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人魔のはみ出し者  作者: 生意気ナポレオン
第四章:所変わって覚醒編
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第八十六話:身内びいきな尋問官

本当にお待たせいたしました……!

『ん、んん……』


 意識の浮上は、ゆったりとしたものだった。僕は朧気な意識のまま、肺にたまった熱っぽい息を吐出し、新鮮な空気を鼻から吸い込む。

 すると、甘く、ふんわりとしたジャスミンの香りが鼻孔をくすぐった。

 落ち着いた印象を受けるその香りは、火照った体をも冷ましてくれるような気がした。

 もう一度深く息を吸い込み、薄っすらと目蓋を開く。寝覚めはそう悪くない。何があったのかも覚えている。

 夜の森、鎖、触手、赤く染まった廊下……血の甘美さ、暴力を振るう心地よさ。ああ、何一つ忘れちゃいない。

 当然、失くした右腕のことも。そう鼻で笑いながら、有りもしない陽光を遮るような素振りで、()()を翳す。

 再生したとはいえ、右腕の状態は散々たるもの、見かけだけ取り繕ったも同然だった。

 筋肉は強張り、皮膚は少し爪を立てれば裂けてしまいそうで、骨すらミシミシと軋んでいる。。

 もう限界、これ以上は腕が崩れる。プルプルと震えだした右腕を布団の上に力なく横たわらせる。

 と――サラリと妙に心地よく、こそばゆい感触が指先を撫ぜた。ピリピリと肌が泡立ち、心臓の音が大きく高鳴る。

 落ち着け、まずは深呼吸。そして、音を立てないように慎重に、体を起こして姿を確認だ、ゆっくりとゆっくり、と……。

 不覚、全く以て不覚という他ない。予想していた、分かっていた、想像通りだった、にも関わらず僕は息を呑んで彼女を見ていた。

 彼女はベッドの端、柔らかさの欠片もない僕の脚を枕にして、伏せるようにして眠っていた。

 寝辛いだろうに、その顔は安らかで、見ているだけで熱い何かがこみ上げてくる。

 気がつけば左手を強く握っていた。ポロポロと熱い雫が瞳から零れ、じわりと熱が腕に広がる。

 ――ああ、そうか。()()()なんだ()()()()()()()()()()()()()|のは。

 似非ヒーローを演じるのも悪くはなかったが、所詮は異能に押し付けられた配役。

 誰よりも僕は僕を演じたい。異能(この)(いまし)めに囚われずに生きて()きたい。

 それが叶ったのがあの夜。あの夜、僕は僕であったと、胸を張って言える。


 ――ゆえに、だ。

 目元を拭い、暗闇を通して他でもない僕を(かえり)みる。

 ゆえに、あの夜の全責任は僕にある。殺したのは僕の罪で、殺されたのは僕の未熟。

 何よりも覚えている、一生拭えないだろう記憶。力なく崩れ落ちる体、床に転がる血塗りの仮面、あの人の死を僕は忘れちゃいない。

 もし、などと言う事に意味が無いのは分かっている。

 それでも、もし僕がこの異能(ちから)を使いこなせていたら、あの人は、レウスさんは死ななかったかもしれない。

 (いや)、死ななかった、この異能(ちから)はそれほどのものだ。

 改めて言うが所詮は"もし"である、無意味、無価値。見苦しい負け犬の遠吠え、後悔の残滓にすぎない。

 もう、"もし"は要らない。後悔はしたくない。そんな、誰もが思うことをいま僕は改めて思う。

 その為に、不必要な十七年培ったこの異能への思いはあの夜に置いていく。これよりは(あい)そう、この異能(ちから)を。

 今までの怠慢を許せよ、そもたった十七年程度では得られない力なのだ。

 むしろ、己が何であるかすら忘れていた、凡愚にしては良くやったと褒めてくれ。

 右手をキツく、キツく握る。ハリボテ同然の手の平からは、呆気無く血が溢れ、そして、僕はそっと手を口元に近づける。

 痛みも忘れないように、後悔の苦さを忘れぬようにと、溢れた血を飲み干した時にはもう、手は完全に治っている。

 骨は固く大樹の幹のごとく腕を支え、肉は求めた分だけ力を返す、包む皮は伸縮に富み、生気に満ちた赤色を透けさせる。


 さて、浸るのもいい加減にして、起きないとな……ぐうたら寝ていたら、あの嬢に何を言われるか、わかったもんじゃない。

 起きた瞬間、は言いすぎだが、起きて割りと直ぐに、自分がここにどうやって来た(運ばれたというべきだろうが)か、おおよそ見当がついていた。じゃなければ、最初からこんなに落ち着いていない。

 ま、さっき触れた重みのお陰でもあるのだが、それはひとまず脇においておこう、いっその事どこかに放り捨てよう。

 僕が見当をつけた理由は、今もお世話に成っている寝具にある。

 頭を優しく抱きとめる枕に、ふかふかの布団。サラリと肌触りの良い毛布に、重みでじわりと沈むマットレス。どれをとっても高級品。

 悲しいかな、この時点で僕の家じゃないのは言うまでもなく、(けな)す意図は一切ないが義父(おじ)さんの屋敷でも無いだろう。

 そもそもこの質からして、そこら有象無象の貴族が無理してやっと届くレベル。

 こんなのが客室に用意されてる以上、どこぞの有力な貴族、王族の屋敷の可能性が高い。

 加えて拘束されてない辺り、おそらくはある程度の親交がある人物。と、なると一人ぐらいしか思いつかない。

 脳裏に浮かぶ、柔らかなカールを巻いた、陽の光を透かしたような明るい金髪。

 普段はクール気取りの整った顔立ちが、イメージ画では凄まじい笑顔(スマイル)を浮かべている。うん、凄まじい。

 内心を一言で表すなら、憂鬱。何を聞かれるのか、どう嘘をつくべきか、そもそも嘘をつくのが異能的にしんどい……考えれば考える程、早く起きねばと思う反面、いっその事その時まで安らかに眠っていたいとも思う。

『なんて、今までなら考えてたんだろうな』

 そう笑った瞬間、図ったように絢爛な明かりが室内を燦々と照らした。

 眩い明かりに暗闇に慣れた瞳は瞳が悲鳴を上げるが、半ば計算半ば意地で明かりをつけた張本人、ティアナ=バッハシュタインに向けてしたり顔で微笑みを向ける。


『おはよう、テオドール君』

『おはようございます、ティアナ嬢。と、申し訳ありません、恩人にこのように(とこ)から』

『いいわよ、そのままで。ロザリエ(その子)も起きちゃうしね。

 それよりも残念だわ、もうお目々がパッチリみたいで、寝起きの可愛い様子が見たかったのに、そんな可愛げの無い笑顔をしちゃって』

『ははは、期待に添えずまたぞろ申し訳無く思いますが。男子としては、可愛いと言われるより、格好いいと呼ばれたいものでして』

『……本当、面白くない。最初は不貞腐れてた思えば、つい数日前いきなり男になって、ひょっと姿を消したと思えば、大人になって(捻くれて)帰ってくる。男子三日会わざれば刮目して見よ、とは良く言ったものね』

『ひどい言い草ですね、男になったのがつい最近とは……それまでの僕は何だったんですか』

『言ったでしょう、初めは不貞腐れた子供、次に初めて友だちができで浮足立った子供、誰かに憧れた子供。

 お子ちゃまだったわよ、あなたは』

『失礼極まりないですね……だけど、子供だったこからこそかも分かりませんよ、子供の時分が長かった分、昇る時は一気。

 なにせ子供なもので、階段は駆け上るもの、危ないと止められた崖は昇るもの、気になる何かが高みにあれば何はともあれ飛んでみる。

 そうじゃありませんでしたか、小さい時分は』

『……何それ、理屈になってないわよ。ま、分かる気はするけどね、感覚的には』


 僕と嬢、共に顔に浮かぶのは苦笑。相も変わらず言葉の応酬は適当、なのにひやっと(ついば)むように僕の心に触れる。

 不快ではないが、どことなくバツが悪い。そんな微妙にさされくれさせる具合は、持って生まれたものでなく、貴族として生きる内に身についたものなのだろう。

 ふわりと先ほどまでと違う花の香りが鼻先を漂う。顎をなでられるような(そそ)る香り、背筋がぞくりと震えるような媚香。

 ほのかに上気めいた赤い頬、誘うような流し目、口元に浮かぶ艶やかな微笑。目の前に居る彼女は、何時ぞやの時と同じくまさしく貴族。鬼人の始祖たる王族に連なる、貴族の中でもより純な高潔なる血族(マゼンダ・ブルー)なのだ。

 自分の周りに影がさし、天井から吊り下げられたシャンデリアの明かりは、彼女だけを照らしているようにすら思える。

 血色の()()彼女の淡青の唇が、唆すような、誑かすような、ささやき声が耳孔を震わせる。


『夜な夜な街に現れた目隠しの男(ブラインドマン)は貴方? あの(おぞ)ましい屋敷の廊下、素敵な塗装は貴方の御業? 赤の血は美味しかった?』


 (しな)を作った一言一言が悩ましい。白痴となって、溺れたい。

 浮ついた気持ちで、花に惹かれる蝶のように、ふよふよと誘われるまま口を開く。


目隠しの男(ブラインドマン)は僕じゃ無く、廊下の御業は狂気ゆえで、血の甘美さはこの罪深き身ゆえ――こんな回答で宜しいでしょうか、麗しいお嬢様』 

『惜しいわ、惜しい。貴方の瞳がもう少し()()()()()()良かったのに。

 ……何時から気付いていたの、意地の悪い』


 唇を尖らせ、拗ねたような目線を嬢が向けてくる。

 その様子からはつい先程まで感じたむせ返るほどの媚香は欠片も見当たらず、感じた女は歳相応に落ち着いている。

 いや、むしろ少し子供っぽい、な。

 咎められないように口元を隠して、小さく笑う。

 どちらが本当の姿なんだか、うっすら過る無粋な疑問を鼻で笑う。どっちもだろ、たぶん。考えても栓のないことには、これぐらい適当さで充分だろう。


『疑問……と言うより、不思議には思ってたんですよ、前の時。一体何で、言われるがまま()()を受け取ったんだろうってね』


 着替えさせられた寝間着のポケットに手を差し込む、案の定丸みを帯びた何かがそこにはあった。

 目で確認もせず、手の中に入れたそれを嬢へと放る。

 嬢が憮然とした顔でキャッチし、明かりのもとにそれを晒す。

 照らす光を透かし、藍に色付けする。自身も同じ色をしながら、やはり光よりは一段濃い色をしている。

 ――攫われたあの日に渡された珠だ。


『そいつが何だったのかは後で聞くとして、酷いじゃないですか"魅了(チャーム)"を掛けるなんて。

 本当に襲われちゃってたらどうするんです? いや、僕の場合は返り討ちにされるのが関の山でしょうけど』

『あら、心配してくれありがとう。だけど安心して、学校の時はともかくいまは彼が居るから。クラウス、出てきなさい』


 そう言って嬢が指を弾く。すると、当然のように嬢の傍らからロマンス・グレーの髪をオールバックに固めた壮年の男が姿を現した。


『お嬢様の紹介に預かりました。クラウス=ベッテンドルフと申します、』

 丁寧に、かつ軽やかにクラウスが礼をする。ともすれば、嘲笑を浮かべられそうな演技掛かったその礼は、嫉妬しそうなほど目の前の男には似合っていた。

 年の功……って言う年でもないな。とすれば、これが本人に元から備わっていたものなのだろうか? それも違う気がするが……。

 内心で見惚れるながら頭をかしげ、不躾とは思いながらもクラウスを眺める。

 顔に浮かぶ皺は浅く、体格はスマート、また若々しさはないが弱々しさも感じない。キビキビと流れるような物腰も合わせて、細剣を思わせる繊細で研ぎ澄まれた印象を受ける。

 服装はシックな黒のタキシードに黒の蝶ネクタイ、白いシャツに……要はいかにも執事然としている。

 と、ここでようやく挨拶を返してないことに気付く。


『と、すいません、あんまり堂に入っていたもので見とれてしまいました。

 ご存知でしょうが、テオドール=ズィンダー――ユスティです、これちらこそよろしくお願いします』

『いえ、こちらこそどうぞよろしくお願い致します、ユスティ様。

 しかし何ですかな、恥ずかしながらこの歳になっても、お褒めの言葉を頂けると、世辞と分かっていても、つい顔が綻んでしまいます』

『世辞だなんて、謙遜も過ぎれば嫌味ですよ、ベッテンドルフさん』

『全くそう。貴女の悪い癖よ、クラウス。大体、執事として教育してきたのは家なのだから』

『これは失礼を。悪気はないのです、どうかお許し下さい。あと、私のことは単にクラウスで十分でございますよ、ユスティ様』

『そうよテオドール君、この男は単なる執事。家のだからと言って、気を払う必要はないわ。

 主人を前にしてこんなニヤついた笑みをする、職業意識の欠片もない男にはね!』

『おっと、いや、珍しく猫を被ってないお嬢様を見たもので、つい、ですな』

『誰が猫を被って……』


 大きく肩を竦め、口元に手をやるクラウス、それに対して唸る嬢。喧々囂々(けんけんごうごう)、と言うには優雅か。

 互いに慣れた様子、特に嬢の辟易した顔からして、普段からこのようなやりとりを繰り返しているのだろう。

 こうやって見る分には面白いが、あちらの立場を考えると少々同情する。

 が、意外とあれで釣り合いがとれているのだろう。察するに普段は(社交の場だけの話かもしれないが)、それなりに……。

 と、脳裏を過るつい先に見た媚笑。魅了(チャーム)の効力はあるのだろうが……・。

 あの仕草やらは、染み付いたものだよな。それに、あの時高潔だと感じたことに嘘はない。だとするなら、嬢は随分と女優らしい。

 先祖が芝居になってるのは伊達じゃないということか。

 そうなると、貴族として大丈夫なのだろうか、なんて心配してた自分は随分と滑稽だったと言えるが……信じられない。


『はいはい、分かりました。ほら、ユスティ様を放っておく置くわけにもいかぬでしょう』

『はぁ、ホント、この執事は。父様に言いつけても……無駄でしょうね』

『しかし、本当にユスティ様が紳士でよかった。基本的にはそつなくこなせる方なのですが、いざという時がてんでダメでして。

 ()()()()()()()()、前に襲われた時も悲鳴をあげるばかりだったとか』

『そうなんですね、だけど何だか分かる気がします。いやー見てみたいですね、悲鳴をあげるティアナ嬢というのも』

『テオドール君?』

『ははは、可愛いくて良いじゃないですか』

『ユスティ様、言外に普段は可愛く無いとおっしゃっていませんか?』


 傍目からは朗らかだが、微妙に二人の目つきがこちら伺うような色を帯びている。

 その事に、僕は気付かぬふりをしつつ、嘘をつかずにすっとぼける。僕は目隠しの男(ブラインドマン)じゃないのだから。

 つまり、いよいよ本番ということか。なかなか長そうな綱渡りだが、ひと踏ん張りするとしよう。

 さぁまずは一手、警戒はされるだろうが、話の速度をあげよう。長期戦になったら、集中力が持つ自信がない。


『――で、僕の処遇はどういう次第になってるんですか?』


 その一言で、間が凍りつく。二人の気配から穏やかなものから、温かいとも冷たいとも感じない淡々としたものに変わっていく。

 観察者、判定者、断罪者、言い方は幾らでもあるが、僕がこうして、病院などではなくこの屋敷にいるのも、彼女が魅了(チャーム)なんて使ってきたのも、もしかしたら藍の珠をくれたのも、これが理由。

 ――死刑囚(ぼく)の首を括る時が来たのかどうか、つまりはそういうことだ。

 ここに運ばれて来た僕は、左腕を失くした状態だ。この死刑囚(ぼく)が、だ。

 明らかな異常事態、ユスティ家から司法の番人としての権利と財産を、分譲(奪いと)ったどこぞの貴族が駆り出されたはずだ。

 黒き獣の首輪(グレイプニル)と同様、死刑囚に対処するために、ユスティ家には歴代死刑囚について事細やかに書き記された書物を所蔵していた筈だから。

 それはいずれどうにか拝見願うとして……まず間違いなく、魔女狩りの火(ビトレイ・スタッフ)魔女の断末魔(ウィッチズ・クライ)の項目もある筈だ。

 となれば、手袋(グレイプニル)を解けたことは必然的に分かる。屋敷の様子がそれを裏付けし……だけど、本人はこの有り様。

 おまけに誘拐されていた女生徒を庇っている、手袋(グレイプニル)が解けたのは良しとして、そもそも自ら暴走したのか、解いてなお正気を保っていたのかどうなのか、疑問点が幾つもある。

 分かることは自ら手袋(グレイプニル)を取ったというなら、異能に呑まれたと早々に処分する必要があり、でないならば手袋(グレイプニル)を解いてなお、自ら封印を施せたとして、長年頭痛の種だった死刑囚を御せる可能性が出て来る。

 端的に言って、扱いに困る。早くに問題に取り掛かる必要はあるが、万が一でも判断を誤れば責任は多大、かと言って成功と分かるにも時間がかかり、おそらくなんの褒美も無い。

 ハイリスク・ノーリターン。レウスさんじゃなくても、お断りする内容だ。

 上ではさぞかし悩むことになった筈だ、本来ならば。なにせ、そもこんなはた迷惑なものを拾い上げたのは、バッハシュタイン家、であればかの家に責任の所在はある。

 十中八九、雑種の血が入っているあの家は嫌いだったのだ、今回の件はちょうどいい……と、いうような動きもあったのかもしれない。

 何にせよ、拾ったのは事実。バッハシュタイン家に味方する家も、バッハシュタイン家自体もどうにも出来なかったのだろう。

 で、白羽の矢が当たったのが同級生である、バッハシュタイン家令嬢ティアナ=バッハシュタイン、と言うわけだ。

 たぶん、こうしてまだ成人もしていない年の嬢に任されたのは、いざ、という時に少しは矢避けになるかもしれないから、だろうか?

 当主のリヒャルト=バッハシュタイン卿は。自分の子供を盾にするようなことはしない気がするが……。

 ともかく、厄介事(ぼく)が言えることは一つだ。


『とんだ疫病神で申し訳ない』

『本当、察しが良くて助かるわ。けれど、気に病む必要はないわよ。侮らないで。

 、最悪こうなることも分かった上で、いざという時に助けるように、クラウスに指示したのだから』

『……それはまた、助けてもらっておいてなんですが、奇特な趣味をお持ちですね。自ら厄介事を拾いに行くとは』

『しょうがないでしょう、他の貴族(やつら)がなんにもしないんだから。

 貴族として、他の人よりも知識と力を与えられている以上、この国を守る責任がある。

 純血たる者の義務ノブレス・オブリージュという奴よ、傲慢かもしれないけれど、多くの人を助けたいと思うのは悪いことじゃないでしょう。

 あなたには悪いけれど、過去の例を見たら死刑囚による暴走は、嵐や氾濫に匹敵する災害。つまり、あなたも災害の種。

 でもね、自然のそれとは違い、暴走は備えさえ確かにしていれば防ぐことが出来る。なのに、あいつらと来たら……!』 

『お嬢様、お怒りご最もではありますが、いまはやるべきことを』


 語気を荒らげ、興奮した様子を見せる嬢をクラウスが諌める。

 すぐに冷静になったようで、バツの悪そうな顔をしてクラウスと僕の顔をちらりと見た後、どちらへか、ごめんなさい、と小さく頭を下げる。

 正直、反応に困るのだが、ひとまず愛想笑いを浮かべておく。

 しかし、初めて見たけれど、起こるときはやっぱり激しいタイプなんだなぁ。

 怒ってる原因もまた、らしいというか何と言うか。猫かぶりが上手い(未だに信じられないが)ようだが、その時はさぞかし鬱憤をタメていることだろう。いつか、見学してみたいものだ。


『話を戻すけれど、お察しの通り、あなたはいま首に縄が掛かってる状態。ほぼ吊られかけよ。

 なにせ歴代死刑囚を見ても、類のない事態。暴走しないなどありえぬ、万が一そうだったとしてもそんな不安定なもの殺すに限る――なんて、無責任に煽る輩もいる。

 ――だけど、私個人としてはいまのあなたを見て暴走したとは思えないし、友達に死んで欲しくない。

 だからこそ、これからの質問に正直に答えて、良い?』

『良いも何も、死刑囚に嘘をつく権利はないでしょう。すぐに、(いまし)めを受ける事になりますから。誓って、嘘は言いません。本当です』


 真摯かつ鋭い眼差しがこちらに向ける嬢に対し、僕も真っ直ぐに嬢の目を捉えて応える。

 嘘は言わない。何せ、ようやく僕も自らの異能(ちから)(いまし)めがどんなものなのか、理解できた気がするから。

 確証はないが、あらゆる悪事を排すことが、この異能(ちから)(あい)する為の鍵、その一つな気がするのだ。

 これだけでは足りないが、とても大事な鍵のような、そんな気が。

 何にせよ、(あい)する前に異能(おまえ)のことを知る必要があるなぁ。

 先を思って嘆息し、そもそも目の前のいまを乗り越える必要があるよな、とまた嘆息。やれやれ、物思う度、幸せ逃げるね。


『ズィンダー、貴方は自ら黒き獣の首輪(グレイプニル)を外したましたか?』

『いいえ』

『しかし、先の言葉に寄るならば、屋敷の惨状は貴方が作り出したことに相違はないのですよね、どういう事ですか?』

『簡単な話です。あの屋敷で僕が目が覚めた時にはすでに身ぐるみを――もちろん、手袋(グレイプニル)を含めて――剥がれた状態で拘束を受けていました。

 知っていることかとは思いますが、拘束中には僕の体には異能による一切の効果が無くなります。

 ゆえ、封印を解いてなお、暴走はしませんでした。

 が、僕を暴行して悦に入っていた人間が、何を意図してかは想像したくありませんが、僕の拘束を解きまして』


 油断は禁物だが、ここらへんはありのままを言えばいいから楽だ。まぁ、あまりいい思い出じゃないから、そういう意味ではキツいんだけど。

 頭にちらつく過去の残影。笑顔が引き攣ってやしないだろうか、背中の湿らす冷や汗に気付かれないようにしないとなぁ。

 少しは自分でも成長した自身があるが、早々、胸に刺さった刺は抜けやしない。

 あの人(父さん)も厄介なものを残してくれたものだ、こんなものより文献の一つや二つ遺してくれれば良かったのに。

 胸中で半ば本気に毒づく。やさぐれかけた心を落ち着かせるために、幾度か呼吸を繰り返す。

 こうした余裕も、執事と嬢が何事か話しあわせているからで、どことなく座りが悪い。

 相談自体は数度の言葉の往復で済むものだったらしく、こちらが落ち着くと同時に声をかけてくる。


『なるほど。現在は正常に見受けられますが、暴走を経てどのようにして今の状態に?』


 さて、どの程度話すべきか……まぁ、疑われてもポジティブな情報を伝えておいたほうがいいか。

 もしかしたら、上の公認で(監視は付くだろうが)、黒き獣の首輪(グレイプニル)の解除を許可されるかもしれないし。

 我ながら自分の立場を忘れた、都合の良い妄想だ。ま、だけど思うだけなら勝手、可能性も状況を聞くにゼロではなさそうだ。

 ポジティブに行こう。暗くなっても仕方がない、明かるい死刑囚というのも問題がある気がするが、それはそれ。


『確かに、最初は完全に体の制御を異能に奪われていました。

 ですが、当ても無く暴れ回る中で、ゼルフ=トーレに会ったのが切っ掛けで正気を取り戻すことが出来ました』

『ゼルフ=トーレ……!? 確かに、失踪したとの報告は受けておりますが、トーレ氏はなぜそのような場所に……?』

『え、あ、今回の誘拐の計画および実行した、月攫い一連の犯行の首謀者です。ご存知のことだと思うのですが、遺体は……?』

『……申し訳ありませんが、貴方に開示できる情報は多くありません。

 では、質問を続けます。正気に戻った、とおっしゃりましたが、本当のことですか? また、本当というならば詳細に説明を』

『本当です……が、正確ではないかもしれません』

『どういう事ですか?』

『その当時、僕は犯人が知己の人物、また誘拐された女生徒と親交が合ったこともあり、怒りに我を見失っていました。

 暴走状態と同じかとも思われになるでしょうが、断じて違います。むしろ、そう、怒ったからこそ体の主導権を取り戻せたような気がします』

『……怒りに駆られた結果、自分の思うとおりに体が動いた、と?』

『そういうことになります、少なくとも僕の主観であれば。

 先を続けますと、そのようにして体の制御は取り戻したものの、黒き獣の首輪(グレイプニル)が手元になく、また、先に行ったように正常な精神状態では無かったので、何処かへ去ったゼルフを無我夢中で追い駆けました』

『そして?』


 微妙に詳細を誤魔化す僕に、嬢が先を促す。とりあえず、意識的に異能(ちから)を振るった事実は言わないで済みそうだ。

 相手が人間とはいえ、上の方々からの心象が悪くなりそうだ、ひいては僕の身が危ない。

 そうでなくとも、僕自身は感情によるものと分かっているが、正常な精神状態で無かったは外聞が悪すぎる、も少しマシな言い方は無かっものか。

 なるべくなら、正気を保っていた時は冷静で、軽率な行動を取らなかったと判定される必要があるのというのに。

 だが、言ってしまったものはしょうが無い。問題は常にこれから、なのだ。

 だから落ち着けよ、僕。今から話すのは最新最大の心的外傷(トラウマ)、古びた棘などとは比較にならない傷だ。

 カサブタに触る趣味はないが、それが必要に迫られている。

 悲鳴はあげるな、苦悶に呻くな、それもまた必須で、なにより男の意地として誰かの前で、特に好きな人なんかいる所で、格好わるい所は見せられないだろう?


『結局、身を隠していたゼルフに手錠をかけられ、抵抗できなくなった所を……レウスさんに、助けてもらいました。

 仮面、持ってるんでしょう? 返してもらえませんかね。大事なものなので、お願いします』

『……勝手にお預かりして……』

『良いわ、クラウス。使用人に変わって、お謝ります。知らなかったとはいえ、申し訳ありませんでした、ズィンダー。

 それで? 貴方は自分の家の客人もレウスと呼んでいたと記憶しています。彼が|目隠しの男(ブラインドマン)《ブラインドマン》だったと?』

『ええ、身を挺して僕を庇ってくれました。その時に手袋グレイプニルを受け取り、ロザリエ(彼女)の救出した後に脱出しました。

 森でのことは……話す必要ありますか? 見てたんでしょう、そこの執事さんが』

『……あまり敵意のある態度を見せると、情緒不安定と見なしますよ』


 口調に険があるぞ、自重しろ。平静を保て、昂ぶるな、前を見ろ。言葉が矢継ぎ早になるのは許容するにしても、声色だけは平静を。

 ほら、嬢の目を見ろ、自重するよう訴えかけているだろうが! 女性に手を煩わせるなよ、情けない。

 下手な行動をすれば、或いはこの場で首を吊られかねないんだと自覚しろ。恨める境遇にはないし、そも()られる訳にはいかないだろう。

 封じろ、抑え込め、牙を隠せ。

 粛々と取り繕うんだ、裏がどうであろうとも、表向きは紳士的に、お伽話の吸血鬼(ヴァンプ)もそうだったろう。

 ならば、出来るはずだ。呑み込め、己が(きず)を。


『……失礼、先日の夜のことには思う所がありまして。八つ当たりのように真似をして、申し訳ない』

『宜しい、では続けます。つい先の質問の繰り返しとなりますが、森では故意に封印(グレイプニル)を解きましたか?


『森においても封印(グレイプニル)は解けました、ですがそれは襲撃者に手ごと切り落とされました為です。

 故意に切り落とさせたのではないか、と言われたらそれまでですが、自分がいくら軍人学校とはいえ一介の学生であるとは承知して貰いたいですね。

『……正直にお話いたしますが、家の執事は確かに貴方の側に控えておりました。

 我が家の執事によると、その際に被害者ロザリエさんと協力して戦闘に当たっていた用に見えたと聞いていますが……?』

 

 あからさまと言っていいほど露骨な救いの手に――ありがとうございます。声には出さず、目を伏せる。

 僕の態度に、嬢が何かしら、とでも言うようにかすかに頬を紅潮させて肩をすくめる。

 照れているのだろうが、意図してない艶っぽい仕草に不覚にもドキッとしてしまう。

 ま、まぁこれは本能だし、しょうがないよね、うん。誰にも咎められたわけではないが、つい言い訳してしまう。

 色々と無駄なことを考えてしまったが、間としては丁度いいだろう。不自然にならないよう、慌てずゆっくりと何でもないように応える。

 至極簡単だ、言うだけなら。


『……そうです、ね。協力というには拙かった気もしますが、ロザリエさんと共闘する形にはなりました』

『暴走は無かった?』

『はい』

『なるほど、分かりました。審議の結果は後ほど通達します。それまで不用意な行動を取らない方よう。それでは。

 ……ま、こんな感じで大丈夫でしょう』


 幾らか緊張を解いて、嬢が執事から何かの魔術機器(きかい)を受け取る。

 ……魔術機器(きかい)なんて、ぼかす必要はないか。あれはまず間違いなく……。


蓄音機(ボイス・レコーダー)、ですよね。最近のはまた随分と小型に……やっぱり、こういうのって()るものなんですね』

『当たり前でしょう。ホントは見せるのもダメなんだけど、どうせ分かってたでしょうから、サービスで答え合わせをさせてあげたのよ。

 更に言うなら、小型(これ)を使えるのは貴族の特権。なんでも、人界(むこう)の技術が()()()()に使われてるらしいわ。

 明け透けに言えば、ほぼ模倣品よ、それも劣化した。貴族連中は認めないけれど、技術力は人界(むこう)が断然上よ』

『あ、あはは……信用はありがたく思いますけど、わざわざ敵を作るようなことは吹聴しないほうが良いと思いますよ。

 差し出がましいことを言いますが。いくら名家のお嬢様とは言え、痛い目にあうことになりかねません』


 あんまりといえばあんまりな発言に、苦笑いを浮かべてしまう。

 これとほぼ同じ事を学校で言ってたよな……豪胆というか、空気よめないというか、馬……これは言葉がよろしくないな。少し、頭が足りないのか。

 まぁ、時と場合を選んではいるようだけれど、つい、滑るように思ったことを口に出してしまった。

 まぁ、これはこれで、面白い方に話が転びそうではあるが。と、苦笑の中に、ほんのりとほころぶのような笑みが混じる。


『ふふ、何だか悪役のようなことをおっしゃいますね、ユスティ様。

 しかし、ご安心を。お嬢様はあなたの前でこそ、このような態度ですが、中々に悪女にございます』

『確かに、そうは言ってましたけど……。正直、想像がつきませんね。

 今だから白状しますが、このお嬢様は大丈夫だろうかとずっっっと考えてましたよ』


 ――こんな感じに。キリリ、と眉と口を引き結び、主人への無礼に不快を表すさまは、さすが執事として胴に入ってる。

 目元さえ笑って無ければ、だけど。いや、仕える主人の事を悪女と罵っている時点で、屋敷から放り出されても文句は言えないが。

 当然のことながら、嬢の背後からはわなわなと怒りの気配があがり、反対に表情は笑みで固められていく。

 もっとも、こめかみにうっすらと血管が浮かんでいるので、笑みが役目を果たして無いが、こういう所執事とは似たもの同士だな。

 怖いには怖いが、嬢には悪いがこういうのも嫌いじゃない。いや、嘘はいけないな、うん。むしろ好みだ、実に楽しくて堪らない。


『おや、そのように嬢様を貶めるような発言は聞き捨てなりませんな。よし、今度の夜会にはユスティ様もお誘いしましょう。

 先に行っておきますが、お嬢様に魅入られなされるな。

 笑って聞いて居られますが、殿方の中には、いつの間にやら財布の代わりに花束宝石を持っている方が居られるのですぞ。

 それでまた、嫌々振る舞われる微笑みに顔を緩めるさまなど、同じ男として滑稽を通り越して同情を覚えます。

 中には何時まで待たせる気だなとと吠える方も居られますが、それこそほんの少し科を作るだけで……』

『クラウス、今度から殿方の受付は貴方にお任せするわ、受け止められないとはいえ、心が込められているのですからどんなプレゼントでも受け取って、万が一にでも落としたりしないように。

 テオドール君、クラウスも言ってたけれど今度うちのパーティーに参加して貰えないかしら、親しくなされてる方々とお父さまお母様に私達の関係を知らせてあげたいの』

『ほら、殿方達の必死のアピールを受付などと……ひどいと思いませぬか。

 私が若い時分に文字の書き方から、倫理道徳まで教鞭をとらせていただいたのですが……どうやら、やはり私も男、女性として一番大事なことをお伝えできなかったようで……このクラウス=ベッテンドルフ一生の恥、一生の不覚にございます』

『心中お察しいたします。だけど、ご安心を。このテオドール=ズィンダー=ユスティ、身分違いとは理解せど、お嬢様の気持ちに全力で応える所存で……っ痛!』


 圧力にも屈せず、反対にいなして利用して、なおも()れる僕の腿に鋭い痛みが走る。

 どうやら、ロザリエが寝ぼけて摘んだらしい。不意のことだから、どうにも大げさになってしまった。

 気を取り直して、前を向けば。嬢は自分の言った癖に、自分で光景を想像したのか、ほのかに顔を赤らめ、俯いている。

 はは、愉快愉快! ……行く末が恐ろしいなぁ。肝を冷やし、笑いの質を変えながら息を吸い込み、口を開く。


『はは、この通り格好は付きませんが。責任を、取って、悪女の誹りを受ける前に、言い寄る男どもなど蹴散らして、ッ痛い!』

『クラウスもテオドール君も、いつかじっくりお話しましょう。もちろん、ロザリエも一緒に、楽しいお茶会になる予感がするの』

『それはよろしい、このクラウスも存分に腕をふるいましょう』

『本当ですか? いや、お嬢様のような美しい方にお誘いいただけるとは、男の冥利に尽きますね』

『それも、両手に華よ、楽しみにしていらして』

『はっは、花は一つだけですよ。この足元のは見てくれこそ花を気取っちゃいますが、中身は球根、お痛ぅ! いや失礼、先程から妙に僕の足を抓りまして』

『あらあら、冗談でもそんな事言っちゃダメよ。こうして(つね)るのだって、もしかしたら、さっきから無意識の内に嫉妬してるのかも』

『本音ですよ、本音。痛た、痛たたたた! どうせ、食べ物か何かの夢ですよ。

 今はどうだか知りませんが昔は食い気ばかりで、それはもう牛馬のごとく、痛い痛い痛い……! 

 だ、大体、たとえ無意識にでも、嫉妬されるなんてあり得ませんよ』


 いよいよ爪まで食い込んできた手に苦悶しながら応える。

 振りほどくか起こすか、すればいいのだろうが、その何ですかね仮にも好きな人に触れられてる訳で。

 いや、マゾではない、マゾじゃないぞ、僕は。


『あら、どうして?』

『どうしてもなにも、水を指すようですが彼女の家にも、彼女にも随分と迷惑を掛けましたから。

 人の機微に敏いとは言いませんが、さすがにあからさまな敵意や嫌悪は分かりますよ』


 ついでに言えば、悪意に歪んだ欲望にも、どうも僕はその手に縁があったから。

 もっとも、つい最近その上限(下限とも言える)は呆気無く壊された、ゼルフ(あの男)によって。

 物語にも出て来ないような、鬼畜外道がこの世には居る。その厳然たる事実に、暗いものが胸にたまり、吐き気がわく。

 やめよう……せっかく、楽しいひと時を過ごしているのに、わざわざ余計なことを考える必要はない。


『確かに……ね。だけど、今は状況が違うんじゃないかしら。ロザリエからしたら、あなたは救いの王子様なんだから』

『また、メルヘンな言い方ですね。実際はそんな良いものじゃありませんでしたよ。お付の騎士が精一杯です。それも、喜劇(コメディ)のね』

喜劇(コメディ)でも良いじゃない。身分違いの恋を痛烈に皮肉る、そういうのあなた得意そう。

 ま、そうなると一番は私の家が槍玉に挙げられそうだけれど。ま、私自身、聞かされすぎて食傷気味だし、問題ないわ』

『まぁ良いじゃないですか、わざわざ先祖を貶めるようなこと言わなくとも。

 世の中そんなロマンティックな話もあったということで、世の幾らかの人が救われたと思いますよ。それはまぁ、多少の誇張も……』

 

 あったでしょうが。そう言いかけて、ふと、目の前の女性がひどく魅力的に見えたことを思い出す。

 頭に過った想像は、ひどく失礼なものであったが、現実的なものにも思えた。

 少なくとも、上流貴族の令嬢と庭師の男が、壮大な恋愛の果てに結ばれた、なんて話よりはずっと。

 加えて、魅了(チャーム)人界(むこう)ではどうだか知らないが、魔界(こちら)の魔術の中では珍しいことに、言葉、仕草、化粧に香水……同一の効果の魔術が、名を変え品を変え研究されている。主に、持続性や効力の面で。

 つまるところ、劣情や情欲、愛欲のたぐいが人の原動力として優秀ということなんだろうな。

 なんとも言えない気分になりつつ、つい、好奇心から尋ねてしまう。


『そういえば、嬢に掛けていただいた魅了(チャーム)、あれはやっぱり……"秘術"なんですか?』

『……ま、良いでしょう。そうよ、バッハシュタイン家における門外不出の秘術。

 派手さはないけれど、怖ろしい術よ。私がまだ半分も習得できてない、といえば本来の秘術がどういうものか分かるかしら?』

『ぞっとしませんね。ちなみに、それが初めて確認されたのは……?』

『クラウディア=バッハシュタインの代ね』

『……その魅了(チャーム)って男性でも?』

()()()()、と言ったわよね』

『あ、はい。じゃあその、あともう二つばかりお尋ねしたいことがあるのですが……』


 微笑んでいながら、とてつもない迫力で門外不出の四文字を強調する嬢に怯え、恐る恐る口を開く。

 すると、嬢は一瞬考えるような仕草を取り、すぐに表情を普段のものに変えて、目で先を促してくる。

 どこか、きまりの悪いようで、どことなく落ち着きが無い。

 仕事とはいえ尋問したことを気に病んでるのかな? 自意識過剰な気もするが、嬢の正確からして実にあり得る。

 と、なると変に遠慮するよりは、ある程度あけすけに言ってもいいか。

 助けられた身で図々しい自分に、免罪符を与えているだけな気もするが、それはそれは、これはこれということで。


『率直に言って、僕、どうなりますかね?』

『死なせないわよ、絶対に』

『……ありがとうございます』

『お礼を言われるようなことじゃないわ。けれ、そうね、手の届く範囲で良いから、そこにいる私の大事な友達(眠り姫)を守ってあげて、騎士(ナイト)さん』

『言われなくとも。ま、精々勘違いが無いように気をつけます』

『そうね。ロザリエはちょっと、()()いうところがあるからね』


 言いながら嬢が手で、視線を真っ直ぐに固定するようなジェスチャーをする。確かに、今回の件と言い彼女にはそういう面がある。

 視野狭窄、って言うわけでもないんだろうけどな。なんと言えばいいのか、うーん、言葉にするなら……。


『良くも悪くも子供(純粋)なんですよ、彼女は。ホント、子供らしい愛想は無いくせに、子供らしく心配ばっかり掛けるから困りモノです』

『はいはい、ごちそうさま。良くもまぁそんな、人前で歯が浮くようなこと言えるものね、一周回って尊敬するわ』

『前にも言ったでしょう。嘘が吐けない性質(たち)なんですよ』

『ッ……! ハァ、正直なのは本来、美徳のはずなのだけれど……罪作りな(ひと)ね、死刑囚のくせに』

『あの、すいません、最後らへんがあんまり聞き取れなかったんですけど……』

『なんでもないわ。それで、もう一つの質問は?』

『え、ええ。結局、僕はどうやってここに運ばれてきたのかな、と』


 憤ったような、不貞腐れたような、態度で先を促す嬢に、戸惑いつつも後回しになっていた問を投げかける。


『ああ、そういえば確かに教えてなかったわね。薄々察してると思うけれど、貴方の居場所がわかったのは共振珠(これ)のお陰よ』

 

 と、取り出したるは、先に返した藍の珠。嬢の胸元から出てきたそれは、照明に照らされ、存在をアピールするかのようにきらめいた。

 どーでもいい事だが、意外と大きいんだな、ゆったりとした服きてるから分からなかったが。どうやら、着痩せするタイプらしい。

 不純な思いを抱き、わずかに(いましめ)めを強めた僕を他所に、嬢はすらすらと得意気に珠の説明を始めた。


『詳しい原理は省くけれど、魔力の波を利用した信号で、持ち主の大まかな居場所を知ることが出来るの。

 いくら作ろうと対象は一人だけなのと、作り手、今回の場合は私にしか信号が理解できないのが欠点だけれど、中々便利なものよ。

 とは言え、さすがに結界の中に入られたら分からなくなるから、森のなかでいきなり信号が消えた時は焦ったわよ。

 クラウスも森中駆け巡ったみたいだから、森林浴をしている方と何度も遭遇したって言ってたわ』

『それはまた……今度、お礼に何か持ってこないとなぁ。クラウスさんって、なにか好きなものとかありますかね』

『さぁ、彼、分かると思うけど変人だから、何が好きかなんてとてもじゃないけど。

 だけど、あんまり気にしないで帰ってもらうのにもそれなりに苦労したみたいだけど、給料分は苦労してもらわないと。

 あ、そうそう、忘れないように言っておくけれど、貴方の捜索を支持したのは、私ですからね』

 

 などと、ニコリ。うわー参ってしまいそうだー、口には出さぬ適当な感想を抱く。

 冗談はともかく、要は助けた執事の主たる自分になにか寄越せと、これはまったく……少し、たしなめる必要があるな。

 繭を八の字に曲げ、瞳をわずかに潤ませ口元を歪める。


『申し訳ございません、とてもじゃないですが、夜会の王女を喜ばせるようなものは……!』

『まだ、その話を引っ張るんだったら、本当に容赦しないわよ?』

『はっは、分かりました分かりました、さすがにしつこいですしね』

『まったく……クラウス』


 いつの間にか姿を消していた執事の名を呼ぶと、今度はふつうに扉から静かに一歩、二歩と踏み出し、相変わらず丁寧な礼をした後、口を開いた。


『ユスティ様、お車のご用意が出来ました。勝手ながら、お荷物もこちらの方で積み込みましたので、どうぞこちらへ』

『と、何から何まで申し訳ありません。しかしまいったな、まだ彼女が起きてないもので』

『起こすのに気が咎めるなら――おんぶしてあげれば良いじゃない、テオドール君』

『うえっ! あっ、えぇ!?』

『ケホッケホッ!』


 急な発言に、素っ頓狂な声をあげてしまう。その際に、埃でも吸ってしまったのか、ロザリエが咳き込む。

 だがそんなのは、今はどうでも良い。目の前の女性は、いま何とおっしゃったのか?

 おんぶ、女性の御足(みあし)に、正確には太ももと呼ばれる女性的魅力を、これでもか! というほど訴えかけてくる部位に、手を添えるあれか?

 必然、全身を体に預けてくるため、色んなものの感触(彼女の場合、一部心配いらない気がする)が背中に躊躇いなく降り掛かり、つい背中が全部手の平なれと誠心誠意、全身全霊で祈りを捧ぐ、あれ?

 なぜか、男なんぞからは漂わない、女性特有の良い香りがすぐ側から鼻をくすぐる、時折り顔に当たる髪の柔らかさについぞくぞくしてしまう、あれ……なのか……!

 あれあれあれ? 落ち着け、落ち着くんだ。今日何度繰り返したかわからない言葉が、今日一番で連呼される。

 無意識なのも良いが、意識があって無理だというのに微妙に体を離し、躊躇いがちに腕を体に回すのもまた――良い、良いではないか!

 冷静なのか、とち狂ったのか分からない、自分の未知の部分を必死で宥めつかせ、パクパクと思うように動かない口で、なんとか声をひねり出す。


『いやいやいやいやいやいや、そ、そーいう訳にも行かないでしょう。』

『どうして? 病み上がりって言っても、あなたは特殊でしょう。男なんだから、偶には踏ん張りなさい』

『男だから不味いんでしょうが、何言ってるんですか、アホですか、あなたは、アホなんですか? 女性として同姓を陥れるような真似をするなんて見損ないましたよ』

『あ、アホってあなたねぇ、少しは落ち着きなさいよ。どこに友達を送り狼に託す馬鹿が居るの。

 あくまで紳士的に、ね。……万が一、何かが起こったら、その首にくっきり痕をつけてあげるから、安心しなさい』

『狼じゃない男なんて居ません! 羊のふりをしていても、間違いなくそれは狼ですから!

 良いんですね? これは据え膳と、分かりました、分かりましたよ。僕も男です、覚悟を決めましょう』

 

 最後ら辺は自分でもおかしな事言ってるなと自覚しつつ、暴走した口とリビドーが勝手に言葉を紡ぐ。

 直後、耐えかねたように嬢の目が細まり、極寒の視線を僕に送ってくる。

 ぼそりと何事か呟いたかと思うと、嬢の背後から、透明な虎が僕の顔に飛びかかってきた。

 突然のことに避けれるはずもなく、混乱した頭のまま虎は顔にぶつかり、弾け布団から出ていた上半身をズブズブに濡らした。

 冷静になって、ぺろりと雫を舐めてみる。案の定、無味無臭、すなわちこれは純然たる水だ。

 呆れ返った表情で、髪からぽたぽたと雫を落とす僕に、嬢が空になったフラスコをゆらゆらと揺らす。

 僕が暴れただした時のために、水の魔術用の媒体として持っていたのだろう。

 おそらく、水は牽制・拘束用で、酸や各種毒などを入れたものも持っているのではないだろうか。

 ……よし、問題ないな。


『少しは目、覚めた? 覚めたならつべこべ言わずに早くしなさい、御者(ぎょしゃ)も待ってるんだから』

『はい、そうします』


 ロザリエまで濡らす(体についた水的な意味でだ)事のないよう気をつけながら、ロザリエが寄りかかっているのとは反対側に足を下ろして、立ち上がる。

 久方ぶりに立った所為かどことなくふらつくが、感覚的だったようで、すぐに何時もどおりの感覚を取り戻す。

 そうして。近くの机に用意されていた、自分の服に近づことした所で『ちょっと待って』と嬢に呼び止められる。


『ちょっと、失礼』


 そう言って、彼女は僕の体に、正確には僕の身につけているずぶ濡れの服に手を当てる。


『戻ってきて、"水成の(ヴァッサー・ティーガー)"』


 彼女が優しく、飼う犬猫に語りかけるように(ささや)く。

 すると、服や髪、腕に残る雫から見る見るうちに渇いていき、代わりに先ほどの水で出来た虎が、甘えるように嬢の手の平に頭を擦り付けた。

 慈しむように、手のひら大の虎の喉をさすり、空いた手でフラスコを持ってくる。

 嬉しいような、寂しいような、そんあ声で唸った後、虎がフラスコへと静々と入り、何事もなかったかのように元の水へと戻っていく。

 良いわよ、と目で語る嬢に従い、なんとも不思議な心地で服へと近づく。

 服を手に持ったところで、バタン、と背後で扉が閉まる音が鳴る。

 あっと、少し配慮が足りなかったかな? それとも、出て行けとは言い辛いだろうと配慮してくれたのか。

 何にせよ、早く着替えないとな。渇いたおかげで、服の脱着に不自由はない、下着ごと一気に服を脱ぎ、肌を撫ぜる空気に少しだけ鳥肌を立たせながら、ほのかに温められた服を着ていく。

 何だか見られていた気がしたが、気のせいだろう、男の裸など需要なかろうし。 


◆◇◆◇◆◇


『あっとちょっと待って、欲しいお礼があったわ。最後に一つ、聞きたいことがあるの』


 嬢がそんなこと言い出したのは、着替えを終えて彼女を背負い、いざ馬車に乗り込もうとしたところでだった。

 正直、それなりに体重がある(軍人として、筋肉は必要。深い意味は無い)彼女を抱え、少々高い位置にある足場に足を掛けたところだったので、体勢はかなりキツい。

 狙ってないとしたら、どうにも間が悪い。狙っているとしたら、どうにも性質(たち)が悪い。

 余裕が無い状態というのは、精神的にも(今回のような場合は、肉体的にも)早めに話を終わらせたがるから。端的に言って、嘘や誤魔化しを考えづらい。

 そして、彼女は――後者だ。何故なら目元が笑っていない、ここに来て彼女がまた貴族としての顔を見せる。

 いや、それだけじゃ……ない? かすかに悲哀を覗かせる瞳を見て思う、義務でもあるが、義務でなくとも聞きたかった、そのように感じられる。

 耐えかねて僕が足を地面へと下ろそうとする直前、そんな絶妙なタイミングで彼女はたった一言、


『――左手(リンクス)は、どうなったの?』


 そう、問いかけてきた。今回の件とは微妙に関係無いようでいて、実際には核心へと切り込むそんな一言で。

 見つけられた仮面は右手で目を隠していたのだ、左手の存在に気付いて当たり前、そう人は言うだろうが、焦点は元より僕に当たっているのだ、目隠しの二人組など、普通は気にしない。

 あの時、助けたことがいま裏目に出てる、ここに来てかと、冷や汗を浮かべながら胸中で笑う。

 嘘は言えない、答えないなんて選択肢はない。そして、後悔もない、反省もない。何しろ、応える言葉はごく自然に口から零れたから。


『……(リンクス)は先に屋敷に入ったようでして、僕と同じでレウスさんに庇われていました。

 面は無くしていましたが、僕自身余裕が無いこともあって、顔は見れませんでした。

 だけど、気休めのようですが、まず間違いなく生きてますよ、少なくともあの屋敷は脱出できたようでしたから』

『……そう』


 気を落とした様子を隠し切れないようで、彼女の虎のように淋しげな瞳で儚げに笑い、嬢がゆるりと女性特有の柔らかな口調で『ありがとう』と礼を述べてくる。

 本当のところを教えてあげたい気持ちもある、が僕はまだ捕まる訳にはいかない。

 彼女個人のことは信用できるが、貴族としての彼女が信用出来ない。

 いくら彼女が僕を友人としてみてくれていようと、自らの家に害するような真似はできまい。嫌悪無く、むしろ好意を抱きながら思う。

 と、同時、自分が内心ですら良い人ぶっていると呆れる。

 嬢のことが信用できない、それだけ良いだろ、と。個人云々などと聞いて呆れる。


『あっと、ごめんなさい。それじゃあまた、学校で会いましょう』

『ええ、彼女ともどもまた学校で』


 互いに手首だけで簡単に手を振り、僕は馬車に乗り込み、ロザリエを横に寝かして、向かいの席に座る。

 車の揺れで、僕らが席についたと判断したのだろう。鞭が馬を叩く鋭い音が鳴り、嘶きとともに静かに馬車は動き始めた。

 窓から覗く夜の帳、ガラガラと鳴る車輪の音、それらに誘われるようにして、うとうと、と眠りに付こうと船を漕ぎ始める。

 夢に入るか否か、その境界をたゆたう中で、


『バカ、()()()だって女性になってる……』


 不貞腐れたような声が聞こえたかと思うと、柔らかく甘い何かがほんの一瞬唇に触れる。

 その感触に背中を押されるようにして、僕はいよいよ深い眠りについた。

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