮れていた。普段ならゼーレによる解散の一言で終わるのだが、今日は違った。
『さて、この学級闘争も軽く見積もって二十はしてきた訳だが……慣れてきた所為か、生きる奴、死ぬ奴が決まってきた』
それは感じていた、ロザリエやティアナ嬢を含め最近では学級闘争終了時間(毎回ゼーレの独断で決まるため一定ではない)まで生存してるクラスメイトが一定数居る。そして、同様に僕を筆頭として開始時刻からそう間もなく死亡するクラスメイトも何人かよく見る顔がいる。
なるほど、たしかにこのままじゃあ緊張感がない……まぁ元々、そんなものがあったかは疑問だけれど。
『そこで、だ。これからは毎週お前らの中から二、三人選んで休日に補習を行う――ただし、選ばれたものが受けるかどうかは任意、強制ではない。俺がお前らにやるのは選択肢だけ、それから何を選ぶのかは自分で決めろ』
この学級闘争をやっていた当初から僕はずっとズレを感じていた。きっと、ゼーレはこの学級闘争を通して命の掛かった緊張感や、生き残るための思考――いまの言葉で言えば、自分一人で訓練するのか、友人や親兄弟、師に教えを付けてもらうのか、それとも補習に従うのか、その中からプライドや余計な感情を排してベストなものを判断する考え方をつけさせたかったのだと思う。
――けれど、結局のところ本当に死ぬのは僕だけだ。それだって、あいつらは再生ありきでやってる、殺気が薄い。こんなの所詮ごっこ遊びだ、本当に命の掛かった場というものはもっとこう……。
『最後に一つ言っておく。この補習の呼び出しは公正さを保つために本人にのみ通達する。では今日の訓練はこれで終了だ――解散』
解散の一言を聞きつつ、フン、と思わず自分を鼻で笑う。自分だって、戦場を体験したことが無いくせに、一度や二度命の掛かった場になにを偉そうなことを言っているのか。傲慢に過ぎる、結局一方的に殺されたことに対する鬱憤から見下しているだけだ。
なんて醜くて浅ましい、と口元を嘲笑の形に歪めて、僕はその場に立ち尽くしているとちょんちょんと肩を誰かに叩かれる。
首を傾げながら背後へ向き直ると、そこには長い金髪を一束に纏めたローザが立っていた。いつも通りなぜか距離を取られている、先ほど肩を叩いたのも指から生えた血鎖だ。
『あの、今日も一緒に帰るん、だよね?』
小さな声でたどたどしく喋るローザ、距離もあるのでいまいち聞き取りづらいのだが、まぁいつものことなので意味は大体分かる。
一ヶ月前のティアナ嬢と共に襲われた夜から僕はなるべく、こうしてローザが家から出ているときは一緒に居るようにしている。ティアナ嬢から忠告されたから、と言うわけではない相手が僕を殺したいと考えているならば、間違いなくローザは狙われる。ティアナ嬢ももちろんそうだが、あちらには優秀な執事がいる。義両親のことは心配する必要はないだろう、義父さんも一線を退いたとはいえ父さんと肩を並べた元軍人だ。
相も変わらず、人に迷惑をかけて生きてる自分が嫌になってくる。自分からは何も返せていないのだから、なおさらだ。
『……テオドール、どうしたの?』
『あっとごめん、ローザ。ちょっと考え事してた、帰ろうか』
『うん』
少し怯えたような顔を向けられ、ハッとなり慌てて表情を取り繕って帰路につく。
二人揃ってというには間に二メートルという距離は長過ぎるか。これだけの距離だ、いちいち声を張り上げて話すわけにも行かず、自然と二人して無言で歩く。
訓練場の細かい砂に靴を汚し、軽食屋の続く坂道を香ばしい香りにお腹を空かせつつ登っていく。
馬車や軍の魔操車が走る大通りから細道を通って閑静な住宅街に、右左右とジグザクに道を進み、最後に真っ直ぐでゆるやかな坂道をひたすらに進めばやがて見慣れた丘の麓。
歩き慣れた帰り道、違うとすれば常に後ろに気を掛けていること。本当は並んで歩きたいんだけど、本人にあそこまで拒絶されたらな……事情が話せない以上、無理強いする訳にもいかないし。
『今日もお疲れ様、ローザ』
クルリと踵を返して言うと、ビクリとローザが立ち止まる。毎度ながら少し傷つく。そして、この後に返ってくる言葉を思うと憂鬱になるのだ。
『いい加減すぐにギブアップするようにしたら、テオ』
『ハァ……またそれか、毎日毎日飽きもせずにご苦労なことだ。君はラジオか何かか? ハガキを出せば、歌の一つや二つを歌ってくれるのかい?』
『フザケないでよ、テオ。もう一ヶ月になる、もう良いだろう? 今日だってアドルフの奴に……』
最後まで言わず、ローザが眼差しを尖らせ唇を噛み締める。僕が殺される度に何時もこんな表情になる、僕が弱いのが悪いのだが、あまりしてもらいたくない表情だ。
まぁ、一番最初にこの表情を見たのは、僕を守りに駆けつけた彼女を僕が騙し討したときだったが。あの時は一週間は口を聞いてもらえなかったのをよく覚えている。ちなみに彼女初の黒星だった。
『騙し討ちしたときも言ったけど、あの学級闘争はそういうものだろう?』
『けど、テオにはハンデがありすぎるじゃないか!』
目に涙を溜めて彼女が吠える。人気のない夜の通りにその声はよく響いた。
『それでも……僕は戦わないといけないんだよ。じゃあ、また明日ローザ』
『まだ話しは……!』
後ろから聞こえる声から逃げるようにして僕は丘を駆け登る。距離が離れていることは今日ばかりは幸いした、声はすぐに聞こえなくなる。
けれど、心のなかで聞くだけで苦しくなるようなあの声が、見るだけで胸が締め付けられるあの涙が何度もリピート、フラッシュバックする。
不甲斐ない。彼女にあんな顔をさせないために強くなりたい、けどこの一ヶ月で僕はどれだけのものになった?
募りに募った不安と焦りが堰を切ったように胸中に広がる。プツリと鋭い痛みが手の平から伝わる、指先から生暖かい液体がこぼれ落ちる。
無我夢中で走った僕の目の前にはいつの間にか見慣れた家。荒い息をつきながら錠を開けて中に滑りこみ、そのままソファーにドサリと倒れこむと猛烈な脱力感と眠気が僕を襲う。
そうして、僕の意識が見る見る間に落ちていった。
◆◇◆◇◆◇
食欲を誘う香ばしい香りと音に吊られ意識が徐々に浮上する。目を開けば、ぼやけた視界には薄暗い天井と、橙色の明かりが足元の方から漏れているのが映った。
足元……つてことは台所か。誰かが料理を作ってるのか……いまは何時だ?
イマイチ目覚めてない頭で考えを巡らせ、途中何度も二度寝しそうになりながらもなんとかソファーから身を起こす。
時間……九時か……ご飯作らないと、いや、もう誰か作ってるんだっけ? とにかく、ご飯を……。
『ん……おはよう、ユスティくん。ぐっすりと寝てたようだが良い夢も見れたか?』
『……夢は覚えていませんが、少なくとも寝起きは最悪ですよ、あなたの顔を見たせいでね』
そして、不本意ながらお陰で一気に目が覚めた。今でもあの顔を見ると憎悪が沸き立つ、春季自主訓練期間の特訓が無ければまた暴走していたところだ。
……あの男は僕よりも、もしかすると他のどんな異能者よりも異能者について詳しい。あの男に聞けば活動時間を伸ばすコツを教わることが出来るんじゃないのか?
『なに難しい顔してやがる、飯出来たぞ早くこっち来い』
『っと、はい』
疑問を口にしようとした瞬間に告げられ、上ずった声で返事をする。改めて尋ねるのもどことなく具合が悪いので大人しくテーブルにつく。
ぐぅぅ……現金なもので席に腰を付けた途端、お腹が大きな音を立てる。目の前にある料理といえば、塩コショウで焼いた肉とライス、それだけだ。だが、変に凝った料理もこういうシンプルな料理のほうが食欲をそそるのは何故だろうか?
『いただきます』
両手を揃えて、僕とゼーレ二人して軽く礼。そして、すぐさまナイフとフォークを引っ掴み、肉を切り分け口に運ぶ。
にんにくとコショウの香ばしい香りはもちろん、確かな応えのある肉の弾力、一噛みごとに溢れる肉汁。その味が消えないうちにライスをかきこむ。ごくりと喉に入れた大きな固まりを水で押し流し、空っぽの胃の中に叩きこむ。
そうして、無言で食事をがっつく僕にゼーレがおもむろに声をかけて来る。
『あ、そうそう、たぶんこれ以上活動時間延びないぞ、お前』
『うえ゛!? ゲホッゲホッ!』
『うわ、汚ねぇな、こっちに顔向けるな!』
ゼーレの声に気にかけてる余裕もなくコップの水を飲み干し、すぐさま二杯目を注いで口に運ぶ。
『ハァハァ、どういう、ことですか』
『どうもこうも、現状の五分、正確には平均四分四十四秒がお前の半吸血鬼としての活動限界だってことだよ』
瓶から直接ビールを煽りながらこれまたあっさりと答えるゼーレ。なんだか、悩んでいた自分が馬鹿らしくなってくる。
変に悩み過ぎるよりは良いんだろうが、これはこれで腹が立つ。もっとも、この男に誠実さを求めた僕がそれこそ馬鹿だったのだろう。
声に微かに険が含むのを自覚しつつ、前の話との矛盾点を指摘する。
『面白くない冗談だ。五分が僕の限界なら、あの屋敷での件はどう説明するつもりですか』
『おいおい、頼むぜ。吸血鬼、吸血鬼、吸血鬼そう散々言ってるだろうが。大体、お前が俺に教えてくれたんだろうが、血を吸えば生命力が回復するってよ』
『あ……』
指摘されてようやく思い出す。そういえばそんな能力もあったな……と思わず遠い目をする僕をゼーレが白い目で見てくる。今回に関しては何も言えない、いくらなんでも間抜け過ぎる。吸血鬼が血を吸うことを忘れるなんてジョークにもならない。
しかし、そうなると……ひどく不味い。前の夜に襲撃してきた奴らはみな鬼人族だった。十中八九黒幕は僕を処刑したい鬼人族の貴族なのだから当然だろう。そう、それが不味い。
『はぁ、いま気付いたって顔してるな……ったく、そうだよ。鬼人族の血は魔液、赤紫色の血だ。対して、お前の食料は赤い血だ』
『つまり、死刑囚にとって鬼人族――天敵、と』
その通り、とゼーレが肩をすくめる。何てことはない、死刑囚は産まれた時から死刑囚、産まれた時から牢屋の中だったということだ。
フン、全く神様は良い趣味をお持ちなことだ、ちくしょうめ。死刑囚は鬼人族からしか産まれない……とかくこの世はよく出来てる。もし死刑囚が他種族で産まれるようなことがあれば暴走の被害規模は間違いなく倍以上には膨れ上がっていたはずだ。
だからといって、尊ぶ気持ちには一切ならないけど。むしろ、一度顔面をひっぱたいてやりたい。
そう思った所でふと首を傾げる。状況は良くなってない、どころか悪くなったというのに気付けば自分の中から焦りや不安がすっかり消えていた。
あるのは、どこからこの世界を見下ろして居るともしれない、神様とやらへの反発心。負けてたまるか、屈してたまるか、意地でもこの異能で戦い抜いてやる。そんな心地だ。
そんな僕を見てゼーレがフンと鼻を鳴らしてニヤリと笑ったかと思うと、ポケットから一つの封筒を取り出してこちらへと机の上を滑らせてくる。
何だろうかと首をひねりつつ、封筒を手にとって裏返す。
『補習通知。回りくどい真似しますね、あなたも』
『本当なら帰ってすぐに渡すつもりだったんだけどな。お前がしけた面して寝てたもんだから、渡しそびれちまってたんだよ』
一気に残った残ったビールを煽り、ゼーレがカカカとせせら笑う。
この男がそう言うってことは、よっぽど僕はひどい顔していたらしい……今更ながら情けなさで恥ずかしくなってくる。だけど、この言い方もしかしたら唐突に話を切り出したのも、ゼーレなりの気遣いだったのかもしれないな。
『そんな訳ないか』
自分の考えを鼻で笑い、僕は空になった皿にライスを盛り付けるべく腰を上げた。
◆◇◆◇◆◇
チキチキ。補習通知で指定された場所に立ち、同梱されていた調整鍵の指定された回数つまみを回す。
と、ぴりりと火傷の疼きに似た痛みが、体の前面から背面までを駆け抜ける。
重層結界侵入完了。さて、ゼーレはどこに居るんだ?
適当に体の調子を確認しながら、キョロキョロと辺りを見回す。不揃いの間隔で植えられた木々と、夜露で湿気て固くなった地面。天を仰げば、葉が重なって出来た天然の屋根が、陽の光を遮っていた。時刻が早朝なこともあり、かなり肌寒い。
林の隙間からはかろうじて自分の家が見える。なんてことはない指定された場所は、丘上にある家を囲むようにある雑木林の一角だった。
しかし、ゼーレの姿が見えない。準備があるから先に行くって言ってたから、居ないことは無いと――ッ!?
ゾクリと背中に悪寒が走る。冷や汗が吹き出て、喉が渇く。けれど、常日頃の訓練の成果か、体は脊髄反射的に気配の方へ振り向きつつ、その場を飛び退き、一つの呪言を唱えていた。
『"氣炎万丈"……!』
体温が一気に上昇したような錯覚もそこそこに強化された視界で林の奥を覗く。いまの僕の目にかかれば、新月の夜すら真昼と変わらない、殺気を放った人物の正体をすぐに看破していた。と言うより、予想はできてたけど。
『教官、何の真似ですか』
『何の真似だと? お前は補習に来たんじゃないのか?』
僕の言葉に悪びれる様子もなく首を鳴らしながらゼーレがこちらへと近づいて来る。
ボロボロの赤銅色のコートを羽織ったその姿は得も知れない威圧感を秘めており、その顔に笑みが浮かんでいてもそれが無くなることはない。
何時襲い掛かれてもいいように半吸血鬼化したまま僕は声を投げかけた。
『実技に入る前に講義をお願いしたいのですが』
『フン、何時から教官に対してそんな口を聞ける身分になったんだ? と、言いたいところだが了解してやろう。元からそのつもりだったしな』
ゼーレが背中を木に預けて話し始めるのに合わせ、僕も半吸血鬼化を解いて耳を澄ませる。
『普通の奴らと違って、武器も防具も持てない、魔術も撃てない。ないないづくしの死刑囚に取って、それらの代わりとなるのが異能、つまり吸血鬼としての力だ。怪力、再生、超感覚、特殊能力……極めて強力な力だが補給なしでは五分しか保たない。ここまでが昨日までのお話だ』
『分かってますよ、回りくどいこと言い方をしないで、さっさと説明してください』
『そう急かすな。……これに加えて補給が無理、となれば取れる手段は一つだけ。節約だ、お前に許された五分から徹底的にムダを省く。その為にこの補習でお前に教えるのは――』
話が途切れたと思った瞬間、ゼーレの姿が木の側から居なくなる。体がそれを認識して姿を見つけ出そうとする前に、喉に冷えた金属が当てられる。
紛うごとなき刃金。実物はもちろん、辞典でも見たことのない反り返った刀身を持つ短剣が喉の皮を薄く切り、生暖かい血が訓練服に染みこむ。
『これ――暗殺だ』
刃を僕の喉に当てたまま、暗い笑みを浮かべてゼーレは僕にそう告げた。
お待たせした割に短くて申し訳ない限りです……