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人魔のはみ出し者  作者: 生意気ナポレオン
第四章:所変わって覚醒編
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第八十三話:変化の真髄

約束を破って申し訳ありませんでした……!

『ったく、起き抜けにこれたぁ早起きする甲斐がないね』

 久方ぶりの現実感のある視界(せかい)。体を撫ぜる血風も、今は初夏の薫風にすら感じる。

 肉のある体、ピリピリと五感を伝える神経。俺が今いるここは間違いなく現実。

 海面から顔を出したような解放感、薄汚れた空気を吸う息苦しさ、そして――

『っあ~~!』

 律儀に腹部を襲う灼けるような痛み。自分の腹から切っ先がコンニチハしてたのを忘れていた。

 だけどだな、戦闘中はちゃんと痛覚を切る、これもはや約束事(マナー)だからなマナー! って、そうできないようにしたのは俺か。

『くそ、細かい変化だからしょうがないとはいえ、何とかならんかね』

 ブツクサ言いつつ精神を統一、ザッと神経系を確認し遮断アンド鈍化、これで麻酔完了。

『いくら死んでたところで体は――いや、魂は覚えてるもんだねぇ』

 感心するのももそこそこに、やっとこさ体に残った不純物(けん)を引き抜く。

 汗と一緒に流れ出てくれりゃあ、こんなことしなくてもいのにねぇ。

 しかし……気持ちは分かるが、このガキは何時までボサっとしてるのやら。

『ほら、さっさと起きろ!』

『……あ、あ』

 反応はあり、ただし目は虚ろ。ダメじゃん。

『ていっ』

 スパーン! と景気よく頬を張る。音は良いが効果は微妙、ただまぁこれで少しは言ってることも耳に入りそうだ。

『良いか、よく聞け』

 頭に手をやり、目と目を合わせゆっくりと焦れったくなるぐらいの早さで話し始める。

『お前の探してるお嬢さんは、地下二階の一番奥の部屋にいる。かなり衰弱してはいるがまだ生きてる』

『ッ……!』

 ついさっきまでの表情から一変、目を血走らせ腰を浮かせる。

『本当だ。待て、焦るのは分かるがそのままじゃあ、過去の二の舞いだぞ』

 目を睨み、肩を抑えてそれを制止し、落ち着いた頃合いを見てポケットから物を取り出す。

『この手袋、お前のだろう? とりあえずこれを着けろ。

 あと、そのコート寄越せ、俺のも大概血だらけだがそれでもお前のよりマシだ』

 下手に時間を食わぬよう、命令口調で言って聞かせる。

 あ、くそ左袖が丸々無くなってやがる! 高かったんだぞ、これ!

『って、ちょっと待て、オイ!』

 少し目を離した隙に……!

 舌打ちを一つ打ち、廊下に走り出したガキを慌てて呼び止める。

 ガキも多少は負い目があったのか、逡巡しゅんじゅんしながらもこちらを振り向く。

『ほらよ!』

 その手めがけてフリスビーよろしく落ちてたそれを放り投げる。

『これ……』

『あいつの、レウス=フリートの形見だ、その仮面もそのコートもな』

 ――大切にしろよ、と内心で付け加える。そうでなければ、あいつが浮かばれないとも。

 言葉にしない思いの代わりに、小さくなって行く背中に最後にと一声掛ける。

『外にも見張りが居る! 俺が行くまで絶対にこの屋敷を出るなよ!』

 背中は何の抵抗もなく角に消える。

 精一杯張り上げた声だ、聞こえてないという事はあるまい。

「だがまぁ、素直に言うことを聞いてくれるかどうかは……正直、怪しいわな」

 何せ、細かい(訳でもないが)過程云々を無視したとしても、自分からいうのも何だが大量殺戮者だ。

「ったってなぁ。一分かそこらで信用が勝ち取れるかっていう話だよ。なんかいい方法しらないか? センセ」

 流し目で大きくヒビの入った壁を見ると、タイミングを図ったように土煙が消えかかり、薄っすらと黒い人影が映り始める。

「ククク……そんな方法があれば、教師などせずにもっと実験に時間を割けたよ」

 音を低く、かつ愉快げにその人影は笑い、おもむろに立ち上がる。

「また、お情けのつもりかい?」

「いいや、まさか! これだけ痛い目にあったんだ、そんな馬鹿なことはしないさ。ただ、君の言ったとおりにしただけだよ」

「……どういう意味だ」

 不穏な気配を感じ、悟られぬよう密かに身構えて尋ねる。

「情けは人の為ならず――僕を一撃で殺さなかった、その情けに応えただけさ!」

 笑みを深くし、男はコートの内から素早く二本の試験管を取り出す。

 その瞬間、"圧縮"していた脚を解放する。

 筋肉のバネなど論外、弓の(つる)、弩の(げん)をものともせぬ、圧倒的な瞬発力。

 ただ線として景色は流れ、風は遅れてやってくる。

 そして、衝撃。全身に響くそれを半固体(スライム状)肉体(からだ)で受け流し、弱め、吸収する。

 かつて男が居た場には俺が居座り、かつて居た場に男は帰る。

 遅れたように鳴る地響きはヒビを一層深め、崩壊を助長する。

「ふぅ……」

 ガラガラと崩れていく壁の音を背後に聞き、大きく息をつく。

 緊張が抜けると同時、ビリビリと体が痺れる感覚に苦笑を浮かべる。

 少し、核に衝撃が行ったか……鈍ってるな。ま、寝起きにしては上等としておこう。

「っと、危ない」

 跳躍。イタズラに差し込まれた酔っぱらいの足を躱すような、ほんのちょっとの跳躍。

 気軽に、小粋に――殺気を感じて、跳躍する。

 床に一瞬目をやれば、紅い残像が刃の閃きと共に足元を過ぎ去っていくのが視界に入る。

 全く、こっちの感覚は鈍ってなくて助かった。下手すりゃ膝から下がサヨナラしてたよ、この野郎!

 胸中で悲鳴を上げながら、着地と同時に体を反転させ大きく飛び退く。

 そこでやっと、俺は()()襲われたのかを理解する。


「……これだから人間は恐ろしい」

 そんな言葉が思わず漏れる。

 チカチカと不規則に点滅灯りの下、その刃は確かに鋼の光沢を放っていた。

 ――血の艶めかしさと共に。

 反りの入った刀身は古代人の武器を模した曲剣。

 根本に柄など存在せず、無論鞘など論外。その剣は、いつの間にか身に付けられた重鎧の手甲部分から直接生えている。

 剣、鎧、兜に具足、そのどれもが血の紅で彩られ、(あか)い血で出来ている。

鬼人族の秘術(鉄血魔術)を再現するとはなー」

 惚けた声で――感嘆と恐怖を込めて――呟き、深い呼吸を一つ。

 ぬるい空気を肺から追い出し、血に浸かった空気を貯めこみ身構える。

「変化:昆殻獣身インゼクトパンツァー・ダス・テイーア

 無数の虫や樹を、獣や鬼を、混成して創りあげたこ甲殻で、筋肉で、全身を覆い、全身を作る。

 といっても、完全に筋肉だけではない。いまの俺の体は甲殻、筋肉、元の半固体(スライム状)の体の三層構造。

 迅速に変化でき、かつどんな相手にもそれなりに戦うことが出来る汎用戦闘形態。

 その完成とほぼ同時、血の刀身が左右に開き、鋏の様な動きで俺に襲い掛かってくる。

 後ろに跳んで避けるのは容易い、がそれじゃあリハビリにならないな……!

 踏み抜く勢いで床を蹴り、体を前に突き動かす。

 切り裂かれた風が悲鳴を上げ、刃の鋭さをありありと訴えかけてくる。

 それに応える様に、両手の甲を刃に先んじて押し当て、勢いを殺しつつ時間を稼ぐ。

 摩擦で手の甲から火花が散り、甲殻が溶け削られていくのを感じる。

 そうして出来た甲殻の溝に引っ掛ける様にして、刃を下に叩き伏せ反対に自分は大きく前へ跳躍する。

殺人者の刺突剣(マーダー・レイピア)

 両腕から体内に仕込んだ投げナイフを射出すると、当然のように鎧が変形し盾となりナイフを弾く。

 盾はお次はこちら、と鋭利な槍となり、俺の体目掛けて宙を疾走(はし)る。

 空中で動けぬ俺は、その様子をただ眺め、睨み、観続け――寸前で穂先を殴りつけ、その勢いのまま体を回転、

「変幻流格闘術:"宵の衛星"」

 右脚を人から蔓、そして蛇へと変化させ、遠心力を乗せ重鎧の男に叩きつけるッ!

 脚の肉を打つ硬い感触とそれにわずかに遅れて響く、床を勢い良く転がっていく紅い鎧。

 ()()()()転がり、やがて夢から覚めたように溶け落ち血だまりと化す。

「森は葉と根で満足し、獣は爪牙で飢えを満たし、魔族は己が力と秘術に誇りを持つ。

 爪がなければ剣を、殻がなければ鎧を、術がなければ詠唱(うた)を創りだす。人間(お前ら)だけだよ、そんな強欲な種族は」

 血の鎧を脱ぎ捨て、全身から紅色の血を流しながら男は口を開いた。

「だからこそ、人間(われわれ)は魔族に抗する事が出来た。

 己を誇ることの出来る、自信過剰な魔族(やつら)とは違って、

 あらゆる生き物に嫉妬し、憧れ、手にしたいと思ったからこそ、人間(ひと)は進化し続けた、そう思わないか!」

 徐々に熱を帯びる口調に合わせるように、溢れかえる血は勢いを増し、不自然な挙動で男を包んでいく。

「……鉄血魔術に必要なのは、高純度かつ大量の魔液(マギーブルート)

 その為の、鬼人族特有の二つの魔臓(マギーヘルツ)と、それに合わせた体組織だ」

 ギリギリと筋肉の弓を引き絞り、神経を研ぐ。

 戦闘の起こりを前に、全身のボルテージを引き上げ行く。

「"人狼願望(ウェア・ウェアウルフ)"――」

 男の身を包んだ血は繊細かつ獣性を持った体毛に、獲物を喰らう牙に、肉を引き裂く爪に――人狼を人狼たらしめる筋肉(ちから)に変化していく。

「――今更なんです? 目の前の光景が信じられませんかッ!」

 低い姿勢からの突進、両手の五爪が交互に襲い掛かってくる。

 受けるのは愚策だ、楽ではあるがあの爪は業物じゃなくともナマクラじゃない。

 とは言え、例え業物だろーと、名剣だろーと、魔剣だろーと、刃が立たなければ斬れない道理。

 チラチラと壊れた灯りに照らされ、淡い光沢を放つ甲殻。かすかに弧を描くその甲殻(たて)で、爪を何度も受け流す。

 その度に爪は何かの記念か粗い爪痕を俺の甲殻(たて)に残し、お陰様で俺の甲殻(たて)には不細工な模様の出来上がりだ。

「生憎、彫り物(タトゥー)の趣味はなくてな」

「不味ッ……!」

 煮えを切らし、左右から挟むように振るわれた爪。

 大味な二つの斬撃を、ほんの一瞬真正面から受けて衝撃を殺し、腕を振り下ろすこと下方に流す。

 俺も男も二つの腕は下に流れ、互いに胴を守るすべはなし。男は足を前後に開いて蹴撃の構えを取り、俺は棒立ちのままそれを待つ。

「話を戻すと、俺が言いたいのはつまり、人間……どころか他のあらゆる生き物には質はともかく、量の面で使用不可能だってこと」

 鳩尾やや下に比喩でなく突き刺さる足、紅く固まった血の上をダラダラとやや薄目の赤が流れる。

 だというのに、男は引き攣った顔で俺を睨む。()()()()()()の俺を。

「そんな驚くなよ、万変流格闘術:"暖簾に腕押し"――ま、身動きなしで衝撃を吸収するだけのちゃちな技さ」

 男の爪先が血だまりに波紋を、床に浅い傷跡を付け、俺の上体を襲う。

「これまたちゃちで悪いんだが……」

 背骨を廃した俺の体がぐにゃりと背中側に折れる。爪が目の前を通り過ぎ、前髪が数本宙に舞う。

 わずかに切れた額に血がにじむ前、一気に上体を起こし、両の脇に手を差し込む。

「"掌底破城撃"」 

 男の体がかすかに震え、男は大きくニ歩後ろへ飛び退く。足元の血が大きく辺りに飛び散る。

 表情こそ分からないものの、血で(かたど)られた人狼からは確かに怯えを感じ取られた。

「で、だからこそ、鬼人族は秘術の行使を躊躇わない」

 手をプラプラさせて男に目を向ける。男からは襲ってくる気配はせず、こちらを待ち構えているのが見て取れた。

「だが……どんなイカサマかしらないがお前の血からは()()を感じる。そりゃそうすれば量の問題もクリアだろうけどよ――」

 前傾姿勢を取る、男も同じく前傾姿勢。双の爪を油断なく構え、カウンターを狙っている。

「それ、人間って言うかね?』

 重蹄脚。静から動へは当たり前に、間隔すらも長から短へ、急行する。

 凄絶な表情を浮かべているのは、俺の言葉にか、それとも二度目にかかわらず接近を許した己の迂闊にか。

 ま、どちらでもいい話だ。貫手に構えた右手は既に本物の人狼の爪へと変わり、拳打は槍撃へと変化する。

 いくら逞しかろうと所詮は人狼、生き物だ。最初のような鎧ならともかく、生身であればこの爪はゆうゆう貫通する。

 厚いゴムでも突いたような、なんとも気味の悪い感触は一瞬。

 何かが破れ、何かが壊れてひしゃげる。そんな()()()な感覚が手先を伝って腕を流れ、そして――固まった。

「えふ、ごふっ! 人でないなど、強欲などと、あんたに言って欲しくなかった、ルフト=ゼーレ……!

 あらゆる生き物に変化し、手に入れるあんたにはね――!」

 虚を突かれ隙だらけの体に、人狼の剛拳が叩き込まれる。

 反射的に後ろに飛び退き、内部で衝撃を吸収するも、わずかに逃し切れなかった分が核を傷つけ、全身が引き裂けそうな激痛が体を襲う。

 お陰で着地もろくに取れず、ゴロゴロと無様に床を転がり壁にぶちあたってようやく動きが止まる。

 霞む視界の中、男の爪が溶け落ち血だまりが広がっているのが分かる。

 くそ、爪ならこうもダメージ食らわなかったのによ……! 口の中で呻く俺に、どこか虚ろな声が掛けられる。

「ニ年近く前、"街"ゲシャフトではギルドの有力新人が一堂に会する、大きな大会があった。

 そうだろ? ゲシャフト代表兼、第七十三回大会覇者ルフト=ゼーレ」

 懐かしそうに語る男の声は何とも気味が悪い。その瞳が陶酔あるいは憧憬といった色を浮かべていれば、尚更。

「今更だが、自己紹介をしておこう。俺の名前はゼルフ=トーレ、じゃなくてコリオラノ=オブリクオ。

 ――歴史と革新の国"シェリム"、あの国の当時の代表さ」

 立ち上がった俺に、薄気味悪い笑顔を貼り付け男が礼をする。

「そりゃあ……思い出せなくて、悪かったな」

 内心の動揺を押し隠して笑みを作る、思い出せなかったのは本当だが。

「いいさ、と言うよりそもそも俺の名前なんて知らないんじゃないかな。

 シュリムのギルドはちょっと特殊で、巨大な研究会みたいなものだからな。期待されないんだよ」

 結果もその通りになったしな。と、男あらためオブリクオは恐ろしくさっぱりした、先ほどの男とは別人のような態度で語る。

「俺は以前から常々思ってたんだよ、人間っていうのは脆いもんだと。

 魔術や道具がより高度なのは人間だ、しかし肝心の肉体がこれじゃあ、不釣り合いにも程があるってね。

 当然、その思いのまま生体魔術学を専攻し、研究に研究を重ねた。

 結果はいつも散々たるもの、研究費用はあっという間に尽き、その金策のため仕事をこなし、気づけば大会参加のチケットを押し付けられていた。

 当時は嫌々出場したものだが、今となったは本当に感謝してるよあの大会には。あの大会のお陰で俺は()()()()()()()

「……俺に?」

「ああ、そうさ。あの日、案の定開始早々にラディーアの代表にやられ、不貞腐れながら俺は大会本部へと歩いていた。

 そしてふと、気づけば見知らぬ路地だ、情けないやら恥ずかしいやらで一層苛立ちながら、当ても無く路地を進んだ。

 そして――俺はあっさりと腕を切り落とし、当たり前のように生やしたあんたを見た」

「……で?」

「なに、あとは単純な話さ。更に研究に研究を重ね、ほんの少しだけアプローチを変えただけ。

 あ、あの後、アイゼルに行ったギルド員からあんたが変化士という異能者だと知ってから、さらに自分の研究に自信を持てたな」 

 ……()()()()()を変えた、ね。

「少し疑問に思ってたんだよな、この魔力を持った血の材料はなんなのかってな」

「へぇ、何だと思ったんだ?」

 ぽたぽたと垂れる、かすかに煌めく血を見て問いかける。

 研究者としての性か、オブリクオも襲い掛かってくる気配はなく、むしろ面白げに相槌を打ってくる。

「始めは薬かなんかで血液の一部を変質させてるのかとでも思ってたんだけどよ……そんなのがここ一、二年で完成するはずが無いよな」

「そうだな、薬は考えたが、失敗に終わったよ」

「血は駄目だ、ならどうする? 簡単だ、()()()()()()()()

 だが待てよ、肝心の魔力はどうする? ああ、そういえばあったなぁ、打ってつけ血色の石が。」

 そんなところだろう――オブリクオ、お前血と()()を入れ替えたな」

 いつしか手にあった血は全部流れ落ち、かすかに小さな紅い粒がキラキラと光る。

 血があった痕跡など微塵も残っていない、足元の血だまりは何時までたっても消えない。

「いやはや、やっぱり日がな体をイジってる人は違うね。これでもこの結論に到るまでは紆余曲折があったんだが」

 パチパチパチと小さく拍手をして、目を細め笑みを深める。

「俺の体はほとんど術具(きかい)で出来てます、とある法具(オーパーツ)を元に作っては見たんですが、生憎あんまり出来が良くなくてね。

 頻繁に燃料を補充しなきゃ、あっという間にお陀仏です。

 ま、これが味も見た目も()()()()そっくりでな。元より徹夜を重ねる身、お陰で飲むのに苦が無くて助かった」

 脳裏に浮かぶ、一度だけ見た研究室。宙を舞う書類に、机に広がる黒いシミ。

「コーヒーさえありゃ魔力上昇! か、相棒にも奨めてみるか」

「お奨めはしないな。もっとも、あんたの相棒に時限爆弾を取り付ける趣味があれば別だが」

 オブリクオが皮肉げに笑みを歪める。やっと、本当の表情が垣間見えた気がした、気がしただけだろう。

 血だまりの表面、最後の波紋が消えていく。消えるまでほんの一・二秒、それがこの沈黙の時間。

 この時間が終われば、奴もようやく本気を出す。よく考えてみて欲しい、足元の血は()()()()

(われ)こそ最上なれば、(なれ)等は(みな)(した)なる。

 我血に(かつ)えれば、汝等の死に体啜るはこれ道理――"超人願望(ウェア・フリークス)"」

 むせ返るような血臭が、床から、壁から、天井から風に乗って運ばれる。

 幾つもの紅い花が咲いていた天井も、さっきまで真っ赤だった絨毯も、嘲笑うようにかつての白さを取り戻す。

 部屋にあった一切の血が、オブリクオに向かって集まっていく。

 貪欲に血を掻き集めるさまはまさに吸血鬼――否、この男は屍肉すらも己の餌とする、ならばそれ以上の畜生。

 止めようにも、間に入ったら俺もあれの一部にされちまいそうだ。よって、ボケーッと間抜けに見守るぐらいしかすることがない。

「……しかし、あれだな。人間だの、鬼人だの、吸血鬼だの言ってみたが、実際は改造人間が正しいレッテルだよなぁ」

 首を右に左に曲げ、コキコキと二度音を鳴らす。手を強く握り指を鳴らし、屈伸して膝を鳴らす。

「超人、だよ。あんたなら分かってくれると思ってたんだけどな、ルフト=ゼーレ。

 俺の憧れた、あんたなら。だが、結局のところこの力の可能性をわかっているのは俺だけらしい」

 目の前の形容しがたい何か――仮称として超人としておいてやろう――から、くぐもった声が響く。

 言ってて恥ずかしくないのかね、研究も結局は商品、人に伝えられなければ意味がないでしょーが。

 ったく、しょうが無い野郎だ。

「プレ……ン……しろ……」

「何?」

「プレゼン練習しろよ、引き篭もり――!」

 そう言い捨てて、俺は迷いなく()()した。 


 ドカンやらバガンやらゴゴゴやら、背後から鳴り響く地鳴りに壁か何かがが壊れる音。

 ランニング中に聞くものとしては、あまり心地よくないBGM。時折吹いてくる風は、打撃や斬撃同伴で、火照った体と肝を存分に冷やしてはくれる。

 ――ふん、眠気を覚ますには丁度いい。

「とか言ってみたいなー! 畜生!!」

 背後に作った瞳が紅の触手を捉える、その数六本。打撃で弾ける程軽くなく、斬撃で切れるほど柔くなく、躱せる程余裕はない。

「なら逃げる、より逃げる!」

 変化で頭頂から鋭い(くちばし)を生やし、脚の圧縮を解き放ち天井を打ち抜き、上階へ。

 所詮、俺と違ってあいつの眼は二つ、目標を見失えば触手など迷子の赤子も同然。

「だからって、数撃ちゃ当たるっていう考えはどうかなー」

 自分の開けた穴からわずかに覗く、紅の巨体の背からは無数の触手。

 ――だが、動きは止まってる。そりゃそうだよなぁ、ついさっきまで二本腕だった奴が、急に五本も十本扱いきりゃしねーだろ。

「むしろ、幾ら練習しても無理だろうけどなッ!」

 寸でのところで触手を躱してしがみつく。目標が雑把、感覚すら瓦礫と俺とが見分けがつかないレベル。

 鉄血魔術のことなんざ知らないが、変幻流でこんなのこんな不細工作りやがったら即刻破門だっつーの。

「変化舐めんな、ド三流! "重掌破城撃"」

 引き戻したところで、巨体の背中本体が入れであろう位置に向け、重ね当ての要領で放つ破城撃。

 これなら、多少肉厚だろうと衝撃が通る……筈なのだが。

「リアクションは薄い、と」

「いーやぁ、それなりに効いたよッ――!」

 当てた両手を絡めとられた所に放たれる触手、咄嗟に両手両足を切り離し、蔦を伸ばして上階へ再び逃げこむ。

「また、逃げるんですか、失望させないでくださいよッ!」

 巨体を震わせ跳躍するオブリクオ、その体は部屋に居た頃よりも一回り大きい、ここに来るまでにも血を吸ったのだろう。

「重そうだな、その体」

 タイミングを合わせ、こちらも跳躍する。丁度階の境辺りで落下は止まり、逆に上に運ばれる。

 踏まれたと分かったオブリクオが、足を掴み触手を生やすが――全て無駄。

「ちょっと、ダイエットしてこい!」

 溜めに溜めた重蹄脚で蹴り落とし、自分は幾つか天井を砕き、屋上へ。月光を全身に浴び、クルリと一つ宙を返って、屋上に座す。

 十分に距離は取った、ここに来るまで三十秒も無いだろうが、それだけあれば()()だろう。

 あぐらを組み脱力する、座禅の構え。

 夜の寒気を肺に押し込み、昂った心を静める。

 消えぬ波紋が無いように、心のさざ波もなだらかにその姿を消していく。

 そして、それは俺の肉体(からだ)にも言える。

 瞳を失い、骨が無くし、肉が溶け、鼓動は止む。一切問題なし、そもそも俺はそんな物など必要としない。

 ただ、この"(たましい)"さえあれば、俺は俺であり、この魂が歪めば俺は俺ではない。

 魂は自我であり、記憶であり、意志であり――自己の写身、"形憶"と吸身者(おれたち)が呼ぶ、姿形の記憶。

 これがあるからこそ、木は花を咲かし、獣は爪牙を振るい、人も魔族も言葉を操る。

 故に、人は技に頼り、魔族は力に拘り、獣や木はそもそも他の術を知ろうとしない。

 先のオブリクオが、当然腕が増えても扱いきれなかったように。

 そして、これこそが変化を遮る唯一の柵だ。変化精度と速度の低下、生命力消費の大本。

 もし、これを無理やりにでも取っ払う事ができれば、変化速度と精度を格段に上昇させることができる。

 そもそも、変化において、姿形を変えることなど表面上のものに過ぎない。変化とは己が()を変える術でなく、己が()にあるものを変える術に他ならない。

 故に――記憶を、意志を、精神を、自我を、心を――()を変化させることこそがその本質。

 もちろん、そう保ちはしない。神か何かに埋め込まれた魂は、そう安々と変化はせず、また変化が解けぬこともない。

 改竄された魂は、ただ泡沫の夢のごとく消え去るのみ。

 だからこそ、俺は蘇った。

 だからこそ、レウス=フリートは死んだのだ。

「"霊魂變化"」

 自分が変容していくのが分かる、自分がなんであったかが思い出せなくなっていく。

 そして、人、魔族が、獣が、木々が、全てが自分なのだと俺の魂は確信する。


 瞼を開けば、目の前には紅の巨人。またも、その体を大きくしたように思える。

 拳を軽く握り、俺は人間なんだなと思う。

「図体ばかりでかくなりやがって、人を超えたのは身長と体重ぐらいのもんだろ」

「その減らず口ももう聞けなくなると思うと、少し寂しいですね」

「安心しろよ――死体に感情なんて無い」

 その言葉を合図に、地を蹴り巨人へと駆ける。

「ハハハハ! 面白い冗談だ!」

 嘲笑と共に放たれる触手。前と同じく数は六、しかしどれも手を型取り、(てのひら)では誰のものともしれぬ口が舌なめずりをしていた。

 位置と軌道だけをザッと確認し、速度を緩めず、むしろ速さを増して巨人へと突貫する。

「自棄になったかぁ!」

「な訳ないだろ、鬱陶しいんだよこいつら」

 触手が俺の体に当たる寸前、右腕をハエ感覚で払う。

 それだけで、触手は斬り飛び、虚しく俺の側を過ぎていく。

「え――?」

 何を間抜け面してるんだこいつは、()()の俺にあんな触手が斬れない筈がないじゃないか。

 奇妙な齟齬を感じながらも、内心でつぶやく。

「くそっ!」

 触手同士がくっつき、太い二つの腕を模る。

 一つの腕が最短距離で拳打を放ち、一つは大きく後ろに引き強撃の溜めを作る。

 そのただ疾いだけの巨拳を左フックで弾く。こんなので足止めになるかよ、()の力を舐めるなよ。

 バランスが崩れた所を、飛び回し蹴りで右の拳を弾く。

 蹴りの勢いで巨人に背中を向ける形で着地、重蹄脚を用いたバックステップで一気に距離を縮める。

 案の定、巨大な腕を持て余しオブリクオがたたらを踏む。

 首を百八十度曲げ、腕の骨格を変え、背中と正面をひっくり変える。振り返るなど、時間の無駄だ。

 視界を覆う紅の巨体。邪魔なんだよ、この贅肉ッ!

「"見えざる善意"」

 巨体に押し当てた手からありったけの()()を放つ。

 呼ぶ概念は"手"、量だけはある魔力を手の型に押しこめ叩きつける。

 無属性魔術"見えざる善意"の効果はただひとつ、魔力の消失。

「さぁ、ご対面だ!」

「な、なんで……!」

 魔力を失いドロリと元の役割を思い出したかのように、紅の体は溶けかすかに中の本体が覗く。

 怯えた様子でこちらを見るオブリクオを一瞥し、右手を溶け落ちできた穴に差し込む。

 もとい――右手じゃなかった、人狼だ。手なんて俺には無いじゃないか、何を言ってるんだ俺は。

 全身から空気を取り込み、人狼の体は今にも破裂しそうなほど膨れている。

『"崩哮(ディズ・ア・ルギオ)"』

 夜天に暴力を伴う激音が響き渡る。

 巨人の体が弾け、中の小人は吹き飛び、柵に叩きつけられる。突き抜けると思ったが、存外丈夫だったらしい。

「よ、生きてるか超人様」 

 柵にもたれ掛かる小人を踏みつけて嘲笑(わら)う。

 小人は息絶え絶えながらも、鋭い目つきでこちらを睨んでくる。

「ふん、もう声も出せないか、大した超人だ……なッ!」

 一息に首を踏み千切る。

 口から泡と共に血を吐き出すオブリクオ、またたく間に生気が失われていくのがよく分かる。

 だから――生かしてやることにした。

「うーん、どうした不思議そうな顔だな」

 惚けた声を出しながら、オブリクオの首を拾い上げる。

 足から生やした血管を千切らないよう、気をつけつつ片手で髪を掴んで拾い上げる。

「俺は見たぞ培養槽に入れられた肉片を、聞いたぞ望まれない赤子らの鳴き声を」

 知らず、俺は奥歯を噛み締め、手を固く固く握っている。

「俺は知っているぞ――お前、同じ人の子にも手に掛けたな」

 奥歯が砕け、手の平からは青白い体液が溢れる。

 アプローチを変えたとこの男は言っていた、血を研究するのではなく人体の改造に目を向けたと。

 ()()の改造である、研究所にあるような実験装置で研究出来るはずがない。

 人体実験の外に方法はまずあるまい、あったとしても一・ニ年でこんな確かな研究成果を残せるものか。

 そして、世の中にはとある障害に悩む親子がいる――魔臓発達障害、相棒(イレーナ)も持っている魔力が増えなくなる生まれ持っての障害。

 そこにその障害を治す研究をしている、と売り込めばどうなるか。言うまでもあるまい。

 この屋敷にあった、無数の生々しい人形が脳裏によぎる。あれは、なんだったのだろうか?

「ああ、確かにお前は超人だ。人非人だよ、コリオラノ=オブリクオ」

 俺の言葉にオブリクオは薄っすらと笑い。パクパクと口を動かす。

 声はなくとも何を言ってるかは分かった。

「お前も同類だろ、棚上げするなよ殺戮者(マス・マーダー)

 いつか作り上げた地獄が頭を過る。

 涙と血とに塗れて尚泣き叫ぶ子の声、羽を失い地を這いずる妊婦、細いのと小さいの二つのを見て泣き崩れる男。

 笑みが零れ落ちそうになるのを自重する。

「ああ、そうだな。だからこれは、俺のエゴだ」

 もう、聞こえては居ないだろうに俺は応える。

 オブリクオは魂を喰らわれる痛みに、己が無くなる恐怖に失神を発狂を繰り返している。

 スーッと心が晴れるのを感じる。虚しさなど無い、実に満ち足りている。

「やりたいことをやったんだ、それも当然っちゃ当然だな――できなかった時にこそ、人は虚しさを覚えるもんだ」

 かつて思い描いた夢を想い、自嘲する。嗤う。

 身の丈にあった小さい小さい畑で仕事する父、そんな父を暖かなスープを作りながら待つ母、脆く淡い体でも精一杯遊び笑いあった友。

 ――故郷(あそこ)に帰るのが、夢だった、夢だと思っていた。結局、夢など無かった。真実、俺が想っていたのはただの幻だった。

 そう、俺はスライムだったな。人間でも人狼でも鬼でも無く、弱くて脆いスライムだった。

 變化が解け、いつの間にか閉じていた瞼を開く。

 その時には、人を超えた男の姿は幻のように消え去っていた。

 あとに残るは瓦礫の山と血の海、泣き叫ぶ赤子に肉の人形。

「傷跡ばかり残しやがって……」

 思わずつぶやいた俺の傍を優しい夜風が通り過ぎた。 

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