第九十一話:イントロダクション=レクリエーション
訓練場にて軍靴の音を背景にハキハキとした歌が響く。
最初こそ軍人の誉れを唱う上品で華やかな、ユングフラウ軍人学校に於ける訓練歌であったが、途中からは軍への不満と下品なジョークで構成される、多くは平民が行くこととなる軍人養成合宿の訓練歌へと差し替えられる。
お貴族様であれば躊躇うような歌詞でも、隣に鬼教官を置いたランニング中となれば嫌でも声高々に唱和う
いくら住み良い春の日差しといえど、その中でずっと走り回らされていれば、汗も流れる。陽の光を弾いて輝く汗は、端から見れば青春の輝きと見えなくもないだろう。本人たちからしたら、たまったものじゃ無いだろうが。
走ったあとは障害物。絵本に出てくる巨人のごとき壁を超え、果てが小石ほどの大きさになった縄を昇り降り。
網のしたを匍匐で進み、足場の狭い石柱を飛び渡る。その他諸々の障害を超え、少しでもヘマをすればその場で腕立て、腹筋、スクワット……。
天気は晴れ時々……もとい、晴れ頻繁に
『おいおいおいおい! 何ちんたらしてんだ、この遅漏野郎ども! せめて、てめぇらの粗末なのしごく時ぐらいの速度は出しやがれ!』
『倒れこむなァ! ママのミルクがそんなに恋しいか! だが、ハイハイで許される時期はとっくに過ぎてる、お昼寝の時間も当然なしだ! 分かったらさっさとケツ引き締めて立ちやがれ、マザコン共!』
『そこの雌豚ィ、だらしねぇケツ振ってんじゃねぇ! そんなに犯りたけりゃ、隣の婆さんが飼ってる犬紹介してやろうか、あぁ!?』
『もっと素速く登りやがれ、さもないと後ろのやつにカマ掘られんぞォ!』
『良いか、てめぇらは人形だ、上官の意図のままに動け! 出来ねぇ奴らは、その面と同じスクラップにするぞ!』
罵詈雑言の雨あられ。初々しい四十人の若葉たちの体はボロボロに、その心は見る見る間に荒んでいく。
目の前にはそれら基礎訓練が終わり、疲れ果てた学生たちが整列している。みんな仲良く、服を汗でぐっしょりと濡らし、その肩を大きく上下に揺らしていた。
教官に向けられた瞳の多くは屍同然。俺の見立てだと死因は半分が疲労で、半分が恨みつらみ。教官に目をつけられないよう、必死で抑えた結果がこの瞳だろう。
ま、そんな余裕が有るうちはまだまだ大丈夫。目や腕、足の筋肉が死のうと心臓が止まってなければ問題なし。
何人かは危うげだったが、ひとまず全員付いて来れたのは行幸。まだ行けそうな奴も居るし……まぁ、良いことなんだが、なんか微妙に悔しいねぇ。
とりあえず、はじめはこいつらの顔を覚えておくとするか、名前は帰って書類で確認しよう。銀髪背中髪留め男に、干し草頭、安全帽女……あとは、話に聞いたティアナの嬢さまに、テオドールか。
クラス四十人分の名前と顔に加えて、彼彼女らの性格や持つ武器、戦闘のタイプ……などなど、これから覚えなきゃならないことは山積み、 |境の大山脈 《 ランデスグレンツェ・ゲビルデン 》も真っ青の高さになってやがる。
……あんまり考えないようにしよう。頭を振って退役を脳内から追い出し、締め出すようにこれからスケジュールを確認、かかる時間を計算してみる。
時刻はちょうど昼前、飯休憩を入れる必要があるから、その間にちょいと準備をするとして、午後の訓練には説明も必要になる。今日に限ってはレクリエーションを挟む必要があるし、奴らも準備する必要があるとなると……ふむ、そうだな。
リーン、ゴーン……。自分の中で算段がつくのと同時に、十二時を知らせる鐘が響く。
町の鐘と学校の鐘とが混ざり合わさったその音は、不思議と元は一つであったかのような、纏まりのある二重奏となっていた。
学校の者にしか聞けない音だと思うと、少し得した気分だ。
鐘の音が止むの聞き届け、内心の慎ましい喜びが漏れるぬように気をつけつつ口を開く。
『これから食事休憩を取る。間違ってもゲロを吐いて恥を晒すなよ。集合は一三:四五にここだ。では、一旦解散とする』
お約束のようにうっかり喜色を浮かべた奴を一睨みしてから、踵を返して校舎へと早足で向かう。
俺がこの場に早々に立ち去ることが彼らに出来る、せめてもの甘やかし……と言うのは、本当を言うと後付で、純粋に時間がないからだ。
奴らに取っては楽しい楽しいお昼休憩かもわからんが、俺にとってはこれからが勝負。
まだ、学生どもは知らないが昼休憩が明けた後が、俺にとっても、奴らにとっても訓練の本番になる。
ポケットに突っ込んだ二枚の紙。両方が前期分の訓練計画表であり、片方が配られた物でいわばテンプレ、もう片方は俺とバルチェ翁とで魔改造を施した物だ。
歩きながら独自性溢れる紙を取り出せば、そこには実技の二文字が紙面のほとんどを埋め尽くし、時折り出てくる座学はまるでタイプミスのよう。
座学の最低必要時間の項は線で消され、代わりに特別許可と書かれた判子が押されている。
他にも実技内容の詳細や一日の限界授業時間、校外遠征――終いには、テスト全科目の内容に至るまで特別許可のオンパレードだ。
これで色々と顔が効きますからと、あの笑顔で言われた暁には、さすがにその様子だと神経痛には効かなかったみたいですね、などとつまらない冗談を言うことしかできなかったものだ。
肩をすくめてポーチに手を突っ込む。パチリと弱い電気に打たれたような感覚が走ったかと思えば、目的地である倉庫はもう目の前だった。
『やれやれ、教官になってからというもの、考えないほうがいいものが増える一方で困るなっと』
愚痴りながら倉庫の扉を開け放つと、むわりと閉じられていた年月を感じさせる匂いが鼻孔の奥まで入り込んで来る。
なんとも言えないよなこの匂い、酸っぱいというか何と言うか、好きにはなれないけど病み付きになるというか……。
『すいませんねぇ、でも考えることが多すぎるより良いでしょう?』
『ッと、びっくりさせないでくださいよ。バルチェさん』
慌てて、居住まいを正すと、謝りながらもバルチェ翁はイタズラ気な笑みを浮かべていた。
何でも、例のものから使えるのを見繕ってくれていたらしい。埃や錆がないところからすると、手入れもついでにしてくれていたのだろう。
けど、全く人が悪い。久しぶりにこうも驚かされた、俺も鈍ってるんだろーが気配が全然感じられなかったぞ。
俺が匂いで感じた年月もどうやら幻覚だったらしい、声に出てたらえらい恥を掻くところだったぜ。
『けっこうな量の書類があったはずなんですけど……』
『まともな学校も出てない、この爺には厳しいのでね、他の方にお任せしました』
『あれって本人の印がないと……それに、この発掘作業は普通のお爺ちゃんなら若者にでも押し付けるところですよ』
『フフフ、例えハリボテ、骨董品とはいえこれを彼らに任せるのはまだまだ早いですから。……そう、まだ早すぎる』
バルチェ翁がご丁寧に灯りも消していたお陰で、闇の中、扉の隙間から差し込む光に照らされ、それは無機質な輝きを放つ。
輝き自体は特有の美しさを宿している、何時までもこの倉庫に眠っていれば、その美しさは変わらないまま、ここにあるのだろう。
だが、そうも悠長なことは言ってられない。そう言う時代、そう言う時期に俺を含めて今を生きる者たちは立たされている。
翁が何事か呟き、ゆっくりと握った手を開く。すると、捕まえた蛍を放つように、その手の平から白い明かりが浮かぶ。
人界のものと違い、焚き火のような暖かさを持った明かり。これはたぶん、何か生物の概念を持っているからだろう、それこそ蛍なのかもしれない。
明かりはスーッと宙を進み、部屋の中央らしき場所の天井にくっつくと、その明かりを煌々としたものにする。
部屋中が白い明かりで満たされ、無警戒だった俺は思い切り光に目をやられてしまう。
隣で翁の謝罪を聞きつつ、チカチカとした視界の中、強引に部屋を見渡す。
そこにあったのは――剣、槍、槌、斧、棍棒、弓、弩。鎧兜に足甲手甲、革をなめしたものから鋼で作られたものまで。
鬼人大隊で正式に採用されている武具の数々。正確には、そのお下がり――使い手がこの世から居なくなったものの。
気づけば手が懐の紙巻煙草に伸びている。俺はバルチェ翁に一言断りを入れ、内の一本を震える指で口に運び、擦ったマッチで先っぽに火をつける。
暗闇に煙が溶けていく、この煙と同じように今も戦争が原因で誰かの命が溶けてきている。
脳裏にフラッシュバックする、あの景色。黒と赤のコントラストで彩られた町、心地よい悲鳴、ありがたい怒りに憎悪、むせ返るほどの血臭。ここまでは何時もどおり、慣れたもの。
問題は薄れ、色の抜けた記憶――朽ちた柱、古ぼけた籠、丈の高い草むら、苔の生えた岩、灰の村。
『大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ、もし体が悪いなら――』
『いいえ、大丈夫ですよ。日が当たらないんでそう見えるだけでしょう。ほら、鬼人族は元々そこら辺、見分けづらいですし。もしくは……少し、煙を吸い過ぎただけです。そろそろ禁煙しますかねぇ』
『すいません、どうも要らない気を使ったようで。ですが、お節介ついでに一言、出来ないことは言わないほうがいいですよ』
『これは耳が痛い。でも、そうですね……最近、改めてそう思わされました。出来ないことは、思うのも辛い』
帰るまでは出来る。何だかんだ彼女のことだ、話をするぐらいまでも出来るだろう。
でも、彼女の隣は、居心地のいいあそこが今もあるとは限らない、むしろ無い可能性のほうが、拒絶される可能性のほうが高い。自分が何をやったかを思えば当然だ、辛いけど受け入れられる……筈だ。
だが、奇跡が起こり、何もかもが上手くいったとしても――自分がそこに居続けられる気がしない。何故そう思うのかも分からない・
何かをしたいのだとは思う、だが、その何かが分からない――答えにはあと一歩のような気がする。だけど、その一歩が遠い、果てしなく。
『ほら、何に頭を抱えているかは知りませんが、少なくともいまは貴方には他にすることがあるでしょう。この爺にこれだけの荷物を運ばせる気ですか?』
肩を叩く翁の顔は、わざとらしくむっとしていた。俺が思わずカッと笑うと、自分でも似合ってないと思ったのだろうすぐに翁も破顔した。
そうだな、そんなのいま考えてもしょうがない。やることは山積みだと、つい最近うんざりしたばっかだった。
肩をすくめて暗鬱とした思考を捨て、俺は悩ましげに顔をしかめて首をひねる。
『そうですね……よく考えて見れば、魔界有史以来ずっと六月の初めに魔界中の子供たちにプレゼントを振りまく、サタンクロースとやらも居ることですし、バルチェ翁に任せても良いかもしれませんね』
『知ってましたか? 彼、良い子には手に持つ袋からプレゼントを渡すそうですが、悪い子はその場で胃袋に仕舞いこんでしまうそうですよ』
『悪い大人はどうなるんですか?』
『いわく、煮ても焼いても食えないそうです』
ニヤッと毒の入った笑み。いやはやなんとも、どんな笑顔でも似合うご老体だ。こちらまで、つられて笑ってしまう。
かつてはこの笑みで、戦場を駆け回り、味方を鼓舞したのかもしれないな……こんな笑顔を見せられちゃあ、笑わずには居られなかっただろう。
まぁ、俺は女性の見せる艶っぽい笑みが最高だけど、チラリと鎖骨が大胆に生脚が見られればもはや無敵だ。それを見せられたら、例え魔王勇者だろうと勝てる気がする。いや、無理だけど。
『何かの間違いで試されても困るので、口にお暇を出して、代わりに手を働かせることにします』
『そうして下さい。なに、ポーチにあるそれは私が半分は担当しますよ』
『助かります。これでトーストぐらいは摘めそうです』
『加えてコーヒーぐらいまでなら奢りますよ』
『さすが英雄様、太っ腹!』
『まったく調子のいい……久しぶりですよ、あなたみたいな人は』
苦笑して翁が武具の入った箱の一つを軽々と持ち上げ、剣や槍の詰まった籠と防具が入った袋を手に提げる。
想像してみて欲しい、暖炉の前で揺り椅子に座ってうとうとしていそうな老人が、笑顔で大人何人分か計算するのも馬鹿らしい重量を軽々と手に載せ、提げている姿を。
シュール、実にシュール……! 一瞬、可笑しくもないのに吹き出しかけたぞ。たぶん、肉体強化系の魔術を使ってるのだろうが、相変わらずいつ発動したのかまったく分からない。
先に言ってますよと、扉をなんとかくぐり抜けて翁が無人の廊下を歩いて行った。
残されたのは、箱に籠に袋が全て一つずつ。つまり、あの翁が持っていたのと同じだ。あー……くっそ!
半分自棄で刃に怯えつつ籠を手に提げ、ガシャガシャ五月蝿い袋を掴み、泣きたくなるほど重い箱をなんとか手と肩で支える。
『あっがっぐぅぅ……!』
苦悶の声を開始の号令として――男の意地を掛けた道中が、始まる。その必要があるかどうかと言われたら、無い。
◆◇◆◇◆◇
指定した時刻、一三:四五。俺の前に学生の姿は無い。
が――俺の内心は平静そのもの、どころかちょっとウキウキしている。さてさて、どんな反応を見せてくれるかねぇっと。
そわそわと腕を組んで歩きまわっていると、やがてヒュオと木枯らしに似た風の音が鳴り、学生の一人が何もなかった空間に現れる。
それを皮切りに、一人また一人と学生が現れていき、やがて四十人全てがその場に揃う。
人数が増えるに連れ、どよめきも増して行き、今では耳を塞ぎたくなるほどだ。
しょうがない奴らだと、一喝入れようとした瞬間、学生の一人が手をサッと挙げてすぐに質問を投げかけてきた。
『先生! これはどういう……ッあ――も、申し訳ありません! 教官』
顔を真っ青にして頭を下げる学生――安全帽と内心でメモした女学生だ――に対し、俺は含み笑いを手で隠しつつ応える。
『そう、青ざめることはない。質問を許そう。名前は?』
『Ja、Jawohl! アルベルタ=バーナーです、教官!』
『バーナー、質問に答えよう。他の奴らも聞け! ここはお前らも知ってる"重層結界"の中だ』
どよめきが鎮まり、すぐに再開する。バーナーも含めた何人かは、怒りを堪らえたような表情でチラチラと騒ぐ生徒を見るが、それに気付く様子はない。
カカカ、巻き添え食らった溜まったもんじゃないからな。かと言って怒鳴ったりすれば、何を言われるものか分かったもんじゃないし……ってな感じか。
俺としても五月蝿いを片っ端から張り倒したい気持ちがあるが、それは一端を抑える。
『ただし! これは魔界のものではない――人界製だ』
ポーチに入っていたのは、その為の調整鍵だ。この結界を作るための楔と言い、全てあの館からかっさらて来たものである。
お陰でこの都の貴族たちに、あの館の存在がバレてしまったが……どっちにしろ嬢さまの執事がつけて来たなら、いずれはこうなっただろうから俺は悪くない。
人界の重層結界は、定期的な魔力補給がなければすぐに消えてしまう上、調整鍵の範囲から抜けてしまえば強制的に結界が追い出されてしまう。その代わり、魔族製のに比べ形を変えるのが容易だという利点がある。それが良い、正確に言うならそれらが良い。
しかし、昼休み中に片端からこっそり学生のポケットないしカバンに仕込むのには苦労したぜ……。この様子を見たら、割りとその苦労も浮かばれるというものだ。
集団調整鍵――一定範囲の調整鍵の周波数を同時に変更する術具――がなければ出来なかったサプライズだが。
感慨深く頷く俺はさておき、学生たちはいよいよ騒ぎ始める。内容は言ってしまえば、人間の作ったものなど使えるか、だ。
鬼人族はプライドが高い、ジョークでもよく聞いていたが……まさか、あれだけしごいてやった上官の前でこうぎゃーぎゃー騒げるほどだとは思わなかった。
などと段々と冷静になり、呆れていると、
『――静かにした方が良いと思いますよ』
その声を聞いた瞬間、先程までのが嘘のように一気に静かになる。俺を恐れて……と言った態度ではない、言葉を放った者を見て、彼らは口を閉じていった。
声の主は――テオドールだった。普段、鼻つまみ者である自分を自覚しているあいつが、自ら声をかけてきたのがよっぽど――不気味だったのだろう。
一番多いのは、恐怖、続いて侮蔑、当惑……例外は顔を歪めている女性が一人、顔色を変えず目を伏せている女性が一人といったところ。
空気を敏感に感じ取って居るのだろうが、テオドールは気にした風もなく、『あんたは何をしてんですか』とでも言いたげな目つきで、
『教官、自分も質問よろしいでしょうか』
『構わん、話したまえ、ユ……ズィンダー。有名人とお話出来て、光栄だよ』
『こちらこそ、かの有名なゼーレ軍曹に教鞭を取って頂くなんて、信じられない思いでいっぱいです』
嫌味言いやがって、この野郎。周り見てみろ、女性二人含め目をパチクリさせてるじゃねぇか。自分の教室でのキャラ考えろ!
ま――そのキャラを改めるのが、俺に託された仕事なんだが。任せたといったレウスが、俺にどこまで任せるつもり言ったのか分からない、分からないが――それなら、自分が想像できるところまでは任されてやらなければなるまい。
テオドール君を社会に溶け込させよう計画。そいつがレウスを勝手に創って、勝手に殺した俺に出来る唯一のことだ。
『それで、質問なのですが。今から何を始めるおつもりなんですか?』
何をしでかすつもりだ? と俺の耳には聞こえた。どうやら、唇の動きから心を読む方法を会得したらしい。目は口ほどをものを言うの意味を痛感しただけかもしれないが。
『いい質問だ。こんな所にお前らを呼んだのは、他でもないちょっとしたレクリエーションのためだ』
『レクリエーション?』
テオドールが首を傾げるのと同じく、学生の顔色は疑問を一色に染まる。中にはこいつ偽物か? と俺の顔を伺ってくるものまで居る。
少し落ち着くまで、間を取り俺は改めて続きを話す。
『俺は君たちのことをよく知らない、そして君たちは俺のことをよく知らない。だからこそのレクリエーションだ。こんな所に呼んだのもそのため、学校にこんな事をしているなんて知られたら問題になるからな』
『レ、教官、レクリエーションの内容を教えてもらえますでしょうか?』
『当然だ、ゲームには説明がつきものだからな。お前ら! 後ろを向け』
『Jawohl!!』
学生が一斉に俺の視線の先、彼らの背後に向き直る。そして、そこにあったものを見ると同時に誰もが息を呑む。
彼らの背後にあったのは、俺が苦労して――翁が悠々と――持ち運んだ、武具の数々。
翁が伝手で手に入れたのを、俺がかっさらて来たこの重層結界に保管しておいたものだ。
『それは鬼人大隊にて正式に採用されている武装の数々だ。お前らにはそれを使って、或いは使わないで……戦って貰う』
『Jawohl。誰とですか、教官』
『戦って貰う、と俺が言ったんだ。相手は当然、この俺ルフト=ゼーレ。この重層結界内――学校の敷地全てを用いた――四十対一の特別戦を行う』
ざわめきは一瞬。それは何も彼らが自分たちの態度を反省したからではない。
こんな話がある。
鬼人族の交流会。そこにデュッセルと呼ばれる貴族が居た。放蕩に耽っていたせいで礼儀を知らぬデュッセル、他の者達を真似るためキョロキョロ。
それでなんとかやり過ごして来ていたが、デュッセル酒の飲み過ぎか、トイレに立ちたくなる。なんと言って立てば良いのか、慌ててキョロキョロ。
調度良くトイレに立つものなど居るはずなく、限界に達しようかとその時、一人の招待客が運良く礼儀にそってトイレに立った。
地獄に仏とデュッセル、喜び勇んで同じテーブルのものに言った『化粧をしてきても良いかしら、ミスター』。
鬼人族にまつわる有名な鬼族ジョークの一つである。
能力はあるのに、そのプライドゆえに他を堂々と受け入れられず、ピンチに陥り、その所為で焦ってとんでもない失敗をしでかす。
まぁ、周りの鬼族が脳筋、太鼓持ち(ゴブリン)、皮肉屋、色狂い……どいつもこいつも突き抜けてるから、他のとは違うとプライドが高くなるのもしょうがないかもわからんな。
ともあれ、何が言いたかったかというと、彼らは非常にお冠だ。
中でもいかにも貴族然とした態度の――長い銀髪を背中で一房に纏めた――男子学生が俺に迫ってくる。
『バルチェ翁の部下と言うから、大人しく聞いていたものを、もう我慢ならん。貴様がいったいどれほどものと言うのだ……!』
『やや、これは失敬銀髪に見えまするがが、実は白髪でしたか。お耳のほうが遠いのですね、どれほどのものか知るためのレクリエーションですよ。先に進ませて貰ってもよろしゅうございますか?』
『Ja、Jawohl……!!』
俺への怒りは収まるべくもないが、銀髪を代表としたご立腹な学生らはこちらを睨みつけてはいるものの口を一旦閉ざす。。
『さて、口煩い爺のお陰で時間を食ったので、手早く説明を行うとしよう。何で、こんなことをしようと思ったのか、突き詰めると理由はひとつ――教育のためだ』
はぁ? 死ねよ、馬鹿じゃねぇの、頭湧いてんのか……まー汚い言葉が出るわ出るわ。小さな声だから聞き取れないとでも思ってんのかねぇ。
『てめぇらの! そういう所のがダメだっつてんだよ!』
大喝に辺りが潮が引いたかのように静まる。怯えた様子では無い。むしろ逆、何か言えよとでも言いたげな挑発的な表情をしている。
午前中のが効いてるねぇ……良い傾向だ。恐怖じゃ駄目なんだ、教育には敬意が必要だ、教育者に対する敬意が。
ま、その為だけでは無いがな。静かに息を吸い、俺はおもむろに口を開く。
『そういう所って何ですかぁ~? そう訊きたいんだろ? 俺はお前らの教官だ。もちろん、教えてやるとも。だからこそのこのレクリエーションだ。文句を言うなら、参加してからにしろよ、口だけやろう共』
見え透いた挑発に、学生たちは青筋を浮かせながらも何も言わない。了承した、と受け取っていいだろう。
あるいは、みんなでコイツをぶち殺すぞ! か。先生、みんなが仲良く一致団結してくれて嬉しいよ。もっと団結して守られるよう、先生がんばる!
俺はゴクリとつばを飲み込み、ボソリとさも弱腰になったかのように話しだす。
『……ただし、ハンデを付けさせてもらう。魔術と武器共になし、だ』
『教官、それじゃあこの武具はどうお使いになるおつもりで? まさか、博物館の真似事でもするわけじゃあるまいし』
『そ、それは……』
俺の発言に学生の一人が目ざとく浸けこんでくる。俺がしどろもどろといった様子で狼狽えると、クスクスと下品な忍び笑いが学生の中から漏れる。
そんなみんなの笑顔一つ一つが、教師としてこれ以上のない報酬だ。
だーが、俺は先生でも、教師でもない。泣く子を黙らせ、泣かぬ子を泣かす――軍事教官、いい夢見た糞学生ども。
『お前らが使うに決まってんだろう。おいおい、武具の付け方使い方まで手取り足取り教えなきゃ駄目なのか?』
『は?』
俺の言葉に笑っていた学生の顔が固まる。
『誰がお前らにハンデを付けるといった、俺が付けんだよ。なに素っ頓狂な顔してるんだ、さっきだってあんまり勝ち目がないからキレてたんだろ?』
沈黙が辺りに漂い、その中を爽やかな春風が抜けていく。嵐の前の静けさ、とはこのことを言うのだろう。
瞬き一つほどの時間を経て、一気に怒声に罵声、不平に不満、刺々しい言葉が無人の校内を蹂躙する。
もはや、誰が誰の声か聞き取れない。火に油を注いでる実感はあったが、まさかこんなことになるなんてー。
棒読みを自覚しつつ、チラリと本人に気付かれないように目線を動かす。と、ちょうどその人物が立ち上がるところだった。
『いい加減にしましょう、みんな。これじゃあ始まるまでに日が暮れちゃうわ。そうなると、教官が増々有利になるわ。気持ちはわかるけど、わざわざ勝率を下げる必要もないでしょう』
お淑やかな声が湯だった頭をした他の学生に冷水を浴びせる。無論、このようなことがするのはこの教室ではただ一人――ティアナの嬢さまである。
言うことを言ったと、幾つもの視線を浴びせられながらも、嬢さまは至って平静な顔でこちらを見ていた。
嗜めるように少し目つきがキツくなってるのは、俺の勘違いじゃあなさそうだ。あんまりこちらを見ないで欲しいね、どんなものであれ、君みたいな美人に見つめられると照れちゃうからさ。
内心での薄ら寒いキメ顔はさておき、いい加減煽るのをやめて話を進めるとしよう。
『この特別戦の説明を行うぞ。まず、戦闘範囲はさっきも言ったが学校の敷地内全部だ。武具はこちらで用意したものを使え……なお、刃を潰したものと、潰していないものどちらとも用意した。お前らがどちらで掛かってこようと構わない……が、殺す気で来るなら、俺もそれ相応の対処をする、とだけは言っておく』
先ほど野次っていた学生も含めて、学生の間に動揺が広がる。少し怯えた様子で武具の方を見るものもいるほどだ。
とは言え、実技で使ってたのは重さを合わせた木剣と聞いている。中には実物を使ったことのないものも要ることだろう、素振りぐらいはしているだろうが。
ま……何もかもひっくるめてこれからだ。たった二ヶ月の合宿を経て、やむにやまれず戦争へ赴く馬鹿共もこの世界には居るのだ、そいつらに比べれば一年という時間は永遠にも思える。
実際には永遠じゃねーし、時間も足りないけどな。元も子もない言葉で結び、意識を目の前に戻す。
『言っておくが、このレクリエーションも今後の評価、個人への指導に関わってくる。特に後者は大きくな、評価基準も判断基準も教えないが……ま、せいぜい生き残れ。あと、無用な心配だが一応言っておく。俺を殺しても何の咎もないからな、そこら辺は顧問のお墨付きだ。それじゃ、開始は今より三十分後、一四:三◯とする。相談するも罠を作るも、勝手にしろ。じゃあ、また教室でな』