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人魔のはみ出し者  作者: 生意気ナポレオン
第五章:吹く風血まとう教練編
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第九十五話:レクリエーション=エピローグ&ニューイベント=ビギニング

遅筆は見逃さなくても、サブタイトルのセンスは見逃して下さい……!

すいません、毎度ながら、本当に遅筆で申し訳ないとは思っております。

 水面から抜けるような感覚を覚えたかと思うと鮮烈な景色が俺の視界に飛び込んで来た。

 落ちかけの陽に照らされ朱に染まった大地、長く伸びた影はそう間もなく訪れるであろう夜の闇を思わせる。夜気を帯びた風は寒々しいのにどこか惜しくて手放したくない、揺れる木々の声は寂しげなれどだからこそ生きていると感じる。

 重層結界(あちら)から世界(こちら)に戻ってくる度、有りの侭の自然の姿に感動せずには居られない。


 カッ、ノスタルジーに浸るのはせめて一人の時にしないとな。

 鼻で笑って軽く頭を振ると、木々の声などというものはどこへやら、情緒もへったくれもない、学生同士の喧騒が俺の耳に飛び込んで来る。帰路につく他クラスの学生たちの談笑からなる喧騒だ。


 とは言っても、聞こえるのは後ろからだけ。前からは精々が喉から漏れでた悲鳴、それさえ俺が現れた瞬間だけで以降は物音一つ立てない。

 随分と嫌われたもんだ、なんて俺が言って良い台詞じゃないか・


 俺に向けられる瞳はまるで手負いの獣。ある者は恐れ慄き逃げるように顔を伏せ、ある者は敵意と警戒を持って決然と俺を睨みつける。

 後者は雄々しく勇敢ではあるが愚か、かと言って前者が臆病であれど賢明という訳でもない。獣が頭を垂れたからといって、誰が剣を手放すだろうか、少なくとも俺は震える獣より、動かぬ骸の方が安心できる。


 だから本当は真剣を使った奴は覚悟しとけなんて言っときながら、使ってない奴も容赦なく叩きのめすつもりだったんだがねぇ……。つい、最初に襲ってきた子には手加減しちまった。

 お陰で真剣を持ってなかった奴はそれなりに手加減せざるを得なくなった。贔屓する訳にもいかないし……。


 何せにせよ、獣ならば例え虫の息であろうとも、爪牙を折ることだけは避けなきゃならん。とは言え、それを誇示するのはよほどの強者か、ただの馬鹿だ。そして、俺を睨みつける奴らはまかり間違っても強者ではない、と。

 まー、学校など馬鹿をするための施設、外に出て馬鹿をせぬための施設なんだし、そうじゃなければ教官なんてもんは必要なくなる。


 ……でもって、学ぶ行為は戦争……俺に言う権利は無いんだろうが、何時か誰かが、できれば誰もがこのこと間違ってるを訴えて欲しいねぇ。

 チッ、どうにも感傷が拭えねぇな。夕陽にでも当てられたかねぇ。はぁ、こういう時は無理にでも何かするに限る、このまま黙ってるわけにもいかないしな。


『……そんな化物を見るような目をするな、俺がやったような事なんてこの世の中には、どころか軍の兵士だって幾らでもいる』


 幾ら辛酸を舐めさせられようとも侮辱には敏感らしく、学生たちの約半数程が目つきを変える。元より、恐怖よりも警戒や敵意のほうが上回っていた分類の奴らだ。

 やれやれ、懲りないと見るべきか根性が入ってるというべきか……。

 苦笑いを浮かべたいのを堪らえて無表情を装い、地面に座る学生たちを意識して蔑むように見下ろしながら話を続ける。


『そりゃそうだろうよ、四十人打ち負かしちゃあ居るが全員と一度に戦ったわけじゃない。加えて、どいつもこいつも複数人じゃ動き辛い室内にホイホイ入ってきやがる。戦闘にしても、相手(おれ)は遠距離攻撃の手段を持ってないのにわざわざ接近戦を挑む馬鹿が居る』

『レ、教官(レーラー)! お言葉ですが……!』

『接近で足止め、か? これだけ人数が居るんだ交替で魔術を撃っとけば良かっただろう。教科書にもあったはずだぞ、輪胴撃ち(リボルバー・ショット)は魔術部隊の基本戦術の一つだろうが。これだけじゃない、室内への迂闊な侵入、過度に密集しての探索、偏った編成……他の問題点もほとんどは教科書通りに動けていれば起こるはずのない問題だ』


 自分たちでも気付いていたのだろう、チッと小さく舌を打つものや、罰の悪そうな顔を浮かべる奴らがチラホラ居る。

 何であんな簡単な事を……なんて、ため息混じりの声が聞こえてくるかのようだ。悔しげに唇を噛み締めているものも居る。

 口には出さないがほとんどの学生が二人組以上で行動していた事だけは評価してるけどな。なにせ、魔術に寄る分断や広範囲攻撃などに加えて重層結界が出現したお陰で、現代戦は大部隊どうしの衝突はまず無く、無数の少人数部隊による遭遇戦が主だ。


『だがな……知識が無いだとか、魔術が未熟だとか、体力がないだとか――お前らに実力がないと、そんなことを言いたいんじゃない。お前らの十八年間を否定するつもりはサラサラ無い』


 学生たちから困惑している気配が伝わる、馬鹿だの阿呆だの散々言われた後にこれだ、無理もない。

 芝居がかってるなと自分でも思う。もしいまの自分を見れたら間違いなく鼻で笑うだろう。

 しかし、すでに年長者自ら道化を演じたのだ、それに続かない訳にはいかない。


『否定するつもりはないが……"()()"が出来る事と"()()"が出来る事は違うんだ。どうやら勘違いしているようだが、お前らは戦いに行くんじゃない――殺しに行くんだ』


 こいつらが持つ戦闘に関しての技術や知識は、平民出身の兵士などとはハッキリ言って比べるべくもない。教育には時間が必要だが、それと同じぐらい金も必要となる。

 しかし、貴族として花よ蝶よと育てられた結果として、その精神は平民とくらべて幼い。それでもここに居るのはこの軍人学校で鍛えられた分マシなんだろうだろうけどな……。


 一般的に魔族は人間に比べて体が頑丈だから、自立する時期も早い。それは人間に比較的近しい鬼人族(ドラキュラ)も同等で、平民であれば十も超えれば立派な働き手、さすがにそう数は居ないが十五を超えれば独り立ちをする者すら居る。

 結局のところ、こいつらに足りないのは()()()()()なのだろう。


『俺は言ったよな"お前らの教室で待ってる"と、だったら、なぁ? ――教室のある校舎ごとブチ壊せば良かっただろうが』


 俺の一言に学生たちが息を呑み、そして、言い訳がましくボソボソと言葉を吐き始めた。

 壊した時の音はどうするんだよ、魔術障壁(マギーシルト)が張られてるだろう、中の物資が、敵兵が……詰まるところ、現実的ではない、実戦なら使えないではないか、と愚痴っているわけだ。

 そんなことはわかってる、だからこそ、特別戦(レクリエーション)って言ったんだろうがよ。全く黙って聞いてりゃ、知った風な口聞きやがって。

 

『――――甘い、甘すぎるんだよお前ら。戦争をする者として、殺す者として、考えが甘すぎる。音? 魔術防護(マギーシルト)? 現実的じゃない? 何一つ確認してないくせに、何一つ体験したことのないくせにほざくなよ、餓鬼が。対象は一人、他に敵勢力なし、場所も見当がついてる、人員も充分、体力魔力装備全部充分、充分、充分だ。大体、思いついた奴も居るんじゃないのか、油断か見栄か、嫌われるのが怖かったのか、事情はどうでもいいが、こいつらが死んだのはお前のせいだ、提案してれば()られずに済んだんだかもしれない。まぁ、思いつきもしなかったどうしようもない馬鹿ばっかりなようだから、死んでも支障はないんだが、その為に使われた金、時間、人材、その他諸々キッチリカッチリ国に返せよ。カッ、悔し泣きか、下半身が吹き飛んでもそうやって泣ければいいな』


 その雑音が収まったのを見計らい、静かに声を荒げる事無く俺が言うと、今度は学生全員が怯んだ様子でこちらの顔を見てくる。

 真面目に話したことを真面目に受け取れるぐらいには性根が真っ直ぐなようで何よりだ。じゃないと、俺とてやる気が削がれる。

 心内での学生の評価にほんの少しだけ上げ、俺は本題を切り出した。

 

『さて、お前らにここで一つ質問をしよう』

『…………何を、ですか』


 少しの逡巡のあと、周囲の学生を代表するようにバッハシュタインが俺に問う。


『これからも俺の指導を受けるか、だよ。今から五分だけクラス変更を受け付けてやる』


 案の定、声は先より随分と小さいものの学生たちの間でざわめきが起こる。もっとも、何人かは誰とも相談する気配なく、時間が過ぎるのを待っていたが。

 まったく、可愛げがないねぇ……案外、俺の意図も気付いてるのかもしれねぇな。視線が向けられてないのを良い事に、薄っすらと苦笑いを浮かべる。

 

 意図、なんて大したもんでもないか要は――ほら、逃げたいなら逃げろよ、なんて言われたら鬼人族(おまえら)は逃げられないだろ? という魂胆だ。

 そうして逃げなかったら、鬼人族(おまえら)はそれこそもう授業放棄(ボイコット)だなんて手は情けなくて使えない、()()()()()()()()()()()


 全く、イヤな大人になったもんだ。確かに俺は他のどんなクラスよりも戦場で生き残れる奴らに出来る自信はあるし、その為の努力を惜しむ気はないが……それをこいつらが望んでるのかねぇ?

 善意の押し付け、余計なお世話、そう言うの嫌いなんだがなぁ……それに、どう言い繕ったとしても、こいつらを騙して戦場に送る形になるのは間違いない。

 そのことが俺は許せない。騙して戦場に送るというその行為が、ではない。そうして抱く怒りが彼らに対しての罪悪感から()()()()というが、何よりクソッタレだ。

 沸々と湧き上がる黒い塊を必死で飲み込み、努めて軽薄な口調で俺はもう一度同じことを尋ねる、どうするんだ、と。


『僕の答えは最初から決まってます。不本意ながら、教官(レーラー)、あなたにはまだまだ教えて貰わなければならないことがありますから』


 体を起こして答えるのはユスティだ。地面一杯に広がった赤黒い染みがその影に紛れる。今の今まで死んでいたのに、実に良いタイミングで起きてくれたものだ。

 ……本人は意識していないだろうけどな。ユスティ、大体の奴らはな自分より下と見ていた者に負けるを認めるのは我慢ならないんだよ。


 乾いた笑いを口から漏らさず、俺も、私も、自分も、と続々とあがる学生たちの声を聞く。その様の青さが目に眩しい、自分が酷く汚いものだということを見せつけられているようだ。

 きっと彼彼女らが見ている景色と、自分が見ている景色は大きく違うのだろう。


 進む道を決めたのは俺じゃなく彼彼女だ。でもそれを誘導したのは俺だ。果たして、どちらがこの場合責を負うべきなのか。責任は(じぶん)にあると思うのは傲慢なことなのか。俺にはサッパリ分からない。

 分かるのはせめてその道を濡らす血を、彼彼女らのものにしないようにしなければならないといこと。

 そして、その為に俺は極めて愉快げに言葉を吐く。


『フン、やる気があるようで結構だ。それじゃあ早速、当初の予定を変えて、今日の授業と行こうか』

『え゛』


 学生たちの表情が固まる。無理もない。後ろで聞こえていた他のクラスの声も今ではまばら、演練館(たいいくかん)で個別訓練をしているらしき人の声が遠くで響く。

 俺の手によってズタボロにされた学生たちはこちらに待機させていた元軍医達による治療(バルチェ翁の友人らしい)を受けているものの、それも骨折などの重傷だけを治した最低限のもの。


 打ち身を無意識に擦っているものや、俺が盾に使った学生は体を動かす度に包帯を巻いた部分に目をやっている。

 体が汚れていないものなどおらず、泥と血と汗が混じった体で引きつった顔でこちらを見ている。

 精神的にも肉体的にも、今までになく疲れている筈だ、空腹や喉の渇きもあるだろう、分かる実に分かるとも。だけどな?


『どんな状況であれ、お前らが生き延びれるようにするのが俺の仕事だ。安心しろ、初めてだし今日()これで最後にしてやるし、相手も俺じゃない』


 青ざめた顔で学生たちが無言の問いを投げかけてくる。では、誰と? と。ここに来てようやく、ようやく当初に予定していた計画、その第一段階について告げる。


『お前らだよ。各々、時間内に好きな位置について重層結界に侵入し、自分以外のクラスメイトをぶち(たお)せ。それ以外はルールは一緒、お前らは真剣を使ってもいいし、使わなくてもいい。ルフト式教練、第一ステップは名づけて"学級闘争(クラスマッチ)"。安心しろ、死ぬ一歩手前の所で俺やバルチェ顧問、その友人方が止めてやる。それじゃあ――』


 ――地獄(せんそう)に行く前の煉獄(くんれん)と行こうじゃないか、そう続けようとした俺の口を封じるように、一枚の書類が――まるで借金の催促状のように――突き出される。

 不意のことに俺が目を白黒させていると、突き出した当人、バルチェ翁が無言で微笑む。

 言い知れぬ圧力を感じて、目の前の書類に目を合わせると紙の上部、題名の部分に大きく三つの文字が書かれていた。即ち――始末書、と。


 ヒュウ、と寒々しい風が俺と翁の間を吹き抜ける。ジリリと思わず退く俺、無言で一歩間を詰めるバルチェ翁。

 ……よく考えて見れば、結界の外(こっち)では普通に授業してたんだよな。講義を行っている中、突如として出現する重傷の学生。これが問題にならなければ、何が問題になるのだろうか。

 沈黙、ただひたすらに沈黙。俺も、翁も、学生たちも誰一人として口を開けることはなく、俺を見て笑う夕空を飛び交うカラスの声だけが訓練場(グラウンド)に響く。

 たっぷり一分ほどそれは続き、やがて、翁が柔和な声で今日の授業の終わりを告げた。


『今日はこれで解散です。学生の皆さんお疲れ様()()()、ゼーレ教官はお疲れ様()()


◆◇◆◇◆◇


 その夜、学長室および軍部への出頭命令、果ての見えぬ書類仕事などを終えクタクタに疲れた俺を食卓で迎えたのは、温かみのある橙色の照明に合った簡素な作りをした木製の椅子に机、あまりの派手さのない深い赤色のカーペット、クローバーらしき植物の絵が描かれたテーブルシーツ、そして――皿、であった。

 これもまた絵柄はクローバーで皿の縁にアクセント程度に描かれており割りと好みではあるのだが、残念ながら上に料理が載っていない以上、あくまでそれは皿でしか無い。


 顔を上げて卓を挟んで向かい側に居る男を見る。真っ直ぐな髪の毛を視界を遮らないようにやや右に流した髪型、体型は痩せ型なれど服の隙間から見える体は鍛えあげられたしなやかな筋肉が見て取れる。

 顔立ちこそ目鼻立ちがくっきりとして男らしいものの、優しげな黒の瞳や纏った雰囲気がそれを和らげ、総合的には優男といった印象を抱く。

 そんな良く言えば落ち着いた、悪く言えば地味な内装をしたこの家の主人、テオドール=ズィンダー=ユスティが眼差しを鋭くして俺を睨んでいた。

 

 このような重苦しい時間がかれこれ五分間ほどになる。右に見える置き時計が嘘を付いていなければ、の話だが。俺の体感では一時間ほどこうしていたように思うので、きっとあの時計は嘘つきだろう。

 シーツや皿の絵柄から魔界中が泣く大感動巨編を頭の中で繰り広げることで誤魔化していたが、いい加減この沈黙も鬱陶しいので俺は口を開くことにした。


『言いたいことがあるなら口で言え。さっきからお前の目がうるさくて敵わん』

『そっちは適当なことばかりべらべら喋って肝心のことを話さないくせにですか? 人のことを言う前にまず自分をどうにかしてくださいよ』

『それが言いたいことか? まだ、朝の朝礼のほうが価値が有るぞ、ユスティ』

『さすが、朝礼より害がある人は言うことは違いますね。それで、なんで教官(レーラー)に?』


 精一杯の軽口も無表情で流し、ユスティが本題にズバリと切り込んでくる。


『はい、御校の"文の上に武あり、武の髄に心あり"という教育理念に感銘を受けまして……冗談だよ、そうカッカするな。そうだな、理由は三つある、一つは人界(むこう)に帰るため。変化があるじゃないか、とか言うなよ二年前ならともかく今じゃそれ相応に対策されてるんだ……そうだないい機会だ、一つ俺たち異能者に共通する弱点を教えてやる』


 弱点、とでも言いたげに首を傾げるユスティに軽く笑みを浮かべて、大したことじゃないさ、と肩をすくめながら言葉を重ねる。


『持たないもの、使えないものは理解(わか)らないっていう話だ。つまり、異能者は総じて魔力に対する知覚が鈍いんだよ。考えてみれば当たり前の話だろう? 俺が帰れない理由もこの弱点の延長線上にある』


 そう、延長線上だ。魔力、魔液(マギー・ブルート)には目や口、黒子に眼の色などの例に漏れず個人個人での特徴がある。そして、異能者(おれ)は魔力感知が苦手、つまりその個人個人での微妙な違いが把握できない。ま、それでも少し前までなら誤魔化せないことも無かったんだが……殺戮者(おれ)の存在や、人界技術の流出などの結果、精度が前とは比べ物にならないほど高くなり、今じゃ下手すれば一兵卒にすら紛れ込めない。


 ま……そうなるのを少しでも遅らせるため、わざわざ名乗ってやったんだしな。無貌の者(オーネ・ゲズィヒト)として悪名を集める一方で、人に紛れて、魔族に(ふん)して日夜あくせく小賢しい真似をしたもんだ。結局は見つかって、殺意持ちし隣人マーダライズ・ナハパールなんて呼ばれた上に、それを良い事に俺が関わってない案件すら俺のせいに仕立てあげられた、

 まったく、個人で一大種族の四割とか減らせるわけがないだろうが、もっと現実味のある数値ってものを考えろよな。


 ……なんてことをわざわざコイツに言う必要もない、誇張はあれど根も葉もない訳じゃないし。

 なおも無言で続きを待つユスティに短くため息を吐きつつ、席を立って冷蔵庫を覗く。燃料である植物性魔力液(マギー・ディーゼル)の残量が少ないらしく、警告のランプが微妙に鬱陶しい。

 丘下にある商店から買ってきたビールの瓶を取り出し、爪を缶切り状にひん曲げフタを開ける。


 キュポンと空気が抜ける音ともに、白泡がシュワシュワと沸き立ち、黄金(こがね)色の液体が波打つ。

 一滴でも零すものかよ、と。はしたなく口を瓶の口につけ、舌をチクチクと刺激し、喉元に熱い痛みを覚えながらも、ゴクリと思わず喉を鳴らして呑み込む。

 足先から頭頂までを駆け巡る電撃にも似た快感、楽と喜に支配される心地。微かに眠気を覚える心地よい酔い。幾分か滑らかになった口が次の言葉を自然と紡ぐ。


『二つ目は……の前に、この際だから聞いておくが、お前は異能(ちから)を自由に操れるようになったらどうするつもりだ? なんて尋ねる必要もないか……どうせ、積極的に使う気はないんだろう? バレないように、死なないように、そんなぐらいにしか。バーカ、古今東西、力を持ってる奴がそれを隠して続けられたことがあるかよ。二つ目はなユスティ――』


 と俺が言おうとした瞬間、カンカンカンカン、と玄関の扉が四回叩かれる。ユスティは何か言いたげにこちらを見た後、


『はい、ちょっと待ってくださいよ!』


 と、珍しく苛立たしげに玄関へと向かう。

 壁越しに二往復分言葉が交わされ扉が閉まる。そうして、靴音を、人影を倍に増やして俺の前へと戻ってきた。

 

『こんばんは、バッハシュタイン嬢』

教官(レーラー)、いえ、ルフト=ゼーレ。幾つか質問に答えてもらうわよ』


 特に驚くこともなく挨拶する俺に、バッハシュタインもまた驚くこと無く応える。


『礼儀として挨拶ぐらい返してほしいねぇ……ま、質問には答えないから良いけどよ。おっと、焦るなだけど代わりに、俺から嬢さまに一つ話しをしてやろう。その為に俺はあんたを()()()()()()()んだろう? ユスティくんの()()を、でなけりゃ今までどおりコソコソ見張って……』

『ッ!? どういうことだ!!』


 凄まじい剣幕でユスティが吠える。男としては高めの、凛とした声が家中をこだまし、やがて、張り詰めた静けさが辺りに漂い始める。

 決然とした様子だったお嬢も、初めて見るユスティの姿に動揺を隠しきれないようで……と言うより、怯えてるな、あれは。中々気が強い嬢さんに見えたが、存外……まぁ今はそれはいいか。

 しかし、ユスティの奴は嬢さんの様子に気づいていない見たいだな。気が利く方だと思ってたんだが……どうにもいざ感情をむき出しにすると周りが見えなくなるらしいな。

 死刑囚として自分を長年殺し続けてた反動、みたいなもんかね。だったら、気が利くというより自分を殺すのが得意って言ったほうが正しいか? 何にせよ、こいつはちと()()だな、覚えておこう。 


『そういきなり怒鳴るな、心臓に悪い。嬢、こいつを』


 胸元から楔に似た形の物――調整鍵(チューニンガー)――を取り出し、嬢へと放り投げる。

 クルクルと宙で回る調整鍵(チューニンガー)を嬢が慌てて受け取り、それが何かを認識する()に俺は腰から変化(はや)した手で持って集団調整鍵バタリオン・チューニンガーのダイアルを一つ回す。

 出る時とは違うピリリと強い日差しを浴びせられた様な痛みが走り、木枯らしにも似た風音が鳴ったかと思えば、そこは既に重層結界の内だ。


『――ッ!!』

『おいおい、精密品なんだ扱いは丁寧に頼むぞ』


 咄嗟に調整鍵(チューニンガー)を捨てようとした嬢の腕を取る。

 危ねぇ、予想していたから良かったが、そうでなかったら間違いなく範囲外に逃げられてたぞ。


『くっ離せ!』

『落ち着けよ、嬢様。なにも乱暴するつもりはない、その証拠にほらユスティも居……はぁ、お前もそんなに血走った目するな。気持ちはわかるけどよ』


 緋の眼光を遮るように手を翳し、嬢の腕から手を離して元の席につく。幸い、ユスティのお陰か嬢も一端はこちらの話を聞くつもりになったようで、まだ調整鍵(チューニンガー)を持った状態ではあるものの放り捨てる様子はない。ユスティの瞳の色も元に戻っている。

 しかし何だ、こうも警戒されると話しづらいねぇ。苦笑いを浮かべつつポケットから紙巻煙草(シガレット)を取り出して火を……。


『って、身構えるなよ。ちょっと煙草を吸わせてもらうだけ……露骨に嫌そうな顔をするな、いいだろうが授業中は吸わないよう我慢してきたんだからよ』

『チッ! 分かった、だからさっさと話してください』

『おお、怖い怖い。ったく‥‥なんでこんな扱いを受けてんだ、俺は……』


 ブツブツと愚痴る俺に注がれる二つの鬱陶しい視線に顔をしかめつつマッチを擦れば、ヒュボ、と火の粉を散らして灯る火。

 はぁ、この中で温かいのはお前だけだよ。そう思いつつ軽く手首を振ってマッチの火を消し、煙草を口に加えて一吸いしてから話し始める。


『まず、わざわざ重層結界(こんなところ)に来て貰ったのは、万が一でもここいる三人以外に話が漏れるのを避けたかったからだ。強引だったのは認めるが、例え嬢様の執事さんとはいえこの話しは聞かれたくないんでね』

『……今日は来てないわ』

『それが本当か嘘か俺には確かめる術が無いんでね。で、こうまでして何を話したかったかって言うとだ。嬢さま実は俺、死刑囚(ユスティ)の異能を自由に扱えるように特訓してるんだわ。嬢様が見張りを付けてる間もこうして結界張って、中でコソコソ特訓しててだな、ま、その結果、今日その目で見たように暴走を抑えつつ、吸血鬼(ヴァンパイア)の力を使えるようになったと』


 あっさりと白状する俺に何もかも諦めたようにソファーに体を投げ出すユスティ、ポカンとする嬢さま。

 先までの緊迫していた空気がぷっつりと消え、どこか弛緩した空気が辺りを漂う。

 してやったり、とまでは行かねぇけど、気持ちいいなこれ、あー煙草も旨い。


『ず、ずいぶんとあっさりと言うのね。ゼーレ……教官、自分が何を言ってるのか分かってるの?』

『分かってるに決まってるだろ、嬢さま。あと、ユスティはちょっとシャキッとしろ。話を続けるとだな、使えるようになったのは確かなんだが、それが実戦となると論外のレベルでな。嬢さまにも分かるように言うと……そうだな今は使おうと思うと、思春期の少年のごとく常にいきり勃ってる状態でな、すぐにイッちまって(意識が)保たないんだ。なに顔赤らめんてんだ、今日闘った時はあんな格好してた癖に』

『妙な例えしないで下さい!』『私だって本意じゃありません! あれはそういう術なんです!』


 顔を真赤にして喚く二人をハイハイと適当に受け流す。

 おいおい、なんだよこの純真少年少女。俺の十八の頃はあの爺と散々こういう話してたぞ。人間の女性の趣味となると、話し相手がお互いしか居なかったら毎晩大いに盛り上がったな……あー懐かしい。年下より年上という趣味が合ってたのも盛り上がった一因だろうけど。

 脱線した思考を元に戻しつつ、二人が落ち着いたのを見計らって話を続ける。


『そ、それで、なんで私にそんな話を?』『そうですよ、なんで話したんですか!』

『君たち仲いいね……まぁ、あれだよ、ユスティ、お前の異能を公的に扱えるようするためだな。あー先に言っておくがお前の意思はどうでも良い』

『は、はぁ!? 何を言ってるんですか! そんなこと出来るわけがない、大体、何でそんなことを……!』

『あー、五月蝿い。嬢さま、調整鍵(チューニンガー)の三角形型のボタンを押してくれ』


 喚くユスティを適当にあしらいながら嬢に頼むと、疑問を顔に浮かべながらも言った通りのボタンを押し――姿を消した。

 まぁ、指示したボタンは位相(チャンネル)を上にずらすボタンだから当然だ。さて、俺も追いかけないとな。


『じゃあな、俺と嬢さまの話が終わるまで大人しくしとけよユスティくん』 


 ユスティが何かを言う前に調整鍵(チューニンガー)を操作し、位相(チャンネル)をずらす。

 さっきと同じ肌を灼く感覚、風音。そして、微妙に変わった景色、絨毯の色が赤から緑に変わっている。

 それはともかくとして、こちらに背を向けてキョロキョロと辺りを不安げに見回す嬢に声をかける。

 ビクッと背を震わせ、振り返りにながら嬢が飛び退くが俺の顔を見ると、少しホッとしたように顔を緩め、すぐに警戒心をむき出しに身構える。


『今度は何をしたの』

『やったことは同じだよ。なに、ちょっとうるさいのが居ない所で話したくてね。さて話を戻すとして……うん、なんで俺が嬢さまに話をしたか分かったか?』


 煙草を口に咥え直して問うとすぐに答えは返って来た。


『上に顔が効くから、でしょう。……確かに上も死刑囚が自由に動かせる駒になれば大歓喜でしょうね、祝日だって増えるかも。なれば、だけど』

『そうなるように俺が居て、嬢さまが要る。あいつの訓練はともかく、公的に認めさせるとなると俺の力だけじゃ厳しくてね』

『…………テオドール君も言っていたけれど、本当に貴方はどうしてそんなことをするの?』


 チッ、本当のところ……そいつを聞かれると思ったから、場を移したんだよ。話したくねぇが、話さないと多分この嬢さまの性格的にうんと頷いちゃくれないだろうしなぁ、クソ。

 煙草を指で挟んで口から離し、長いため息と共に肺にたまった煙を吐き出す。嬢さまが花に手を当て、当て擦るように煙を払うがそんなの知ったこっちゃない。

 嫌な話をさせるんだこれぐらいは我慢しろ。


『レウス=フリートのことは知ってるな。生前のあいつに自分に万が一のことが起こったにはユスティのことを頼まれたんだよ。そして、その頼むってのは多分、能力が自由に扱えるようにってこと……()()()()。俺が思うに……あの世捨人気取りの生意気なガキがこれからちゃんと生きていけるように、友達だの恋人だのを作って、結婚して子供が生まれて……そんな普通に生きていけるようにしてやってくれってことじゃねぇかと思ってるからだよ』


 俺の答えに呆けたような表情でパチパチと目を瞬かせ、不躾に俺の顔をまじまじと眺めてくる

 ただでさえ渋くなってるであろう表情が、鬱陶しい視線に当てられてより渋くなる。

 あーあ、昔にもこんな視線をイレーナから浴びせられたことがあるな、そうあの時は確か……。


『プッ……ふふ、ふふふふ、あははははは!』


 そう、笑われたんだったな、クソッタレめ! 何が可笑しいのか狂ったように嬢さま、改めクソ小娘が笑い続ける。

 笑い声が鼓膜を震わせる度絵に顔の筋肉が引きつり、ヒクヒクとコメカミの血管が動く。

 男だったら殴り飛ばしてるところ何だがなぁ……! 長老(じじい)に女性には優しくしろって言われたからなぁ、クソ! だから、言いたくなかったんだよ!


『ふ、ふふ……い、いや、久しぶりにこんなに笑わせて貰ったわ、ありがとうございます教官(レーラー)。ふ、ふふ』

教官(レーラー)って呼ぶなら敬意を払えよ、アバズレ嬢……! ったく、この答えで満足か』

『ええ、申し訳ありません、少し教官(レーラー)のことを誤解していたみたいです、私――――ですが、まだ承服しかねます。私の一存で決めていい問題じゃありませんし、何より、貴方の経歴は不明過ぎる』


 先ほどまでの笑みは何処へやら、嬢は得体のしれないものを見る目をして、唇を真一文字に引き結ぶ。

 武器でも隠してあるのか腰に手をやり、瞬きは最小限に務めている。

 その様は怯えた小動物でも見てるようで微笑ましくはあるが不快感はない。カカカ、なるべくフランクに話しかけてたんだが、まぁ怪しいわな二人きりになってすぐに逃げ出さないだけ良いと思おう。

 少しでも警戒心を解くために手に持った煙草を携帯灰皿にこすり付け、椅子の背もたれに寄りかかる。

 温度差のある沈黙がわずかな時間、俺と嬢さまの間を流れると、引き締められた唇の隙間から嬢さまが慎重に言葉を紡ぐ。

 

『貴方のことはテオドール君の家に来た時から知っていました。そして、すぐに何者なのか調べました。専門じゃないとはいえバッハシュタイン家も貴族の端くれ、それなりの情報網は持っている自負があります。当然ですが、軍の名簿などは真っ先に調べましたし、何度も見落としがないが確かめました……それにも関わらずルフト=ゼーレはここ最近で突然に、しかも軍に六年も所属していた人物として現れ、テオドール君が居る学校に教官(レーラー)に配属された。同期の方に話を聞いても名前に覚えがある人は一人としていなかった、名前や顔写真付きで知っている限りの犯罪組織や非合法組織を調査してもルフト=ゼーレと呼ばれる人物も、それに似た人物も居なかった、見つけられなかった』


 悔しさもあるのだろうそう告げる嬢の声はかすかに震えていた。

 別に俺は悪くないんだが、どーにも申し訳ない気分になるね。さりとて、正体を白状した所で信用される訳はないし、信用されたらそれはそれで大問題だ。

 でもまぁ、正直、演技力と口車には自信がある。どっかのユスティと違って嘘八百な生き方してるんでねぇ。


『ま……だろうな。だけどな嬢さま、俺のことは()()()()()。それがお互いのためだ。だけどそうだな、嬢さまが言うとおり、死刑囚(あれ)は昔から鬼人族(ドラキュラ)の厄介物、でありながら喉から手が出る欲しい異能(ちから)だよなぁ? それこそ()として少しばかり倫理を超えたとしても、だ』

『陰謀論も良いところね』

『カカカ、やっぱり騙されちゃあくれないか。まぁほんの()()だ、()()()()()。何にしても俺も自分がどれだけ胡散臭いのかは理解してるから、今すぐには決めろとは言わない。ただ、受けてくれた時には俺も出来る限りの助けはさせて貰うつもりだよ。そうだな、それこそ執事さんの代わりぐらいは努められるかもな、()()()()()()()()()()()()()

『……明日には結論を出しておくわ』


 そう言って嬢さまが手に持った調整鍵(チューニンガー)を俺に投げ渡して数歩さがる。入るときと同じ木枯らしに似た風音を鳴らして、嬢の姿が結界内から失せる。

 全く、嬢さまがご聡明であられる、お陰で話が早くて助かる。俺が同じ年の時は……そうだな、長老(じじい)と馬鹿な話をして、馬鹿みたいに訓練して、馬鹿な夢を追ってた。


『ああ、馬鹿だった。本当に、馬鹿だった……!』


 握りしめた拳から血の滴が落ちた。緑の絨毯に赤紫の染みが広がり終える前には結界から俺の姿もまた失せていた。

 

◆◇◆◇◆◇


『それじゃあ、お暇するわ。夜遅くにごめんなさい、ユスティ君、教官(レーラー)


 嬢さまが俺とユスティに向かってお辞儀する。玄関の灯りの放つ橙色の光は夜風に揺れる短めの金髪によく合っていた。

 隣にいるユスティはまだ釈然としない顔をしているが、ひとまずは怒りをおさめていた。どうも、結界から戻ってきた嬢さまがどうにか言いくるめてくれたらしい。

 カカ、貸し一つってところかねぇ……まったく、気が利く嬢さまだ。


『気にするな、俺が呼んだんだしな。あと、今はプライベートだ教官(レーラー)は止めろ。代わりにルフトでもゼーレでも好きな方で呼んでくれ』  

『貴方の家じゃないですが。いい加減、箱に詰めて橋の下に捨てに行きますよ、この……チッ』


 舌打ちで言葉を切ってユスティが口を尖らせる。穀潰しとでも言いたかっただろうが、俺が教官として働き始めたからには言わせてやらねぇよ。

 カカカ、これでこの家でも少しは大きい顔できそうだ。と、ついつい薄い笑みが浮かぶ。


『ふふ、そうですか。では、ゼーレさん、テオドール君、お休みなさい』 

『おう、お休み。だけど、ユスティに言うのはまだ早いな』


 俺の一言に二人して眉根を寄せてこちらの顔を見る。しかし何だこの二人、変に動きが揃っていて笑いを堪えるのが大変だ。

 ……昔の俺とイレーナもこんな感じだったからなのかもな。どちらかと言うと正反対の性格だったし、俺もイレーナもこんな真面目じゃなかったけれど。

 なんか、教官なんかしてるせいか最近どうにも年寄りめいたことを考えることが多くなったな。そりゃ老け顔とは言われてきたけどねぇ。

 そう内心で苦笑して、半眼でユスティを睨んで言う。

 

『なにまだ寝てもないのに寝ぼけてんだ、こんな夜遅くにこんな美しいお嬢さまを一人で帰らせる気かお前は』

『い、いえ、そんなのテオドール君に悪いわ。それに、ほら、テオドール君には悪いけれど、正直、私の方が強いですし……』


 俺の言葉に隣のユスティが口を開く前になぜか嬢さまが反応する。しかも言ってる内容が笑えるが酷だ。

 隣のユスティも笑って同意してはいるがどこか自嘲めいている。時に事実と言うのは人を傷つけるものである。

 ――でも、それじゃあ不味いんだよな。お前には是が非でも嬢さまを送って貰う()()()()()


『カカ、それはそうだが。男が近くにいるだけ随分と違うもんさ、それに、ユスティにも男としての面子ってもんがあるし、なぁ?』

『いや、まぁ……』


 歯切れ悪く答えるユスティ。やれやれ、往生際が悪い。ここはも一つ助け舟を出してやるか。

 俺は渋い顔を作り、白々しくユスティに問いを投げかける。


『男として婦女子を守らないのは怠慢、つまり悪いことなんじゃぁ無いのかねぇ……?』

『クッ、貴方は本当に……! 分かりました、分かりましたよ。ティアナ嬢、送ります、送らせて下さい、僕を助けると思って』

『それなら、しょうがない、わよね……分かりました、それじゃあ行きましょうか』


 じろりと俺を悔しげに睨みながらユスティが唸りをあげ、嬢さまに向き直って肩をすくめる。

 少し躊躇があったようだが、どこか申し訳なさげに、けれど、かすかに頬を緩めて嬢さまが頷く。

 しかしあれだね、悪いとは思うんだがからかいたくなるねぇ、こういう空気は。


『まぁ、もし少年が狼になった時は遠慮なくやっちゃってくれ。どうせ生き返るんだから』

『なっ……!』

『しませんよ! そんなこと!』


 顔を真赤にする二人に対して背を向け、笑いながら手を横に振って家の中へと戻る。しばらくして、扉越しに小さく靴音がなり始め、すぐに遠ざかりそれは聞こえなくなった。

 さて――――急がないとな。胸中で呟いて気を引き締め、一段飛ばしで階段を昇り、俺にあてがわれた部屋に滑りこむ。壁掛けに掛かったコートを手にとり、素早く袖に腕を通す。

 

 目を瞑って体内に意識を集中、仕込んだ投げナイフその他諸々の位置を確認する。数秒程度でその作業を終え、ベッド下に手を突っ込み暗器として作られた小型の弩を二丁を取り出す。

 暗器を腕に取り付けながら、衣装箪笥に近づきズボンの間に挟まれた鋼線(ワイヤー)の先を手に突き刺し、体内を蠕動させて全身どこでも引き出せるようにセットする。

 まぁ、俺の持ってる資格じゃあこのタイプの鋼線(ワイヤー)は所持禁止だが、それも人界(むこう)の法律。魔界(こっち)で使う以上は問題なしだ。


 後のは体内に仕込んでるのは確認したし……っと、もう変化しておくか。

 ベッドに腰掛けまぶたを閉じて瞑想の構えを取る。こんなことせずとも変化はできるが、精度を上げるにはこうした方がいい。

 

『変化―――鬼肌(オーガ・ハオト)熱鱗(サラマンデル・シュッペ)鮫牙(シャーク・ファンクツァーン)


 独特の赤みがかった色を抜いた(オーガ)の硬皮、その下に熱に強い火蜥蜴(サラマンデル)の鱗を仕込み、口は鮫型の魚人(サハギン)の牙。

 鬼の肌は色を抜くとどうしても柔くなるか嫌なんだが、人目につくからな……筋肉や爪も同じ理由で却下。あとはその場その場で細かい変化どうにかするしかないだろう。

 軽く体を動かし細かい変化の調整をし、最後の確認と胸裏のポケットに手を突っ込む。そこには馴染みの煙草の他に手触りの良い何かがある。


 その何かを指で挟んで引き出す。その時ちょうど、窓から月明かりが差し込み手元を照らしてくれた。

 ――隅に紫色の花の刺繍が施された女物のハンカチだ。無論、俺のものじゃない、嬢さまのものだ。重層結界に入ってすぐ、腕を取った際にこっそり拝借させてもらった。

 別にハンカチでなくとも、嬢さまのものならなんでも良かった。何にしろ嬢さまが何かこの家で()()()()をすれば、それで()()()()()()()になる。


 窓の鍵を外して開くと、夜風が部屋に吹き込んだ。肌寒いその風はどこか俺を責めているように感じる。

 カッ、罪悪感だねぇ。嬢さまが尾行()けられていると知って言わなかったのが、内心で随分悪いことに感じているらしい。

 窓から身を乗り出しながら自嘲する。躊躇いなく窓から飛び出し、音と衝撃を体内のスライム部分で吸収してすぐさまバッハシュタイン家へと続く道へ走り出す。


 ま、元から一人で来てると思ってたんだよ、お嬢さま。ユスティが吸血鬼(ヴァンプ)の力を使ってたとなれば、さすがに執事さんとてお家のことを一番に考えて、親御さん、ひいては上の奴らに伝わるだろうし、それを嬢さんは避けたいと思うだろうからな。

 だから、警戒されてまでわざわざ重層結界に入った理由は別にある。嬢さまを尾行してる奴――死刑囚を殺したいと考えてる奴らに話を聞かれたくなかったからだ。


 実を言うと――ユスティが帰ってきてからあの家を見張って居たのは()()居た。片方は嬢さまだろうなとすぐに当てがついた、もう片方はユスティから嬢さまとの話を聞いてやっと察しが付いた。

 それが死刑囚擁護反対派、死刑囚を進んで殺そうとした派閥だ。少しでも暴走の片鱗が見えたら、その事を理由に死刑囚(ユスティ)を殺すつもりだったのだろう。死刑囚を殺したいのか、それとも擁護したバッハシュタイン家を蹴落としたいのかは知らんが。


 どちらにせよ、先ほど送り出した二人は反対派にとっては格好の獲物。嬢さまを確保してバッハシュタイン家を脅すも良し、強引に死刑囚を殺すも良し――嬢さまを殺して、死刑囚の暴走を図るも良し、手段はいくらでもある。

 かなり強引な手段だが、最悪足がついても、貴族の中に味方が少ないバッハシュタイン家と殺してもまたどこかで産まれる死刑囚、上手く根回しすればお咎めも最低限で済むだろう。


 だが、同時にそれは俺にとってはセールスポイントでもある。理性を保った死刑囚と俺という駒をバッハシュタイン家に売り込む場だ。

 それが図ったものだと知られてはいけない。だが、偶然を装って嬢さまを無事守り抜ければ、ある程度信用は得ることは出来るだろう。

 そして、その前にまず間違いなく死刑囚(ユスティ)がその異能(ちから)を使う。あの屋敷での一件からすると、今まで一番上手く魂を調整(あやつ)って戦えるはずだ。あいつにとってもいい経験になるだろう。


 ……我ながら最低な考えだ、などと自蔑するのも偽善だねぇ。そんなこと言い出したら、永遠に話がループしてしまうけど。

 そう鼻で笑って、俺は物音のする方へと急いだ。

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